九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

紹介の「鶴 彬」の作品です。     ウイキペディアより     

2008年09月17日 12時18分32秒 | 文芸作品
俺達の血にいろどつた世界地図
飢迫る蟻米倉をくつがへし
軍神の像の真下の失業者
毒瓦斯が霽(は)れて占領地の屍
血税に上る兵工廠の煙
指のない手に組合旗握りしめ
稼ぎ手を殺し勲章でだますなり
肺を病む乳房にプロレタリアの子
血を喀いて坑をあがれば首を馘り
昼業と夜業夫婦をきりはなし
足をもぐ機械だ手当もきめてある
孫までも搾る地主の大福帳
奪はれた田をとりかへしに来て射殺され
銃剣で奪つた美田の移民村
ふるさとは病ひと一緒しょ帰るとこ
血を吸ふたままのベルトで安全デー
転地すれば食へぬ煙の下で病み
嫁入りの晴衣こさえて吐く血へど
ベルトさへ我慢が切れた能率デー
生命捨て売り出て今日もあぶれ
みな肺で死ぬる女工の募集札
吸ひに行く―姉を殺した綿くずを
ざん壕で読む妹を売る手紙
修身にない孝行で淫売婦
待合で徹夜 議会で眠るなり
売った日を命日よりもさびしがり
フジヤマとサクラの国の餓死ニュース
屍のゐないニュース映画で勇ましい
万歳とあげて行った手を大陸において来た
手と足をもいだ丸太にしてかへし

★時代の凶暴さを怯むことなく作品にして権力にぶつけ、人々に伝えた気迫が伝わってきます。写真は鶴彬の住んだ高松街道。(ネット虫)
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川柳作家・鶴彬の顕彰碑    落石

2008年09月17日 10時10分27秒 | 文芸作品
鶴彬と言えば知る人ぞ知る反戦川柳作家で
官憲の拷問で70年前に29歳で死んだ。
大阪城公園内の鶴が収監されていた
監獄跡地に関係者の懸命の努力で顕彰碑が出来た。
9月14日に除幕式には、
建立に尽力した関係者、鶴彬の親族や縁の人達
および川柳関係者が参加。

鶴彬の句碑は今回の大阪以外には
石川県と岩手県にあるだけとのこと。

句碑の周りには白、赤、ピンク3本の百日紅が植え
られ咲いていた。句碑には

 暁を抱いて 闇にゐる蕾

と鶴彬の句が刻まれている。


(川柳作家の丸山さんのブログから一部を転載したものです。)



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ラジオと玉音放送③   中野寂音

2008年09月17日 09時56分40秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

毎年八月十五日、私は「三種の神器」を机の引き出しから
取りだして、ひとり感慨にふける。
玉音放送のカセットテープ。
手書きの終戦の詔勅コピー。
軍服の集合写真。
私の「三種の神器」の中に、昭和二十年八月十五日の
すべての物語がある。

この時私は中国河北省石家荘(日本軍占領により石門と改名)
当時の支那派遣軍第一航空教育隊の第六区隊に配属されていた。
この日部隊の医務室に入室中。
定期診断日のため、朝から石家荘市内の陸軍病院に出かけていた。
昼の休憩時間病院の廊下に待機していた私達の耳に、
ラジオの声が遠くから、とぎれとぎれに聞こえてきた。
ザアーザアーという雑音の中からかすかに声が聞こえる。
病院の長い廊下に座り静かに耳を澄ましている兵隊達。
この日放送の説明は、誰からもなく「終戦の詔勅」であると
知らされたのは、その日夜遅くであった。
夕方兵舎に帰ると、部隊はこの日正午全員営庭に整列して、
ラジオを聞かされたが雑音が多く何も分からない。
解散後どこからともなく、戦争終了の重大放送で、
天皇陛下の声であったいうことが伝わってきた。 

病院から帰った私達は非常事態であるのですぐ区隊に戻れとの命令で、
入室中の全員は医務室を追い出された。
私は第六区隊に戻った。
私の一番長い八月十五日は、ただ慌ただしく追かけられて、
何が起こったのか誰も分からないで終わった。

真っ先に考えたことは、戦争が終わった日本に
家に帰ることが出来ると思った。
雑音の中から聞こえる甲高い声が、初めて聞く天皇陛下の声であったことは、
八月十五日の音風景の記憶として頭の中に残った。

