九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

私の戦争体験⑥    中野寂音

2008年09月26日 12時24分02秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 外地転属 

特別休養室を退出して内務班に帰ってみると、
ほとんどの初年兵は転属のため中隊から姿を消していた。
残る内務班は 幹候志願者の二つの班だけであった。
いつの間にか一期検閲合格者となっていた。
軍隊用語で休養室を出てきた兵隊は入室下番と呼ばれている。
部隊は外地転属の準備で大騒ぎであった。
夕方の点呼の時内務班長が全員手を前に出せと検査が始まった。
凍傷の検査かと思ったが、入室下番の私は凍傷もひび割れはなく
綺麗な手であった。
班長はいきなり「よし、荷物をまとめよ」
すぐ私を中隊から連れだした。

転属部隊の宿舎に連れ込まれ、始めて会った班長から
「転属の兵隊に急病人がでた。お前はその代わりになった」
用意してあった転属用の装具一式が渡された。
装具には「粟野」という名前がすべてに入れられていた。
翌日、先遣隊として出発を命令された。
入室下番は一番元気が良いと思われたのであろうか、
直属の中隊長も班長も知らないうちに、部隊を出発汽車に乗せられた。
将校を責任者として十名ぐらいの先遣隊。
汽車に乗ってから、下士官から下関港から荷物を船に乗せる先遣隊であること、
そしてこの部隊がこれからどこに行くのか、
転属先の隊長の名前が田中中尉であるとわかった。
この先遣隊は下関港で機材その他部隊の梱包された荷物を
連絡船に乗せて釜山で本隊と合流するという。
下関の宿屋に泊まり、日本の布団ともこれでお別れと
手足を伸ばしてゆっくりと寝た。

当時の関釜蓮絡船は、玄海灘でいつアメリカ潜水艦の攻撃を受けるか
知れず何隻も撃沈されている。
救命具を着けて甲板で待機の旅となった。

                つづく


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麻生内閣支持率48% 福田政権発足時下回る         ネット虫

2008年09月26日 09時03分40秒 | 国内政治・経済・社会問題
★共同通信の調査ては麻生内閣支持が48.6%とと50%を下回ったそうだ。
 国民はそれほど馬鹿ではないということだ。望ましい政権でも民主中心が自民を上回っている。
 一日も早く自民政権の落城を見たいものだ。以下調査の一部。
******************************

 麻生内閣発足を受け、共同通信社が24日夜から25日にかけ実施した全国緊急電話世論調査で、内閣支持率は48・6%となった。不支持率は32・9%だった。支持率は昨年9月の福田前内閣発足直後の57・8%を下回った。

 次期衆院選比例代表の投票先は、自民党34・9%、民主党34・8%と拮抗した。このほか公明党5・7%、共産党2・7%、社民党1・2%、国民新党0・4%、新党日本0・2%。

 麻生太郎首相と民主党の小沢一郎代表の「どちらが首相にふさわしいか」との質問では、麻生氏が53・9%で、小沢氏の29・4%を大きくリードした。

 ただ、望ましい政権の枠組みでは民主党中心の政権への交代がよいと答えた人が43・8%で、自民党中心の政権継続の38・1%を上回った。

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覚えてますか・・民主党「次の内閣」   ネット虫

2008年09月25日 21時42分22秒 | 時事問題
★去年の9月の民主党次の内閣名簿です。比較していかが?

■第3次小沢『次の内閣』閣僚名簿
        大 臣
ネクスト総理大臣 小沢 一郎
ネクスト副総理大臣 菅 直人   
ネクスト国務大臣 鳩山 由紀夫
ネクスト官房長官 直嶋 正行

大 臣 副大臣
ネクスト総務大臣 原口 一博      
ネクスト外務大臣 鉢呂 吉雄      
ネクスト防衛大臣 浅尾 慶一郎     
ネクスト内閣府担当大臣 松井 孝治  
ネクスト財務大臣 中川 正春      
ネクスト金融(経済財政担当) 大畠 章宏
ネクスト厚生労働大臣 山田 正彦    
ネクスト年金担当大臣 長妻 昭     
ネクスト経済産業大臣 増子 輝彦    
ネクスト法務大臣 細川 律夫      
ネクスト文部科学大臣 小宮山 洋子   
ネクスト子ども・男女共同参画担当大臣 神本 美恵子
ネクスト農林水産大臣 筒井 信隆    
ネクスト国土交通大臣 長浜 博行     
ネクスト環境大臣 岡崎 トミ子     

