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憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

サッカー 名古屋・東京戦を観た  文科系

2020年11月16日 15時20分30秒 | スポーツ

  昨夜標記の3位東京と4位名古屋との闘いがあった。3位までが出場できるアジアチャンピオンズリーグ戦にどちらが出られるかという可能性を引き寄せることになる勝負であって、結果は名古屋の1対0勝ち、勝ち点で東京に2点差を付けて3位に上がることになった。まさにそういう勝負に相応しい激しい名勝負だったと思う。

 シュート数で圧倒した前半は名古屋の大攻勢、後半はやや東京攻勢と言えようが、とにかく目についたのは名古屋の激しい守備である。米本、稲垣という両ボランチが強いし、マテウス、オジェソクがまた身体を張って、負けない。流石に、1ゲーム当たり失点1を割るチームだけのことはあると、感心して観たものだ。   

 先ず前半は、この中盤守備におけるボールの奪い合いで名古屋が圧勝していた。確か、前半35分ほどまでのシュート数で7対0という局面にいたったのも、中盤コンパクト陣形同士のボール争奪戦において名古屋が中盤から一歩も引かぬという組織・技術によって東京を圧倒したからだ。特に活躍が目立ったのが、東京から名古屋に来たボランチの米本。細い身体なのに、相手とぶつかり合って身体を入れる技術によって敵ボールを味方に引き寄せてしまう。まるで、組織としてボールを奪う場所とチャンスを嗅ぎつける鋭い嗅覚を持っているようだ。     

 ケガをした金崎がいない名古屋の攻撃は、阿部とガブリエルシャビエルに、マテウスと前田。このゲームではみんな良かった。よく利いていた組織的守備に彼らも皆参加しているからボールも良く回ってきて、そのままゴールにも迫っていく。このゲームでは特に、阿部とマテウスが目立っていたと思う。
 得点はたしかロスタイムに入ってから。右から持ち込んだボールをマテウスがフリーな感じで上手く受けて、右のやや角度がない遠い位置から強烈なシュート。これが、ブロックに向かった高萩の腕に当たってしまい、PK。その得点である。

 東京の長谷川監督は「マテウスの個人技にやられた」と述べたようだが、ちょっと違うと思う。シュート数で7対12とやられていたのは、上記のようなボール奪取戦で負けたのは明らかであって、良い位置でボールを奪われて良いシュートにまで持ち込まれていたという典型的な闘いだったのだと思う。阿部ら前4人が、その繋ぎが凄く良くて、良い選手たちだなと見とれていたら、今朝の新聞にこう載っていた。「これは、次戦以降の良い武器が見つかった」。守備の国・イタリアから来た唯一のJ監督・フィッカデンテの言葉である。僕はこの監督を買っていなかったが、これだけ最新型の良い守備を見せられては、ちょっと見直したもの。この監督、日本に来て初めて新境地を切り開けたのではないか。そう期待したい。

 この監督は東京時代など、もともと繋ぎ攻撃の上手い人。それが「良い守備からこそ良い攻撃も」という現代的戦い方を身につけたとしたら、この名古屋は有望である。

 

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また下がった購買力平価GDP、日本33位  文科系

2020年11月14日 11時41分29秒 | 国内政治・経済・社会問題

 国民1人当たり購買力平価GDPを、このブログでずっと問題にしてきた。先ほども、これで一つのエントリーを書いたばかりだが、今までの僕の論議は2018年のIMF統計数字で行ってきたもの。今調べたら2019年IMF統計資料が既に存在していた。日本は31位からまた33位に落ちている。18年度は日本31位で韓国32位だったが、とうとうこれが逆転したのである。韓国30位で、日本33位になった。台湾などはとっくに日本を抜かして、今や20位で。

 これでもって「景気は上向きが続いてきた」って、一体どんな景気だったのだろう。こんなところにも、日本政府得意の統計数改ざん、世論工作を感じざるを得ないのである。

 ちなみに、僕が見た統計数字では、各国数字の変遷(1990~2019年)のランは消してあった。日本も韓国も見られない。多分全部消したのだろう。つまり、どの国も見えぬようになっていた。誰が、どうやって消したのだろう。IMFのその表の説明には、「これこれの方法で推移が見られるからそうせよ」と書いてあるのに。ひょっとして、これも日本政府の国内向け工作? そりゃ、1995年辺りの日本は世界の3~5位からここまで落ちたって、政府は国民に知られたくないよな! なんせ「経済の安倍」だそうだから。なのに、自身最大の経済目標「インフレターゲット2%」が初めに約束した「2年内に」どころか、いつまで延ばしても実現できず、とうとう2%を消してしまったぐらいだから。

 つまり、95年辺りのように国民1人当たり購買力平価GDPが世界3~5位のままであったら、日本の男性結婚率も出生率も下がらず、小国化は免れていたろうという話。

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日本国最大の弱点を論議して・・・  文科系

2020年11月14日 10時38分05秒 | 国内政治・経済・社会問題

シン君、とおりすがり君へ。

 6日の拙エントリー「政府が隠す日本貧困化の証」に、反論コメントを書いてきたよね。とおりすがり君とは、こんな論議になった。

『 Unknown (とおりすが) 2020-11-11 15:21:09
三十年近くにわたって、世界最大の債権国なんだけど、文ちゃん論は、見ないフリだよね。

無知だ (文科系) 2020-11-11 19:22:25
 またまた、馬鹿だね。国とか企業とかの債権がどれだけ多くとも、どんどん増えている貧しい日本人若者についての上の悲しいエントリーを否定できたことには全くならないでしょ。
 それはちょうど、このことと同じ。GAFAの株式時価総額がどれだけ多くとも、アメリカの黒人が貧しく、中南部の白人からもかってない数の貧乏人がどんどん出ていること。これが国としてどんどん恥を強めている事にはかわりはないのだよね。
 君の論理だと、隣の人が大金持ちなら、自分がどれだけ貧乏で結婚など望めなくても、嬉しいって?? これ、ホントに、嬉しいの?』

 シン君と来たら、僕の1人当たり購買力平価GDP「日本31位」に対して、「日本国の総GDPが世界4位だぞ!」と反論してきた。これに「1人当たりがいくら金持ちでも、人口が少ない国は貧乏になるの?」と反論したら今度は、「上位は、原油国や小国ばかり」という反論だ。原油国や小国でも、1人当たり金持ち国は金持ち国にちがいないのに、それを否定できたつもりなのだ。これは国民1人当たり購買力平価GDPを、格差の問題などとごっちゃにしたりもして反論できたつもりなのだ。それで僕は、こう反論した。

