Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

ハロルドとモード

2024-05-31 09:24:03 | 読書
コリン・ヒギンズ, 阿尾 正子 訳「ハロルドとモード」二見書房 (2022/9).

著者 1941-1988 はアメリカの映画監督・脚本家.同性愛者であることを公表していたが,エイズにより早世した.
UCLA在学中に卒業制作作品として執筆したシナリオに基づき,ハル・アシュビーを監督に迎え 1971 に映画「ハロルドとモード」を制作した.この映画は現在でもカルト的な人気を博しているそうだ.「ハロルドとモード 少年は虹を渡る」のタイトルで 1972 本邦で公開された.

ヒギンズ自身が映画をノベライズしており,1972 の映画公開に合わせて,映画タイトルを踏襲して枝川公一訳が二見書房から出版された.
今回 16 トンが図書館で借用して読んだのは新訳である.旧訳は知らないが,新訳の必要があったかどうかは疑問に思う.再刊ではダメだったのかについて,解説 (三橋暁) は触れていない.

2020 から黒柳徹子がモード役で朗読劇「ハロルドとモード」を毎年上演している.ハロルド役は毎年変わるらしい.
トップ画像左は本書の表紙だが,右はその朗読劇のちらし.モードは黒柳さんによく似た美人,ハロルドは無個性,なかなかの出来である.小説ではハロルドが弾くのはギターではなくバンジョーなんだけど...

*****
自分らしく生きる破天荒な79歳の女性・モードと、狂言自殺を繰り返す愛に飢えた19歳の少年・ハロルドという、真逆の死生観を持つ二人。
共通の趣味である “赤の他人のお葬式への参列” で、何度か顔を合わせたことにより仲が深まり、ハロルドは次第にパワフルな生き方のモードに惹かれていく。周囲の人々は二人の交際にひどく反対するが、おかまいなし。
生きることの楽しさをモードから学んだハロルドは、モードの80歳の誕生日パーティーを開くのだが…。
*****

ハロルドがモードの腕の内側にある入れ墨,ナチス・ドイツの強制収容所の識別番号に気づくシーンはいかにも映画的.でも演劇ではどうなんだろう.
モード = 暴走ばあさん役は黒柳さんのライフワークだそうだが,モードが楽しく自殺する最期を黒柳さんはどう思っているのかな.
全体として,映画として見たら楽しいだろうと思った.映画・演劇はストーリーに追いまくられてこちらに考える暇がない.でも小説として読むと,荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい.しかし大人のメルヘンだし,ノベライズだから許せる,という冷めた感じになってしまう.
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まだ (また ?) あさってしあさって 語源のこと

2024-05-30 08:59:36 | 読書
5/28 の記事に関連して.画像は

 もりやま みやこ著, はた こうしろうイラスト「あした あさって しあさって」小峰書店 (2014/10/24)

の表紙.

語源由来辞典というページがある.語句ごとのトップイラストが楽しい.あさって と しあさって を要約すると,

鎌倉時代の語源辞書「名語記」によれば
あすさりて→あさて→あさって

「し」を
1 「過ぎし」の意味とする説
2 「ひ (隔)」の転訛とする説
3 「さい (再)」からとし,「さいあさって」が縮まったとする説
4  重なりを意味する「しき(重・敷)」とする説.
しあさっての翌日についても記載あり.
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東京ことば

2024-05-29 11:48:01 | 読書
 田中章夫「東京ことば - その過去・現在・未来」武蔵野書院 (2017/5)

昨日の しあさって問題をもたらした本.アブストラクトがカバーに印刷されている.右画像の「東京っ子ことば」はエッセイとしておもしろかったが,こちらは専門書としておもしろい.著者は大阪外語大,学習院大などで教授をつとめられたとのこと.図版多数.たとえば画像・中は為永春水の「東詞戯談鈔」1836? の広告で「諸国の娘御方に江戸詞をお教え申す」とある.

目次の大項目は*****
「あづま言葉」の原風景 / 東西言語圏の成立 / 江戸言葉の諸相 / 東京語の芽生え / 東京語の文明開化 / 教科書言葉・小説言葉 / 山の手ことば・下町ことば / 東京語圏の拡張と変容*****

理工系の専門書と違って,適当に開いて読み始めて意味が通じるところが良い.