ネクスト官房副長官 長妻 昭(年金担当大臣兼務)    



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必勝法・・民主党は閣僚名簿を公表して麻生内閣と決着をつけよ 天木ブログより

2008年09月25日 21時27分18秒 | 時事問題
24日の毎日新聞「つむじ風」に麻生太郎のつぎのような言葉が載っていた。

 「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて普通の人には分からんだろうな」

 このような考えを平気で口にする人間が首相になって、考え抜いた末の閣僚名簿が、24日の新聞にはやばやと載っていた。

 日経新聞がスクープした閣僚名簿には、外務大臣中曽根弘文、防衛大臣浜田靖一という名前があった。親父の名前以外に何物も持ち得ない二代目政治家だ。これで日本の為になる外交・安保政策ができると思っているのだろうか。官僚の操り人形だ。親父の操り人形だ。

 朝日新聞では「幻の幹事長就任」と題して、麻生新総裁が森喜朗元首相に幹事長就任を頼み、それを安倍晋三が名案だと喜び、しかしさすがの森は「そんなことでは出来レースだと思われる」と断ったというエピソードが紹介されていた。

 正式に閣僚名簿が発表された時、どのような評価がメディアで流されるかわからない。しかし自民党の体質を象徴した内閣である。

 小沢民主党代表は、「自分が政権をとったら自らの手でこのような内閣をつくって日本の難局を乗越えてみせる」と国民に問うべきだ。

 「人相が悪く、性格も悪いかもしれないが」(亀井静香の言)、この顔ぶれの閣僚に助けられて、みなの力を借りて日本を蘇生させて見せる、と見得を切るがいい。

 麻生新政権を甘く見てはいけない。

 苦境に追い込まれた公明党を甘く見てはいけない。

 民主党の総力をかけて、野党の総力をかけて戦わなければ負ける。

 麻生新内閣の顔ぶれを凌駕するの閣僚名簿を発表できなければ戦いは苦しいと思ったほうがいい。

 閉塞感に満ちた国民の心を動かす策を、全力をあげて考え出すことだ。

          (天木ファン)
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私の戦争体験⑤   中野寂音

2008年09月25日 08時44分53秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
特別面会

軍隊には休務日がある。
戦時体制下ではすべて軍事機密で、前日か当日発表となる。
この日は外出日となるが、初年兵には外出は許可にならない。
営内での面会日となる。
一月の日時は全く思い出せないが、この面会日に突然両親が現れた。
十九歳で生まれて始めて家を離れて、兵隊ソングの一節に

  「点呼のすんでその後で 鉄拳制裁雨あられ
   泣く泣く潜る床の中 夢は故郷の母の顔」

この歌が身にしみる頃であった。
事前に連絡があったのか、東京からこの斉宮まで
簡単に切符も買えない戦争の時代、ただびっくり仰天した。
営門内のテントの中でひさしぶりに母親の手料理に満腹した。

  通信所開設演習

二月中旬、通信教育の最期の科目として通信所開設演習が行われた。
通信機材を持って徒歩で山の中に入っていった。
地理的には鈴鹿山系の麓であろう。
宿泊は分散して農家に泊まる。
囲炉裏のまわりでの暖かい食事、久しぶりに人間らしい生活に感激した。
そして農家には籠の中に乾燥芋がたっぷり入っている。
好きなだけ食べて良いといわれ、どのくらいか食べたか知れない。
兵舎に戻ってから下痢がはじまった。

  特別休養室 

一日何回も下痢が続いた。
ついに栄養失調となり休養室入りとなった。
この部隊ではこの年初年兵対策に追われ凍傷患者、
栄養失調患者はますます急増した。
栄養失調患者は多すぎて既設の休養室には入り切らず、
講堂を臨時の特別休養室として開設した。
五十名のベットが置かれ。特別献立の給食。
食べて寝ている兵隊の患者で満員であった。
この休養室に二週間程いた。
二月末一期の検閲が行われている演習場をこの部屋の窓から眺めていた。
入室中に幹部候補生合格上等兵となる。 