『めちゃくちゃな文章 (文科系) 2020-11-13 20:31:24
 50歳になっても一度も結婚できないのかしないのか、そういう男性がとにかく4人に1人に近づいて居るという事実がある。その理由が、これだとは政府も認めていると著者は述べている。
『「収入の低い男性は結婚相手として選ばれにくい」という指摘は事実』
 かくして日本が、資料が残っている限り最速の小国化へ向かっているのだ。出生数そのものが史上最少になっているからね。
 こういう事実に対して、一体君は何を語ったの。例えば、嬉しいのか、悲しいのか。胸に手を当てて考えてごらん。めちゃくちゃな文章というだけでしょ。例によって、勝手なことをダラダラ書いてるだけ。』

 日本という国の評価についてとても大事な論点と僕は思っているから、改めて反論を付け加えておく。

   全体主義、権威主義政治かどうかは、その国の善悪にとって一つの大事な観点。中国は全体主義国だし、日本は「先進国としては、ソフトな全体主義国」である。そして、このことと同じほど国評価にとって大事な観点を僕はここで描いたつもりだ。
 購買力平価国民1人当たりGDPが世界5位ほどから31位へと、先進国では珍しいほどに急激に貧乏にもなって、格差も酷くなり、先進国アメリカと並んで相対的貧困者が多くなった国が日本だ。結婚相手に選んでもらえないほど貧乏な男性が増えすぎて、統計に残っていないほどの出生数減から、一路小国化に向かっている国でもある。望んでいても孫が持てずに、途絶える家がどんどん増えているということだろう。息子一人だけの家の四つに一つは子孫が途絶えてしまうわけだから。

 以上のことは、今の日本国最大の不幸、よって国に対する最大批判点の一つだと僕は考えるのだが、改めて、どうなのか。

・日本の購買力平価国民1人当たりGDPが、この25年ほどで世界5位前後から31位にまで落ちた。

・50歳まで一度も結婚したことがない男性が4人に1人に近づいている。

・日本の出生数は残っている統計史上最少で、今のままだと一路小国化に向かっていると言える。

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喜寿ランナーの手記(327) 記録の伸びとその走法  文科系

2020年11月13日 00時32分59秒 | スポーツ

 去年12月にブログ友達のランナー、げたのうらさんの言葉をきっかけとして始めた新しい走法が、やっと出来上がってきたと言える。去年78歳にして、それまで慣れ親しんで来た走法を変えるというのは大変勇気が要る変更だったが、新走法に必要な筋力強化も含めて、とうとうここまで来たとの感慨がある。その現段階と、改めてその走法箇条書きとを記してみたい。

 この10日に大幅にタイムを縮めたわけだが、先ずその経過を書いてみる。
 9月29日今年初めての外走りが、キロ7分29秒、84センチ、140bpm。これは、ウオームアップとダウン含めた8キロ強のうち間の5キロの平均記録であり、以降もすべてこのやり方の間5キロのものである。
 ちなみに、暑い季節の間ジムランだけでやってくると、秋口の外走りは大変苦しいものであって、こんなところから始まっていった。
 10月2日7分14秒、13日7分5秒、17日7分3秒。そして、以降は本格的に攻め始めて、21日6分43秒、23日6分40秒、11月4日6分34秒、そして10日6分19秒になった。もちろん、この間にも外走りやジムのLSDとか、頑張ったが記録が落ちた日などがいろいろ挟まれている。10日のこの6分19秒は、僕にとってはとても意味が大きくって、18年12月11日の6分12秒以来色んな試行錯誤や故障があったりして、初めて6分30秒を切ったものになる。ちなみに、この旧記録と10日の他の数字を比較すると、ストライドは92センチから89センチへ、心拍数は160と161bpmになる。この10日の走りの方がかなりピッチ数が多くて、180にかなり近かったのではないか。よって今は、2年前の6分12秒を抜いてどれだけ6分に近づくかと、そんな時なのだと自分に期待しているわけだ。

 さて、こういう実績をもたらしたこの走法はこうまとめられる。
①前へ進む力は蹴り足で生み出し、蹴った反動で腰を前に出す以上には、無理して脚を前に振り出さない。無理に前に出して膝を曲げると、その膝を伸ばそうとするその分、その瞬間には身体の前進力にブレーキがかかってしまう。
②「蹴り方」の感じは、着地時に膝を伸ばして足裏全体で地面をつつく。自分のストライドに合わせて一番軽くポーンと地面をつつく。ついては、今まで160と少ないピッチ数で走ってきた僕だけれど、ストライドよりも180近いピッチで走った方が同じスピードの心拍数は少なくなるから楽である。
③上半身の運びは「顎を引き真っ直ぐ伸ばして前傾させた上半身をへそから前へ」という表現が良い。蹴った足の反動で遊んでいる足の浮いた腰骨を高く保ったまま前へ運ぶ。腕、肘を後ろに速く振るとピッチ数も、「臍、腰から前へ」も上手く行く。
④この走り方は「(推進力としての)地面つつきが一瞬のこと」だから、左右の脚連係が案外難しい。「前脚をつついた瞬間に、後ろ(だった遊び)脚の腰骨・その膝が自然に延びてこれのつつきに備える」感じが掴めないと、スピードを殺すことになるからだ。これがまずいと、ストライドが狭くなったり広すぎたりして、脚のいろんな筋肉にもどこかに無理が出てくることにもなる。

 さて、6分12秒を切って、キロ6分にどれだけ近づいて行けるのかどうか。自分でもとても楽しみだ。そんな期待を持ちながらの12日は、ジムへ行ってジャスト90分、12キロのLSDを、上の走り方の通りに厳格にやってきた。マシン走りだと10キロ時でも(この日はインターバルもやったから、10キロ時でも走っている)息も楽にもうスタスタと走れていた。

 

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書評 「米中金融戦争」(3)  文科系

2020年11月12日 09時28分49秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 「米中金融戦争」の現在  

 

  2019年8月、アメリカは中国を「為替操作国」と指定した。1ドル7元というドル高元安を突破した翌週のことだったから、この時に米中貿易戦争が為替ルートにも及び、米中金融戦争に発展したと、著者は言う。そして、こんなことを付け加える。
『貿易はゼロサムゲームであり、不公平は許されないのですが、米国は自国通貨が基軸通貨であるため、各国からの投資を集め、結果として通貨価値が上昇し、自国通貨高となりやすい傾向があります。
 そのため、基軸通貨性の代償として、貿易では他国に負ける宿命にあると言えます。基軸通貨として通貨覇権を握ることで、世界中から大きな投資フローを呼び込みながら、一方で貿易面で中国や日本にも勝つ、という究極の「おいしいとこ獲り」は本来ありえないことなのですが、中国を「為替操作国」に認定したトランプ大統領は当然、その点には言及していません』(P175~6)