自分 = 16 トンの言葉のルーツを「山の手ことば・下町ことば」に拠って考えてみた.地図の旧市内 15 区が江戸で,戦前の定義では斜線部分が下町・その西が山の手らしい.本書によれば「理屈っぽい山の手言葉,歯切れのいい下町言葉」だそうだ.夏目漱石の小説における登場人物の会話は山の手言葉が主流.漱石本人も「江戸っ子といっても幅のきかない山の手うまれだ」と言っている.

16 トンの生地は旧市内らしいが,終戦直後からは母の実家である世田谷だった.省り見ると父は下町言葉,母は山の手言葉派だった.母は父側の親戚たちの言葉が「落語家みたい」で,内心はお気に召さなかったようだ.このことに思い当たったのは本書のおかげである.

以下は取り止めのないことども.
本郷3丁目に「かねやす洋品店」があったが 2015 年に閉店したそうだ.父曰く「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」.この界隈が彼の遊び場だったらしい.東大構内で理髪店を営んでいた親戚が,漱石の頭を刈っていたのを自慢にしていたそうだ.
その漱石の「草枕」に本郷・藤村の羊羹が出てくる.原材料である小豆の味が濃くて美味しかったと記憶しているが,こちらもだいぶ前に閉店したそうだ.
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あさってしあさってやのあさって

2024-05-28 09:57:29 | 読書
古本市で

 田中章夫「東京ことば - その過去・現在・未来」武蔵野書院 (2017/5)

を買った.帰りの電車でパラ見して,あさっての翌日をなんと言うか問題のページに当たった.この本では江戸時代の文献を引用して論じているが,16 トンなりにまとめてみると,


もともと,江戸開幕以前の関東一円では

 アシタ-(その翌日)→アサッテ-(翌日)→ヤノアサッテ      (1)

という体系があった.そのころの上方 = 京大阪では

 アシタ→アサッテ→シアサッテ      (2)
であった.

江戸の初め,上方から移ってきた人々には,関東の言葉は「坂東声」などと呼ばれ,荒々しく粗野なものに聞こえた.その結果,江戸の文人を中心に,上方の影響を受けた江戸町人言葉が生まれた.ここではシアサッテに顔を立てて,これをヤノアサッテの前日に挿入した

 アシタ→アサッテ→シアサッテ→ヤノアサッテ      (3)

が都市部では一般化した.ただし江戸周辺ではヤノアサッテを優先して

 アシタ→アサッテ→ヤノアサッテ→シアサッテ      (4)

とすることが多い.

16 トンのこども時代はヤノアサッテを聞いたことがない.(3) が退化して (2) に先祖帰りしていたのだろう.学校の先生が田舎っぺで,宿題をいつまでというのに (4) を用い,混乱したことを覚えている.
この先生は「おまえたちはヒとシがわかっていない.ヒアサッテと言わなければならない」と宣ったりしたが,嘘だったなぁ.ちなみに先生はヤノアサッテではなくヤナアサッテと発音したと記憶している.


トップ画像左の地図は田中本からのコピーだが,これは関東一円にとどまらず全国的な問題で,現在にまで尾をひいているらしい.

画像右は

 もりやま みやこ著, はた こうしろうイラスト「あした あさって しあさって」小峰書店 (2014/10/24)

による.低学年だと「あさって」までは分かっても,そのつぎを理解するのはなかなか難しいらしい.


追記

 アシタ→アサッテ→シアサッテ→ゴアサッテ→ロクアサッテ...

ぼく的にはこれがベストと思います.
おとなになって ? 何月何日何曜日で言うようになった.間違いは無くなったが,つまらない.

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楠木正成・正行・正儀

2024-05-27 07:59:06 | 読書
生駒孝臣「楠木正成・正行・正儀 南北朝三代の戦い」発行 : 星海社,発売 : 講談社 (星海社新書 2024/4)

講談社 BOOK 倶楽部の内容紹介
*****時代によって評価が変わった楠木氏三代
鎌倉時代末期から南北朝時代の武将楠木正成とその長男の正行、三男の正儀。この三人の父子が本書の主役である。後醍醐天皇と南朝を支え続け、戦前の教育では理想の「忠臣」として賞賛された正成・正行だが、戦後になると正成は権力に抗う「悪党」へと評価を一変させた。いっぽうの正儀は「裏切り者」のイメージから戦前の教育で触れられることはなかったが、近年は南朝を代表する武将として再評価が進んでいる。時代によって評価が大きく変わった楠木氏三代の実像とはどのようなものか。気鋭の研究者が同時代史料や『太平記』を駆使しながら虚飾のない新たな楠木氏像を再構築していく。
*****