                    つづく


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『三菱UFJ、モルガンに九千億円出資へ』・・・「ヤメロ 誰に相談した!!」

2008年09月25日 00時29分26秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
★ 下記の新聞記事を読んで驚いた。そして腹が立った。
  我ら老夫婦が信頼しきって、命の退職金の大半を委ねた「東海」いや「三菱UFJ 銀行」が、何の説明も相談もなく、倒産も噂されているアメリカのモルガン何とかに、事もあろうに九千億円の支援をするって?
 気は確かか!!!
 ここ何週間かアメリカの金融機関の崩壊のニュースを聞くたびに、「日本でよかったなあ」と話し合っていたのに。
 火中の栗を何故拾う? 地方銀行の頃から信頼して預金していた我々零細預金者の事を少しでも考えたか? 日米政府に押し付けられたのか? 何故ちゃんと説明しない。 すぐにヤメロ・・アホウ!!!! 退職金が消えたら首つって怨んでやる!!!

(後期高齢者)
**********************************

『三菱UFJ、モルガン・スタンレーに出資へ』 筆頭株主に三菱東京UFJ銀行を傘下に持つ三菱UFJフィナンシャル・グループは22日、米証券大手モルガン・スタンレーへの巨額出資を発表した。世界的な金融危機は国境を越えた業界再編につながり、かつて不良債権に苦しんだ日本の金融機関が事実上、救済する側に回ることになった。
 モルガン側からの出資要請に応じた。今後出資額を確定し、株式を第三者割当増資で取得する。15%出資すれば筆頭株主になる見込み。20%の場合、9千億円を上回る。邦銀による海外の金融機関への出資額としては過去最大。取締役1人を派遣する予定。
 サブプライム問題が深刻化した昨年以来、比較的財務内容がいい日本のメガバンクには、欧米の金融機関から支援要請が相次いでいた。
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私の軍隊生活④     中野寂音

2008年09月24日 09時40分24秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
通信教育

この年から教育のすべては通信教育になった。
電鍵と言われたモールス信号発生機を手で打って
短音と長音を作り出してゆく。
いわゆるトンツーといわれていた。
この教育は通信部隊ではもっとも重要な科目であった。
通信講堂には五十名座れる席があり、
電鍵とレシバーがすべての席に設備してある。
教官のモールス信号を聞くことから始まる。
トンツーはすべて数字のトンツーである。
幸運にも私は学校でこの通信教育を一年間受けた。
いまではアマチュア無線しか聞こえなくなったトンツーの音、
これも昭和の音風景のひとつである。

この頃やっと軍隊生活にも馴れてきた。
ほぼ毎日の夜間空襲警備、日中は通信教育、
初年兵は初めてのトンツーに悪戦苦闘の毎日となった。
このうち経験者は一割程度、わずかの期間で技能の向上は不可能であった。
国内も毎日が戦場となった状態では、軍隊得意の員数合わせ教育となった。
この部隊は今年四月、八月と十二月初年兵を受け入れ、
三ヶ月教育して国内海外の各地に派遣配置している。
兵隊の速成大増産時代である。

この通信教育は楽であった。
ほとんどが始めてトンツーにふれる初年兵ばかり、
頭を使うのではなく反射感覚が重要である。
通信経験者は一割ぐらい、同じレベルでの教育なので我々経験者は
常に上位で、レシーバーを付けてうつらうつらと居眠りの毎日であった。

中隊には幹部候補生志願者が三〇名程いた。
希望者には消灯後一時間の勉強が許可され、事務室に集められた。
一次試験の勉強それは軍人勅諭の丸暗記と、ひたすら筆写することであった。
ここで同じ中隊の候補生と知り合うことができた。

                         つづく

                         
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一郎VS太郎    落石

2008年09月24日 09時37分41秒 | 国内政治・経済・社会問題
奇しくも、小沢一郎。麻生太郎。

一郎ちゃんと、太郎ちゃんの一騎打ち。

日本の前途を賭けた一戦にふさわしい
天下分け目の関が原ですね。

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リーマン・ブラザーズの破産は、ブッシュ・小泉同盟の破産            天木ブロク゛より