この年十二月六日日本に復員するまで、「玉音放送」は
私の頭の中から消え去っていた。

                  つづく
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レギュラー投稿者「へそ曲がり」氏が逝去されました。      管理人

2008年09月16日 16時09分31秒 | その他
 このブログのレギュラー投稿者「へそ曲がり」氏が薬石功なく9月3日に逝去されました。心からご冥福をお祈り申し上げます。
 氏が当ブログに投稿いただいた初回は、2006年7月7日の「ミサイル騒動の情報操作が恐い」でした。北朝鮮がテポドンの発射実験をしマスコミを騒がせている時の政府声明のあり方に疑問を投げかけたものでした。それ以降、亡くなられるまでの二年間に百稿を超える投稿をいただきました。
 そして、秋に癌の発見され、手術に至る十月上旬までに五十近くの投稿を寄せていただきました。その後07年になっての春、小康状態を得て月に数件くらいのペースで投稿いただきました。その夏には「千里眼さん」とタッグを組んで日本の戦争責任などについて鋭い主張を保守の投稿者相手に展開されました。
 そして秋からは食事が摂れない苦しみの中で「私の戦争体験①から⑮」などを投稿いただきました。08年に入り書きためられた原稿や、読書をされて感銘の深い記事などを丹念に書き写し紹介してくださいました。
 六月には苦しい病床から「軍隊を持たない国①から⑤」のシリーズを連載され。
 最後の投稿となったのが08年7月21日「韓国出身戦没者遺骨返還追悼」の一文でした。氏は病床にもPCを持ち込まれ連続する苦痛の中で、週間金曜日の中で感銘を受けた記事を長時間かけて書き写されたということです。最後になった韓国戦没者の遺骨返還の記事は氏の戦争被害者に対する深い哀悼と平和への願いが一字一字に込められているように思えます。

 へそ曲がりさんは、当ブログに参加していただいて間もなく、悪性癌との闘病生活に入られました。
 そして、このブログを自身の平和への熱い信念の発信・伝達の場として活用していただきました。その主張に多くの読者が反応し、良き討論や対話゛が広がりました。
 管理人としては、こうした投稿者を得ることが出来、平和への一歩が踏み固められたことに深く感謝し、「へそ曲がり氏」のご冥福を読者各位と供にお祈りいたします。
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投資銀行リーマンブラザース破綻の影響   文科系

2008年09月16日 10時23分12秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
この文章は、世界政経問題などのアナリスト、田中宇(さかい)氏の配信ニュースを要約・抜粋したものである。昨日15日16時に配信されてきた。非常に重要なニュースだと思う。

ベアスターンズやフレディマック、ファニーメイに次ぐ倒産劇とちがって、今度は本当に倒産した。ベアスターンズは300億ドルの公的資金を注入して買収されたし、フレディマック、ファニーメイも同様の措置が取られるらしいが、リーマンは当局から「これ以上は切りがない」と公金注入を拒否されたことにより、買収工作が不成功に終わったのである。
いまだに実態さえつかめないサブプライム組み込み証券問題がここまで広がってきて、次はメリルリンチが危ないとうわさされている。株価下落が大幅だからであって、バンクオブアメリカによるメリル買収工作が進められているが、果たして公金注入無しで成功するだろうか。モルガンスタンレー、ゴールドマンサックスといった他の投資銀行の先行きも懸念されている。

この影響を田中宇氏の文章から抜粋すると。

【 米国の金融システムは、預金集めの伝統的システムが10兆ドル、レバレッジを使った投資銀行的な「影の銀行システム」も10兆ドルの、合わせて20兆ドルあまりだ。このうちレバレッジ金融の方が、急速に崩壊している。その崩壊速度は、私が予測していたよりもずっと速い。私は、米当局は10年ぐらいかけてレバレッジ金融を延命させて少しずつ損切りしていき、その間の米金融は、日本の90年代のような「失われた10年」になり、経済の低成長が続くのではないかと書いた。
 しかし現実には、投資銀行は延命できず、次々に破綻している。米の事態は、日本が経験した「失われた10年」よりはるかに悪く、突然死に近い。これまで「米当局は、少なくとも大統領選挙までは、金融を延命させるだろう」との予測が日本でも多かったが、それらもはずれである。このまま行くとブッシュの任期中に、米の金融システムは不可逆的に破綻する。金融破綻論で有名になったニューヨーク大学のロウビニ教授は、リーマン破綻を見て「影の銀行システムの全崩壊が始まった」と書いている。 】