 ところが、この「為替操作国指定」をば、翌2020年1月に米国は解除している。このことに関わる事情を、著者はこう説明する。IMFを巻き込んで中国への厳しい各国世論を形成しようとしたのだが、上手く行かなかったのだと。
『これまで米国寄りの立場を鮮明にしてきたIMFが、米中為替対立において、米国になびかなかったのは衝撃でした。これに米国も、相当な危機感を覚えたはずです。・・・
 そして、ここに来てようやく、米国は対中政策を改めるしかないと結論づけました』(P182~3)
『これは一見すると不思議に思えるのですが、当然の帰結だと思っています。
 なぜかというと、米国は基軸通貨ゆえに常時ドル高に苦しんでいるため、できればドル安に誘導したい。中国は人民元安が資本流出を引き起こすことを恐れているし、人民元の国際化のためには人民元高でも良い。実のところ、米国も中国も、ドル安人民元高で、まったく問題ないのです。・・・
 このような力学が現在のドル人民元相場にかかっていることは、人民元を取引される方や、中国と取引のある企業は必ず押さえておいたほうがいいでしょう。
 まだまだ、人民元安が進むと考えていると痛い目を見る可能性が高いのです』(P184~5)

 

 こうして、近い見通しの原理を語ることになるのだが、こんなことが続いてくる。
・バイデンになっても対中強硬路線は変わらない。つまり、ドル安人民元高は続いても、元の国際化はあくまでも妨害する。
・ただし、トランプなら大きいドル安、バイデンなら小さいドル安。
・アメリカが香港へのドル供給をやめ、香港ドルの対米ドル安定策が崩れることを世界が恐れているが、米にとってこれは最終策である。各国のドル離れが進むからだ。
・中国は、第2の香港を模索しているが、これは時間がかかることである。
・とそうこうしているうちに、この7、8月で、香港ハンセン指数は下がり、上海総合指数は上がり、S&P500指数は微増。

 

 なお、こういう米中金融戦争時代における日本について、こんな記述をご紹介しておきたい。この点でも、日本という国はマルクス・ガブリエルが言うように「ソフトな全体主義国」なのである。

『日本ではおおむね自国の見方しか報じないので、反対サイドの認識や意見がまったく報道されない分、国内の情報はコントロールされているということを日頃から認識することが重要です。・・・・勝てるディーラーというのは、日銀やFRBなどの要人の発言や一挙手一投足をつぶさに確認し、そこから自分なりのシナリオを描いて投資を行うものです』(P178)

(終わり)

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喜寿ランナーの手記(326) キロ6分19秒  文科系

2020年11月11日 07時31分50秒 | スポーツ

 前々回こう書いた。4日の外走りで、いつものようにウオームアップとダウン含めた8キロほどのうち、間の5キロをランニング・ウオッチで計った結果が、キロ6分34秒までやっとたどり着いた、と。ストライドは92センチ、平均心拍数157だった。
 そしてさて、10日の外走りで4日と同じコース、同じ走り方をした5キロが、こんな結果になった。キロ平均6分19秒で、ストライド89センチ、平均心拍数161と。この結果は僕にとって、4日のここに以下のように書いた事に関わって大きい意味を持つことになった。
『ここ2年はずっと、ここからが大変だった。18年12月11日に同じやり方で6分12秒というのがあって、確かそれ以来6分30秒を切ったことはないはずだから。というのも、19年の7月末に胃がんの疑いから「胃腺腫皮下削除術」という手術入院をやったそのブランクから、昨シーズンは回復できなかったのだ。これが元に戻せるのか、それとも6分近くまで行くのはもう無理という不可逆的なものになっているのか。これはこれで、面白い挑戦ではある』

 10日キロ6分19秒から、18年12月11日の6分12秒に伸ばすのは、4日からの15秒短縮に比べれば難しいことではないと、今は思える。その理由は、10日の記録が明らかに1年模索してきた走法変更の成果と分かるからである。どう変えたかを、直近のコメントにこう書いている。

『8日はLSD (文科系) 2020-11-09 21:33:10
 8日は、アップとダウン走を含めて、外走りのLSD10キロ弱を行った。それでも、中5キロほどは、キロ7分で走れていたと後で分かって、ちょっと驚いた。走り方が良かったのだろう。こんなことに気をつけたからだ。
① とにかく、着地の時になるべく膝を曲げないようにして地面をつつくことによって足の着地時間を短くして、②のように前へ前へとスタスタ走る。
② その上で、顎を引いて真っ直ぐにかつ前傾させた上半身をお臍から腰骨ごと前に持ってくるように。
 僕の場合、上を守っているつもりでも、まだ抜けることがたびたびあるのは、こんなこと。着地時の右膝が曲がる。この時は右の地面ツツキが弱くなる。顎が前に出て、胸から上だけが前傾していることも多く、目線が下がってしまう。この時は、脚を無理に前に出すような走りになりやすい。』

 10日は上の諸注意を徹底するために、走りはじめから走法をがらりと変えるよう意識してこんな走り方をした。ストライドが狭くなっても気にせずに、いつもは160ほどのピッチを170ほどに増やして、まさに、前へ前へとスタスタ走った。この走りが、キロ15秒の短縮に繋がったわけだ。両足の着地時間が短かい分スピードが出たせいか、ストライドも思ったよりは狭くなっていないと、これは後で気づいたこと。
 以上書いてきたのはまさに、去年12月頃から模索してきた新しい走法。これがやっと身についただけでなく、それにあった脚筋も付いてきたと分かった。改めて調べてみたら、腿の裏の筋肉が太くなっている。この一年の走法変更の成果だろう。この走法でストライドを1m近くにもしたりして走ってきたのだから。

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書評 「米中金融戦争」(2)   文科系

2020年11月10日 14時45分40秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 戸田裕大著で、この10月1日に扶桑社から出たこの本、副題がこう付いている。『香港情勢と通貨覇権争いの行方』。この著者は三井住友銀行で為替業務のボ-ドディーラーを務めた後、在中国グローバル企業450社などの為替リスク管理に関わるコンサルティング会社を開いたお方である。

 米中金融戦争の焦点である元の国際化の意味を、この本の著者は、企業の儲け方の三方法に例えて、こんな説明をする。
『中国を一企業と考えるとわかりやすいのですが、「製造2025」は売り上げを、「一帯一路」は配当や利息の受取を増やすための戦略です。・・・・
 要するに、人民元の国際化に成功するということは、会社という比喩で語るなら、大型の資金調達に成功するのと同じことを意味しているのです。
 つまり、人民元の国際化がうまく行くと、当然「製造2025」や「一帯一路」などの事業計画に対して、よりたくさんの資金を投下することができるようになります。そうすれば、よりいっそう、政策の成功確率も高まりますし、中国経済の成長の速度を早めることもできるでしょう。
 現在の世界経済において、世界中から資金を集めるという特権は米国にのみ与えられており、ゆえに米国はその確固たる地位を維持しようとしているわけです』(P75~7)

