ぼくは
北朝鮮のゴミ風船から風船爆弾へと思いを飛ばしたが,朝日新聞に小林エリカさんの著書「女の子たち風船爆弾をつくる」文藝春秋 (2024/5)が紹介されていた.カバーイラストの,当時あり得ないミニスカート群 !? 是非とも読まなければとは思うが,ロマンチックな書き方と推察する.
新聞の見出しは「加害への加担を繰り返さぬために」だが,この爆弾にたいした「加害への加担」はなかったんじゃないの ?
むしろ,女の子たちが,旧日本軍の愚行に大切な日々を捧げてしまったというのがぼくの印象.戦争そのものが大愚行だったのだけれど.
この Youtube 動画により,旧日本軍は精一杯,それなりに当時の科学技術をこの作戦に詰め込んだことを認識するに至った.動画は1時間半に及ぶ長尺なので,PPT から数枚を抜粋した.でも興味とお暇のある方は,ぜひ最初から最後まで視聴してください.
直径 10m ! 炸裂弾1発と焼夷弾4発を搭載.飛翔高度 10,000m,飛翔能力 70 時間という仕様.
姉ロイド気圧計を内蔵し,重りを落としたりガスを抜いたりして飛行高度を自動的に調整した.
太平洋上をアメリカに向かって吹く偏西風に乗せるのだが,この風の存在は,大石が発見した.風速が大きいのは冬だけ.
大石は 1926 昭和元年に発表したが,エスペラント語だったため ! 国際的に話題にならなかったと言う.これが幸だったのか ? 不幸だったのか ?
これは最近の偏西風のデータ.見にくいけれど日本とアメリカの海岸線が左右に黒く存在している.中央の蛇行が気になるが説明はなかった.
Windy が示すように,北に逸れた爆弾も多かった.オレゴン州の6名が唯一の人的被害だった.
シミュレーション技術もなく,大雑把な計算で作戦を敢行したのは,今考えるとすごい.公文書上の目的は,北アメリカ西部山岳地帯の連続的山火事の発生となっている.そもそも戦果を期待していなかったんじゃないの,という気もする.
風船作りの蒟蒻糊で指がタラコのようになってしまったと言う女学生たちがかわいそう.
こちらで風船を作っていた時期に,あちらでは原爆を作っていたんだ !
日本製原爆を風船で飛ばした,という映画はどうだろうと,「
太陽を盗んだ男」でふと思った.
しかし,たとえ
日の丸原爆が作れて飛ばしたとしても...
堀川惠子
「暁の宇品」文庫本の帯は「人類初の原子爆弾は、なぜヒロシマに投下されなくてはならなかったのか」とうたっている.本文を読むと,その夏 宇品の陸軍の軍港としての価値はゼロであって,広島は山で囲まれたデルタに人家が密集し,皆殺し兵器のデモンストレーション効率の見地から広島が選ばれたことが判る.
アメリカは大きい.せっかくの風船原爆が山間部とか砂漠とか (
核兵器実験場とされた) に落ちたら,隕石かな ? くらいで終わってしまったことだろう.