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日本マスコミもそろそろ離米を   文科系

2021年02月11日 13時31分55秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 日本の外信ニュースもそろそろ「離米」を考える時だろう。アメリカが年月掛けて作った可能性が高い「民主化運動」を本物の民主化運動と描き出すやり方、取材方向性のことだ。例を挙げれば切りがない。

 例えばウイグル問題には、アラブ諸国と行き来しているイスラム過激派の暗躍もあるという側面を全く表に出さず、ただ中国支配に対する民主化運動とその統制としてのみ描き出す。「アラブではイスラム国批判、ウイグルではその視点ゼロ」ということだ。香港民主派の動きにも、CIAと結びついた一派が関わっていることを全く見せていない。ベネズエラ民主化闘争なるものでも、米の息のかかった自称大統領をいち早くそれと認めたし、ボリビアでは大統領選挙無効を叫ぶ一派を応援して大統領を亡命させてしまった(だけど、昨年末の選挙で大統領も国会も、亡命したモラレス大統領派がまた勝利したのである)。イラクでは、外国軍は出て行けとの国会決議に反して米軍が居座り続けている。ちなみにこの国会は確か、米軍が作ったに等しい「民主派」国会だったはずだ。力尽くの外国軍居座りというのはもうその国の一部を武力占領しているという戦争と一緒であって、これが民主主義国のやり口と言えるのか。と言うような外交情報は、日本マスコミのどこにも出てこないのである。

 これらの外国に対する「民主化運動工作」の原型は既に20世紀後半に中南米で無数にやって来たことであって、その経験を今世界中で活かしているのである。あの「アラブの春」でさえ、今や「春」だったとは誰も観ていない。

 僕は、香港、台湾でもこの側面がもちろん続いていると確信している。対中国でその「隣国」に対する離中工作はどんどん強まっていくだろう。もっとも、香港も台湾も、国際法的には中国の国内問題という説が有力だろう。香港は「一国二制度」と言われてきたのだし、中国の代表権が台湾から中国に移った事もはっきりとしているのだし。ちなみに、国内問題には、基本外国も国連も干渉できないのではないか。

 日本マスコミは、いー加減、米情報、米マスコミで取材方向を決める態度を改めるべきだ。日本自国の官製バブルでさえ今やもう、アメリカに虎視眈々と狙われているのだから、その防衛のためにも。加えて、このアメリカ外交の視点では、元外務省国際情報局長・孫崎享の書くものが最も信じられると言いたい。彼こそ、アメリカのアフガン、イラクのやり口をその時の現地において最もじっくりと見続けてきた人物である。大新聞は、孫崎の人物そのものとともに、その視点をもっとその論調に取り入れても良いのではないか。今や、アメリカ情報による国際・外交情報だけでものを考えるならば、国連無視に繋がっていくだけのように愚考する。

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とんでもない後任・安倍晋三!   文科系

2021年02月10日 20時16分59秒 | 国内政治・経済・社会問題

 森喜朗辞任の方向で、「代わりは安倍晋三」などと言われ始めた。とんでもないことである。モリカケ桜、黒川問題と、国会であれだけ嘘を連発してきた「人間失格」政治家を国際的な日本の顔にする? 恥ずかし過ぎるから、止めろ止めろ。でないと、あれらの嘘を国だけでなく国民が許したことになってしまう。
 こんなことは当たり前の良識(的判断)というものだ。総理の嘘は特に大罪だ。その嘘も確信犯であって、その連発なのである。そんな犯罪者を国の対外的顔に出来るはずがない。

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ミャンマーは、米「現代の戦争」の一例  文科系

2021年02月10日 07時02分53秒 | 時事問題

 「マスコミに載らない海外記事」サイトの一昨日分に、「ミャンマー軍、権力奪取」という記事が載った。ミャンマーの「軍クーデター」には、米による中国対策という側面が大いに関わっていると。今のアメリカはこのように、他国の政権転覆などの暴力干渉を、親中国阻止とか、離米阻止とかで自由自在に操っているのである。先ず、記事の一部を抜粋する。

