沼野 雄司「音楽学への招待」春秋社 (音楽学叢書 2023/1)
によれば (以下この書を「沼野本」と引用する),
楽譜というものは作曲者のイメージする音楽が元になっている.しかし図形楽譜を用いるとき,作曲者が確たる音楽のイメージを持っているわけではない ; 持っていたら図形楽譜なんか使わない.
図形楽譜を具現するのは演奏者である.作曲者と演奏者の間には次のようなコミュニケーションがあり得る.
1 (当然だが) 楽譜そのもの
2 言語によるサブテクスト
3 作曲者のコンテクスト
4 歴史的コンテクスト
サブテクストという言葉がよく分からないが,2は演奏に作曲者が立ち会って,演奏者に直接 指示を与える,それが不可能なら文章で指示を与えると言うことであろう.
1, 2 は作曲者から演奏者への一方通行に近いが,これがない場合は演奏者が楽譜の解釈を模索しなければならない.この際,作曲者が積極的に発信を意図していない情報を演奏者「読みこむ」ことが必要であり,それが3と4である.
3は作曲者の経歴,過去の作品,いわば作曲者の属性すべてである.
図形楽譜が与えられたら,その作曲者が過去にも図形楽譜を書いたか? それがどう演奏されたか? を,演奏者まず第一にチェックするだろう.平たく言えば,そう言うことと思う.
4は作品の時代背景である.突然無名の作曲家の作品を与えられたら必然的に,図形楽譜の時代様式の範囲で,すなわち不確定性音楽が現れた 1950 年代以降の様式,たぶん現代音楽的な無調様式で,解釈することになるだろう.
ミロやカンディンスキーの絵画は演奏できるはずだと言う説 (Roman Haubenstock-Ramati, Perspectives of New Music 4 39 (1965) を,沼野本は否定する.音楽家としての経歴がない (3を欠く) 人が書いた楽譜でもないものに対して,解釈を定位することはほとんど不可能だし,むりやり演奏すれば即興に近いものになると説く.
ここまで沼野本の解くことは至極当然のこと.作曲者と演奏者の関係を歴史的コンテクストにまで拡張することが,音楽社会学の社会学たるところなんだろう.
以下は 16 トンが勝手に回らした思考である.
沼野本第3章「音楽のエクフラシス」と題して,ドビュッシーがカミーユ・モークレールの「サンギネールの島々の美しい海」という文章から「海」を作る過程を扱っている.それなら,絵画から音楽へのエクフラシスも取り上げて然るべきではないか.
図形は空間情報,音楽は時間情報である.図形楽譜の解釈とは空間情報から時間情報への変換である.
普通の楽譜に立ち帰って考えると,これは物理的に言えば
ソノグラム ,音響の周波数スペクトル (詳しくは楽音の基本波の周波数) の時間変化を記号化したものである.この類推からは,時間軸を持つ図形楽譜が解りやすいはずである.下は Wikipedia で「図形譜」の例とされている Hans-Christoph Steiner の Solitude の楽譜.彼の
HP で この曲の mp3 も聞くことができる.しかしこれは
プログラム言語 Pd (Pure Data) をそのまま使ったに過ぎず,ふつうの楽譜の延長に過ぎない.
それでは時間軸がない絵画の音楽化は不可能か?
さきほどミロやカンディンスキーの名が挙がったが,バウル・クレーに関しては
という本もあった.彼らの絵画を対象とするなら,これらを音楽化する (絵画全体の印象を対象とするのではなく,描かれている線や図形そのものを即物的に音に変換すると言う意味) 一般的な方法があってもいいんじゃないの? 咋今の AI の発展が助けてくれそうじゃありませんか.
ヒントになりそうのが,2022 年作成の下の動画である.史上初の完全な図形楽譜と言われる Earl Brown の December 1952 の演奏例.同種のプログラムを同種の絵画 (カンディンスキーでもクレーでも) に適用すれば,思わぬ結果が期待できるのではないか.
誇大に表現すれば,絵画から音楽へのエクフラシスの第一歩になるのではないか...
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