 そういう元の国際化目論見に対して、ついに米中金融戦争が起こされた時というのを、この著者は2015年に見ている。前年までずっと続いた中国国内株急上昇、元高ドル安を受けたこの2015年、中国株の暴落という形で金融危機が起こったのである。また、この2015年から、中国からの資本流出が始まることになった。これ以降の動きを日米などでは従来、中国当局による意図的な人民元安誘導と述べてきたようだが、著者の立場は米中対立の中での投資が細ったというものだ。ちなみに、中国当局は急激な元安を避けるために、以降2017年までの2年間で1兆ドルほどのドル売り元買い介入を行っている。

 ちなみに、僕から見ればこの攻防は、こう見えぬ事もない。元に対する通貨などの空売り攻撃と、これに対する中国の元防衛と。なんせ100兆円を超えるドル売り元買いが中国当局によって行われているのだ。この見方が正しければ、空売りに失敗したアメリカは以降猛反発していくわなーなどと思ったりしていた。

(続く) 

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書評 「米中金融戦争」  文科系

2020年11月09日 15時30分11秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 これは戸田裕大著で、この10月1日に扶桑社から出たばかりの本で、副題がこう付いている。『香港情勢と通貨覇権争いの行方』。なお、この著者は三井住友銀行で為替業務のボ-ドディーラーを務めた後、在中国グローバル企業450社などの為替リスク管理に関わるコンサルティング会社を開いたお方である。

 この本が説く中国の貿易・外交最重要事項が「人民元の国際化」であって、これをめぐる米中の攻防である。というのは、今のアメリカ経済が、ドル世界基軸通貨体制によって維持されているからだ。この2020年前半に世界中の銀行が保有する外貨の59%がドルだとか、国際決済の41%がドルでなされているとかによるアメリカの利益がいかに大きいものか。ドル基軸体制が、これによってドルが多く買われて高値になりその分米の物輸出が少なくなる不利益などよりも、はるかに大きい儲けになるからである。「物輸出で儲けなくとも、ドル基軸体制で儲ければ良い」という国がアメリカなのである。

 ところで、1980年代の日本急上昇に対してもアメリカが「失われた30年」に繋がる日本圧殺(1990年過ぎの不動産バブル破裂が、これのスタートだった)を成功させたが、あの時と今の中国とは全く違う。日本は金融自由化を受け入れたから(対米物輸出なども)大目に見られたが、中国は株売買に、外国資金の出国に許認可制をとるなど資本移動を制限することによって、金融自由化に歯止めが掛かっているのである。中国も(実は日本も)為替操作国であって、いずれも対ドル通貨安政策を採るため「ドル買い」を繰り返してきたことによって莫大なドルを保有しているが、管理変動相場制によって金融自由化をしていない中国に対しては「米金融に中国で自由に儲けさせないのはけしからん」と怒っているわけである。こうして、中国の資本移動制限は、日本の「失われた30年」などの歴史から大いに学んだものであり、他方、今の中国には当時の日本のように投資できる新たなマーケット先は存在していないのである。だからこそ、一帯一路も意味を持つわけだが、中央アジアなどの人口はそれほど大きくはない。                  
 
 この中国経済最大の要求、人民元国際化をめぐってこそ、香港が米中の争点にもなるのだ。その事情を本書はこう語っている。
『一つが中国内で取引される「オンショア人民元」、もう一つが中国外で取引される「オフショア人民元」です。オンショア人民元には資本移動の制限が存在する一方、オフショア人民元は資本移動の制限がありません。・・・・実際にオフショア人民元の75%の取引は香港で行われており・・・』(P115~6)

(続く)

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喜寿ランナーの手記(325) 老人ランは、病気との闘い  文科系

2020年11月06日 21時00分49秒 | スポーツ

 4日に最近の記録目指して目一杯走った(5キロ走が、キロ平均6分34秒)後、疲れが少なかったので5日はジムに行ってLSDをやってみた。久しぶりの2日連続で初めちゃんと走れることを確かめたうえで、ちょうど10キロのマシン走LSDをやってきた。ほぼ全力で5キロ走った疲れは、この年になるとかなりのもの。その翌日に10キロを所要時間73分で走ったわけだ。終わりの方には右膝などに軽い痛みをともなった筋肉疲労を感じたが、普通の連日走なら何とかなると改めて再確認できた。俺の体力、まだ捨てたもんじゃない。

 一昨日から久しぶりに最近数年を振り返っていたが、思えば病気入院、1か月ブランクなどばかり起こっている。16年末から1か月は、前立腺癌陽子線治療の通院で明けた17年早春には、盲腸の手術。18年は小康状態だったが、19年夏には胃がんの疑いから、胃腺腫皮下削除術で一週間の入院(結果はがん細胞なし)。そして、20年夏には両目の白内障手術入院5日間、1か月のドクターストップ。こうしてみると、老人のランニングは、病気との闘いでもあるとわかるのだ。鍛えては病気、また戻しては病気で1か月のドクターストップとか。こんな状態でもすべての病気が早期発見早期治療だったからこそ今また、18年12月11日のキロ平均6分12秒をめざすことができているのだが、はて、実現できるのかどうか。出来るなら頑張ってみよう。こんな試みが出来る心身があることは、幸せというもので。「走れる=健康な心肺、身体」には違いないのだから。今の6分34秒から、今シーズンにどれだけ伸ばせるか、こんな楽しみが持てるのは幸せなことだ。ちなみに、僕がランナーになったのは遅くて2000年の59歳の時だが、2010年には慢性心房細動で心臓カテーテル手術をしている。これも不整脈ランナーには良く起こる病気と覚悟していて、発病後直ちにこの手術を決断、早期発見早期治療によって完治しているからこそ今でも走れているのだ。今なお、期外収縮さえないという完治である。

 

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政府が隠す、日本貧困化最大の証   文科系

2020年11月06日 09時44分39秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 生涯未婚率という言葉がある。50歳前後まで結婚したことがない人の率である。この年齢以上になる女性には出産が望めないところから、政府が取ってきた統計数字なのだろう。ところが、今の日本では、この男性の数字が4人に1人。女性の倍近い率になっている。原因の要は「女性から結婚相手に選んでもらえない低所得の男性」というものだが、この数字と原因を政府はこれまで、徹底的に隠してきた。お役所はもちろん、早くからこの問題に目を付けた社会学者や出版社にさえ、この「低所得原因説」を扱わないように画策してきたのである。
 

