19.自衛隊
■平和安保基本法で役割を位置づける・軍隊とはせず、集団的自衛権は行使しない
・国連安保理決議にもとづく平和構築活動に参加していく
・非核を徹底して貫き、文民統制をきちんと機能させる
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」。憲法9条はこう定めているのに、自衛隊を持つことは違憲ではないのか。これが、自衛隊をめぐる長年の憲法論争の中核である。
政府は「憲法は固有の権利としての自衛権は否定しておらず、必要最小限度の防衛力を持つことは禁止されていない」との解釈に立つ。
自衛隊の歴史はすでに半世紀に及ぶ。激しい国会論戦や反自衛隊、反基地の市民運動などがあった。その一方で自衛隊の規模、役割は拡大していった。
この相克の中で、自衛隊の装備や運用について厳しい制約を課す日本の安全保障政策の基本的枠組みができあがっていった。自衛隊のイラク派遣や米軍への協力で様々な逸脱や疑問、曲折はあったが、長年の積み重ねの結果、現実に根ざした平和主義の骨格が形作られた。
過去の朝日新聞の世論調査からは、9条も自衛隊も安保も、ともに受け入れる穏やかな現実主義が浮かび上がる。国民の多くは「憲法か、自衛隊か」と対立的にはとらえていないようだ。国民の間に、基本的なところでのコンセンサスが生まれ、定着してきたと言えるだろう。
自民党の改憲草案は、自衛軍の保持を打ち出した。普通の軍隊を持ちたいということだが、私たちはそれに反対だ。再び軍隊は持たないと誓った戦後の出発点をゆるがせにしたくないと思う。
最近の世論調査でも、自衛隊を「自衛軍」とすることに賛成は18%で、70%が自衛隊のままでよいと考えている。こうした穏当な現実主義を大事にしたい。これを基本として、これからの日本の防衛、安全を考えていくべきだ。
9条の意義を是とする立場から、それでも憲法に自衛隊を書き込むべきだという意見がある。その方が分かりやすいという主張である。それも理解はできる。
だが、すでに述べたように、憲法を変えることにはリスクやコストがあまりに大きい。国論を二分して多大のエネルギーを費やさねばならないし、行き過ぎた改憲にはずみをつける心配もある。
それでは、自衛隊をきちんと位置づける基本法を、今の自衛隊法とは別につくったらどうだろう。自衛隊を持つ理由と目的、使い方の基本を定める。60年かけて作り上げてきた現実的平和主義の根幹を、憲法に準ずるような法律に定めるのだ。平和安全保障基本法と名付けたい。
憲法の理念から外れるような、なし崩しの解釈改憲への歯止めとしても重要な意味を持つ。そこには、次の四つの要素を盛り込むべきだ。
第一に、憲法の理念のもとに必要最小限の防衛力として自衛隊を持つこと。専守防衛の原則を守り、海外での武力行使はせず、集団的自衛権は行使しないことを明記する。
第二に、被爆国日本から国際社会に発するメッセージとして、非核の原則を盛り込む。北朝鮮の核実験を機に核武装論が論議されるが、核拡散に反対する日本の決意を鮮明にする。
第三に、自衛隊による国際平和協力のあり方だ。自衛隊の海外派遣に関する社説15で提言したように、国連による平和維持活動(PKO)に積極的に参加する方針と原則を書く。
第四に、文民統制の原則を強調する。背広組(文官)による制服組の統制という狭い意味ではない。政府内における政治の優位、さらには国会が自衛隊をコントロールするという大きな意味での文民統制を確認すべきだ。
こうした原則を踏まえて、自衛隊の規模と装備については、国際環境を見ながら、過大にならないように見直していくべきである。
最後に集団的自衛権の行使について、付け加えておきたい。私たちがこれに反対するのは、必要最小限の防衛力の行使を認めた憲法9条から逸脱し、際限なく自衛隊の役割が広がってしまうからだ。
だからと言って、日米協力を何も進めるなということではない。日本近海での米艦護衛は、基本的には個別的自衛権の枠組みで対応できることだ。
ミサイル防衛などの新技術や平和構築活動への参加を踏まえ、個別的自衛権や国連による集団安全保障に基づいてどのような協力ができるのか。安全保障の現実も見据えながら整理したらよい。
とにかく集団的自衛権行使に道を開こうとするのは乱暴な9条改正論である。もっと現実的で冷静な議論が必要だ。
