九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

僕の九条堅持論   文科系

2017年11月22日 05時58分36秒 | 国内政治・経済・社会問題
 以下は、11年3月9日にここに載せた拙稿である。ざくろさんという右の人物と論争した直後に書いたものだ。ここの過去で最も勉強されていて、自分でもあれこれとよく考えて来られたと僕には思われた右の人物だったから、こんなことを改めてまとめて応える気になったのだろう。良い論争相手は、物事をより根源から考えさせてくれるということなのだろうと、振り返ることが出来る。
 興味のあられる方は、ご笑覧、よろしく。


【 僕の九条堅持論 2011年03月09日

 ざくろさんという方が、ここでおかしな事を述べられた。
『原理原則から述べれば当然現行憲法は破棄されるべきものなんですけどね。』
 自衛隊という陸海空軍と憲法との矛盾について、これが、原理原則を本末転倒させた論議であるのは明らかだ。なし崩しに軍隊を作って、世界有数の規模と成し、強引に解釈改憲を通してきたやり方こそ、憲法という原理原則を踏みにじったと語るべきである。こんなことは、小学生でも分かる理屈だ。1国の憲法というものは本来、そういうものだと日々教えているはずだからである。
 あまつさえこの間に、この憲法を守ることが出来る世界作りを大国日本が率先して呼びかけ直す道も、「以下のように」あり得たのである。自衛隊を作る背景、原因にもなった冷戦体制が終わった時とか、サブプライムバブル弾けに端を発して100年単位ほどの世界大恐慌状態に落ち込んだ時とかに。そういう絶好の機会において、日本が国連でアメリカの投票機の役割しか果たしてこなかったのは、実に情けないことだ。なお、この恐慌は持ち直したという声があるがとんでもない暴論だと思う。世界にこれだけ失業者がいては、株が少々上がったところで、健全な経済状況などと言えるわけがないではないか。それが民主主義の観点というものであろう。
 

1 さて、古今東西、戦争の原因はどんどん変ってきて色々あり、一様ではない。よって「戦争を必然とする人間の本性」のようなものがあるとは、僕は考えない。これが存在するから今後も戦争は永遠に少なくならないというようなことを語るとしたら、その論の正しさを先ず証明してからにして欲しい。こんな証明は論理的にも、現実的にも不可能なはずだから「攻めてくる国があるから対応を考えなければならない」という立論だけでは、全く不十分な議論である。特に長期スパンで戦争をなくしていく視点が欠けたそういう論議は、万人に対して説得力のあるものではないだろう。
 20世紀になって、第一次世界大戦の世界的惨状から以降、そして第二次世界大戦以降はもっと、戦争違法化の流れが急速に進んできた。この流れは、18世紀西欧に起こった「自由、平等、博愛」の声に示されるような「人の命は権利としては平等に大切である」という考え方が定着してきた結果でもあろう。つまり、民族平等や国家自決権なども含んだこういう流れが、後退や紆余曲折はあっても近現代史に確固として存在するのである。
 世界史のこんな流れの中からこそ、長年の努力でEUもできた。EUの形成は、それまでの世界的戦争の先頭に立ってきたような国々が、互いへの戦争などを放棄したということを示している。
 20世紀後半になって、大きな戦争は朝鮮、ベトナムなどで起こったが、あれは東西世界体制の冷戦に関わったもので、その対立はもう存在しない。それどころか、中国も資本主義体制に組み込まれた現在では、日本のような先進大国を攻めるというような行為は、中国も含めた世界経済をがたがたにするという世界史的汚名を被る覚悟が必要になったとも言える。今時の大国の誰が、こんなヒットラーのような無謀行為を敢えて犯すだろうか。

2 さて、こういう世界の流れを観るならば当然、自国への戦争に関わっても二つのスパンで物事を考えなければならないと思う。一つが、「当面、日本に攻めてくる国があるか。それに対してどうするのか」と言うスパン。今一つが、「戦争違法化の流れを全人類、子々孫々のために推し進めるべき各国の責任」というスパンであって、これは、近年新たに目立ってきた世界の貧困問題や食糧問題などを解決するためにも世界万民が望んでいることだろう。なお、この二つで前者しか論じない方々は、論証抜きの「戦争は永遠の現実」という独断のみに頑強に固執して、数々の人類の不幸を全く顧みないニヒリズムだと、断定したい。
 以上のことは、世界の大国アメリカを観れば容易に分かることだ。アメリカは相対的貧困者や満足に医者にかかれない人々やが非常に多い「先進国」である。高校を卒業できない人が白人でも4人に1人であり、黒人やヒスパニックでは半分だ。現在の軍事費を何割かでも減らせれば、これらが救われる財政的条件が生まれる理屈だが、こんな当たり前のことが何故出来ないのか。ここの軍事費が何割か減ったら、攻めてくる国が出るというものでもなかろうに。だからこそ、今軍事費を減らそうとの視点を持たない「現実論」は、ニヒリズムだと呼ぶのである。 

3 まず上記の長期スパンであるが、こういう立場に日本が立ちたいと思う。
 先ず、国連には9条堅持と日本軍隊縮小方向を、代わりに『平和と貧困撲滅基金』というような形で毎年かなりのお金を国連に出していく方向を、改めて表明する。合わせて、こう表明する。
「軍隊を持たない方向を目指す代わりに、世界の『平和と貧困撲滅』に貢献したい。そういう大国が存在するのは世界と国連、人類の未来にとってこの上なく大きい意義があると考える。ついては代わりに以下の要求を万国、国連にさせて頂く。日本国憲法にある通りに、世界各国の平和を目指し貧困をなくすという希望と善意に信頼を置いてこういう決断を成すわけだから、以下の要求を国連に出す資格も当然あると考えている。
『日本に他国が攻めてくるということがないようにする努力を万国にもお願いしたい。また万万が一攻められるようなことがあった場合には、国連軍、国際的常設軍隊で即座に支援して頂くというそういう体制を至急お作り願いたい。国連をそうしたものにするべく、日本はその先頭に立ちたい』」 

4 九条堅持と、その実現のために、いやそれ以上に、世界の平和と貧困撲滅のために、3の遂行度合いに合わせて、自衛隊は縮小、廃止方向を取る。そのスパンも30年などと遠いものではなくしたい。
 なお、こういう構想は民主党小沢派、鳩山派などが持っている構想に近いものだと、僕は見ている。小沢派の「国連警察軍」などの構想は、これに近い発想、あるいはそうなっていかざるをえない発想なのではないかということだ。むしろ、親中国路線とともに国連常設的軍隊重視こそ、小沢がアメリカと親米派勢力に憎まれている理由だろうと考えてきた。また、このような案が大きく世に出てきた時には、共産党、社民党もこれに賛成せざるを得なくなるであろうとも予測する。つまり、以上の構想の現実的政治勢力、潜在勢力が現に大きく存在するということだ。
 ちなみに、国連自身の指揮下にある常設軍というならば、それに日本が参加してさえ、「国権の発動たる戦争」に関わる「陸海空軍その他の戦力」とは言えないだろう。また、フセインのクゥエート侵略があったり、アフリカのいくつかの国に同類のことが起こっている以上、かなり強力な国連常設軍が当面は必要だと思う。】
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ハリルジャパン(136) 「ゴール直結性」という変化  文科系