『アウン・サン・スー・チーが権力の座についたのは、彼女と彼女の党や、アメリカ政府に資金供給された複数組織の巨大ネットワークに対し、全米民主主義基金(NED)を通した、何十年ものアメリカ資金供給と政治支援の結果だった。
 アメリカのNEDウェブサイトは、アメリカ政府が資金供給しているのを認める約80のミャンマーでのプログラムを掲載している。掲載されていないが、アメリカ政府資金を受け取っているプログラムや組織や個人や運動もある。
 これら団体は、人権擁護フロント組織や、法律組織、メディア操作や、環境保護政策擁護団体まで、様々な社会政治活動に及んでいる。

 アメリカがミャンマーで資金供給している活動は多種多様だが、彼らは全て、いくつかの共通目的に役立っている。
 第一に、彼らはアウン・サン・スー・チーと彼女のNLD党の強化に役立っている。
 第二に、彼らは、直接的、間接的に、ミャンマーと中国の協力を攻撃し、傷つけ、逆転させるという、より広範な狙いに役立っている。
 直接活動をしているのは、ダム建設、パイプラインや港湾や輸送インフラなどに反対する特定プロジェクトを専門に行っている組織だ。間接活動には、分離主義をあおり、不安定化や安全保障上の脅威を生み出し、中国企業のプロジェクト建設を遅延させたり、完全に止めたり、中国が所有する鉱山の操業を止めたりするものがある。この例には、中国がチャウピューに、広範な地域的な一帯一路構想の重要な要素となる深海港を建設しようとしているラカイン州でのロヒンギャ危機がある。

 中国・ミャンマー国境沿いの武装過激派戦士による不安定化をアメリカが資金供給する報道機関や「人権擁護」団体は一方的に政府の「虐待」を報じ、アメリカが支援する「人権」団体が、シリアのような場所でしているように武装集団を犠牲者として描いている。』

 アメリカのこういう行動は、ここでも再三述べてきたとおりに昔なら戦争とおなじもの。実質自己都合の戦争を戦争ではない形で行っているのである。近頃有名な「制裁」「民主化闘争支援」もそれで、最近は特にその類例が多く、キューバ、シリア、イラン、ベネズエラ、ボリビア、アフガニスタンなどなど、枚挙にいとまがない。日独などにさえやはり同様のことを密かにやっているのだが、日本分は近日描き出すことにする。

 ドイツに対しては例えば、メルケル首相の私的電話の盗聴。一国の首相への盗聴って、入手情報によっては強力な脅迫に使えるものであって、外国首相に密かに言うことを聞かせる手段になり得るのである。他国に対してこんなことができれば、戦争などやる必要がないではないか。

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僕が見た「日本沈没」悪夢  文科系

2021年02月09日 17時08分03秒 | 国内政治・経済・社会問題

 僕は昨日こんな夢を見た。大変嬉しい面が一つあるが、大悪夢でもある。これは、本日の直前エントリーに姉妹編にも当たるもの。

「森喜朗が、結局辞めることになる。すると、間もなく、オリンピックは中止決定。途端に、どこからか日本株への売り浴びせ。日銀の通貨発行で必死に抵抗するが、日本沈没」
 と、もしこうなったら、これはアメリカ金融による世界で常に起こってきたやり口以外のものではない。これに類した小さな「日本売り」がもう既に何度も起こっているのだが、その原因は誰も語らなかったはず。そこで思うのだが、こんな日本官製バブルをいつまで続けるのだ。アメリカという国は基本人種差別国家で、かつ中国に対して自国覇権を守るためなら何でもする国になっている。その国が中国に軍事以外では負けかけているのだし、今まで中小国の空売りなどどれだけやってきたことか。日本は自国だけはやられないようにと振る舞ってきた積もりなのだ。もう小さいのは確か二、三度やられているのだから。この点については、去年のこのエントリーをご参照願いたい。『安倍政権に、前門のコロナ、後門の「日本売り」  文科系 2020年04月14日

 もしこんなことが起こったら、それはもう公然と国民に知らせて、自公政権の命取りにするべきだ。最近1度GPIF大損(年間でも大損)があった時には、余りにもニュースの扱いが小さかったと観ていた。事の大きさにマスコミも震えあがったのかも知れない。そういう形の官製バブル「破裂」は、「安倍2%目標達成」が延び延びになってバブルが膨らむごとに、ずっと警鐘されてきたはずだ。

 さて、もしこんなことが起こるとしたら、森喜朗暴言を最初に拡散(工作)したのは多分アメリカ・ファンド関係者だ。そもそも彼はこれ以上の暴言をしょっちゅうやってきた。それがこれほど大問題になったのは、はて、五輪絡みだからだけなのか??