2008年09月24日 00時08分43秒 | 国内政治・経済・社会問題
世の中そう捨てたものではない。

 悪事が必ず罰せられるとは限らないのが世の常であるが、それでも時として、お天道様は見逃さなかった、と思うときはある。 

 まさかの、リーマン・ブラザーズの破綻を見てそう思う。

 軍事力にまかせた「テロとの戦い」が一方の車輪であるとすれば、サブプライムローンに象徴される詐欺まがいの金融資本がもう一つの車輪であった。

 その上に乗ってブッシュの米国が急速に進めてきたのが新自由主義、グローバリズムという名の、強者による弱者支配であった。

 イラク、アフガンで行き詰ったブッシュは、ついに米国経済の破綻を現実のものとして8年間の任期を終えようとしている。

 慌てるな、危機を波及させない、と呼びかけるしかなすすべもない哀れなブッシュ大統領を見ても、怒りを覚えこそすれ、同情する者は誰もいないであろう。

 そのブッシュ大統領に、日本の富と安全を売り渡したのが小泉元首相であった。小泉構造化改革という名の詐術であった。

 その結果、日本に何が起こったか。

 国民経済の疲弊と格差社会は、人々の心から余裕と優しさを奪いさり、勝ち抜くため、生き残るために、指導者から一般国民まで、偽装だらけ、詐欺だらけの社会をつくってしまった。

 リーマン・ブラザーズの破綻は、天がわれわれに与えた最後の警告に違いない。

 国が滅ぶ最後のところで目を醒ませと。今ならまだ間に合う、力をあわせて正しい日本をとりもどせ、と。ただし、これが最後のチャンスだ、と。

 リーマン・ブラザーズの破綻によって、自公政権は終わった。

 総裁選が吹っ飛び、その後の総選挙も結論は出た。

 政権交代が宣告された。

 そして、なによりも、小泉元首相と「小泉改革の継承」を唱え続ける小泉チルドレンの命運は、リーマン・ブラザーズの破綻というダモクレスの剣によってとどめを刺されたのだ。

 無駄な時間とエネルギーを費やしている時ではない。誰が政権をとっても、問題の解決は容易ではない。

 新しい政権は国民の総力を結集させてこの難局を乗り切る事を今から考えなくてはならない。

 キーワードは平和と人権である。

★まったく同感である。日本がどうなって、どうあるべきか 実に簡潔に述べている。
                      (天木ファン)
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実戦配備へ・・空自迎撃PAC3を初試射 防衛省、米で迎撃成功。  ネット虫

2008年09月23日 22時00分40秒 | 国内政治・経済・社会問題
    時事通信
「迎撃瞬間、握手やガッツポーズ=画面で確認、喜ぶ空自隊員ら」
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008091800157

 【ホワイトサンズ(米ニューメキシコ州)17日時事】暗闇に映し出された白い光を、上昇してきたもう一つの光が直撃-。PAC3が模擬弾を迎撃する瞬間を、発射試験に参加した航空自衛隊員らはオペレーションルームなどのモニター画面で確認、その瞬間、室内は拍手で包まれ、隊員らは握手やガッツポーズで喜びを表したとい
う。
 試験が行われた米陸軍のホワイトサンズ・ミサイル射場。広さ5149平方キロと山梨県とほぼ同じ面積を持つ米軍最大の演習場だ。1945年に世界で初の原爆実験が行われたことでも知られ、自衛隊は70年代から利用している。
 「乾燥した空気に悩まされたが、今は初めての発射に士気は上がっている」。試験に参加した空自第1高射群(埼玉県・入間基地)と高射教導隊(浜松基地)の隊員ら約80人は今月4日に現地入り。射場北部に発射機や管制装置などPAC3機材を展開し、発射当日をこうした心境で迎えた。
 模擬弾は南に約120キロ離れた地点から17日午前7時55分(日本時間同日午後10時55分)に打ち上げられ、2分後にPAC3を2発発射、迎撃はこの約30秒後だった。空自幹部は「すべて制御されており、発射ボタンを押すこともない。システムの点検が終われば、あとは機械任せ。心配はしていなかったが、当たって良かった」と話す。
 PAC3は1発8億円で、試験で掛かった費用はこれ以外に約15億4000万
円。試験後に会見した航空幕僚監部の平田英俊防衛部長は「技術的な信頼性が証明された。導入には意義がある」と力を込めた。(了)