■平和安保基本法で役割を位置づける・軍隊とはせず、集団的自衛権は行使しない
・国連安保理決議にもとづく平和構築活動に参加していく
・非核を徹底して貫き、文民統制をきちんと機能させる
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」。憲法9条はこう定めているのに、自衛隊を持つことは違憲ではないのか。これが、自衛隊をめぐる長年の憲法論争の中核である。
政府は「憲法は固有の権利としての自衛権は否定しておらず、必要最小限度の防衛力を持つことは禁止されていない」との解釈に立つ。
自衛隊の歴史はすでに半世紀に及ぶ。激しい国会論戦や反自衛隊、反基地の市民運動などがあった。その一方で自衛隊の規模、役割は拡大していった。
この相克の中で、自衛隊の装備や運用について厳しい制約を課す日本の安全保障政策の基本的枠組みができあがっていった。自衛隊のイラク派遣や米軍への協力で様々な逸脱や疑問、曲折はあったが、長年の積み重ねの結果、現実に根ざした平和主義の骨格が形作られた。
過去の朝日新聞の世論調査からは、9条も自衛隊も安保も、ともに受け入れる穏やかな現実主義が浮かび上がる。国民の多くは「憲法か、自衛隊か」と対立的にはとらえていないようだ。国民の間に、基本的なところでのコンセンサスが生まれ、定着してきたと言えるだろう。
自民党の改憲草案は、自衛軍の保持を打ち出した。普通の軍隊を持ちたいということだが、私たちはそれに反対だ。再び軍隊は持たないと誓った戦後の出発点をゆるがせにしたくないと思う。
最近の世論調査でも、自衛隊を「自衛軍」とすることに賛成は18%で、70%が自衛隊のままでよいと考えている。こうした穏当な現実主義を大事にしたい。これを基本として、これからの日本の防衛、安全を考えていくべきだ。
9条の意義を是とする立場から、それでも憲法に自衛隊を書き込むべきだという意見がある。その方が分かりやすいという主張である。それも理解はできる。
だが、すでに述べたように、憲法を変えることにはリスクやコストがあまりに大きい。国論を二分して多大のエネルギーを費やさねばならないし、行き過ぎた改憲にはずみをつける心配もある。
それでは、自衛隊をきちんと位置づける基本法を、今の自衛隊法とは別につくったらどうだろう。自衛隊を持つ理由と目的、使い方の基本を定める。60年かけて作り上げてきた現実的平和主義の根幹を、憲法に準ずるような法律に定めるのだ。平和安全保障基本法と名付けたい。
憲法の理念から外れるような、なし崩しの解釈改憲への歯止めとしても重要な意味を持つ。そこには、次の四つの要素を盛り込むべきだ。
第一に、憲法の理念のもとに必要最小限の防衛力として自衛隊を持つこと。専守防衛の原則を守り、海外での武力行使はせず、集団的自衛権は行使しないことを明記する。
第二に、被爆国日本から国際社会に発するメッセージとして、非核の原則を盛り込む。北朝鮮の核実験を機に核武装論が論議されるが、核拡散に反対する日本の決意を鮮明にする。
第三に、自衛隊による国際平和協力のあり方だ。自衛隊の海外派遣に関する社説15で提言したように、国連による平和維持活動(PKO)に積極的に参加する方針と原則を書く。
第四に、文民統制の原則を強調する。背広組(文官)による制服組の統制という狭い意味ではない。政府内における政治の優位、さらには国会が自衛隊をコントロールするという大きな意味での文民統制を確認すべきだ。
こうした原則を踏まえて、自衛隊の規模と装備については、国際環境を見ながら、過大にならないように見直していくべきである。
最後に集団的自衛権の行使について、付け加えておきたい。私たちがこれに反対するのは、必要最小限の防衛力の行使を認めた憲法9条から逸脱し、際限なく自衛隊の役割が広がってしまうからだ。
だからと言って、日米協力を何も進めるなということではない。日本近海での米艦護衛は、基本的には個別的自衛権の枠組みで対応できることだ。
ミサイル防衛などの新技術や平和構築活動への参加を踏まえ、個別的自衛権や国連による集団安全保障に基づいてどのような協力ができるのか。安全保障の現実も見据えながら整理したらよい。
とにかく集団的自衛権行使に道を開こうとするのは乱暴な9条改正論である。もっと現実的で冷静な議論が必要だ。