【 いずれ、米は財政破綻も引き起こし、米国債は買われなくなり、ドルも危機になる。金融破綻の急速さから考えて、ドル危機に至るまでの時間も、それほど長くはかからないかもしれない。
 米の自滅は、世界の覇権の多極化(覇権共有化)につながる。経済力が低下する米(と欧日)に代わり、BRIC(中露印伯)やGCC(アラブ産油国)の経済力が重要になっていく。米の経済力が破綻したら、発展途上国は、人権・民主・環境といった歪曲された価値観に基づく抑圧をしてくる欧米に頼るより、中露を頼った方が話が早いという気持ちを強める。
 多くの人々は「米の金融危機の行く末」という事態の表層だけを気にし続けるだろうが、本当に重要なことは、金融危機によって引き起こされる、世界的な覇権体制の大転換の方である。】
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ラジオと玉音放送②    中野寂音

2008年09月16日 08時28分00秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
昭和の歴史における分水嶺は、昭和二十年八月十五日である。
日本の戦後はこの日からはじまった。
正午時報。和田アナウンサーの「ただいまより重大放送があります。
全国の聴取者の皆様、ご起立願います」
君が代が流れ、下村情報局総裁の言葉
「天皇陛下に置かせられましては、かしこくもおんみずから
大詔をのらせたもうことになりました。
これより、謹しみて玉音をお送り申します」。
ここで始めて玉音の言葉が使われ「玉音放送」が開始された。
この放送は国内、海外、東亜放送の全系統を動員して、
日本全土と中国占領地、満州。朝鮮、台湾、アジア地域に送られた。
国内では六十キロワットに増力放送された。
日本がラジオ放送を開始して二十年。
世界でも初めての最初にして最期のアジアにおける
同時放送が「玉音放送」であった。
そして、これが昭和戦前の「ラジオの時代」の終焉であった。

昔からお盆の日には「地獄の釜の蓋が開く」とよく聞かされた。
八月十五日はお盆の中日「地獄の釜の蓋が開く音」は
この「玉音放送」であった。

私が生まれてから二十年間は、戦争世代として小学校入学満州事変、
中学入学日華事変、卒業太平洋戦争開始。
戦争がすべての戦前の生活であった。
今まで私は戦争体験を記録に残す事はなかった。
家族にも他人にも戦争の体験は話すことは少なかった。
昭和戦争最後の世代といわれる私達が、平成の平和な時代を眺めると、
戦争を知らない世代が世界を、日本をリードする時代。
有事法制とか個人情報住基ネットとか、
明治維新以来六十年後の昭和初年の状況に
似通って来たような気がしてならない。


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アメリカ金融帝国の崩壊   落石

2008年09月16日 08時26分11秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
アメリカの4番目の大きい証券会社が倒産。
山一の倒産と同じ感じ。
税金の投入拒否。
休みの日の倒産。

これから早くても数年は景気の回復はない。
日本などにも大影響があるのか?
あるいは限定的なのか?

60兆円の借金、60兆円の資産。
なら倒産なんかしなくても?
不良債権がどのくらいあるのか?
誰もわからないという不思議。
金融工学の成果なのか?
これがノーベル賞に値したんだろうか?

日本の株も大幅に落ちるのか?


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イラクで起きていること。   落石

2008年09月15日 16時07分06秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
田中宇さんのブログにこんな記事がありました。


イラク政府は、中露に石油利権を与えた。
イラク政府は、アメリカが作った従来のイラクの石油政策は、
欧米企業に利権を与えすぎており、国内世論の反発が強いので、
バランスをとるため中露にも利権を与えることにしたと説明している。

この説明、自体はもっともだが、この件について米政府は
阻止も反対もしていない。

1兆ドル以上の戦費を使い、100万人のイラク市民を殺し、
4000人の米兵の命と引き替えに得たイラクの石油利権を、
中露という敵方に取られそうだというのに。

   

イラク戦争は石油争奪戦じゃなかったのか?
日本の石油がアブバイと、叫んだ経済評論家は
この事態をどう説明するのか?

石破さんは悪い人じゃないが、こういう事態を説明できるのか?

同盟国アメリカが、いったい何を考えているのか?
本当に知っているのか?
総裁選の首を並べている5人じゃ心もとないな。

第二次大戦直前、「欧州情勢は不可解」といって
辞職した内閣があったが、当時と同じ位、
国民も政府も国際情勢オンチじゃないか?