小学校高学年の社会科は,センセイの講談の時間だった.好きこそものの話し上手であって,おかげで ぼくたちには義経・秀吉・元寇などの巷説が身についた.楠 (木) 正成はヒーローと記憶してしまったが,戦後教育のタテマエとは違っていたようだ.

本書では楠木正儀に多くのページを割いている.彼は正成・正行よりずっと長生きした.彼の時代の南朝の軍事力は楠木一党だけと言っても良かったが,京都の地を4度も南朝に奪還した.でも最後は北朝に寝返る.
楠木氏の支配は近畿のほんの一部なのに,全国を曲がりなりにも統治する北朝を相手に合戦を続けられたのはなぜか ?  彼らの経済的基盤を,もっと掘り下げて欲しかった.

林屋辰三郎「南北朝」朝日新聞社 (文庫 1991/1) は手持ちの古い本だが,その記述はけっこう良い線に行っていたようだ.

一昨年? 朝日新聞に今村翔吾の小説「人よ,花よ」が連載された.主人公は楠木正行.北村まさみさんの挿画は紙上ではモノクロだったのがネットではカラーだった.デジタル新聞では初めからカラーだったのかな.
トップ画像左は「楠木正成・正行・正儀 南北朝三代の戦い」のカバー,3人の画像は国立国会図書館蔵「本朝百将伝」による.その右の3葉は朝日新聞連載「人よ,花よ」の,北村さゆりによる挿画より.

小説「人よ,花よ」には北畠親房が敵役として登場するが,本書では影が薄い.
小説には正儀もちょっと登場するが,彼を主人公に小説化したら正行よりおもしろそう...もうプランがあるのかもしれないが.

あとがきの付記によれば,本書は JSPS 科研費の研究成果の一部である.


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漱石の図

2024-05-26 09:33:49 | お絵かき

色調は良いが,人物が胴長で,左手も長すぎ,どう曲がっているか分からない.
子規は西洋絵画由来の「写生」の概念を応用して俳句・短歌の近代化を進めたが,この漱石の絵では写生すなわちデッサンがなってないのだ.

漱石による「子規の図」の文章を一部借りて,「子規」を「漱石」に置き換えてみると*****
漱石はこの簡単な絵を描くために、非常な努力を惜しまなかったように見える。少くとも五六時間の手間をかけて、どこからどこまで丹念に塗り上げている。彼の画は、拙まずくてかつ真面目まじめである。才を呵かして直ちに章をなす彼の文筆が、絵の具皿に浸ひたると同時に、たちまち堅くなって、穂先の運行がねっとり竦んでしまったのかと思うと、余は微笑を禁じ得ないのである。*****

「子規の図」を読むと,漱石は子規の絵も自分の絵と同レベルと信じていたと感じられる.しかし ふたりの死後一世紀以上すぎて,文庫本になったのは子規の絵のほうだった.

夏目鏡子「漱石の思い出」によれば*****
11 月ごろいちばん頭の悪かった最中、自分で絵の具を買ってまいりまして、しきりに水彩画を描きました。私たちがみても、そのころの絵はすこぶるへたで、何を描いたんだかさっぱりわからないものなどが多かったのですが、それでも数はなかなかどっさりできましたようです。もちろん大きいものもないようでして、多くは小品ですが、わけても多いのは はがきに描いた絵です。*****

でもトップの漱石の水彩画が,16 トンは好きだ.
漱石の小説も 違う意味で好きだ.
漱石の水彩画は熊本大学の HP にも寺田寅彦宛の絵葉書など2枚.ネットを探せば他にも見つかりそう.
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桑原茂夫「西瓜とゲートル」

2024-05-25 09:08:19 | 読書
桑原茂夫「西瓜とゲートル - オノレを失った男とオノレをつらぬいた女」‎ 春陽堂書店 (2020/8)

出版社の紹介*****
母の遺品の小さなメモ帳…。
父に赤紙が届いた日から、東京が火の海になるその日までの走り書きのような日記。 その中にはもがくように必死に生き抜く母がいた。
 一方、「よくぞご無事で」復員した父は、どこか「以前のオトーサン」ではなく、何かを南の島に忘れてきたようだった。 家族の記憶から新たに取材、調査も加え、ぜったいに書いておかなければならないと、著者がハラをくくって世に問う、新しい「戦争」ドキュメント!