2017年11月21日 06時33分17秒 | スポーツ
 こうして、ハリルが「モダンサッカー」と語るのは、結局はゴール直結性のこと。今回は、その成績変化をこそ示してみる。いくらボールを繋いでも、ゴールに迫れなければ無意味だということ。逆を言えば、ボールなど持っていなくても際どいシュート数で圧倒していれば勝勢ということ。ハリルのサッカーは明らかにそうなっている。


 非常に面白い数字がある。アジア予選直近の4戦とブラジルW杯3戦平均数値との比較である。これだけ基本数値が変わったら違うチームのはずであって、これを前と同一の尺度、観点からだけ観れば、「酷いゲーム」となるのが必然だが・・・?、という証明をしてみたい。初めに、W杯3ゲーム平均数値と、直近4戦では8月31日の対豪州戦の数値とを比較して論じてみる。オーストラリアは日本にとってアジア最大の宿敵にして強敵。そこにどうやって「楽勝」して、いち早くW杯出場を決めたか。以下のようなゲームでさえ、まずい試合と述べた評論家がかなりいたのである。

 キープ率は56%から34%へと下がり、パス数とパス成功率に至っては、前者が545本から305本に、後者も78%から71%へと下がったのである。ゲームにおける攻撃、パスの繋ぎ方で評価を下したら、代表は随分下手になったということになる。しかも、前者はW杯の世界相手の数値で、後者はアジア予選なのに、こんなに下がったではないか! チームは劣化したのか?

 ところで、こんな繋ぎ、パスの状況から、ゲームにとってもっと遙かに大事な数値に目を移せばあら不思議、随分強くなったことになるのである。そもそもW杯では負けたけれど、対豪戦は勝った。その勝利を示す土台となる数値こそ、以下のものだ。日本のシュートは18本で、オーストラリアはわずか5本、枠内に飛んだのは1本である。デュエル数値は全て勝ち、何よりも相手のパスをカットした数が32対12。ボールは保持していなかったけれど、相手ボールを苅っては敵ゴール前・シュートへという姿は極めて鮮明なのである。

 こんなゲームを敗勢とか下手になったとか語る人々は、何を見ているのかと言いたい。言ってきたようにパスの繋ぎ方だけを観て、「良い潰しから良いシュートチャンスへ」という場面には目をつぶっていたことになる。こういう人々こそ、ゲームを観ていないというのであろうか。いや、見ていても見えていない。そんな評論家が日本では何と多かったことか! どうして?

(以上の数値は、9月6日中日新聞連載コラム、大住良之の「サッカーの話をしよう」から、)
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これって・・・らくせき

2017年11月20日 09時45分57秒 | Weblog
他国の軍隊に対して『国内に自由に基地を置く権利』と、
『そこから自由に国境を越えて他国を攻撃する権利』の両方を与えているのは、
世界で日本だけなのです。
米軍は『戦時における指揮権』だけでなく、事実上の『開戦の決定権』も握っている。

これってホント?
なら70年、日本人はなにをしてきたの?
安倍さんみたいな人を再生産してきたわけ?反省。サルでもする反省か。
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改めて、分かり、楽しくなるサッカー観戦法  文科系

2017年11月19日 16時16分03秒 | スポーツ
 僕はスポーツを身体芸術という文化と捉えてきたから色々熱心にやってきたせいか、その見方にも拘る。すると、スポーツ評論家などがその見方などをまとめたりしたものを案外観たことがないことにも気付いた。僕と違って、単なる見せ物興行とか娯楽、遊びとだけみなすせいだろうとも、思ったりした。

 ところで、サッカーの基本的見方自身が、野球などよりも遙かに難しい。その理由はこういうことだ。サッカーの攻守には、野球のように1人で1点取るホームラン王や、相手を1点台に押さえるエース投手のような個人は存在しない。ホームラン王やエースは基本的にそういう個人技を磨けばよいのだが、サッカーはいくら個人技があってもチームに溶け込めなければ1得点だって上げられない。攻守ともに組織を観なければその面白さが全く分からないに等しいということだ。ついで、その攻守が野球のようにはきちんと分けられず、良い守備が得点を産んだり、良い攻撃が守備時間(失点の可能性がある時間)をどんどん減らしたりと、攻守が相互に影響し合う度合いが野球などよりも遙かに大きい。
 サッカーのあちこちの側面から何回も書いてきたことだが、改めて標記のことをまとめてみる。

① サッカーの最も初めの見方はこうだろう。ボールの動きを目で追っかけて、「今誰それが、パスミスした」とか「あそこの彼が、今ボール奪取ができたのに!」とか。こういうことはある意味、誰でも見えること。よって次にはこうなる。パスを上手く受けるために誰が、どこへ、どう走っているかとか、敵のパス回しを潰して攻撃に転じるために身方選手らがどう走り込んでいるかとか。こうして、攻撃、繋ぎを成功させる中心になっている選手と、守備、潰しによく顔を出し潰し成功の中心になっている選手とが、それぞれのチーム攻守の要なのだろうなどということも分かってくる。

② あるゲームで①を観ていると、どちらが優勢であるかが次第に分かってくる。良い位置、良い機会の敵ボール潰しが上手いらしくて、あるいはボール繋ぎ自身が上手くて、敵ゴールへのチャンスが多い方が優勢なのだ。
 例えば、ボールを持っている時間がいくら長くても、そのボールを後ろとか横に回しているだけなら、優勢とは言ない。敵のボール奪取力を怖がっている(自分らのパス回し力と比較しての話だが)とも言えるからである。
 逆に、いつも守っている方が劣勢とも言えない。後ろで良い機会に敵ボールを奪って、一気に敵ゴールに迫るカウンター・シュートが何度か成功しているならば。

③ ①②から言えることだが、サッカーのこの基本、攻撃と潰しとはいつも、チームとして行われている。そこで問題になるのが、攻撃と守備とそれぞれの組織、選手配置とその理に適った流動性である。
 守備組織には、身方陣地前に守備ブロックを作るやり方と、身方DFラインを上げてFWとの間を縮めたコンパクト・ゾーン守備とがある。前者で敵ボールを奪って攻撃に転じるときには長短のパスを多く繋がなければ敵ゴールには迫れないが、後者で上手く敵ボールが奪えればたった一本のパスからシュートとか、たった一人のドリブルからシュートまで持ち込めるということも起こる。
 なお、「コンパクト・ゾーン・ディフェンス」というのは、その狭い「地帯」に身方が密集しているから敵ボールを奪ってよいシュートまで持ち込みやすい半面、敵にボールを奪われたら一気に身方の薄いゴール前に押しよせられるという危険性もある。この危険に備えるべく二つの道を用意するのが普通だ。一つは、オフサイドトラップと言い、敵がボールを奪った瞬間に身方DFラインを押し上げて、敵が前へ蹴るそのボールを受けてシュートまで持ち込もうとする敵FWを後ろに取り残して、オフサイドに引っ掻けるやり方。今一つは、身方ゴールキーパーが猛然と前に出てきて、敵が大きく蹴ったボールを奪うやり方である。この後者については、ブラジル・ワールドカップで優勝したドイツのゴールキーパー・ノイアーの広大な守備範囲に驚かれた方も多いはずだ
ドイツはあのノイアーの広大な守備範囲の分、攻守ともに身方組織が高い位置で構えていて「敵ゴール直結」を狙っていたわけである。ブラジルW杯のドイツは、このやり方で個人技世界1と言って良い開催国を、7対1で破り、世界を驚かせた。サッカーでは、個人よりも組織が大事という典型的な歴史的語り草になっていくはずだ。組織規律性がドイツ人と同様の民族性と言われる日本人は、サッカーに向いた最大長所の一つを持っているわけである。 