それなら、ヘンに背伸びせず、9条を守って
おとなしく平和に徹したほうが
お利巧だと思うけれど・・・







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はたらく歌    落石

2008年09月15日 15時44分50秒 | 文芸作品
トナカイ語研究日誌、というブログに
こんな記事がありました。
とても興味深いので一部、転載します。


昭和のはじめ頃に「プロレタリア短歌集」という本が出まして、
厳しい生活を生きる労働者の姿が刻まれているわけです。

  あぶれた仲間が今日もうづくまつてゐる永代橋は頑固に出来てゐら
                    
                             坪野哲久

 軽口のような口語自由律、そして「仲間」という連帯意識。
そこには厳しい社会を生き抜いていこうとする
たくましさのようなものをも感じるのです。
「働く」ことに関する歌は、それこそ近代から現代に至るまで
絶え間なく詠み続けられています。 

  こころよく我にはたらく仕事あれそれを仕遂げて死なむと思ふ

                             石川啄木  

  会社での俺が俺ではないならば一生(ひとよ)の大半俺でない俺

                             長尾幹也

 明治の歌人と平成の歌人を並べてみましたが、
「労働」に対する見方というのは昔から変わらないわけです。

そして現代の若い世代が労働を歌うとどうなってしまうのかというと、
こんな風になってしまうわけです。

  時給一一六〇円が時給七八〇円に「肉まんひとつ」

                             斉藤斎藤

  通勤のロングシートに六人の他他他他他人と一人の私

                             松村正直  

  放課後に見た夕焼けはこんなんじゃなかった気がする残業の窓

                             柳澤真実

 読めばなんとなくわかりますね。とにかく人と人とが「途切れて」います。
本当はアイデンティティとして仕事を生活の中心に据えることも悪くはない
と思っているんですね。
しかし働く自分の姿はあまりに孤独だ。
坪野哲久のように「あぶれた仲間」はいない。
時給一一六〇円と時給七八〇円の二人も、みんなどうしようもなく他者なんです。
決して連帯し得ないんです。
一体いつからこうなってしまったのかわからないまま、
昔とは違う夕焼けを残業の窓から見つめ続ける。
この他者との「ばらばら感」は社会全体が時間をかけて
植え付けてきたものなのでしょう。

そうなる方が都合が良くなる人間というのも確かにいるのです。
このように労働する人間が「極個人的」にデバイドされてゆく現状は、
かつてのプロレタリア短歌と違い口語が
逆に痛ましさを増幅させているような気さえするのです。

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私の昭和史 ラジオと玉音放送①   中野寂音

2008年09月15日 08時48分08秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
私の大先輩、中野さんの記事を紹介します。
戦後50年をきっかけに書かれたものです。
中野さんは戦後、NHKから転身、
CBCの創業にかかわってこられた方です。
ラジオとともに昭和を歩んでこられました。


  ラジオと玉音放送①

私は大正十四年三月九日、東京市牛込区にラジオ放送誕生と同時に生まれた。
日本最初のラジオテスト放送が、この年三月一日
東京芝浦の仮放送所から開始された。
日本のラジオ放送最初の声は「あーあー聞こえますか、聞こえますか」
であったという。  
ラジオ放送の第一声「JOAK」が電波として出たのは
三月二十二日午前九時半であった。

昭和戦前の時代(昭和の子供)という歌があった。
昭和 昭和 昭和の子供よ僕たちは・・・・

この歌は良く歌われたが、私は替え歌を作った。

昭和 昭和 ラジオの子供よ僕たちは・・・・・

ラジオが家庭の生活すべてを支配する時代になって行く。
それはラジオの誕生から始まった。
私の育った昭和の戦前期は、家の中には毎日、
暮らしの音と響きが満ちあふれていた。
物心ついたとき、家の中には時計がチックタクと時を刻み、
ボーンボーンと振り子時計が鳴っていた。
時はゆったりと流れ時計は未来を呼ぶ音であった。

そしてラジオが聞こえていた。
今でもこの振り子時計とラジオを聞くと、戦前のちゃぶ台のある
我が家の居間が浮かび上がってくる。

昭和二年、我が家は東京市荏原郡大字小山字滝原に転居した。
関東大震災後、山手線の目黒から蒲田まで目蒲線が開通した、
目黒から二つ目の武蔵小山駅から線路沿いに歩いて五分、
急激に開けた新興住宅地。
まわりは空き地だらけ、目蒲線の線路から十メートルしか離れていない
二軒続きの長屋住宅。
電車の走る音と踏切の警笛が一日中家の中に飛び込んでくる。
それが我が家であった。