      平田英俊(ひらた・ひでとし)(2008/09/18-09:11)


    朝日新聞(2008年9月17日23時29分) 
「PAC3、初の迎撃試験に成功 米で航空自衛隊」

http://www.asahi.com/national/update/0917/TKY200809170298.html

 【ホワイトサンズ(米ニューメキシコ州)=樫本淳】日本の弾道ミサイル防衛(BMD)の地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)の初の実射試験が17日午前7時55分(日本時間17日午後10時55分)、米陸軍のホワイトサンズ・ミサイル発射試験場で実施された。航空自衛隊が2発を発射し、弾道ミサイルに見立てた標的を2分半後に迎撃、破壊することに成功した。
 BMDは米国が世界的に配備を目指しているシステムで、日本も整備を進めてい
る。PAC3は日米以外でドイツとオランダが配備しているが、米国以外の発射試験は初めて。
 海上配備型迎撃ミサイルSM3とPAC3によるBMDシステムのうち、SM3は昨年12月、海上自衛隊のイージス艦「こんごう」がハワイ沖で実射試験に成功している。今回はPAC3の機能確認のため計画された。
 防衛省は、すでに配備ずみの入間(埼玉県)、習志野(千葉県)、武山(神奈川
県)、霞ケ浦(茨城県)、浜松(静岡県)の各基地・分屯基地を含め、2010年度末までに京阪神、北部九州地区などに計16高射隊分のPAC3を配備する。こんごうは佐世保基地(長崎県)に配備され、10年度末までにほか3隻のイージス艦をSM3搭載型に改修する。日本のBMDは今後、これらの初期整備を終え、本格稼働の
段階に入る。
 中距離弾道ミサイルは秒速3~7キロで飛来する。今回は標的の速度を実際より遅く設定し、発射時刻や飛来方向も事前に決められた状況で実施した。PAC3は1発8億円で、ほかに約15億4千万円の費用がかかっている。
 初期整備までで1兆円に上る費用が、今後どこまでふくらむのか見通しがたたないなど課題も多い。弾道ミサイルが米国を狙っていると判明した場合、日本のBMDシステムで迎撃することは憲法が禁じる集団的自衛権の行使にあたるが、政府での議論は進んでいない。


★朝日の記事の様に、すでに全国十箇所に配備済み。今後その数を増やしていく。
 よく内容が知らされないままに巨額のミサイル配備が進んでいる。
 外交面、予算面、憲法面のどれをとっても危険な戦力強化が進んでいる。
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私の軍隊生活③    中野寂音

2008年09月23日 13時57分43秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
           
受験大阪出張
 
入営して二週間程経った頃、大阪に受験のため出張を命じられた。
この年のはじめ特別幹部候補生の受験資格があるので願書を出していた。
大阪城内の連隊で試験がある。
部隊から受験者二名いるので同行して行くようにという命令であった。
大阪市内に指定旅館があるそこに宿泊する事、
候補生であるから行動には厳重に注意することを申告。
往復切符を持って大阪まで出かけた。
まだ一つ星の兵隊兵営の外を歩くのは初めて緊張してでかけた。
受験は、問題の解答は全く出来なかった事だけはよく覚えている。
しかし久しぶりの旅館の夕食は旨かった。
手足をゆっくり伸ばして寝た。地獄から天国とはこのことかと思った。
翌日は朝真っ直ぐに部隊まで戻った。
                      
昭和二十年元旦。私は三重県斉宮村第七航空通信連隊で迎えた。

アメリカのB29爆撃機は、昭和十九年大晦日から東京、
名古屋、博多にお年玉の無差別空襲を行った。
年末からB29の名古屋空襲は伊勢湾を目標として東海地方へと北上する。
伊勢湾に近い部隊では必ず空襲警報発令となり、
兵隊は部隊のまわりに警備の展開をする。
真っ暗闇の中で真っ赤に燃える名古屋方面の空を
呆然と眺めていた年末年始であった。
昭和二十年の元旦は大根畑の中で、凍った大根をかじりながら迎えた。
空襲が終わったB29の大編隊を見送ると、
空襲警報解除となり警備完了して部隊に戻る。
完全な戦時編成で年末年始の休日もなく元日も正月給与の記憶は全くない。
さらに三日には大規模な名古屋大空襲があった。
この日の名古屋方面の空は静寂の中すべて真っ赤に彩られ、
一生涯忘れられない音のない戦争音風景となった。