④ サッカーの攻撃組織は、いろんな得点法という形になる。サイド攻撃は、敵ゴールの左右に走り込んでゴール前へクロス・パスを出してシュートを狙うのだし、アーリークロスと言って斜め後方から敵ゴールへ走り込む身方に合わせるパス(いわゆるスルーパスの一種)もある。敵ゴール正面攻撃にはパスを普通に繋いで迫ったり、ポストと言って背の高い身方FW目差してパスを放り込み、彼が後ろに短く返すボールめがけて身方が一斉に走り込んでパスを繋いでゴールに迫るやり方もある。
 なお、こういう得点法の全てに共通して、敵ゴール前のDFの人数をなるべく減らす工夫も必要になる。ザックはよく、こんなことを語っていた。
「敵の守備陣形を縦にも横にもなるべく広げること」
 広い範囲に敵DF陣を分散させるわけである。これが上手く行った時には、敵ゴールすぐ前などに「身方の数的優位」が出来たりするわけだ。プロの世界において、敵ゴール前のDFよりもその周囲の身方FWらが多数だというのは、得点目差して非常なチャンスを得たということ。なお「スペース」と言う言葉が一般的によく使われるが、これは空いている空間をいち早く見つけてそこに走り込めば楽に身方ボールが受けられて、余裕を持ってパスが出来るということ。こういう大きなスペースをゴール前などで見つけて走り込めれば、自らシュートなり、絶好のシュート目差したよいアシストなりが可能になるということである。
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時代の空気  らくせき

2017年11月19日 09時50分03秒 | Weblog
「嫌な時代だった。馬鹿な奴らが威張っていて」 敗戦後の大人の口癖。

あああれから70年。

「嫌な時代になったね。バカな奴らが威張りはじめて」 
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ハリルジャパン(135)ワールドカップ奮戦記⑤  文科系

2017年11月18日 17時00分37秒 | スポーツ
 このシリーズ第5回目は、直近のブラジル大会の2回目です。僕としては、この大会の代表がここまで5回の中で最も強かったと見ています。それが、名監督と選手一部の間とで、攻撃法の方向性について最後まで意見不一致があって、監督戦略によるチーム熟成が十分には行かなかった、とも。岡崎、香川、長谷部に遠藤、本田と揃った世界的攻撃陣に対して、守備が弱いからこそザックが考え抜いた方針が、攻撃陣の一部によって軽視された部分が生じていたと僕は観てきました。後に発表された「通訳の日記」などから分かった所では、こんなことが判明しています。
 攻撃陣数人がこう主張し続けていた。「もっと人数を掛けて、中央突破も含めて繋ぎあって。そのために、時にはサイドバック二人の同時上がりも認めて欲しい」と。これに対して、ザックは「同時上がりは認めない。『ボール繋ぎ・中央突破』も、ボールを盗られて厳しい逆襲を喰らいやすいから、難しい。サイド攻撃中心で、縦に早く」と懸命に語り続けてきたと。これは丁度、南ア大会の俊輔らと岡田監督の違いのようなもの。この時は、最後の監督決断で守備的な闘い方に行き着いたのでした。 


【 ザックジャパン(168)全体的総括2 文科系  2014年06月26日

 これだけの激流と結末を簡単に総括など出来るわけもないものだが、その1に書いたことの続きとして、若干の資料をあげておく。この間に書いた三つのコメントを列記することにした。

『 皆さんへ   (文科系)2014-06-26 13:23:03
 この論議は非常に難しいものと考えています。23日に書いた随筆「世界サッカーに異変」をも合わせてお読み下さい。
 なお、ザックのことですが、今の正直な気持ちを吐露しています。「驚いている。なんでこうなったのかまだ分からない」と。責任は感じていると第一に語った上でこう言っているのであって、彼らしい率直さ、温厚さと思います。事態はジーコの時とうり二つ。彼も人格者でしたが、やはり日本人が分からなくて、すれ違ったのだと反省していたはずです。ジーコについては、彼の戦術に最も忠実であったヒデが「人格者である」と尊敬しているところ。負けたからという理由でこういう人間を貶めることはないと思います。ドイツ大会敗戦直後あれだけ悲嘆に暮れていたヒデが、ジーコと今でも友達であることを僕は好ましく思っています。
 ザックの呆然、特にこのことの今後を見つめていきたいとも。「練習ゲームでは選手らは言いつけを必ずしも守らずかなり自由にやってきたのに、本番では私の言葉にがんじがらめって、どうして?」』

『 ザック   (文科系)2014-06-26 13:55:15
 ザックは選手、スタッフを一言も批判しないどころか、もう一度やれと言われても同じメンバーでやると語った。そんな監督を、長谷部と長友などは溜まらなく好きらしい。長友は「勝たせてあげたかった」と泣きだしたほどだ。長谷部は、多分正式なものだが、こんな談話を出している。こういう監督について、釜本などが例によってトロイ発言を連発している光景は面白い! 以下は、長谷部の言葉。

「結果が出なかった時に監督や選手が批判される事は当然の事と思います。しかし、四年前に言葉も文化も全く異なる国に来て、日本という国・日本人の心を理解しようと最大限努力し、その心や文化を尊重し日本を愛してくれた素晴らしい人間性をもった方であった事は、日本人として忘れないでいて欲しいです」
 主将としてザック監督とは何度も会話を交わし、その人間性も理解してきた長谷部だからこそ、自然とそんな言葉も出てくるのだろう。』

『 本田の反省   (文科系)2014-06-26 16:08:16
 ゲキサカからの記事だが、一夜明けて本田がこう語ったとのこと。正式会見みたいだが。
「(昨夜は)いろんなことを考えた。やはり一番考えて辛かったのは、4年間正しいと思って貫いてきたことを、結果として否定せざるを得なくなったこと」
 今まで見せたことのなかった弱気な表情があった。ブラジルでの3試合で示された現実はそれほどに重く、痛みを伴うものだった。だからこそ、素直に受け入れられる。
「負けて、内容でも自分たちの納得のいく試合ができなかった以上は、時間をかけて自分自身の物差しづくりを一からやり直さないといけない。オランダ時代に一度だけ今回と似たような状況があったけど、そのとき以上の精神的改革、目標の改革、物差しの改革が必要になるのではないか」』

 以下、この言葉への僕の若干の思いを書いてみる。全く彼を批判するというのではなくって。
 まず、このチームは自分のチームだというように振る舞えていたのだということだけははっきりと分かる。それが攻撃的パスサッカーへの拘りであることも、言外に分かる。これを結果的にどこか反省して、次の代表基準を作り直そうと言うのだが、それがどういうものかはまだ分からないと、こういう事だろう。僕もこの結末は是非全面的に総括しておきたい。今後協会の総括文などに注目していく積もりだ。』】
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ハリルジャパン(134) ヨーロッパ2戦の総括  文科系

2017年11月17日 05時13分07秒 | スポーツ
 ヨーロッパ遠征の2戦は、今後本番を出来るだけ多く勝ち抜くという意味でとても良い教訓が得られて、重大な価値があったと評価できる。ベルギー戦はもちろん、ベルギー戦をあのように闘えた重大な学習が出来たブラジル戦からこそ、そうなったと。