そんな中で昭和の子供の生活が始まる。
昭和戦前の我が家には、鴨居の上に神棚。
低い棚の上に仏壇。柱にかかる時計、タンスの上にはラッパのついた
ラジオが鎮座していた。
朝起きると神棚に手を合わせる、仏壇に灯明を付けてチンーと鐘を叩く
これが毎朝の仕事、ラジオのスイッチを入れる。
JOAKの声は頭の上から降ってきた。

当時のラジオはマイクロホンの性能が悪く、
アナウンサーの声は絶叫型と言われた。
ラジオの時報と番組が、我が家の暮らしを決めて行く。
朝は真っ先に家を飛び出して学校の校庭でのラジオ体操に参加する。
ラジオ体操の歌は最後のフレーズでは、
ラジオは叫ぶ 一、二、三。であった。
父親の出勤時間も、朝の食事も、夜の食事寝る時も
ラジオが決めていた。
              つづく


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長く生きるということ          まもる

2008年09月15日 08時33分24秒 | 文芸作品
孫が出来てから、生老死ということがよく頭をよぎる。
 孫の生老死とは全く無縁・無邪気に駆け回り、おしゃべりするその姿に癒されているが・・・・

 虚子は子福者あったが、四十歳の時四女六亡くしている。          そして、四十五歳で初孫を得ていて、五女晴子の長女防子は九人目。その防子が昭和十六年、疫痢で急逝。五歳だったと言う。呆然としている若い母晴子に付き添って、虚子は最後を看取った。
 そして晴子を呼んで「悲しいだろうが、これもさだめだ、召されたものは仕方がない。今度死ぬのはお父さんだ。お父さんがあちらへ行って防子の面倒は見てあげるから心配しないでおいで。」とひたすら慰めたそうだ。虚子六十七歳であった。
 その時の悲しみの句が残っている。

    防子追憶

 手を出せばすぐに引かれて秋の蝶
 汝が為に鋏むや庭の紅蜀葵
 白露の母の涙につゝまれて

最近は医学・医療の進歩で若者が先に逝くというのは少なくなった。
 しかし、世界に目をやれば多くの地域で貧困・災害・戦闘で逆縁も数知れない。
長く生きるということは、それだけ不幸や不条理を多く見るということだ。
 そんな人々の哀しみが少しでも減るように残りを生きたいものだ。
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日本サッカー急進の予感   文科系

2008年09月15日 02時06分34秒 | スポーツ
グラの1位抜け勝利に、友人からこんなメールが来た。
【 素晴らしい!昨日のガンバ戦、小川のローヘッドでの飛び込みTVでのダイジェスト版観戦でしたが胸ときめくゴール、勝利へのあくなき執念を感じました。今朝の中日でも小川選手曰く「大分の守りだけのサッカーでなく、攻めて面白いサッカーで勝ちたい」という言葉に感銘を受けました。さあ、これから2週間ACLでしばらくお休み、そうです28日の浦和との対決が楽しみです、彼らもテヘランで勝って上昇気分で来るか、それとも疲労困憊して瑞穂に来るか、いずれにせよ見逃せない素晴らしい舞台となってくれそうです。 】

これに対してこんなお返事を出した。
【 早速のメール嬉しいですねー! もう僕らのブログをお読みかも知れませんけど、昨夜0時過ぎにこの闘いをいち早く僕は投稿しました。題して「高度な1点で、グラが抜け出た!」です。
本当に高度な1得点でしたね。小川のダイビングヘッドも見事だったが、マギヌンのクロスが良かった。あれは0・5点以上のアシストというやつね。でもまた、あそこにいた小川も偉い! 詳細はブログで確認してください。
さて、浦和には勝ちますよ。ナビスコでグラとやり、昨日浦和とやった大分が誰よりもグラの手ごわさを感じているはず。「崩してチャンス」が、グラのが多かったから。観戦が楽しみです。誘ってくれてとにかくありがとう。こんなに良い局面になるとはなー!
それにしても大分は強い。大分に触れた2回ほどのブログ投稿で僕は「俄然優勝候補!」と書きましたよ。守備ばかりに目が行きますが、そしてそんなに攻めないのですが、攻めれば大変鋭い。1、2点とれば勝つんですから、しょっちゅう攻めなくても良いんですね。まるでイタリアみたい。金崎19歳、森重21歳ですよ。こういうチームが現れると、リーグ全体が急に変わります。適応が遅れたシニセは取り残される。ベルディ・カシマの時代、磐田の時代、ガンバ・浦和の時代と来て、次は大分・名古屋、それとも清水? 清水は連勝していくような気がします。苦手な守備も手直ししてくるでしょうし。「大分の守備を破るチームが出れば、日本苦手の点取りも進む」ってね。そしたらヨーロッパにも追いつきます。それが、名古屋なのか、清水なのか? 楽しみになってきました。】