 山田昌弘・中央大学文学部教授(家族社会学専門)の光文社新書2020年5月に発行された「日本の少子化対策は何故失敗したのか」にこのことが書いてある。
 『私は1996年に出版した「結婚の社会学」(丸善ライブラリー)の中で「収入の低い男性は結婚相手として選ばれにくい」という現実を指摘している。・・・・・
 当時、これほど評判の悪かった指摘はなかった・・・1990年代後半のマスメディアや政府は、この事実への言及を避けていた。
 政府関係の研究会で、私がこの指摘をしたところ、政府のある高官から、「私の立場で、山田君が言ったことを言ったら、首が飛んでしまう」と言われたことがある。
 当時、大手の新聞では、私の発言の該当部分は記事にならなかった。
 ある地方公共団体に依頼され執筆したエッセーに関しては、担当課長が、削除を依頼しにわざわざ大学までやって来て、頭を下げられたこともある。
 その理由は、「収入の低い男性は結婚相手として選ばれにくい」という指摘は事実であっても差別的発言だから(たとえ報告書であっても)公で発表することはできない、それだけではなく、それを前提とした政策をとることはできない、というものである』(48~49ページ)

 日本政府は何故こんな大事な数字、その原因を隠し続けてきたのか。その理由は自明だ。この数字とその原因にこそ「日本の失われた30年」が凝縮されているからである。そういうご自分らの失政を隠したいからなのだろう。ここ20~30年の青年達の親世帯は、男性の一馬力だけでも普通の生活が維持できたのに、今は2馬力でも子どもを大学にやれるかどうかという日本になってしまった。

 皆さん、生涯未婚率をネット検索してみて下さい。「未婚も悪くない」という文章とともに、これを「バラ色」のように描いたイメージ写真まで付いていますから。こういう「世論工作」を一体誰がするのでしょうか。ひょっとして、政府外郭団体のような所に、税金を使わせて? という事実の背後では、孫の居ない老夫婦がどんどん増えているはず。これは、確実に子孫が絶える家が増えているということなのです。

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日本はそのアメリカを追って来た

2020年11月05日 10時40分59秒 | Weblog

アメリカってややこしい国だなぁ~

 日本はそのアメリカを追って来たと見てきました。物資本主義から金融株主本位資本主義へ。その成れの果て、サブプライム・バブルやGAFAバブル(GAFAの株価総額がドイツのGDPを超えるんです)に習ってか、日銀・GPIFぐるみの大変な官製バブル。よって日本国家が、最大株主の会社ばかりというまるで「変な社会主義経済」のような・・・。ところがその結果は、臨時・パートばかりの労働世界、超格差社会へ。こうしてアメリカも日本も、相対的貧困者が最も多い先進国に。

 トランプの支持者が、元からの南部共和党支持地帯の他、デトロイトなどさびれた旧工業地帯とか、貧困化白人に集中しているということです。

 こうして日本でも、50歳以上で一度も結婚したことがない男性が4人に1人に近づいてきたという有様。この金融本位世界、一体どうなっていくんでしょうか?

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喜寿ランナーの手記(324) やっと9キロ時超え  文科系

2020年11月05日 09時23分52秒 | スポーツ

 4日外走りで、やっと標記の地点までたどり着いた。いつものようにウオームアップとダウン含めた8キロほどのうち、間の5キロをランニング・ウオッチが弾き出した結果が、キロ6分34秒、ストライド92センチ、157bpmと出たからだ。この秋初の外走りが9月29日で、キロ7分29秒、84センチ、140bpmから次第に調子を上げてきて、10月23日にちょっと頑張って6分40秒、91センチ、152bpmまで来た。その後何回かのLSDを挟んで、4日のこの到達である。
 4日のbpm157とは僕にとって最高継続心拍数に近い数字だから頑張ったもんだと思う割には、身体の疲労感は少ない。走っている途中も、こんな高い脈拍数になっているという感じは全くなかったし、走り終えて少々はある疲労感も、明日になれば消えているようなものと感じる。これは、7月1か月の白内障手術ブランクから筋肉もやっと通常ランニング・シーズン並みの平常に戻ったということだろう。

 さて、ここ2年はずっと、ここからが大変だった。18年12月11日に同じやり方で6分12秒というのがあって、確かそれ以来6分30秒を切ったことはないはずだから。というのも、19年の7月末に胃がんの疑いから「胃腺腫皮下削除術」という手術入院をやったそのブランクから、昨シーズンは回復できなかったのだ。これが元に戻せるのか、それとも6分近くまで行くのはもう無理という不可逆的なものになっているのか。これはこれで、面白い挑戦ではある。ここで何度も書いてきたように、年寄りは過去に蓄積された知恵だけはあるのだし、人間の身体って年取っても結構可塑性があるものだと何度も痛感させられてきたし・・・。例えば、去年の12月ごろから走法を変えてきたのは、そういう知恵の一つの積もりなのだ。この「地面をつついて走る新走法」が新たな結実をもたらせてくれるのかどうか。

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小説 俺のスポーツ賛歌(3)   文科系 

2020年11月04日 06時25分14秒 | 文芸作品
 
 定年近くのこんな俺を、同居生活という近くで見続けてきた母が度々口に出していた言葉がある。
『若い頃順調に一直線で来た男性は老後に苦労する。何らか意味がある寄り道をした人の方が豊かな老後になる。人生プラスマイナスゼロにできてるということなんだろうねー』
これは、老後が即余生になってしまった父や、当時既にそうなりそうだった弟を見ていて、母なりに出した人生訓なのだ。ちなみに、先にも見た同窓会誌「桜陰」寄稿にもこんな一節がある。
『同居している次男夫婦も共働きですので、昼間は相変わらずの一人暮らしですが、二人が帰宅し、共にする夕食は楽しく、孤独を忘れることの出来るひとときです』。俺が五〇歳の頃から俺らは同居を始めて、その二年後に父が亡くなったその後の家庭風景を母なりに描写したものである。なお、この夕食時間は俺にとっても忘れられないものになっている。食卓に、母と連れ合いと二人それぞれの二品ずつほどが並んで、華やかな、楽しい食卓だった。なお、四人の兄弟姉妹の中で、両親が最も望まない青春時代を送った俺が晩年の両親と同居したというのは、皮肉というよりはむしろ当然の結果と今の俺は捉えている。博士号を持った外科医である兄は同じ名古屋市の同じ区内に住んで、八十歳を超えた今もなおパート勤務医として働いているが、父母共に兄夫婦とはいろいろあってむしろ疎遠といって良かったからだ。「一直線」の青春を過ごした息子やその配偶者とは、その親もなかなか親しく付き合えるものではないらしい。まして、全国区の大学を出た妹、弟は、それぞれ東京練馬区と横浜高台の自邸に住みついて、名古屋には帰ってこない。全国有数の大学卒業という優秀な子を持つということは、そんな覚悟も要るということである。なお、妹は母と同じ大学の大学院を出ている。