 攻守がぱっくりと明確に分けられる野球などと違ってサッカー戦評は意見が分かれることが多い。守備・潰しを中心に観る人と、主として攻撃・繋ぎを観る人とで、意見が分かれるのである。また、日本の一方だけ観る人としては、攻撃・繋ぎだけを観てマイナス評価をする場合が多いように思われる。よって、ブラジル戦は評価する意見は少なく、ベルギー戦でさえマイナス評価も多く観られた。
 なお、サッカーでは、攻守含めてとにかく総合的に語ることが大事なのだと愚考してきた。攻撃が守備に繋がったり、良い守備が良い得点チャンスに繋がったりする点が、野球などとは全く違うからである。
 また、サッカーでは個人ではなく、組織を語ることが中心になる。野球のエースやホームランバッターのような人はいるはずもないのだし、個人を中心に見れば常にブラジルが優勝しているはずだがそうはなっていないのだから。
 そんな今回の戦評の中から、僕自身に最も近い評価をまず上げてみたい。それは、スポニチ・アネックスのネット記事、日本初のW杯出場チームで最初に監督を務めた加茂周の意見である。彼は以下のように極めて明確に、かつ総合的に語っている。

① このチームの完成度は8割であり、残りの2割は攻撃だ。
② 8割完成というのは、「ボール奪取・速攻」というこのチームコンセプトが守られ・ボール奪取の側面に関しては上手く行っていたからだ。上手く行ったのは、特にベルギー戦で守備が下がりっぱなしになるという欠陥を無くし、ハイとミドルとのプレスを使い分けられたから。本田、香川の「繋ぎ過ぎて、スローになる攻撃」という点が正されたからこうなった。
③ 不足している攻撃の側面については、日本が16強になった2つの大会でも最大問題になった弱点だった。W杯に出た場合の日本にとっての長年の最大課題がここだったわけである。最後をもう少し詰められる若いアタッカーの出現とセットプレーの上達とに期待するということだろう。


 プレスの使い分けができなくて破れたのが、ドイツ、ブラジル2大会。分にあった守備体系ができたから決勝トーナメントに出られたのが、日韓、南ア大会。後者で8強になれなかったのは、まさに加茂が指摘する問題点からと見れば、総合的理解として丸く収まるのである。しかも、この遠征2ゲームでは、ハリル推奨の「良い場所で、良い潰しからこそ、良いシュートへ」と言う場面が意外に多く観られた。これがこのチームの伸びしろとして、期待できるゆえんである。

 ということで、この2戦で最も大きかったことを、僕としてここに観たものだ。ブラジル戦を反省して、ブロック守備、ミドルプレス、ハイプレスを選手たち同士でゲーム中その都度に使い分ける意思一致のコミュニケーションを採るようになった事である。これは、日本選手の最も苦手とする所だったのではないか。ドイツ大会では、これで中田が孤立した。ブラジル大会では、遠藤・本田らと監督・DF陣との間に「繋いで中央突破」の取り入れということに関わって、賛否ニュアンスの違いが最後まで存在した。ザックやジーコとちがって、ハリルがこういうことを許さない監督だというのは、日本代表監督として最も大事な資質と愚考するものだ。
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ハリルジャパン(133)ワールドカップ奮戦記④   文科系

2017年11月16日 08時12分23秒 | スポーツ
 今回は、すぐ前のブラジル大会。このチームは大変な好不調の波があった。好調時には、イタリアには勝利寸前と善戦し、オランダとは0対2から追いついて同点、ベルギーには勝利という結果も残している。それが本大会では惨敗。未だに信じられない結果で、その原因さえ、つまりこの好不調の波の原因さえ、未だに論議が分かれる所になっているはずだ。とはいえ、当時書いた物を先ずそのまま載せることにする。

【 ザックジャパン(167) 全体的総括  文科系  2014年06月25日

① 先ずはとにかく、ギリシャにおめでとう!(と言うしかないよね)このギリシャは、強豪に敗戦、次が引き分け、最後は2位チームを引きずり下ろしてのロスタイム勝利だ。とにかくご立派! 最後のゲームで日本がやりたかったことを最下位予想のギリシャが日本が負けた相手に敢行したのだから、褒めるしかないのである。まーヨーロッパでいつも格上、強豪に揉まれていることに一日の長があるのだろう。アジア、アフリカはその点ではどうしても厳しさが続かないから、不利なのだろう。日常の世界順位も上がりにくいのだし。

② さて、返す返すも残念なのが、誰でもが口を酸っぱくして予告した重要な初戦、あの敗戦の痛さ。前半40分過ぎから続けざまにシュートを浴びたあの情けなさ! あれだけ腰が引けてはボールは奪えず、たまに奪えても攻撃にもならず、到底勝てないという見本であった。なんであんなことになったのか、協会に徹底的な聞き取り調査などを要求したい。もちろん今後の為にである。

③ 腰が引けると言えば、これが肝心の今日も出た。敵の2得点目だが、4人も居た味方の誰もが味方ペナルティーエリア外左サイドでの長いドリブルに体をぶつけられずに抜かれてしまった。あのドリブルが始まった直後に、僕は思わず悲鳴を上げていた。シュートまで行くとの予感からだが、ペナルティーエリアの左外サイドからというあそこでドリブルスピードを上げさせてしまってはメッシでなくとも止められない。5人目の内田があわててシュートコースを消しに行った時は微かに当たっただけで、コースはほぼ変わらず。あれには内田が一番驚いたのではないか! どうしてあんなことになったのか。ドリブル体勢に入った時の周囲の味方がもたれ合ったとしか思えない。1対1の覚悟を避けているようにさえ見えた。
 この失点からはもう攻めに行くしかなくなったのだが、後のカウンター2得点は既によくあるオマケみたいなもんだ。2得点目で終わっていたのである。つまり、あんな得点をされては味方への自信喪失、疑心暗鬼のようなショックは計り知れないし、勝つ権利はなくなったと言いたい。
 対するギリシャはどうだ。追いつかれても、ロスタイムで決勝点。『我らの「ドリブル5人抜かれ」にギリシャのロスタイム決勝弾』が、コートジボアール戦に次ぐ情けなさと言える。この二つの情けなさを前にすると、今日のコロンビア戦前半にこのWCで初めて見えた攻める姿勢も影の薄いものになる。

④ 個々の選手を取り上げて何度も言ってきたように、選手の力としては世界20位ほどのチームだと思う。コンパクトプレスが効いて、ショートパス攻撃が好調な時は10位ほどとも。ただいかんせん、強豪とやる機会が少なく、厳しさが不足している。それが特に守備に現れていると思う。脚の速いセンターバックが欲しい。もちろんコンパクトプレス用のCBであるが、敵カウンター選手に追いつくような内田みたいな脚力が欲しい。今回の敗戦もおそらく、CBにコンパクトプレスの自信がないからつい間延びしてボール奪取が上手く行かず、かつ攻めの時の距離も遠くなってパスが繋がらなかったと、そういう側面があると思う。他方世界を見れば、この大会でこんなことが示されたと言える。ボール奪取力とショートカウンターとの組織的個人的両様の飛躍である。下手をすると日本は取り残されるというようなそれだ。

