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保守系さんへの回答と質問 その1  ‥千里眼‥

2007年05月10日 22時32分23秒 | Weblog
 盧溝橋事件について保守系さんは、「あのシナとの戦争も、空砲持っての日本軍の演習に向けての毛沢東の指導下にあった共産軍の一発の銃声によって始まったのです」。「日本軍と国民党軍が戦えば、誰が得するのか、発砲は誰か、自明の事です」、と書いている。
 この共産党謀略説については、昨年11~12月にかけて3回の連続投稿で完璧に論破しが、保守系さんからのコメントがなかったので、自説を捨てたものと思っていた。が、またぞろ持ち出してくる。ただし、以前は「常識」と称していたが、さすがに、この言葉を今回は使っていない。前回の私の投稿を、一部省略した形で、ここで再び投稿し、さらに追加して書き加えたいと思っている。 

 最初に中国共産党謀略説を唱えたのは、葛西純一氏著「新資料 盧溝橋事件」である。この著書には、まとめると次のように書いてある。
 敗戦後、彼は中国に残り中共軍に勤務していたと称している。そのとき、中国人民解放軍政治総政治部発行の「戦士政治課本」(兵士教育用教科書)を入手したとする。「劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動を以って党中央の指令を実行したもの」と、その教本には書いてあるとする。そして中国共産党謀略論を展開したのである。これが一部の保守系論者の論証の根拠にされているのだ。

 産経新聞平成6年9月8日夕刊の解説記事に、「盧溝橋事件直後に中国共産党司令部宛ての「成功せり」という緊急電報が届いていることを日本軍が傍受したという事実がある。なおかつ『廬溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志の指示によって行われたものである』という内容が共産党の兵士向けのパンフレットにのっていたともいわれる。なお劉少奇は共産党の人物である。批判として日本軍が支那大陸に駐留していること自体が侵略であるというものがあるが、これは全く意味をなさない。なぜなら、日本軍の駐留は条約によるものであって決して侵略ではない」と報道した。これが保守系論客の一般的見解である。

 このように、葛西氏の見解が利用されている。新聞報道にまでなっているのだ。「成功せり」という電報の件については、2回目の投稿で批判・否定する。ここには愉快なほど面白いことがある。

 歴史学者の秦郁彦氏は葛西氏に会い、その教本について尋ねると「銀行の貸し金庫に秘匿してある。もし、中国共産党が、自らの謀略を認めないときには、これを公表し、北京と対決する」と語ったそうだ。秦氏の著書「昭和史の謎を追う 上」に、その詳細は記されている。是非とも読んで頂きたいものだ。(この本は雑誌「正論」に連載した論文、論文というより読み物をまとめたもの。ただし、保守系の立場には立っていない。実証的な立場で書かれている)

 保守系論客の中国共産党謀略説の論拠にされながら、この教本を目にした人は、世界中に葛西氏以外には誰もいないのである。彼の死後、奥さんと貸金庫など探したが、ついに発見されなかった。秦氏は中国でも同じものを探したが、ここでもついに発見できなかった。

 秦氏は「現物が出現する可能性はなく、むしろ現物は持ち帰っていない、あったとしても葛西は洛陽時代にそれらしい記述を読んで、おぼろげな記憶を頼りに復元を試みたのであるまいか、と筆者は推測する」。ときわめて真面目な学究らしく、遠慮した形で記述している(雑誌「正論」の連載では、やむをえないのであろうが)。この一連の内容・経過を見るとき、葛西氏のさまざまな言動から判断して、葛西氏のでっちあげ、または妄想以外の何にものでもない、と私は判断している。

 ところが、保守系論客は中国共産党謀略説の論拠に、現在にいたっても葛西氏の説を出典も明らかにせずに使うのだ。産経新聞までが平気で使うのだ。こうした状況を何と表現すればよいのか。こうした人たちが学者面をして、大学に在籍しておれる日本はどういう国になったのか。

 保守系論客の中国共産党謀略説の第一の論拠は、これで否定できた。長くなったので、後は次回にまわす。
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イラク派兵、改めてなんと低い民度か!!  文科系

2007年05月10日 18時30分15秒 | Weblog
日本のイラク派兵は(海外遙か遠い「戦闘地」への「自衛隊」の派遣というこの「自衛戦争」は)、その開戦理由のほとんどが嘘で固められて、いわば無理無理でっち上げられた開戦に乗っかった形で行われたものと判明しています。小泉の詭弁などにも支えられた、そういうごり押しの一世一代の大博打としての既成事実作りが、こんなにも情けない背景しかなかったわけでした。
国連決議もなかったわけですし、当時のアナン事務総長はイラク戦争を任期中最大の痛恨事と語っているくらいですし。情けなさ極まりない戦争でした。

だからこそ、参加した世界各国国民は後悔している。反省している。スペインとイタリアでは保守内閣が崩壊しましたし、イギリスではブレア首相がすっかり国民の信頼を無くし、退陣余儀なしとなった。他の先進国は、戦争、参戦ということにそれほどに敏感なのだと言えましょう。

しかるにしかるに、小泉は退陣どころか、支持率増大です。それも、9条を持ったこの日本でのこと。「ショウ ザ フラッグ」を当然視し、「金だけ出すのでは駄目だ」と述べたマスコミも、その口をぬぐって何の反省もなかった。おおいに、おかしくないですか。他国と違って「日本は、国連決議もない戦闘地への海外派兵に特別の意味があったはず」なのに。

思えば、なんと情けない国でしょう。全くのモラルハザードですよね。小泉だけでなく、マスコミも国民も、ブッシュのポチだったということになるようです。
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保守が革新か?   楽石

2007年05月10日 09時27分54秒 | Weblog
保守系さんが、小泉さんこそ革新と言い、文科系さんが反論。
この問題、案外、日本の高度経済成長期以降の政治を振り返るうえで、
重要な観点をふくんでいそうです。

というのも、名古屋市の高速道路建設について
革新の市政が反対、その後、建設に転換。
この事態を振り返ってN元市長は、
革新が保守で、保守が革新と、語っていました。
革新は反対することによって、心ならずも、
保守の立場に立っていたのでは?

フランスの大統領選挙なども、同じ枠組み。

あまり意味のない議論のようにも、見えますが、
案外、重要なような気も。

革新とはなにか?
あるいは、保守・革新という枠組みが時代に
そぐわなくなったのか?
それなら、新しい枠組みは何と何?

アルカイダとともにインターナショナルの歌が復活するか?





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