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マスコミが公器であるならば   文科系

2021年02月09日 10時48分13秒 | 国内政治・経済・社会問題

 マスコミが公器であるならば、政権による大きすぎる不公正は、それらが正されるまで告発し続けるべきだ。政権のあからさまな不公正は、これを正させなければ、そういう不公正は必ず積もり重なって、やがて権力維持にはなんでもするという大悪に発展していくもの。今日の新聞でも、森喜朗発言やモリカケ、政権による検察介入を問題にしているが、こういう警鐘を中断したり、忘れたりが重なっていく時にこそ「大本営発表マスコミ」が出来上がって、政治が全体主義に染まってきたはずだ。それが、人類の近代民主主義発生以降、どこの国でも繰り返されてきた政治史だったと思う。ヒトラー、スターリン、毛沢東、東條、ムソリーニ、形は違うがイラク戦争直前のアメリカなど、すべてが結局「大本営発表」の結末でもあった。マスコミが警鐘を止められた時、政権不公正の忘却、政権の増長、やがて全体主義が始まって来た。今の世界、全体主義国家への温床は腐るほど存在している。

 モリカケ桜、検察介入、日本学術会議、森喜朗・・・、すべてを継続して問い続けなければいけないと思う。マスコミ頑張れ! ちなみに、これだけコロナ対策が遅れて人も死んでいる世界・日本で五輪開催など、普通の良識からは不謹慎というものではないか。見方を変えれば、一部にあるこの熱烈な五輪開催志向さえ、不正続きの政権がその再浮上の機会にしようとしているようにさえ見える。ちなみに、五輪を全体主義志向の機会にするというのは、ヒトラーも行ったことだった。

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選挙判断には「忘れないこと」が肝要  文科系

2021年02月08日 00時10分22秒 | 時事問題

  モリカケ桜、日本学術会議会員任命拒否、そして今回の自民党重鎮・森喜朗の不見識の極み発言。これらが出るたびにマスコミも、猛烈批判をする。が、選挙になると結局国民は安倍に入れて来た。自民党に投票するということは今でも「嘘つき常習犯政治」代表・安倍晋三に入れるということである。安倍の嘘つき常習犯政治とは、「選挙当選勝利だけ、他はどうでも良いという権力願望政治」というやり方を続けてきたからおこったもの。国民がそういう本質を忘れて安倍に入れてきたので、彼の政権が戦後最長になったのである。よくある「権力欲だけ政治」をすぐに忘れてしまい、他の何か「口だけ」に目を付けて自民党候補者に入れてきたということだろう。
  弱小野党も口だけということなのだが、その口だけと違って、面白い行動ニュースが、毎日新聞サイトにあった。

『 「黙るもんか」森氏辞任求めJOC前でホウキデモ 女性蔑視の「粗大ゴミを掃く」 2/7(日) 19:23配信

 東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)による女性蔑視発言を巡って7日、日本オリンピック委員会(JOC、山下泰裕会長)が入る東京都新宿区のビル前で、森会長の退任を求める抗議活動があった。

 森会長が4日の謝罪会見で「(自分が)粗大ゴミになったのかも。そうしたら掃いてもらえば」と話したことから「ホウキデモ」としてツイッターなどで参加が呼びかけられた。集まった十数人が小さなホウキや抗議のメッセージを無言で掲げる「サイレントスタンディング」で、2時間ほど抗議した。

 呼びかけ人となった千葉県内のパート従業員女性(45)は初めてデモ活動に立ったといい、「女性蔑視であり、自分より弱い立場の人への圧力を感じる恐ろしい発言。政府やJOCなどは『謝ったから許そう』としているが、このままではそれを容認したことになる」と訴えた。賛同して参加した埼玉県坂戸市、自営業、渡辺好造さん(65)は「あの蔑視発言を笑いで済ませてしまう、容認してしまうのが日本社会の現状。世界から問題視されており、五輪開催国の組織委トップとして辞めて責任をとるべきだ」と話した。