そう、上の末尾に書いたように、日本のサッカーが急変、急進するという予感がする。たいした根拠もない夢のような話なのだが、とにかく書いてみよう。

奇しくも同じ1965年生まれの3人の若い才能溢れた監督がシノギをけずって競い合いつつ、リーグ全体を引っ張っていく。大分の守備の凄さ。現下清水の点取り術の急進。特に岡崎が間もなく、かっていなかった日本人FWに育っていくように思う。タイプとしては中山雅史、その最新版のような。そして、監督初体験1年目のピクシーがこれだけ原則的かつ的確な指導ができ、成果を上げえていること。鹿島はともかく、浦和、ガンバはこの流れに付いていけないのではないか。
急進の予感方向はこんなものだ。まず近い将来、大分から少しずつ今よりも得点を取るチームが現れてくる。今のように90分間攻め続けるのではなく、ここぞというときの集団攻撃の鋭さで。そのチームはもちろん、大分の攻守を徹底的に分析して大分のように守備も強化しつつのことであろう。もちろんこういう鋭い攻撃にはかって日本にいなかったような立役者が必要だ。清水では岡崎、枝村、藤本、矢島、グラでは小川、巻、阿部、玉田、マギヌンらがそのように育っていくのだろうか。攻撃内容としては「アジリティー集団でゴールに殺到して、多彩なシュート。特にこぼれだま狙いを全員が意識して」と、そんな感じか。

こんな「夢」を描くのも自由だし、楽しいことである。
とにかく、大分やグラのようなチームが、しかも若い監督に率いられて現れた以上、何か大きな変化がJリーグに起こっていくと思うのだ。川崎もこの流れに遅れないチームかもしれない。
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日本ジャナリスト会議緊急アピール・・・メディアは総裁選の集中豪雨的報道を自粛せよ!!

2008年09月14日 21時33分26秒 | 国内政治・経済・社会問題
福田首相が9月1日夜、辞任を表明した。1年前の安倍前首相に続く2代連続の政権投げ出しは、異常な物価上昇をはじめ、貧困や格差の問題、後期高齢者医療制度や年金不払い問題、インド洋給油問題など、国民生活にかかわる重大な問題解決の任務を放棄したもので、無責任極まる態度と言わなければならない。
 同時に、この無様な政権放棄は、自民党が政権担当能力を失っていることを内外に示したもので、この際、自民党内で政権をたらい回しするのではなく、野党に政権を譲り選挙管理内閣によって衆議院を解散し、民意を問うのが民主政治の本来の姿である。

 ところが自民党は国民に謝罪と反省の意を表明するどころか、メディア、特にテレビの力を使って国民を欺き、生き残りを図ろうとしている。福田首相は9月3日の自民党両院議員総会で「総裁選を徹底してやってほしい」と発言した。
 この発言は、小泉元首相が2005年の総選挙でテレビを利用して圧勝した戦術の再現を狙ったものであることは明白だ。テレビが「小泉劇場」と同じように総裁選を大量に報道すれば、福田首相の政権投げ出しによるダメージと有権者の自民党離れを食い止めることができるという打算が働いている。

 現実に福田首相の辞任表明後、新聞やテレビは連日「ポスト福田」の自民党総裁選報道に走り出している。総裁選の記事が新聞の1面トップを飾り、テレビはニュースだけでなく情報番組などでも大々的に取り上げている。「小泉劇場」再現を狙う自民党の戦略に沿う形で、集中豪雨的な自民党総裁選報道が事実上始まっている。