⑤ このことにつきもっと大きい問題があった。そういう弱点がテストマッチでも度々現れていたのだが、それが監督選手が一致して直視し対策することができていたのか。それができていたならば、対コートジボアール決戦で両ウイングに敵サイドバックの上がりを追いかけさせ、陣型を間延びさせるなどということが起こるはずがないではないか。その意味では、ドイツ大会敗戦と同じ事が起こったようにも見ている。この間延びが、ドイツの時は前から問題視されていたが、今回は監督自身がこれを許容していたというような結末。このことには凄く割り切れぬ思いが溜まってしまった。】

 
 今回は、付け足しを少々。
 この温厚な紳士にして、選手初め関係者全てからも慕われたザックは、フィジカルコーチなども加えたチームとして、日本にこういう遺言を残していった。①日本人の世界的長所は、瞬発動作(を繰り返せる)能力と、その敏捷性である。弱点は身体の大きさ、強さ。②バルサ型のパスサッカーはバルサだから出来たのであって、筋力がない日本人にはどうしてもミスが出る。コンパクトな縦に速い組織的サッカーを目差すべきだ。
 期せずしてハリルがこういうサッカーを目差しているというのは、必然なのだと思う。
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東アジア諸国に脱アメリカ徴候  文科系

2017年11月15日 15時08分51秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 東アジアサミットなど一連の首脳会議で、アメリカの力、信用が急激に衰退していると示された。北朝鮮問題、中国の南シナ海領有権問題、一帯一路開発問題など、現下ほとんどの東アジアをめぐる重要問題において、以下のように。

 北朝鮮問題では、「国連の制裁枠内でよろしい。それ以上のことは不要」という中ロの方向が支持された。「どこまでも制裁強化を」という日米の方向は浮いてしまったということで、安倍首相の「圧力を最大限まで強め、向こうから話したいという状況に追い込む」という演説も虚しく響いた。ましてや、「北を完全破壊する」と語ったトランプの言葉は、アメリカ軍部にさえ支持されていないと判明した。加えて、最大当事者の一方である韓国政府が以下のような態度を改めて表明したのでは、日米の振り上げた拳も一体どこへ向かうのやらということ。韓国首脳はこんなことを述べたのである。
①米韓安保は、これを軍事同盟には発展させない。
②北への軍事行動は、起こさないし、起こさせない。

 さて、今にも北との戦争が始まるかのように吹き回った日本のマスコミは、何と無責任な連中かと今は思わずにはいられないのである。

 次いで、南シナ海問題。これについてトランプは、ベトナム、フィリピンに対してちょっと口を利いたらしいが、ほとんど脈のある反応を得られなかったようだ。要は「当事者2国で解決します」という、中国の立場と同じものしか返ってこなかったのである。直接の当事者がそう語るのだから「公海」問題も困難な事態が起こるだろうとも言えなかったということだ。

 なお、もう一つの中国一帯一路開発問題でも、アメリカは「参加要望」のようなことを演じたらしい。これに絡んだ中国主導のアジア・インフラ開発銀行とともに、日本の面目丸つぶれということだろう。日本が総裁を務めるアジア開発銀行の将来も、中国の大陸陸海横断開発への参加も、弾き飛ばされたままということになっていくのだろうか。

 物経済の長期不振から、隠密裏のような金融グローバリゼーションに活路を求めてきたような日米。結果として、アジア通貨危機、ロシア通貨危機、南米通貨危機、リーマンショックなどなど数々の金融搾取を働いてきたものだが、その陰で世界にどれだけ不審感を植え付けて来たことだろう。その揚げ句が、嘘の理由で始まったイラク戦争、アラブの春の内乱と混乱、公然たるシリア内乱工作、今度は「北の脅威」では、もうどの国も付いては来ないと、そんな世界情勢到来と観る。

 こんなある老碩学の文章を改めて、再掲してみたい。

【 ドーア本あとがき、「米中関係」で「挑発」 文科系 2016年10月08日

 今紹介している、中公新書、ロナルド・ドーア著「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(2012年6月第五版)のあとがきほとんどを抜粋してみたい。これを読めば、この本が日本の民主主義信奉者にとっていかに大切な書であるかが分かるというもの。

『「序文に代えて」で書いたように、一九四五年は正に、「終止符を打って再出発」の時期だった。人類同士が7000万人を殺した戦争に対する反省はそれくらい深かった。
 将来、金融化経済の不合理さ、不公平さに対して反省する時期は来るだろうか。同じく7000万人を殺さないで。歴史の教訓があるとすれば、「不可逆的に見える傾向でも、永遠に続くことはない」、であるし「大きな戦争がなければ大きな社会変化もない」である。
 そう考えると、どうしても世界の軍事力、外交力のバランスという現実にぶつかる。本書で描いた日本経済のアングロ・サクソン化は、米国が西太平洋における軍事的覇権国家であり、日本と安全保障条約を結んでそこに基地を持ち、その基地を移設しようとする内閣(たとえば鳩山内閣)を倒すくらいの力がある、という事情と密接な関係がある。
 詳しく論じる余地はなかったが、三、四〇年も経てば、西太平洋における覇権国家は中国になっているだろう。2010年、北朝鮮が韓国の延坪島を砲撃した。世界的な非難が広がる中、アメリカは黄海での韓国との合同軍事演習に航空母艦ジョージ・ワシントンを派遣した。この空母の航入を、中国は一時激しく拒否した。後で認めることになるのだが、この事件は長い冷戦の始まりにすぎないだろう。米ソの冷戦は半世紀近く続いた。熱戦にならず、何千万人もの犠牲者を出さずに終わったのは、ゴルバチョフが東中欧における米国の覇権を認め、「負けた」と手を上げたからだ。
 今度は半世紀も要さないだろうが、中国が勝ちそうだ。なぜそう思うかと言えば、次の条件を勘案しているからだ。
 ○ 今後の米中の相対的経済成長力
 ○ 政治的課税力ー国庫歳入の成長力
 ○ 国威発揚の意思の強さー軍事予算拡大の用意
 ○ 人的資源・・・・・・・・
 西太平洋における覇権の交代はほとんど必然的だと思うが、それについての大問題が三つ。
①アメリカにゴルバチョフがいるか、である。それとも、何千万人もの死者が出そうな実際の衝突、つまり戦争の勝ち負けに決済が委ねられるだろうか。
・・・・・・・・・
③60年もの間、日本を行ったり来たりし、日本人の友達が多い私にとって大変関心が高い問題だが、土壇場になっても、日本は依然として米国に密着しているのか。独立国家として、米中が何千万人を殺しかねない衝突に突き進まないよう、有効に立ち回れるのかどうか。

 「新書」の目的が、挑発的な問いかけで読者を考えさせることだとしたら、挑発はこのくらいで十分だろう。このあたりで筆を置いていいと思う。』

 これまで2度にわたってここに紹介し、後は3度目が残っているこの本によれば、「アメリカではこうだ」という理屈の下に、日本が米国共々経済から外交、軍事にいたるまでいかに危ない橋を渡って行きつつあるか。そのことが、日本経済最新変化の解明を通じてとてもよく分かる本だとつくづく考え込まされている。
 なおこの著者は、「ロンドン大学LSE」を出て、そこのフェローの資格を得ているイギリス人。かつ、若いころの東大留学時代(江戸時代の教育制度を学びに来た)からの日本オッカケでもあって、日本文学者ドナルド・キーンのマクロ経済版のようなお方だ。本書を書き上げたころは85歳と推定されてなお、この「日本語」健筆。本書中には、60年前の日本にこんな生き生きとした「論壇」があったとして、こんな下りもあった。
『一方に、「岩波文化人」(私の親しい友人であった丸山真男や加藤周一や、まだ珍しく元気であった鶴見俊輔をはじめとして)、他方に、彼らを「進歩的文化人」と野次って、その愚かさを攻撃する「保守派」の福田恒存や江藤淳など、その間の論争を懐かしく思い出す』(P109)』 】