 「黙るもんか」という紙を持って抗議した東京都内のITエンジニアの女性(34)は「どうせ(日本社会は)変わらないだろうという空気感を変えたい。ここで声を上げないといけないと思って初めてデモ活動に来た」と話した。【大島祥平】 』

「選挙の時まで忘れないぞ!」という意味で、どんな政治家の演説よりもこれは何か嬉しかった。
 今の日本人は政治のことを、自分らに押しつけられた悪政のことをすぐに忘れるから、こんな苦労があるのだから、忘れないためには、聴かれもしない演説、言葉よりもこういう行動。

 国民一人当たりGDPが世界5位前後から33位にまでわずか25年で落ちぶれた国と、そういう政治。そのせいもあって、50歳まで一度も結婚できていない男性が4人に1人に近づいていて、日本史上かってなかった少子化、人口減少が起こっている国。就職などほとんど不安がなかった70歳以上の男性が、今自分の子ども、孫の就職、結婚などでとても苦しんでいる日本なのである。孫がいないから、子孫が絶える爺婆もどんどん増えているはずだ。8050問題の50にも、50歳代未婚男性が無数に含まれているのである。わずか20年で誰がこんな国にしたのか、忘れないことだ。

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野党への無力感  文科系

2021年02月07日 11時19分09秒 | 時事問題

 あれだけ酷い言動を吐いて叩かれていても、森喜朗五輪組織委員会会長は居座る方向を決め込んだようだ。「モリカケ桜」、「学術会議」に対しても、与党特大失点というような野党実績はほとんど上がっていない。政治とは、何かを語ることではなく現状諸悪を少しでも変えて、生活を改善していくことのはずなのに、こんな与党自滅言動、失点に対して、野党は何の得点も挙げられないでいるのである。
 この愛知でも、大村知事リコール署名のネトウヨや維新の大失態に対して、こういう動きへの抵抗勢力はやはり、何の得点も挙げられていない。ちなみに、このリコール運動の事務局長だった県議が維新から国会議員候補になっているとは、愛知ではよく知られた話だ。こうして、あのリコール署名運動が野党が強いこの愛知への維新による浸食運動とも観られる面があるのではないか。だからこそ、あんな醜態でよかったのだが。

 こんな調子だと、森喜朗、安倍らがその顔である日本会議流儀で日本をどんどんファッショ化させていく動きに対して、歯止めを掛けられる勢力が一体存在するのかと言いたくなる。この世界で40年ほど続いた金融株主資本主義が完全に行き詰まっている現在、保守の道はファッショ化しかないように見えるというのに、一体誰がこれを止めうるというのか。野党はあらゆる形で団結、協力し合って、ネットでも何でも使って、「神の国」目指す森を退陣させるべきだ。彼の女性蔑視発言は「神の国」思想ともきっちりと結びついているのである。

 政治は演説するものではなく、生活改善、そういう実績。与党のこれだけの自滅点に関わってそういう実績を野党が作れなければ、「無力」「何もできない」「存在していると言えるのか」とあちこちで語られ、さらにより広い人々にそう思われていくだけである。その末は、アメリカと同じ二大保守体制?
 野党が生活に根ざしていない演説、言葉だけの浮いた集団になっているから、こんなことになるのだと思う。一例、日本会議の草の根保守にどんどん負け続けているわけだ。

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八十路ランナーの手記(343) 6分10秒/kで、4キロ行けた  文科系

2021年02月06日 00時09分45秒 | スポーツ

 自分としてやっとやれた感じ。5日、いつもの市営公園周回コース1キロちょっとを押さえて押さえてと言い聞かせながら3周回ったウオームアップの後、思い切り4キロちょうどを走った。終わって見た時計に、びっくり。キロ6分10秒と出ていた。途中で時計を見たときに限って6分13秒ほどだったから、それ以下だと見ていたのだ。時計を見なかった前半が早かったのだろうが、当面これを目標としてきたから、とにかく嬉しかったこと。ただし、5キロをこの速さで走り通すことを目標としてきたわけだから、本当の目標達成はもう少し先になる。が、思ったより早くここまで来て、今シーズン内の5キロ31分が見えてきたらしい。
 と、こんなに早くここまでたどり着くと、次はキロ6分と、どうしても欲が出る。ただ、これも不可能ではないと今は思えるのだが、その理由は以下の通り。