 私たちは、メディア関係者、特に映像や音声で大きな影響力を持つテレビ関係者に強く訴える。
 テレビ各局は、自民党総裁選報道について、現在のような集中豪雨的な報道を改め、他の野党の動向も含め客観的で公正、公平な報道に徹すべきである。テレビが22日の総裁選投票日まで、現状のようなペースで大量報道を続けるなら、自民党による事実上の「テレビ電波ジャック」が引き起こされることを危惧する。

 この総裁選をめぐる報道は、年内にも行われると見られる衆議院の解散・総選挙に直結する。それだけにメディア、特にテレビは自民党総裁選を無批判に、一方的に煽る報道をするのではなく、民主、共産、社民など野党の政策や活動を、有権者が選択する際の情報として、質量ともに十分な形で提供することが責務であると考える。

 テレビ各局をはじめメディア各社は、自民党総裁選について、「小泉劇場」に利用された3年前の反省を活かし、客観的で公正、公平な報道を徹底すべきである。

                       2008年9月9日
             日本ジャーナリスト会議

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高度な1点で、グラが抜け出た!!   文科系

2008年09月14日 00時43分10秒 | スポーツ
今日のJリーグは、上位チームの潰しあい対決ばかり。1位のグラが6位のガンバと。2位の鹿島が5位の川崎と。そして、3位の浦和は4位大分と対戦。
結果は、1対0で勝ったグラ以外は引き分け、ドロー。だから我がグランパス名古屋だけが大混戦からついに頭一つ抜け出して勝ち点45。2、3、4位の鹿島、浦和、大分はプラス1点ずつで勝ち点42。5位の川崎が40点。ガンバはちょっと離されて34点。

グランパスの1得点はこういう見ものだった。
まず右サイドライン近くをマギヌンが1人の敵とほぼ平行の全力疾走で競り合いつつ、難しいボールを追いかけ、粘り強く奪う。マギヌンは外側、敵は内側だった。競り合った相手有利の本当に難しいボールだったのに、マギヌンのボール奪取を信じていたように、攻めるグラから見てゴール前逆サイド左手に小川が走りこんでいるのが見えた。小川とマギヌンの間にはさらに敵二人が戻っていたが、彼らから遠い小川はドフリーである。
「マギヌンよ、小川に良いボールを出せ。さすればゴール!?」
こういう願いが届いたかのごとく、内側をふり向いたマギヌンの左足がちょこんとボールを心もち蹴り上げる。ゴールから遠い後方の足なのに、浅い弧を描いたボールがわずか敵の頭上を適度の速さをも保持しつつ、見事に小川の方に飛んで来るではないか。このときのカメラアングルが見事であって、誰もいない小川の後方から写していて、一部始終が手に取るように見えるのである。以降の成り行きとともに、まるでサッカー映画の最高の場面作り、カメラワークを観ているようであった。余談だが、日本のサッカー中継技術もこれだけ進歩したんだ!!

さて、このボールに対して小川佳純はどんなプレーを選んだか。
「地面すれすれまで落ちるのを待った、ダイビングヘッドの低くて速いシュート」を選択したのである。向かって左コーナーに飛んでキーパーが全く手の施しようがないという、小川自身7得点目の美しいゴール!

この1得点は、関係者2人の技量がいかんなく発揮されたものと見ることができる。
まずマギヌンである。あのボールを競り勝った技量は尋常のものではない。わずかだが前から走り出し走り勝っている敵が軽く蹴りだそうとしたボールを、まるでそこに来ると予期していたように、一歩前へ出たマギヌンは体で止める。それが同時に見事な内に切れ込むトラップになっていて、そのトラップだけで敵を右後方にぶち抜いてしまった。そしてその分落ち着いて中を見て、落ち着いて浅い弧の中距離パス。もう口をアングリの技術という他はない。