 五九歳の時に職場がスポーツジムの法人会員になったのを機会に、ランニングを始めた。その時に分かったことなのだが、入門して間もなくなんの苦もなく走れるようになって行ったのは、それまでのスポーツ好き、自転車人生があったからだった。自分の最高心拍数の七割程度で走りつづけると最も効率よく心肺機能を伸ばすことができるというランニング上達理論があると後で知ったのだが、素人が継続できる高速サイクリング心拍数がちょうどその辺りに来るものなのだ。つまり、俺はそれまでの自転車人生によってランニングに最適な心肺機能訓練を続けてきたわけだ。走り始めて一年ちょうどほど、六十歳で出た十キロレースで四九分台という記録を持っている。そして今七十七になる俺は、週に三回ほど各十キロ近いランニングをしている。その話が出たり、ダブルの礼服を着る機会があったりする度に連れ合いがよく口に出す言葉がこれだ。
「全部、自転車のおかげだよね」。
 この礼服は、三十一歳の時、弟の結婚式のために生地選びまでして仕立て上げたカシミア・ドスキンとやらの特上物である。なんせ、俺の人生初にして唯一の仮縫い付きフル・オーダー・メイド。これがどうやら一生着られるというのは、使い込んだ身の回り品に愛着を感じる質としてはこの上ない幸せである。よほど生地が良かったらしく、何回もクリーニングに出しているのに、未だに新品と変わらないとは、着るたびに感じる二重の幸せだ。弟の結婚式から父母の葬式までを見続け、「自分の大人時代を今日までほぼ共に歩んできた礼服」。それも今できる品質なんだろうかとか、今作ったらいくらするんだろうとか思わせるような五十年物なのである。こんな幸せさえもたらしてくれる一六九センチ・五八キロ、体脂肪率十二%内外の「生涯一体形」も、「生涯スポーツ」、特に有酸素運動と相携えあって歩んで来られたということである。もちろん俺は、若い頃に医者に教えてもらったポリフェノールのことも忘れてはいない。酸素を多く取り入れ過ぎてきたその手当をしていないスポーツマンは早死にするとは、医者なら皆が語ること。それは酸素とともに空気から取り入れてしまう活性酸素が細胞を最も激しく老化させる有害物質だからである。これを中和してくれるのが、ポリフェノール。かくして俺の食生活は、晩酌が赤ワイン、野菜は馬みたいに食ってきたし、最も多くする間食は、チョコレートに煎茶だ。つまり、こういう食生活習慣がいつの間にか楽しいものになっているというわけである。

 ランニングとサイクリングの楽しさは、俺の場合兄弟みたいなもの。その日のフォーム、リズム、気候諸条件などが身体各部の体力にぴったり合っているらしい時には、各部最小限の力によって気持ちよくどこまでも進んで行けるという感じの兄弟。そして、そんな時には身体各部自身が協調しあえていることを喜び合っているとでもいうような。
 自転車が五九歳にしてランを生み、退職後はランが自転車を支えて、まだまだ長く続いていきそうな七十七歳の俺の活動年齢。パソコンにぶっ通し五時間座っていても腰背痛にも縁がないし、目も大丈夫と、これらすべて有酸素運動能力のおかげ。「パソコン五時間」というのは、現役時代から仕入れて今も続いている同人誌の編集活動に必須の、現に日夜重宝している能力である。文章創作というこの頭脳労働にまた、有酸素運動が威力を発揮している。走った日の後二日ほどは、老人になって特に感じる朝の脳の冴えと同じものを感じ、走らない日が三日も続くとたちまちどんよりとしてくるのである。人間の身体で酸素を最も多く消費するのが頭脳であるという知識を思い出せば、誰にでも分かる理屈だろう。ちなみに、人間個体が窒息死する時、この死が最も早く起こるのも脳細胞であるらしい。

 週に複数回以上走ることを続けてきたほどのランナー同士ならばほとんど、「ランナーズ・ハイ」と言うだけである快感を交わし合うことができる。また例えば、球技というものをある程度やった人ならば誰でも分かる快感というものがある。球際へ届かないかも知れないと思いながらも何とか脚を捌けた時の、あの快感。思わず我が腿を撫でてしまうというほどに、誇らしいようなものだ。また、一点に集中できたフォームでボールを捉え弾くことができた瞬間の、体中を貫くあの感覚。これはいつも痺れるような余韻を全身に残してくれるのだが、格闘技の技がキレタ瞬間の感じと同類のものだろうと推察さえできる。スポーツに疎遠な人にも分かり易い例をあげるなら、こんな表現はどうか。何か脚に負荷をかけた二、三日あと、階段を上るときに味わえるあの快い軽さは、こういう幸せの一つではないか。これらの快感は、たとえどんなに下手に表現されたとしても、同好者相手にならば伝わるというようなものだ。そして、その幸せへの感受性をさらに深め合う会話を始めることもできるだろう。
 こういう大切な快感は、何と名付けようか。イチローやナカタヒデなどこのセンスが特別に鋭い人の話をする必要がある時、このセンスを何と呼んで話し始めたらいいのだろう。音楽、絵画、料理とワインや酒、文芸など、これらへのセンスの存在は誰も疑わず、そのセンスの優れた産物は芸術作品として扱われる。これに対して、スポーツのセンスがこういう扱いを受けるのは日本では希だったのではないか。語ってみればごくごく簡単なことなのに。スポーツも芸術だろう。どういう芸術か。聴覚系、視覚系、触覚系? それとも文章系? そう、身体系と呼べば良い。身体系のセンス、身体感覚。それが生み出す芸術がスポーツと。スポーツとは、「身体のセンス」を追い求める「身体表現の芸術」と言えば良いのではないか。自分の視覚や聴覚の芸術ならぬ、自分の身体感覚が感じ導く自作自演プラス鑑賞付きの、誰にでも出来る身体芸術である。
 勝ち負けや名誉とか、健康や体型とかは、「身体のセンス」が楽しめるというそのことの結果と見るべきではないだろうか。そういう理念を現に噛みしめているつもりの者からすれば、すっかり体型がくずれてしまった体協の役員の方などを見るのは悲しい。勝ち負けには通じられていたかも知れないが、「身体のセンス」の楽しみはどこか遠い昔に置き忘れてこられたように見えるから。その姿で「生涯スポーツ」を説かれたとしても何の説得力もなく、「言行不一致」を免れることはできない。