  こうやって頑張ってみた今日、自分の走行フォームがまだまだ改善途中だと思わされた。1日の走行中でもタイム的に良いときと悪いときがあるのでこれが分かるのだが、両脚のバランスが悪くリズムが崩れていると感じる時がある。現象としては、左脚のストライドにムラがあるのだが、これは右脚膝の曲がりが不安定だから起こる事とも思えたから、事態はやはり厄介なのである。あれこれ考えて確実に分かったのはこれ。右腰が左に比べて前に出ているから、どうしても着地時間が長くなり、左脚が不安定になる。終わって考えた直し方は、これ。左腰をやや前に出して、走る。どうも、お臍真上で横線を描くと、右腰骨が前、左腰がやや後ろというかたちで走っているようなのだ。前から薄々感じていたことだけど大昔に左脚付け根のヘルニア手術をした弱点がこれの原因らしい。今日の速度で左腰骨を前に出し気味にしたら、左脚のリズムが良くなって走りが安定してきたから、この新走法に左脚も慣れてきているのである。これも試行錯誤の一つかも知れないが、次回はとにかく「左腰骨を前気味にして走る」。それでタイムが良くなったら、このやり方を固定しよう。

 慣れ親しんだフォームを換えるのは、本当に難しいことだと、今日も思ったところだ。でも、面白い。タイムが5年ぐらい前へと改善しつつあるのだから。少なくとも、ランニングウオッチを買った17年以降には、2018年12月11日の6分12秒が断トツで聳え立っているだけだ。その時と今日とを比べるとこうなる。
 2018年12月11日は6・5キロ、キロ6分12秒、92センチの160bpm。
 今日は4キロ、キロ6分10秒、94センチの156bpm。

 とこうして見るとよく似たタイムだが、今日は距離がちょっと足らない。ということは、やっと2年ちょっと前に戻ったという程度のことか。ちなみに、マシンでは16年1月に30分×2回で10・3キロというのがある。

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八十路ランナーの手記(342)無意識マシン走は遅くなる  文科系

2021年02月05日 00時41分59秒 | スポーツ

 昨日エントリーへの補足を少々。無意識にマシンだけで走っていると、走力が確実に落ちると思う。15年ほどのマシン走り中心から、5年前の75歳ほどで外走りも同じように始めた僕が先ずそう感じたのだが、マシンで10キロ走れても、外で同じスピードではまず走れないという事態が、少なくとも老人なら生まれ始める。使う筋肉が違って、さらに今までここに書いてきた合理的走法の方が10ほども心拍数が少なくなることも分かったのだから。合理的走法では、マシン走で身につくようなより大きく曲がった膝を伸ばす筋肉を使わないからだ。このことはただし、外走り中心でやってきて、それと同じ走りがマシンでもできる人には当てはまらないこともありうる。

 同じ事でこうも言える。ちゃんとした外走りの走り方でマシンでも走れない間は、むしろマシン走りはしない方が良い。フォームも崩れるし、そもそも違う筋肉部分を鍛えていることになるからだ。地面で正しいフォームができても、マシンでこれを崩していればまともな練習、鍛錬にはならないということである。筋肉とその血管でさえ、違う部分を鍛えているのだから。関連していることだが、正しいフォームが身についてから僕の身体に新たにこんなことが起こって来て、驚いた。大地を走る全力疾走が速くなったのである。地面を思いっ切りつつくのか叩くのか、とにかくそういうことが出来るようになったのだった。今まではこんな風に思いっ切り膝をバーンと伸ばして地面を叩いたことは随分長くできていなかったと思いだしている。  

 ちなみに、僕は腿が強かったから、余計に以上のことに気づきにくかったのかも知れない。これは若い頃からやってPTAバレーに繋がったバレーボールとサイクリングとの成果なのだが。

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大村知事リコール署名運動に告訴  文科系

2021年02月04日 11時44分20秒 | 時事問題

 愛知県大村知事をリーコールすると称して鳴り物入りで大々的に展開された署名は、偽造が多すぎて全国に大恥をさらした。これについて本日の中日新聞に『リコール偽造署名 告訴 弥富市議5人「勝手に名前」』という記事が載った。主要部分を抜粋してみよう。