桑原氏の個人誌「月あかり」連載の書籍化。
*****

図書館で借用.その内容 :

第1部 母のメモを読む
母 = オカーサンのメモは,召集令状が来た昭和 20 年 4 月から,5 月まで.夫は 41 才で召集されたが,徴兵年齢が 40 才から 45 才に引き上げられたばかりだった.写真では読みにくい走り書きだが,著者によって分かち書きされたところは詩のようだ.第1部にはメモと「メモを読み解く」= 著者によるメモの解説が交互にあられる.食べ物と空襲とお父さん = 夫 = オトーサンへの愛惜が大部分.
三田すなわち山手線の田町の内側は,ぼくにも土地鑑無きにしも非ず.親戚付き合い・近所付き合いが濃厚.

第2部 呆然オトーサンと颯爽オトーサン
オトーサンは壊れて呆然オトーサンになって帰ってくる.幼い著者は夜中に目が覚めて,オトーサンの両足が腐臭を放たんばかりに化膿していて,毎晩オカーサンに包帯を取り替えてもらっていることを知る.そのオカーサンは戦中戦後,獅子奮迅で働き続ける.
オトーサンは出征前の颯爽オトーサンに戻ることもあるが,その壊れっぷりがイマイチ分からない.戦前と同じように八百屋を営むのだが,一家で夜逃げをする羽目に陥る.
オトーサンは結局平成元年 呆然オトーサンとして逝ってしまう.

第3部 五島列島へ行く
著者はあちこち役所を訪ね回った挙句,実地にオトーサンの足跡をたどり,五島列島福江島へ.オトーサンが従事したのはもっぱら坑道陣地構築,すなわち穴掘りだったが,米軍が上陸を試みたら,肉薄攻撃・挺身遊撃しなければならなかった.島尾敏雄「魚雷艇学生」の,ベニヤ板で作った一人乗りのボートで敵艦に体当たりする作戦である.
ここで語られる「教育勅語」「軍人勅諭」「戦陣訓」批判は,呆然オトーサンについて読んだ後だけに身に染みる.戦争を知らない子供,広島市長・松井一実が「教育勅語」を肯定しているそうだが,この本を読んだらどうだ.

装丁装画 南伸坊.
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決定版カフカ短編集 フランツ・カフカ/著 、頭木弘樹/編

2024-05-24 08:42:44 | 読書
 フランツ・カフカ,頭木弘樹 編「決定版カフカ短編集」新潮社 (文庫 2024/5).

出版社による紹介*****
この物語はまるで本物の誕生のように脂や粘液で蔽われてぼくのなかから生れてきた――。父親との対峙を描く「判決」、特殊な拷問器具に固執する士官の告白「流刑地にて」、檻の中での断食を見世物にする男の生涯を追う「断食芸人」。遺言で原稿の焼却を頼むほど自作への評価が厳しかったカフカだが、その中でも自己評価が高かったといえる15編を厳選。20世紀を代表する巨星カフカの決定版短編集。*****

新潮社版 決定版カフカ全集 (1980-81) から選ばれた短編集.新訳ではない.訳者を目次に明記して然るべきと思うが,最終ページに「底本一覧」があるだけ.編者は思うところがあって,敢えてこうしたらしい.
冒頭の5篇はカフカの自己評価に従って選出,最後の7篇は生前未発表だった作品群ということだが,冒頭のは概して長く,5篇でこの本のページの7割を占めていて,読み応えがある.

タイトルの「決定版」は「決定版...全集」から選んだから,と言うのがひとつの理由だそうだが,岩波文庫版カフカ短編集も意識しているのだろう.後者は池内紀 訳で統一されている.

ところで,カフカといわれて反射的に思い出すのが可不可の文字である.大学教養課程の試験で可 (その上の良・優) なら及第,不可なら落第.カフカはドイツ語のテキストだったのは覚えているが,内容は忘れた.この短編集のひとつだったのかもしれない.