 さて、こんな俺のロードレーサーが、先日初めての体験をした。直線距離三〇〇メートルとすぐ近くに住んで、今は週三日も我が家に泊まっていく仲良しの女の孫・ハーちゃん八歳と、初めて十五キロほどのサイクル・ツーリングに出かけた。その日に乗り換えたばかりの大きめの自転車やそのサドル調整がよほど彼女の身体に合っていたかして、走ること走ること! 「軽い! 速い、速い!」の歓声に俺の速度メーターを見ると二十四キロとか。セーブの大声を掛け通しの半日になった。
「じいちゃんはゆっくり漕いでるのに、なんでそんなに速いの?」
「それはね、(かくかくしかじか)」という説明も本当に分かったかどうか。そして、こんな返事が返ってきたのが、俺にとってどれだけ幸せなことだったか。
「私もいつか、そういう自転車買ってもらう!」
 そんなことから二回目には、片道二十キロほどの「芋掘り行」サイクリングをやることになった。農業をやっている俺の友人のご厚意で宿泊までお世話になる企画だった。
 人間の子どもの力って凄い。初めての長距離ツーリングなのに、行きも帰りも俺の速度メーターはおおむね二〇~一五キロ、二時間ほどで乗り切った。名古屋市を、北部から南へ縦断して隣の豊明市までというコースだから歩道を走ったのだし、信号は多いし、海に近い天白川の橋の真ん中から水鳥や魚を探すなどの長い休憩時間も二回ほどとったのだけれど。帰りなどはその上、途中にある大高緑地公園遊園地を二時間以上も飛び回ったうえで、さらに一〇キロ近くを文句も言わずに走り通した。けろっとして本人曰く、「私は身体が強いからね!」。初めは半径三キロ以内はこれまでにすべて征服したと豪語できる公園遊びから始まって、自転車から、正しい走り方までも俺が教えて来たこの小学二年生は、五〇メートルを九秒切って走り、二重跳び三十回とかの縄跳びも大好きなのである。俺のスポーツ好きが乗り移ったようなこの子と、まだまだ一緒に遊べる体力を持ち続けていたい。そして今は、やがて青春を迎えるだろうこの子との一日百キロサイクリング、これが俺の夢だ。俺の経験からいって、今のように週二~三日、一回十キロ近いランニングが出来ているならば、一日百キロのサイクリングは容易だと目論んでいる。ちなみに、そういう高齢者は、サイクリングが盛んな英仏などにはうじゃうじゃいる。そして、彼女がその年齢までサイクリングを熱烈な趣味と出来るか否かは、俺が我が父母の教育力をどれだけ換骨奪胎して受け継ぎ得たかに掛かっていると考えている。
 ハーちゃんは二〇一〇年九月生まれ、今はもういない父母はともに一九一〇年九月生まれ、きっかり百歳の歳の差だ。
 
(終わりです)
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観戦記「川崎・札幌、0対2」 文科系 

2020年11月03日 16時12分04秒 | スポーツ

 今終わったJリーグ標記のゲーム、現在ダントツの強者に対して、札幌のゲーム戦略がとにかくお見事! やはり、ミハイロ・ペトロビッチ・愛称ミシャ監督は恐るべし、である。このミシャは、流石過去に広島、浦和を最強チームに育て上げたその人だけのことはある。日本代表の森保は、広島時代のミシャの遺産で代表監督になったようなものだと、見てきたもの。本日ははて、どんなゲームであったか。

 前半から、札幌得意の左右に大きく幅を取ったサイド攻撃が、とにかく鋭いこと! そして、札幌の潰しも川崎に劣らず、激しく、厳しいこと! 0対0に終わった前半だが、シュート数もコーナーキック数も、札幌が圧倒していたはずだ。そして後半に入って、早い内にあげた2得点を見てみよう。17分には札幌から見て右前方4分の3ほどの位置で上手く川崎ボールを奪うと、そこにいた三人ほどでゴールに押し寄せて、得点。次いで20分にも同じように、今度は右ハーフライン辺りで同じように川崎ボールを奪って、やはり前にいた三人ほどで繋いで、右からゴールに流し込んだ。この2得点に共通している点は、こんなところ。

① 川崎が低い位置からビルドアップする時の縦パスを受ける壁になる人間の後ろに札幌の選手が必ず付いていて、受ける瞬間に後ろから猛然と突っかける。するとそのボールが勢いづいて乱れた方向に戻っていく。

② この乱れたボールの付近に何故か札幌の人間が何人かいて、そのボールが彼らに渡って、そのままゴールに殺到と。

 これは明らかに、川崎のお株を奪ういわゆるゲーゲンプレス得点法なのだ。それも、今日のこのやり方の最大特徴は、この二つ。「敵のDFからのフィードを受ける『壁』に激し過ぎるほどに当たって、壁からの戻しボールを乱す」と「乱した時に、前、つまり川崎ゴール側に必ず複数の札幌選手がいて彼らに乱れたボールが渡る」という条件が重なっていた。そして、こういう場面が、この2得点場面以外にも、今日は何度演じられていたことか。これは明らかに、川崎のフィードを受ける壁になる選手を札幌が狙って得点にしようとしていたのだと、僕は観た。 

 それにしても、川崎DFフィードを受ける壁に対して、札幌マーカーの当たりの厳しかったこと。ほとんど反則すれすれと見えるのだが、ああいう両手を使ったハンドオフ付きで後ろから激しく削っていく場面では、反則にもなりにくいのか。ともあれ、世紀の移り目のジュビロ磐田に匹敵してJ史上最強とも言われる今期の川崎に今期2敗目を与えたこのゲームこそ、名監督ミシャの面目躍如という作戦勝ちは明らかである。  

 

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小説 俺のスポーツ賛歌(2) 文科系  

2020年11月03日 03時26分14秒 | 文芸作品
 
 
 兄弟でただ一人一浪の後、文学部に入った大学でも、一年の夏にはバレーボールクラブのレギュラーになった。浪人時代も母校のマラソン大会に出て全学二位になったほどに基礎体力を維持した上で、大学の入学式前から春休み中のクラブ合宿に飛び入り参加をして入学式も欠席という意気込みで始めたクラブなのである。そのレギュラー初陣がまた忘れられないもの。夏休みに静岡大学で行われた中部地方国立大学大会で優勝したのだった。その年、愛知の大学バレーボール・リーグ一部中位に属していた結構強いチームだった。県大会常連のような学業成績優秀校のエースなどが集まるこの大学のレギュラー獲得は当時の俺にとって大きな誇りにもなったし、同時に家からの『自立』のさらに大きな一歩を踏み出すものになった。俺の高校クラブが地区大会一回戦勝ち抜けもできない弱さだったから、この誇りはことさらに大きかった。
 ところが、このクラブを一年の秋には辞めてしまった。当時の俺の意識としては、二つの原因で辞めた。一つは、哲学科の大学院へ行きたくなったこと。今ひとつは、体育会系の人間には、友達にしたい人がいないと見抜いた積もりになっていたことである。当時の俺はどう言うか、人生を求めていた。自分の家に規定された貝殻が小さいとしか感じられないようになった宿借りが、次の大きな殻を求めて歩き始めるように。そして、その大きな要求に、スポーツやスポーツ仲間が助けになるとは思えなかったのである。当時の奇妙な表現だけれど、感情や行動におけるほどにスポーツを大切なものとは、頭の中では捉えていなかったということだ。すごく好きだったし、行動上の熱中度も周囲の他の誰にも負けていないという自信さえ発散していたはずだが、当時の意識ではそれを俺にとって数少ない「面白いこと」の一つと捉えていたに過ぎなかった。