『同県弥富市議五人が三日、私文書偽造・同行使と地方自治法違反の疑いで、容疑者不詳の告訴状を名古屋地検に郵送で提出した。・・・・・
 県選管は一日、提出された署名の83・2%が無効とする調査結果を発表。弥富市分は、3618筆のうち3340筆(92・3%)が無効だった
 これまでに弥富市議のほか複数の県議や碧南市議、田原町長らが署名に名前を勝手に使われたと本紙の取材に明らかにしている』

 さて、これほどあからさまな大々的不法行為の「容疑者」らは、一体何者か。大村知事の「表現の不自由展覧会」への反発を叫んでいたいわゆる右翼団体が疑われることになるが、それにしてもなんと非常識かつお粗末な結末であることか。こうなることが分かっていた組織的大々的政治活動? それも民主主義の名において不法な権力者を裁く仕組を活用した政治活動??
 街頭演説に立つなどしてこの活動を率先して応援した河村たかし名古屋市長も、この2月市議会で裁かれることになった。当然のことだろう。南京大虐殺否定発言なども含めて、河村たかし氏は右翼思想の塊。僕には、あの日本会議呼びかけ文章への賛成者としか思えないのである。だからこそ、こんないい加減な運動に見境なく飛び込むことができたのだ。この市長は、名古屋市民の恥である。

 

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八十路ランナーの手記(341)マシンと地、走り方の違い  文科系

2021年02月03日 15時17分17秒 | Weblog

 昨日のここにトレッドミルと地や床と、やっと同じ走り方が出来るようになったと書いた。20年前にランナーになった今年80の老人が、慣れ親しんだ我流トレッドミル走法から合理的な走法へと切り替える努力を積んできて、1年かかってやっと成功したと実感できるようになったのである。後者の走り方でトレッドミルでも走れるようになったから、そう思うのだ。そしてもちろん、後者の走り方の方が良い記録が出るもの。というこの1年の変化の内容を、ちょっと細かく書きとめておきたい。年を取ってどこかが弱くなっていく自分の今後の走りをきちんと自覚しているためにも。

 長距離も短距離も原理は同じで、前脚で地面をつついたその反発力で走る。違いは、ストライドの大きさだが、短距離も長距離も前脚を伸ばして地面をつついて前に移動した腰の真下に後ろ脚を持ってくるというやり方は同じ。
 ところが、トレッドミルで走ると、「前脚の地面ツツキによって生じる腰の移動以上に後ろ脚を前に持ってくる走り方」が生まれやすい。地をつついて走るのではなく跨いで走るようになって、前脚の膝が前に出て曲がっている形になるわけだ。この走り方で地面なり床なりを走ると、こうなる。前に来た脚の膝を伸ばす分、着地時間が長くなって、ピッチも上がらないことに。

 さて、この「跨いで進む」走り方を、1年かかって僕はやっと換えられた。最近やっと変えられたと分かったのは、マシンで走っても前脚が腰の真下に来て、両膝が同じように伸び、なによりも最短の両脚着地時間のリズムが取れるようになったからだ。走法改善の途中には、両脚の膝の伸び、着地時間、ストライドがまるでバラバラという、今振り返ればそう感じた時期も長かったのに。これに伴って、前はできなかったピッチ200さえ可能になったのである。この年末年始までは前脚、膝が無意識に前に出過ぎてリズムがおかしくなることもあったのだが、今はマシンでも外走りと同じリズムでちゃんと走れるようになった。今年に入ってつい最近感じているこの実感に伴って、タイムも急に上がった。ウオームアップ走20分以上の後3~4キロ頑張って走るときに、キロ当たり15秒は速くなって、6分15秒ほどになった(昨日は6分10秒と書いたが、今はこう慎んでおく)。

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八十路ランナーの手記(340) キロ6分10秒ほどに   文科系

2021年02月02日 11時21分57秒 | スポーツ

 寒い日が続くので、ジムのマシン走も交えながら、あわせて2日に1度の割りでこの1か月を走ってきた。最近の走り方は、ジムはLSD、外走りの後半にはタイム測定というのが定型になっている。この1か月、大きな変化は二つあって、一つは、ジムと外走りとがほとんど同じ走り方、感じになってきたということ、次いで、それとともに、外走り後半の3~4キロほどがキロ平均6分10秒台になったきたということだ。