 日米の国家累積赤字は、それぞれのGDPに対して2倍と4倍。これらの国が自他国民向けにその国家財政で出来ることはもう知れている。対するに、中国の対外収支は伸びるばかり。対外互恵関係、いわゆる「ウインウイン関係」も、好む好まぬにかかわらず中国の余裕が大きい。株などで儲け逃げていくばかりの日米にどこの国が寄って来るのかと、どんどんなっていくことだろう。トランプのやっていくことは、物経済は保護主義で、金融は規制撤廃を迫ると、そんなことばかりになっていく。
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ハリルジャパン(132)ワールドカップ奮戦記③  文科系

2017年11月15日 13時31分25秒 | スポーツ
 南ア大会の2回目である。自国開催以外で初めて決勝トーナメントに進めた大会だ。02年日韓ワールドカップのトルシエ・ジャパンに次ぐ快挙だった。南ア大会の4ゲームについては前回に観たので、今回は総括的な日本の世界比較数字などを上げてみたい。世界比較で、どこが優れていて、どこが劣っていたか。と言ってもこの数字、ゲームの運び方によっても代わってくるはずだから、日本代表が守備的な戦略、メンバー構成を取った場合にはというものだろう。4-3-3でアンカーを一人置いた場合にという数字ということだ。


『 サッカー代表、南アワールドカップを振り返る(その2)  文科系 2010年07月01日

 代表の「余聞」というような話を集めてみた。

 いろんな数字データがFIFAから出ている。16強内のここまでの順位という形で。日本が1位のものもいくつかある。まず、枠内シュート率59%は1位。次いで被ファール数も1位で、これは個人別でも本田1位、中澤2位。
 日本の枠内シュート率は、これまできわめて悪かったはずで、この数字には驚いた。おそらく、本田の強烈な影響だろうと考えたが、この数字は何か日本リーグ全体のシュートへの考え方を大きく変えるような気がする。プロが枠になかなか飛ばせないなんて、考えてみればおかしい話だ。枠に飛ばないシュートなんて、言ってみれば自己満足だけだろう。
 被ファール数の多さは、日本の技術的スピードなど素早さ、敏捷さに原因があるのだろう。本田と中澤に多いことを考えると、やはりゴール前のやり取りが熾烈だということ。いつも言われているように、Jリーグゲームのここでファールを犯しがちな選手なんて、代表には絶対になれないはずだ。日頃安易にやっていればこんな本番では怖くて使えないということになろうから。もちろんそれ以前に、反則の多い選手は技術も伸びないだろうし。ブラジル出身の名監督シャムスカが阿部を褒めるとき、こんな言葉が付いていたのを思い出す。「ファールなしで相手を止める技術が高い」と。

 他にも、日本の走行距離はそれほどではなく9位。ただしこれはスピードも見なければいけないだろう。日本の全力疾走率はトップクラスのはずである。でなければ他チームから「良くあれだけ走れるもんだ」とか、「ハエのようにうるさがられよう」とか言われるはずはない。時速25キロ以上とか、30キロとか、高速の距離だけで計れば日本の順位は上がってくると思う。そういう数字が欲しい。
 パス成功率が最下位というのもあった。これも条件による。高速で走り回りつつボールを受けているチームは、成功率が落ちるはずだから。

 日本歴代最強のこの代表の、その出生の秘密に触れてみる。言うまでもなく、「土壇場のあの変身」についてだ。「前からの全員プレス」が「2段構えのブロック守備」にどこで、どう変わったのか。これに関わって二つのエピソードが出ている。当然のことながら、選手側からと監督側からだ。
 前者はこう。まず、スイスの合宿で選手を代表して川口ら数人が監督にこう迫ったようだ。「あれほど前から全員プレスをし続けなくても良いのではないか。最後まで持たない。もう少し、ゴール前のブロック守備を取り入れて欲しい」と。ここから始まった話し合いの結果として、監督が結論的にこう語ることになったらしい。「我々は、本田のシュート力とキープ力を生かすために布陣を変える。前からのプレスを減らして、その分ブロック守備を敷く。本田を前からのプレスにあまり使えない以上、それがベストだと考える」。こうして「4-3-3のゼロトップ・阿部のアンカー」が誕生したということだ
 さて、これが今のチームにぴったりと合っていた事は確かだが、今後もこれで行くかとなれば、別の話。DFにスピードのある人間が発掘されていけば、変化もあり得る。ただしそれでも、オシムが目を付けた勤勉・規律・敏捷性は日本人サッカーの特長であり続けるだろうし、体がない分アンカーは必要なのではないか。阿部の発掘は、それだけ理に叶ったものなのだろう。

 俊輔、長谷部、本田は、20歳でいち早く世界水準に達していた中田英寿を見習いつつ育ってきたと述べている。今度は、長谷部、本田を見てどんな選手たちが育ってくるか。いずれにしても、日本人の体質・文化・風俗に根差したサッカーということであるならば、スピード、瞬間走力こそ今後最大のポイントになるはずだ。爆発的な瞬間走力に耐えうる技術をも前提として。奇しくもこの典型が、Jリーグに誕生している。石川直宏(FC東京)の大活躍のことだ。あのタイプが、今後のFW、攻撃的MFの代表選手、希望の星になっていくのではないか。石川はオランダのロッベンに似ている。

 さーこれから、ベスト8からの闘いを見るぞー! 僕が最も興味を持っているのは、ガーナ。あれだけのパス回しは、アフリカにはかっていなかったチームではないか。きわめて組織的で規律があるのだが、監督がセルビア人と聞いて、納得した。ミロバン・ライェバツ。調べてみたらストイコビッチより1世代上で、同じレッドスターベオグラードの監督経験があるらしい。
 オランダがブラジルに勝って欲しいが、まず無理だろうな。ブラジルの監督、ドゥンガに抜かりがあるわけがないと、そんな気がする。Jリーグ歴代最強チームと言われる2000年前後のジュビロ磐田の大黒柱・名ボランチ。同僚を罵倒する猛烈な口うるささで鳴らした、大局が見える指導好き。守備にも走り回る中山とか、「走力を倹約した」福西とか、その他高原、前田遼一らは、彼の名残をとどめていると言われている。
 また、パラグァイがスペインを負かしてくれないかな。そしたらちょっと溜飲が下がるが、まーこれは無理だろうか。同じ意味で、オランダの大活躍も見てみたい。スナイデルの長距離シュート。あれがブラジル戦で決まり結局優勝などともなれば、川島も少しは慰められるだろう。』
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駄目だこりゃ 1970

2017年11月15日 06時40分57秒 | Weblog
ハリルジャパンさんは全く攻め手がありません。
かと言って守り倒せるわけでもない。
後半の失点はベルギー2人だけで獲られたもの。
確実にザックジャパンより劣化したと言っていい内容。
まさか本番は3試合ドローの勝ち点3を目指してるんじゃないよな。