毎晩往復のB29の大編隊の爆音はいまでも耳の中に残っている。 

                  つづく

★写真は、名古屋大空襲による名古屋城の炎上。
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小沢さん・・新内閣を提示して総選挙を戦え!!     天木ブログより

2008年09月23日 08時54分00秒 | 国内政治・経済・社会問題
強調したいのは「次の内閣」の重要性である。

  「次の内閣」を今までのシャドーキャビネットの延長と捉えてはいけない。

  それは、そのまま、日本の将来を託する本物の内閣になる。いやしてみせる。

  その心意気を公言し、麻生新内閣と比較して、どちらが国民のために正しい政策が出来る内閣か、それを総選挙の一大争点に掲げ、国民の選択を求めるべきなのだ。

  小沢代表はその組閣に自分の政治生命のすべてを賭けるべきだ。

  総選挙まで、まだ時間はある。じっくり時間をかけて考えるがいい。

  官僚と正面から政策論争のできる最適人物を、民主党議員の総力をあげて選ぶのだ。

  そして選挙協力をした野党党首と十分話し合い、党首もしくはその指名する各党代表も入閣させるのだ。

  たとえば榊原だとか片山だとか、民間からの有為な人材も入閣させるのだ。竹中や増田などとは中身が違う人材を見せつけるのだ。

  そして、ここが重要なところだが、最後は小沢民主党代表が、すべての要素を考えた上で、独断で決めるのだ。まさしく小沢内閣である。3選された小沢代表にはその権限はある。

  政権交代は容易ではない。国家権力を握り、財界の後ろ盾を得てきた政権政党を、選挙一つで倒す事はいかに困難であるか。

   それを一番知っているのが小沢代表だ。

   だからこそあらゆる策を講じるのだ。

  国替えも、世論受けをする候補者の擁立も、国民の為のマニフェスト作りも、すべては総選挙に勝つためだ。それでいい。あらゆる策を講じるべきである。

   その中で、究極の策は、麻生内閣の新閣僚の顔ぶれを見据えた上で、総選挙の直前に小沢新内閣を発表して、国民にどちらの内閣がいいか、迫るのだ。これこそが政権選択の総選挙なのだ。

   国民の目には一番わかりやすい選挙となる。

   民主党のベストの人選をならべ、それに亀井静香や福島瑞穂や田中康夫を加えた反自公内閣をつくるのだ。

   その内閣と、小池や石原や町村や石破や太田などの古い顔ぶれを寄せ集めた内閣のどちらが日本の将来を託せるか、それを国民に問うのだ。

   それで勝てなければどうするって?

   潔く政界を引退すればいいだけの話だ。

   男は最後に一度だけ勝負すればいい。

★さあ 選挙です。 元気を出して・・ワッショイ   (天木ファン)
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「次の首相」の世論調査は意味があるのか?  ネット虫

2008年09月22日 21時21分19秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
★最近、新聞・テレビ各局は競って「次の総理は」の世論調査をして世論を煽っている。
 「次の総理」NO1だった安倍・福田総理は二人とも総理を投げ出した。
 こうした「次の総理」調査について「ザ選挙」で菅原琢氏が疑問を投げかけている。詳しくは   http://www.senkyo.janjan.jp/senkyo_news/0809/0809120988/

「次の首相」調査を重視する意味はあるのか?    菅原琢

 かつては、「次の首相」に類する調査はあまり見かけなかったように思う。それがいまや、どこの新聞もどこの局も、誰がふさわしいか、誰がよいと思うか、あらゆる人に回答を迫っている状況である。限定的な選択肢から択一させる奇妙な調査の結果を、国民的人気の指標としてほとんど全ての報道機関が利用しているのである。

 しかし、回答者が仕方なしに選んだ結果を、「国民的人気」というフレーズで繰り返し報道することが、正しいジャーナリズムと言えるのだろうか。しかも、過去2年で2回、みなが「首相にふさわしい」と回答し、「国民的に人気」だったはずの首相の内閣支持率が転げ落ち、政権を投げ出した後にである。だが(産経新聞ではなく)NHKの解説委員までが、根拠なしに麻生が国民的人気であると言ってしまうような状況が、今の日本にはある。