さて小川である。上記のようなわけで、この1得点はマギヌンの技量によるものとほとんど見ることもできようが、視野を広くして正しく見ると事態は違うのである。あのボールをマギヌンが取るとは普通ならばなかなか考えられない。それを小川は前へ走り、詰めていた。小川の無駄走りになる確率が高いと敵も思ったのではないかというところを、全速力で。こうだからこそ、小川はドフリーになれたのだと、僕は思った。
「無駄走りができない奴は、良いサッカー選手にはなれない」
「特にゴール前への無駄走りは肝心。それができないFWは、大局観のないとろい奴である」
「FWはとにかく前へ詰めろ。ゴール前ではいつも、何かが起こる」
これらすべて、サッカー競技とその点取りというものの最大のセオリーである。そして同時に、日本人の苦手な点であるとも、僕は思う。計算に強い日本人は、「何が起こるかわからない」ということなど、計算に入れられないのではないかと、僕はよく思うのだ。「組織としても個人としても計算しつくした点ばかりを狙い過ぎて、みすみすシュートチャンスを逸している」とも。
MFである小川は、このセオリーを実行できるからこそ得点もアシストも多いのだと、改めて思った次第だ。得点7、アシスト6の合計13という数字は、トップであるトゥーリオの9の4と並んだ。12日の投稿にも述べたとおり、この数字3,4位には外国人2人が並んで、5位が鹿島・小笠原の5の5である。ちなみに日本では、アシストの評価が得点に比べて著しく低いと思う。今日のマギヌンのアシストなどは、小川の得点と同等の価値があるはずではないか。

グラ・サポーターの皆さん。ご同慶の至り。小川佳純はトゥーリオや小笠原と並ぶ選手になった。これが、ルーキーイヤーの昨年の8月25日、大宮戦でJリーグ・デビューしたばかりの選手なのだから、近頃なかなか出ないようなアスリートだ! こんな急成長は珍しいことだから、才能があるのはもちろんのこと、優れた頭脳を有していて、ピクシーの語ることをそのまま理解できるのではないだろうか。よって、これからも嬉しい悲鳴をどんどんあげさせてくれるだろう。
 
ところで、投稿の割りにあいかわらずコメントの少ないブログだねー。「聞いて、聞いて」ばっかで「聞いたよ、こう感じた」がないんじゃ自分勝手だぞー!
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総裁選ヒーバーが冷えぬうちに・・・自民党大慌て!!

2008年09月13日 21時30分51秒 | 国内政治・経済・社会問題
★読売の記事を読むと、全国主要都市で演説会を行いマスコミをジャツクする自民党の派手な総裁選の熱気の冷めぬうちに解散⇒総選挙に持ち込みたいと必死のようてす。
 意外にこの作戦成功して、公明党とで過半数は取れるかも?
 さあ・・我々はどうたかうべきか!!!!!!
 
 ご意見ください。           (ネット虫)

**********************************
読売新聞記事
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080913-OYT1T00013.htm

 『衆院選「10月26日」で調整…与党、総裁選の勢い重視』

 10月上旬の衆院解散を予定している自民、公明両党は、衆
院選の日程をできるだけ前倒しすることとし、「10月14日
公示―26日投開票」で実施する方向で調整に入った。

 複数の与党幹部が12日、明らかにした。自民党総裁選の勢
いを維持したまま衆院選に突入するには、選挙までの期間をで
きるだけ短縮した方が有利、との判断からだ。衆院の解散は、
新首相の所信表明演説に対する各党代表質問の終了直後の10
月3日にする方向だ。

 最終的には、総裁選で選ばれる新総裁(首相)が決定する。

 22日に投開票が行われる自民党総裁選は、麻生太郎幹事長
が国会議員票の過半数をすでに確保し、優位に展開している。
各種世論調査でも、麻生氏が「首相にふさわしい候補」のトッ
プに挙がっており、地方票の判断材料となる各都道府県連の党
員投票でも麻生氏が多数を制すると見られ、同氏が新総裁に選
ばれる見通しが強まっている。「麻生政権」誕生直後は有権者
から一定の支持を得られると期待する向きも多い。

 与党幹部は、総裁選の余勢を駆って衆院選に臨む戦略から、
衆院解散の時期は、10月1~3日の各党代表質問の直後を模
索している。衆院選の投開票日は、10月26日、11月2日
、9日のいずれかと想定し、当初、公示までに必要な準備期間
を確保する必要から、11月9日を軸に検討していた。

 しかし、ここにきて、次期総裁(首相)に有力視される麻生
氏およびその周辺で「政権誕生で得た支持の目減りを極力抑え
るには、できるだけ早い投開票日が望ましい」として、10月
26日案が急浮上した。自民党幹部も衆院選前倒し案を支持し
、すでに公明党側との調整に入っている。

 これに関連し、自民党は12日の与野党国会対策委員長会談
で臨時国会の日程について、24日に召集して同日に首相指名
選挙、29日に新首相の所信表明演説を行うことを提案した。
会期は11月30日までの68日間とすることも提案した。

(2008年9月13日03時04分 読売新聞)
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