とにかく今のように中央でボールを取るだけの山口、井手口を使うのは意味がない。奪ってテキトーに蹴っ飛ばして終わり。
デブライネさんが激怒していたベルギーはメキシコ戦と同じように劣化3バックからボールを回して組み立てる戦い方でハメるチャンスは幾らでもあった。
更に3バックはスピードも無い。
早い話がどうぞチャンスを作って下さいと言ってるようなもの。
メキシコはその相手から確実に3点奪った。

山口、井手口が確実にバイタルにパスを供給出来ていれば日本も得点は出来たんだよ。
しかし、それが出来ない。出来ないから長澤君が2人の所までボールを貰いに下がるようになった。彼はバイタルの中で活きるタイプ。せっかくの出来の良さもゴールから離れた場所では無駄になる。おまけにボールを貰った浅野はパスも出来なきゃシュートもお粗末。
あれでは大迫ワントップで潰れるのも意味がない。

今日のベルギーDF相手に無得点なんだから、もうこのシステムは止めろ。
やるだけ無駄だ。
本番のポット1~3のDFはこんなものではない。
得点の匂いがする選手を揃えて作り直せ。

浅野の技術じゃW杯は100年早い。
岡崎が泣くぞ。
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浅野、井手口、山口www 1970

2017年11月15日 05時40分52秒 | Weblog
サイドからクロスを上げられない浅野。ついでにボールも収まらない。
へなちょこパスの井手口。
ポジショニングがハチャメチャの山口。

ベルギーの酷い3バックが散々やらかしてるのに、それを凌駕する日本の3人。
この時期に涙が出るなw
ザックの時は遠藤、本田、岡崎でこのチーム相手に振り回せたんだが。

足が速いだけでいいなら浅野じゃなくてケンブリッジ飛鳥や桐生君に代表入ってもらえよ。
ひょっとしたら足技も浅野より上かもよ。

後半2点獲れよ。
相手はザルだ。
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日馬富士の馘首にかかわって   文科系

2017年11月14日 13時49分21秒 | Weblog
 大相撲の日馬富士、間違いなく馘首であろう。
 以前にも、民間人に暴力を働いた朝青龍の馘首があったが、大相撲は身体芸術文化としてのスポーツを愛する僕から見ると、大変に不条理な、おかし過ぎる世界。大好きな正統派スポーツ評論家・玉木正之なら、間違いなくこんな批判を始めるだろうというものをもっと厳しくして、一言。

 相撲も野球も、日本では歴史的に、興業の側面が強すぎる。見世物、商売ということである。ちなみに、野球は違うという人がいるが、これは以下のように無理解というもの。その点を今は先ず脱線して、少々述べてみる。
 野球は、プロ野球が社会人、学生などのそれを歴史的に金でほほを叩くようにして牛耳ってきて、アマチュア・学生野球との間で過去にどれだけトラブルを起こしてきたことか。アマチュア野球界でプロの横暴を憎む人々が後を絶たなかったはずだ。国民スポーツとしての配慮、発展を図るという姿勢がプロ側に少なかったということだろう。というよりも、金と職業だけでアマチュア、学生を引っ張れたから、サッカーのようにはアマチュアとプロとの連携的スポーツ発展意識が醸成されては来なかった。
 しかも、こういう体質のプロ野球にもう一つマスコミ(新聞社とテレビ局との商売)が絡んできたから余計に商業主義の弊害がもたらされてきたのではないか。マスコミ上げて新人入団、ドラフトを扱うのも野球だけ。ほぼ野球だけで食っている新聞も多いから、こんな習慣も無数にあるのだ。そもそも読売、毎日、中日などは、歴史的に球団の主人でもあった。このマスコミ側面は、マスコミの公器性を損なう点さえ創ってきたのではなかったか。国民スポーツという真の公共性に違うような側面が多々存在してきたということをマスコミ関係者が胸に手を当てて考えて欲しいものと、折に触れて常々愚考してきた。

 さて、大相撲である。スポーツとしてみた場合でも、あんな体型が推奨できるわけがない。それも、引退後に体型を直すべく精進できる人も少ないらしくて、みんな早死に。近代スポーツ精神に違うこと甚だしいと観てきたものだ。
 さらに、「無理偏に拳骨」というあの封建的体質は、ほぼ戦前の反民主主義社会の伝統のまま。だからこそ、こんな暴力事件は日常茶飯事に起こっているのだ。加えるに、男芸者という伝統的言葉もあるくらいの金持ちへのあのタカリ体質、構造! タニマチという言葉をよく聞くが、これらすべて、徳川時代の大名、大商人などに小遣い貰った伝統をそのまま残しているということでもあろう。近代化以降は、政財界人やマスコミへのタカリを商売にしてきたのだし、一時は演歌世界の興業などと同じで、反社会的団体との関係も取りざたされたこともあった。
 これらがあの素晴らしいスポーツをどれだけ毒してきたことか!

 スポーツと言いたいのなら、例えば、体重制限をすればよいのだ。階級制というのではなく、これこれの体重に留めることというような。そんな近代スポーツの概念もろくに入っていかないあの世界は、スポーツとも文化とも言えないと思う。どんなスポーツも「アスリートというのは早死にする」のは確かだが、とにかくあの体重は酷すぎる。それも、金櫃(かねびつ)を1人でも多く生み出すためにこそ、「食え、食え。飲め、飲め」と育て上げていく。まるで超高く売るためのフォアグラや和牛ではないか! 近頃の健康志向にこんなに反していて、何の「国民伝統スポーツ」であるか。だからこそ、僕が中学時代の昼の放課などに大いに楽しんだ光景は今はどこにもなくなったのであろう。こんな「日本の伝統」世界は今や、僕にはただ恥ずかしいだけである。
 そう言われたくなければ一例として、引退後は皆が正常な体型、体質に戻るように、相撲協会が責任を持って指導すべきだろう。今のままのあんな「伝統」の色々は全く好きにはなれない。何の反省、改革もなく、ただ惰性で金持ちにたかって食いつないできた世界、そんな気がしてならないのである。
   

 
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ハリルジャパン(131)ワールドカップ奮戦記②  文科系   

2017年11月14日 10時14分42秒 | スポーツ
 このブログが始まった2005年から、3回のワールドカップがあった。その戦評として、その都度ここに拙稿を載せてきて、それを今連載している。第1回目は昨日、ドイツ大会分を載せた。第2、3回目は南ア大会の拙稿をそのまま載せる。僕はスポーツを、身体芸術という最重要の人間文化の一つとして捉えているので、少しでもお楽しみ願えれば特に嬉しい。
 なおこの大会の結果は、以下のようなものであった。カメルーン戦が1対0、オランダ戦が0対1、デンマーク戦が3対1と、全て格上を相手に2位通過。そして決勝トーナメントでは、南米のパラグァイと延長90分0対0でPK戦になって、敗れた。
 この大会は、直前の土壇場になって守備的な組織替えを敢行したことで、サッカー雀も大議論になったもの。本田、松井、大久保を先陣に置き、阿部をアンカーに据えて、岡崎、俊輔、内田が先発を外れることになったのである。そんな結果が、僕自身も予選段階を批判して止まなかった岡田監督の、ベスト8もすぐそこというような、あの大成果。まー嬉しかったこと!