 以上のように、「次の首相にふさわしい人」を聞く類の調査では、政治家の人気を推し量ることは難しい。したがって、ここから選挙結果を占うのも無理がある。逆に言えば、この結果をもって麻生太郎は人気がない、というようなことを言えるわけではない。次回は、もう少しこの問題について考えてみようと思う。
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麻生太郎は地方に人気がある?        まもる

2008年09月22日 20時36分31秒 | 国内政治・経済・社会問題
総裁選の報道を見ていて驚いた。

 麻生が総裁選で地方票のほとんどを押えたことに、本人は無論、自民党幹部、関係者が諸手を挙げて絶賛評価をしている。
 その上マスコミまで尻馬に乗って、麻生の地方人気を喧伝している。      NHKまで地方の一般有権者にインタビューして、期待感を語らせている。

 冗談ではない!!! 今回、麻生が圧勝したのは、自民党の総裁選挙。
 地方自民党員の選挙?すなわち意向の集約に過ぎない。
 自民党の地方党員がどれ程いるか知らないが彼らの意向を県組織が判断した三票の集約である。確かに自民党県連は麻生を選んだ・・それだけである。地方県連はとしては構造改革推進の他候補より麻生のほうが戦いやすいそれだけである。
 
 どこをどう言いくるめると、麻生が地方に圧倒的人気があるという結論になるのか。
 いい加減の事を、少なくともマスコミは言わないで欲しいものだ。
 
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私の軍隊生活② 中野寂音

2008年09月22日 09時55分47秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
鈴鹿おろし。地震。伊勢大根。

斉宮第七通信連隊はとにかく寒かった。
東は見渡す限り大根畑、三キロ先は伊勢湾がある。
西には白い雪を頂く鈴鹿連山がそびえ立っている。

都会育ちの私には初めて見る景色、
その上冷たい鈴鹿おろしの風が絶え間なく吹き付けてくる。
毎日兵舎の床掃除は、水の雑巾での拭き掃除、
忽ち新兵たちの両手は霜焼けで真っ赤なグローブのようにふくれあがった。

私はあかぎれ体質であったので、毎朝の床掃除に専念させられた。
「霜焼け」この言葉は、今は死語となっているが、
戦前は小学校児童でも冬には沢山いた。
寒さと栄養不良が原因といわれた。
この頃食糧は慢性不足で東京では食糧の買い出しが始まっていた。
部隊でも食事給与は下がる一方である。
名産、伊勢大根が、大根入り飯、大根みそ汁、たくあんと
朝から晩まで毎日出てくる。
そのため栄養不良の霜焼け新兵の大増産となった。

昭和十九年十二月七日午後一時三十五分。
昼飯を終わり午後の演習に出る準備をしているときだった。
突然兵舎が上に横に揺れだして立っていられない。
二階から階段を転げて落ちて外に出た。
立ってはいることはできない、
地面にはいつくばるもの、
転ぶもの、
立木にしがみつくもの。

しばらくして地震は収まった。
時間の経過の記憶はない。
こんな怖い体験は生涯最高のものであった。
とにかく長い時間で、気がつくと兵舎は無事に建っていた。

その頃は戦争中、すべて軍事機密の報道管制で、
昨日地震があったと小さい新聞の記事があったらしい。
国民にはすべて隠された大地震であった。
これが東南海大地震であり、愛知県の軍需工場で
勤労動員の学徒が多数犠牲になった。
また全国で一千人余の犠牲者があったこと、
津波も太平洋岸各地であったことは戦後になり初めて知った。

我々の訓練はこの日予定通り行われた。
地震のことは上官からも何一つ知らされなかった。
一週間後東海地方はB29の空襲が毎日となり、
B29の通路のわれわれの部隊は、毎晩演習場や大根畑の中で、
名古屋方面の真っ赤な空襲の空を眺める夜間訓練の毎日となった。
この大根畑の中で、待機中引き抜いて食べた伊勢生大根の旨かったこと、
忘れられない思い出となった。

                     つづく

★写真は第七航空通信隊の戦災跡地の航空写真 ○が現在の明和町役所
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