 哲学科の大学院に入ったころ、二人の主任教授のうちの一人がその時の授業テーマの説明としてこんなスポーツ論を語ってくれたことがあった。
「西欧と日本とでは、スポーツについての考え方は全く違います。ロダンの『考える人』。あの筋骨隆々たる姿は、なにも立派な軍人が、あるいは陸上十種競技の名選手が、たまたま何かを考えているという姿ではないのです。そもそも人間が何かを深く感じ、考えるということそのものが、あーいうたくましい筋骨を一点に集中してこそ成されていくという、ルネサンス以来の西欧流『考える人』の理想型というものなんです。対するに日本では、深く感じ、考える人ってどんな人でしょう。芥川龍之介みたいな人を連想する諸君も多いのではないでしょうか。貧弱な身体だからこそ文を良くするというような人。このように、日本では文武は分けられていて、文が武よりも上と、そんな感じ方がずっと多く存在し続けてきました。この頃こそ文武両道とよく語られるようですが」
 なるほどと思った以上に、一種ショックを受けた。この小柄ながら均整が取れた老哲学科主任教授が、大学時代にやり投げの全日本クラス名選手だったとも聞いていたことも重なっていた。
〈文武両道は本来なら比例するという相関関係にあるということだろう。それを言行一致して追求してきた人々がいる。それが西欧知識人の一般教養にもなっている。こういう本気の背後には、こんなスポーツ哲学もあるのだ!〉
自分のスポーツ大好きに大きな意味が一つ、初めて生まれてきた瞬間だった。だが、実際にこの哲学の意味、価値を身体で現し、感じられていくのは、まだまだ後の話になっていく。

 さて、俺が大学院に入ったとき弟は高校三年生で、その三年間はこんな生活を見せてくれた。授業が終わるとすぐに帰宅、勉強。夕食を食べてまた勉強。ただし、週に三つほど必ず観るテレビ番組を決めていて、その一つは「歌謡番組 夢で会いましょう」。しばしの青春時間というわけだが、これら三つでさえ夕食前後の一時間以内。こうして、彼の一日平均勉強時間は七時間に及び、しかもこれが三年間続いたとあって、これらすべてには何というかとにかく驚かされてばかりだった。これは後にはさらにはっきりと分かるようになったのだが、国語ができなくて、家庭教師についていた。英数の家庭教師ならともかく、国語のそれって珍しいということから、何か鮮かに覚えている。俺に言わせれば、この国語不得意は当たり前だ。小学校から大学までこれだけ人付き合いがなければ、文学や古典の字面、文章はともかくその中身が分かるわけがない。それでいて数学実力テストは父の助けもあって愛知県最難関高校でトップなのだから、まー非常に偏った人間なのである。ちなみに、この弟を当時の母が他の二兄一妹にはやったことがないほどせっせと献身的に押し上げていた。この時の母は、これまで努めていた名古屋市立高校教師の職を定年まで五年以上を残して辞めてしまい、専業主婦になった。それは、弟を東大に入れるために世話を徹底しようという望みから決めたことだ。母が遺した旧女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)愛知県同窓会誌「桜陰」への寄稿にこんな一節がある。
『昭和四〇年三月、○○高校退職。高校三年になって大学進学を前にした末っ子に一年間はすべてをかけてみようと、今まで出来なかった教育ママに徹しました』
 母のこの決心を弟がどう捉えたかは俺には全く記憶がないから、まーそんなに異例、異常なことのようには受け止めなかったということだろう。
 こうして弟は、東京大学理科一類に悠々と入って行った。国語の点数不足などは、彼の数学の高得点でいくらでも補いが付いたということだ。


 さて、中学在学中から普通の移動はほとんど自転車に頼っていた俺だが、バレーボールを止めた後はスポーツ・サイクリングがにわかにクローズアップされていく。
 初めて自転車に乗ったのは小学校中学年のころ。子供用などはない頃だから、大人の自転車に「三角乗り」だ。自転車の前三角に右足を突っ込んで右ペダルに乗せ、両ペダルと両ハンドル握りの四点接触だけで漕いでいく乗り方である。こんな乗り方ながら、初めて走りだせた時のあの気持! 〈速い!〉はもちろんだが、〈自由!〉という感じに近かったのではないか。脚を必死に動かしているわけでもないのに、風がピューピュー耳を切っていく! サドルに座って届かない足を回す乗り方を間もなく覚えてからは、かって味わったことがないスピードでどんどん走り続けることが出来る! 
 以降先ず、中高の通学が自転車。家から五キロほど離れた中高一貫校だったからだ。やはり五キロほど離れた大学に入学しても自転車通学から、間もなく始まった今の連れ合いとのほぼ毎日のデイトもいつも自転車を引っ張ったり、相乗りしたり。
 共働き生活が始まって、上の息子が小学生になったころから子どもとのサイクリングが始まった。下の娘が中学年になったころには、暗い内からスタートした正月元旦家族サイクリングも五年ほどは続いたし、近所の子ら十人ほどを引き連れて天白川を遡ったことも何度かあった。当時の我が家のすぐ近くを流れていた子どもらお馴染みの川だったからだが、俺が許可を出した時に文字通り我先にと身体を揺らせながらどんどん追い越していった、あの光景! 子ども等のそんな自転車姿がまた、俺にはたまらない。
 この頃を含む四十代は、片道九キロの自転車通勤があった。これをロードレーサーで全速力したのだから、五十になっても体力は今の日本では普通の二十代だ。自転車を正しく全速力させれば、体幹も腕っ節も強くなるのである。生涯最長の一日サイクリング距離を弾き出したのも、五〇ちょっと前のこのころ。先ず知多半島先っぽまで。そこから伊良湖岬先端までのフェリーをつかった三河湾一周の最後には豊橋から名古屋まで国道一号線の車道を走ってきた苦労も加えて、メーターが弾きだした実走行距離は百七十キロになっていた。

 五十六歳の時に作ってもらった現在の愛車は、今や二十年経ったビンテージ物だ。愛知県内は矢作川の東向こうの山岳地帯を除いてほぼどこへも踏破して故障もないという、軽くてしなやかな品である。前三角のフレーム・チューブなどは非常に薄くて軽くしてあるのに、トリプル・バテッドと言ってその両端と真ん中だけは厚めにして普通以上の強度に仕上げてある。いくぶん紫がかった青一色に注文した車体。赤っぽい茶色のハンドル・バー・テープは最近新調した英国ブルックス社製。部品は普通のサイクリストなら知らぬ人はいないシマノのデュラエース・フルセットである。
 
 
(最終回に続く)
 
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