『 サッカー代表、南アワールドカップを振り返る ①  文科系  2010年06月30日

 パラガイ戦の戦評は、あのゲーム自身と同じように難しい。世界のサッカーマスコミでも、評価が分かれている。点取りのアイディアを中心に見れば両チームとも低評価になるし、チームとしての総合力で見れば日本ということになるらしい。オシムが「日本は、ミルクをこぼした」と表現したり、ヒデが「日本のが実力は上」と述べたりしたのは、玄人的な後者の評価なのだろう。またこの両者ともが「日本はもっと攻められた」と述べているが、とにかくそのことについて書くのが、このゲームの焦点であるべきだろう。

 まずこういうことだ。大会直前にあの守備を確立したからここまで来られたということを考えれば、今回に関しては無い物ねだりとも言えると。このことは、岡田監督も自分の責任として、認めている。
 岡田監督はこう述べた。
「点が取れないのは一つだけの理由ではない。それでも、前半途中から遠藤を前に出すとか、守備の要・阿部を憲剛に替えるとかして、リスクを冒した攻めの采配はした積もりだ。それ以上は監督としての僕の力不足。執着心が足りなくて、選手に勝たせてあげられなかったということだ」

 さて、南ア大会の準備段階も含めた日本全体の総括はどうなるか。まず、日本史上最強チームが土壇場になって生まれたことは間違いない。その最強チーム誕生には、2つの要素が絡んでいると思いつく。
 1つは、日本に適した守備体制の発見。過去にもまして強いチームばかりと対戦し、1ゲーム当たり失点0.5というのは特筆すべき事だろう。その検証が第1の課題だろうが、アンカーに阿部という人材を置いたことも慧眼で、きわめて大きかったと思う。評論家などからは稲本という声が圧倒的に多かっただけに「なぜ阿部がこの守備組織に適していたのか?」は、「日本にあった守備体制とは?」の問題としても今後きちんと総括しておくべき重要事項だと思う。ちなみに、ブラジル出身の名監督シャムスカは、既に今年初めから阿部を推薦していた。また、この阿部が成長期においてオシムに育てられた人材だということも明記しておくべき事だと思う。

 2つ目は、数人の柱が誕生してきたこと。点取り屋・岡崎の誕生がなければ予選段階の困難はずっと増していたと思われる。次いで、本田、長谷部、松井、俊輔という海外組の活躍だ。海外組がいないと急に弱くなったとは、予選段階からはっきりしていたことだったし、本大会のぎりぎりの所ではいつも彼らの活躍に助けられていた。これらの人材の諸能力を、その世界レベルへの成長過程を聞き取ることなども含めて、きちんと追跡・検証すべきではないか。
 
 最後に今後の攻撃、点取りの方向である。「人もボールも走るサッカー」とは、オシムの造語だ。そのオシムは、この「人もボールも走るサッカー」の基礎を教え、これを攻撃法、点取り法にも適用しようとした矢先に倒れた。そのオシムは今、こう述べている。そういう日本的サッカーの確立には、もっとスピードのある選手を発掘すべきだと。技術的スピードは日本にはある程度の水準があるのだから、瞬発走力としてのスピードのことなのである。例えば、岡崎やオランダのロッベンのような。岡崎の大化けの原因は「走り出しで勝負」にあるのだし、ボールを持って走り出したロッベンは止められないというようなものだ。今や世界的強豪クラブのエースと言われる選手ならば、ロッベンのような選手か、メッシやジダンのようなターンなど技術的スピードに特に優れているか、どちらかである。なお、現代サッカーには守備にもスピードが要求されるのであって、長谷部、長友、阿部らの活躍は、彼らのスピードを抜きには考えられないのではないか。

 岡ちゃんが、協会に対してこの3年間の卒論を書くそうで、それをとても楽しみにしている。また来年は、南アメリカ大陸のコパリベルタドーレス杯争奪戦にメキシコとともに日本が招待されたと聞いている。代表新監督が誰になるのか、とても楽しみだ。ついては、今回の結果から考えても案外日本人でも良いと思った。土壇場で守備重視に切り替えて間に合ったというのは、日本人のメンタリティーに通じていなければあり得ないことだと考えるからだ。日本人ならばガンバ大阪の西野が、実績で頭抜けている。日本人を良く知っているオシムも、ガンバのサッカーを褒めていることだし。


(海外大会で唯一決勝トーナメントに出たのがこの南ア大会。南ア大会をもう一度続けます)
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ご立派、公明党が正論を吐いた!   文科系

2017年11月14日 10時00分22秒 | 国内政治・経済・社会問題
 正論の内容

『改憲には国民の3分の2を超える賛同が前提となる』
 (改憲に必要な)国民投票過半数ぎりぎりでは大きな反対勢力が残ることになって、国民的議論が煮詰まったとは言えないとも説明している。これは現在非常に重要な見識ある政論だと愚考した。
 国会の自民党絶対多数は小選挙区制がもたらしたものであって、その絶対得票率は半数を割っている。改憲に必要な「国会議員の3分の2」がこういう内実では、国民投票が過半数ギリギリで通過しても改憲はダメと、そういう議論、問題提起なのであろう。
 この議論は、憲法というものの性格から考えても正論であると言いたい。憲法の世界史的誕生理由は、主権者・国民の基本的諸権利を守るために為政者はこれだけのことを守れと、国民が為政者を縛ってきたというもの。為政者が、常に独走しがちだったという歴史的教訓の産物なのである。よってまた、通常の法律などとは違い、「代議制を通じて国民が決める」諸法律の根幹なのである。そのようなものを、たった一時国会で3分の2議席が出来た瞬間に、過半数国民賛成と言うだけで慌てて通してしまうようなものではないはずだと、そういう正論なのである。

 小池氏も同じ立場?

 そう言えば、小池百合子も総選挙直前に安倍政権に対して、こんなことを述べていた。「安倍政権の改憲論議は、9条に拘りすぎている」。この小池と公明党が都知事選、都議選では協力し合ったと、そのことも今、僕は思い出すのである。つまり、公明党も小池百合子も、安倍の「9条スケジュールありき(主義)」が少なくとも国民反発を招くと恐れているのだろう。公明党の「国民3分の2」論議は、そんな中から出て来た正論なのであろう。僕から観てもまさに有難い、大変嬉しいニュースであった。

 こんな夢を見たい

 以上の情勢から、僕はこんな夢を見る。こんな大きな問題で、こんな時宜に叶った賢こすぎるほどの論議を編みだしたのは誰で、誰が公明党に入れ知恵したのだろうか、などと。丁度文科省の前川氏の正論による安倍政権への反逆を観たばかりだから、こういう「改憲論議」を持つ高級官僚たちの存在、出現を夢見ざるをえないのである。内閣人事局を創ったが故に、官僚たちを己の掌の上で強引に踊らせ続けてきたと、そういう安倍のやり方に反発を感じる官僚たちがまだまだ存在するのではないか、と。
 そう言えば、内部昇格人事が慣行になって来た内閣法制局長を外務省から強引に移動させたっけとか、「関係書類は破棄しました」と言い続けた大蔵官僚を筆頭局長に強引昇格させたっけとか、その他諸々の荒技も思いだすのである。前川氏と同様に、こんな正義も法もない内閣のやり口に唯々諾々と付いていくのは誤り、一度きりの人生の無駄遣いであるから職を賭してもと、そんな人々が他にも出てこないかな、とも。

 ということなどなど良い夢を見させてくれたほどに、公明党今回の提起は、歴史に残るような正論であると言いたい。
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