Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

ある いわさきちひろ伝

2014-12-14 08:27:42 | 読書

飯沢匡,黒柳徹子「つば広の帽子をかぶって」講談社(1989/7).
古書店で 350 円で購入したが,アマゾンで見たら 1 円だった.

1950 年代中期 NHK の連続ラジオドラマ,ヤン坊ニン坊トン坊の脚本演出が飯沢,トン坊役が黒柳徹子だった.

もともとは講談社の PR 誌「本」に連載されたとのことだが,ある章の記述に対する読者の反応が後の章にフィードバックされるあたりがそのまま転載されている.各章の前半が飯沢匡の文章,後半が徹子とその章に関連するちひろ関係者との対談あるいは鼎談という構成.
この本のタイトルは徹子色だが,インタビューでは聴き手に徹している.中身は飯沢色が濃厚.飯沢氏は刊行時 80 歳くらい.いわさきちひろ絵本美術館(現・ちひろ美術館)館長だったらしいが,いじわるじいさんという感じで,好きなことを書いている.

戦前戦中のちひろの家庭は軍をバックにした特権階級に属していた.最初の結婚では夫を嫌悪し処女妻をつらぬき,そのために夫は自殺してしまう.その後,昭和19 年の戦時下に満州へ観光目的の大名旅行をしたりする.戦時中辛酸を舐めた飯沢さんとしては腹に据えかねるらしく,このあたりの分析は辛辣.

両親のいいなりになっていた反動と反省からか,共産党に入党.危なっかしいことに家出同然にひとりで上京する.岡村 民という女傑に惚れられパンパンにならなくて済む.
松本善明と結婚するが.このとき夫婦でかわした五箇条の誓文は「人類の進歩のために最後まで固く結び合って闘うこと」で始まり,「お互いの立場を尊重し,特に芸術家としての妻の立場を尊重すること」などという箇条もある.「土曜日に以上のことを点検すること」で終わる.

夫は代議士,息子は二浪,夫の母親に加えて半身不随になった実母も引き取り,お手伝いさんを二人と,お手伝いさんの子供も加えた8人の大家族を切りまわし,画家としては山のような仕事を引き受けた.弱音を吐かなかった代わりに消化器系の癌になった.飯沢説では脳と消化器は繋がっているという.

本書では習字の技術の「たらしこみ」技法への発展,絵本の印刷技術発展への貢献,絵本などの原画保存運動の主導などにも眼が配られている.
「靴屋が入党したからといって,彼の鋲の打ち方が変わると思うのかね」という,共産党に入党したときのピカソの言葉を,飯沢さんは引用している.つまり,入党したからといって,画風が変わる必要はない.変わったとすれば,それは芸術が政治に隷属したことになる.ちひろの絵は政治に隷属しない広さを持っていたからこそ,多くの人に支持されたというのが飯沢説である.両親はちひろの絵を理解も評価もできなかったが,その理由も考察されている.

系統的・網羅的に書かれた伝記ではなく,はなしがあちこち跳ぶが,面白い.夫君・子息の書かれた ちひろ伝も出版されており,それらは未読だが,この飯沢版のほうが面白そう.

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