水島 朝穂「戦争とたたかう――憲法学者・久田栄正のルソン戦体験」 岩波現代文庫 (2013/06).
内容(「BOOK」データベースより)*****
軍隊は人間性を否定し、人間改造を迫る装置だった…。過酷なフィリピンの戦場から奇跡的に生還し、戦後は日本国憲法の「平和的生存権」実現のために生きた久田栄正 (1915-1989) に、戦後世代の憲法研究者が徹底した資料探究に基づく質問を繰り返しながら記憶を掘り起こしていく。ダイナミックな手法が光る。証言と対話により時代背景を丁寧に織り交ぜ、戦場の実像が世代を超えて伝わることを示した感動の人間記録である。*****
「戦場」といっても戦ったわけではなく,飢えて逃げ回っただけ.フィリピンからは 8 割が生きて帰れなかった.
銃撃されながら,しかもマラリアとアメーバ赤痢で何ヶ月もジャングルを彷徨し,蛇や蛙を食べても蛭に血を吸い取られ...という事実を,イワナミの活字で読むと迫力が違う.
原爆を落とした米軍は非人道的というが,日本軍 (日本という国家は) は日本兵 (そして日本人全体) に対して,別な意味ではもっと非人道的だった.フィリピンでの山下奉文は自分では何も決められないサラリーマン大将で,そのくせ安全な壕の中で三食とウィスキーを確保し終戦時もまるまると太っていたと書かれている.
もう半年早く戦争を終わらせていたら,沖縄戦も原爆もなくて済み,あちこち合計すれば百万人台の生命を失わずに済んだ.戦争裁判は国際間の問題しか扱わないが,日本という国家の日本国民に対する責任はどうなのか.著者の久田先生は平和憲法に感激し.その後は憲法学者としてこうした問題をずっと真摯に考えられたようだ.#
現代の日本人は「理不尽な命令には従わなければ良いじゃないか」と言いそうだ.しかし周囲が命令に従うなかで,ひとりだけ叛旗を翻すことができるのだろうか.軍隊にはいじめが横行するが,それは昨今の学校でのいじめとはかなり共通した部分があることが,この本でも指摘されている.会社の衰退などにも敗戦と似た経緯が見られる.外国人から見ると日本人は権威に対して too obedient であるばかりか,権威のあるところに群れるように見えるらしい..
# 小学校しか出ていない奥村謙三は,戦争責任を天皇に帰し直裁に行動した.ニューギニアから帰還したが (千数百名のうち生き残ったのはわずか30数名だったと言う),1969 年の一般参賀で天皇をパチンコで狙うという事件を起こしたのだ.軍隊で刷り込まれた「忠君愛国」の裏返しである.奥崎-謙三「ヤマザキ、天皇を撃て-―“皇居パチンコ事件”陳述書-」三一書房(1972))を読んだときは,不気味な感動を覚えた.
内容(「BOOK」データベースより)*****
軍隊は人間性を否定し、人間改造を迫る装置だった…。過酷なフィリピンの戦場から奇跡的に生還し、戦後は日本国憲法の「平和的生存権」実現のために生きた久田栄正 (1915-1989) に、戦後世代の憲法研究者が徹底した資料探究に基づく質問を繰り返しながら記憶を掘り起こしていく。ダイナミックな手法が光る。証言と対話により時代背景を丁寧に織り交ぜ、戦場の実像が世代を超えて伝わることを示した感動の人間記録である。*****
「戦場」といっても戦ったわけではなく,飢えて逃げ回っただけ.フィリピンからは 8 割が生きて帰れなかった.
銃撃されながら,しかもマラリアとアメーバ赤痢で何ヶ月もジャングルを彷徨し,蛇や蛙を食べても蛭に血を吸い取られ...という事実を,イワナミの活字で読むと迫力が違う.
原爆を落とした米軍は非人道的というが,日本軍 (日本という国家は) は日本兵 (そして日本人全体) に対して,別な意味ではもっと非人道的だった.フィリピンでの山下奉文は自分では何も決められないサラリーマン大将で,そのくせ安全な壕の中で三食とウィスキーを確保し終戦時もまるまると太っていたと書かれている.
もう半年早く戦争を終わらせていたら,沖縄戦も原爆もなくて済み,あちこち合計すれば百万人台の生命を失わずに済んだ.戦争裁判は国際間の問題しか扱わないが,日本という国家の日本国民に対する責任はどうなのか.著者の久田先生は平和憲法に感激し.その後は憲法学者としてこうした問題をずっと真摯に考えられたようだ.#
現代の日本人は「理不尽な命令には従わなければ良いじゃないか」と言いそうだ.しかし周囲が命令に従うなかで,ひとりだけ叛旗を翻すことができるのだろうか.軍隊にはいじめが横行するが,それは昨今の学校でのいじめとはかなり共通した部分があることが,この本でも指摘されている.会社の衰退などにも敗戦と似た経緯が見られる.外国人から見ると日本人は権威に対して too obedient であるばかりか,権威のあるところに群れるように見えるらしい..
# 小学校しか出ていない奥村謙三は,戦争責任を天皇に帰し直裁に行動した.ニューギニアから帰還したが (千数百名のうち生き残ったのはわずか30数名だったと言う),1969 年の一般参賀で天皇をパチンコで狙うという事件を起こしたのだ.軍隊で刷り込まれた「忠君愛国」の裏返しである.奥崎-謙三「ヤマザキ、天皇を撃て-―“皇居パチンコ事件”陳述書-」三一書房(1972))を読んだときは,不気味な感動を覚えた.