 どうやら、どんなスポーツにもある質的進歩の時期を迎えたらしい。19年12月から工夫努力してきた合理的走法が身につき、それに必要な最低限段階の筋肉も付いてきたということだろう。外もマシンも同じリズム、感じで走れるようになったということが、以上のことを示していると理解した。逆を言えばこういうこと。今までは同じ感じで走っている積もりでもどこか違っていたのだと、今ははっきりと分かるのである。以前は左右の脚の運び方に違いがあるのに、何故か分からないけど直せなかったのが今は直せる。運ぶ時の高さ、ストライドを同じにしたり、今までと左右逆の運び方をしてみたり。
 走っているリズムが良くなったと感じるのは、何よりもこれが原因だろう。両脚の着時時間とストライドとが同じになったから、その分脱力も出来るようになって、疲れが少なくなった。ウオームアップ時間がどんどん長く要るようになっている分、僕の身体は老いていると思うのだが、走法を合理的に変えたことで5年前2016年の次ほどのタイムが出るようになっていると思う。

 近く、こんな挑戦をやってみたい。準備万端いろいろ今の知恵を集めて整えた上で、後半5キロを31分ほどで走ってみること。

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僕の「人生と死生観」  文科系

2021年02月01日 14時09分44秒 | 文芸作品

 僕は、「あの世」、つまり死後の僕が存在しこれが行くべき世界があるとは考えていない。僕の肉体とともに僕の心も死滅し、死後の魂は存在しないと考えるからだ。ちなみに、肉体を離れてその心が存在すれば、この世以外の心の来し方、行く末が存在することになり、それがこの世ならぬ神(の世界)なのだとなる理屈だろう。と語ると、昔からすかさずこんな反論が返ってくるもの。
「ということは、牛飲馬食だけで、罪や愛は存在しないと?」
 これに対してはこう答えることにしてある。「飲食は大事だが、例えば、罪や愛はもちろん、真善美なども存在する」と。これを言い換えればこういうことか。人生に予め決まった目的などはないが、これまで生きてきた人々は皆それぞれ何かを求めてきて、そういう人々の生活、歴史の中には、真善美、あるいは偽悪醜と言えるようなものは存在してきたと。その上で自分自身は、前者寄りに生きたいと考えてきた。

 この真善美に関わって、話は変わるが、三つの学問(対象)がある。例えば日本の旧帝大学制などではこれを自然、社会、人文と分けて、三種の科学の名を冠してきた。自然科学は自然とその応用の学問、社会科学は経済、政治など人間社会の学問、人文科学は哲学、歴史学、文学など人間文化を研究対象とする学問というように。そして、善や美は、直接扱う学問がそれぞれ倫理学、美学であるにしても、医師の倫理とか社会的正義つまり公正とか、全ての学問に不可分なものと言えるだろう。

 さて、以上を理論的前提とした僕の死生観だが、上のように生と死を観ているから現生をこう生きてきたし、今後もそうしていく積もりだ。

 活動年齢を延ばし、できるだけ長くしなやかな身体でありたいという目的を含めて生涯スポーツを意識したのは48歳の頃だった。これは今、「八十路ランナーの手記」や100キロサイクリングという形で続いている。この二つの関係は、こういうものだ。若い頃からサイクリングをしていたから、59歳にして容易にランナーになれたと。ちなみに、(長距離)サイクリングは最高の有酸素運動スポーツである。

 楽器をやろうとも若い頃から準備していたのだが、これが2003年からのクラシックギター教室通いになっている。そして定年を意識した55歳頃、文章を仕入れようと考えてある同人誌に加わり、小説、随筆などを学び始めた。これも現在継続しているわけだが、この同人誌執筆活動が2006年以来のこのブログ参加にも役に立つことになっていく。ちなみに、同人誌やブログでは、僕なりにこの日本社会に関わっているつもりだ。また、このグローバル時代には日本だけ観ていても良い政治にはならないと考えてきて、特にアメリカの国連無視悪政を批判してきた。ここ20年の日本政治は、アメリカの経済的・軍事的暴力政策への追随が酷すぎると考えている。

 なお、ギターやスポーツに込めた僕の思い(人生目的と言っても良いような思い)などは、ここまで各一回ここに書いてきたとおりである。

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