でも講義に触発されて「変身」を読んだ覚えはある.ただし日本語で ! 実存主義・不条理文学・シュールリアリズムといった言葉が当時は好きだったのだ.
いま読むと,陰陰滅滅,無茶苦茶な設定なのに理屈っぽい.閉口だ,とか言いながら つぎからつぎと 結局読了.

装丁 緒方修一.
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漱石「子規の画」-> 東大入試問題

2024-05-23 09:27:47 | 読書
一昨日の「正岡子規スケッチ帖」に関連して.

この本にある,夏目漱石の「子規の画」と題する文章 (東京朝日新聞 2012/7/4) が 東京大学 2021 年 前期日程 国語(文科) 第4問 のネタになっている.全文が引用されているが,設問は4題.ネットには,例えば敬天塾などの予備校による解答解説が多数存在している.

問題の子規の画そのものは試験問題にはない.岩波文庫版にはモノクロで掲載されていた.トップ画像はネットで拾ったもの.

まず,16 トンの漱石批判.『...』は「子規の画」からの引用.

これは絵葉書・絵手紙のたぐいである.『図柄として単簡』で,『3色しか使っていない』が,それで必要十分だ.1輪の花,ふたつの蕾,9枚の葉のバランスも良い.『僅か3茎の花に少なくとも 5-6 時間の手間を掛けて,何処から何処迄丹念に塗り上げている』と言うが,肘をついて描いても小1時間もあればできそうだ.スケッチ帖「菓物帖」「草花帖」には作画の月日が記載されていて,もっと大きいサイズを日に 2-3 枚描いたこともあったことがわかる.来客の相手をしながら描くこともあったようだ.

油彩画なら,何処から何処迄丹念に塗り上げるだろうが,ここで塗っているのは花と葉と花瓶だけだ.西洋画はネチネチと塗り上げるが,日本画は一気呵成に描く.西洋画は修正するが,日本画は気に入らなかったら捨てて最初から描き直す.
子規のこの画は日本画と西洋画の中間を行っているようだ.『彼の文筆が、絵の具皿に浸ると同時に、 たちまち堅くなって、穂先の運行がねっとり嫌んでしまった』という見解には賛成できない.慎重ではあるが,スケッチもなく,いきなり描いている.

16 トンもときどき描く.
その立場から考えると,東菊の画を右に「あづま菊いけて...」の和歌を左に配せば作品としては一応完成だ.
しかしこれだけでは,親しい友人に送るにはどこか余所余所しく,照れくさい.敢えて画面を汚し,余白に戯れ言を書こうか.画は悪くないのだが,夏目のことだから,職業画家の画しか評価できないだろう.『自分でもさう旨いとは考へて居なかった』ことにして『下手いのは病気の所為だと思いたまえ』くらい言ってやるか...

思い出したようにこの画を取り出して,寒い藍で表装し,『淋しい感じがする』と言われるのも迷惑だ.画が淋しいのではなく画を見て思い出したら淋しくなったのだ.
しかし和歌なしで,暖色系の表装で純粋に画だけにしたら,また感じが変わるだろう.

以上のような目で見ると,予備校作成のような模範解答は出てこない.
そもそも試験問題というもの,出された文章は正しいものという前提が絶対である.受験生のほとんどは子規が画を描くことなんか知らないし,知らなければ漱石の文章はすんなり頭に入る.4設問にうまく答えることは,忖度して,つまり無難なことだけを書いて,どうすればゲームに勝てるか,みたいなものだ.

最後設問の「『淋しさの償いとしたかった』にあらわれた『余』の心情について説明せよ」という設問には 16 トンは答えられない.特に『償い』が分からない.
子規に対してこの画は小さくまとまりすぎている,『もう少し雄大に発揮させて』は分からないでもないが,絵葉書絵手紙にそれを注文するのは間違っている.


数学と物理の入試問題は作ったことがあるが,国語の問題は誰がどのように作るのだろうか.
じつは 16 トンの拙文も入試問題化したことがあるのだけれど...

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正岡子規スケッチ帖

2024-05-21 21:12:10 | お絵かき
復本一郎 編「正岡子規スケッチ帖」岩波書店 (文庫 2024/5).

出版社による紹介*****
「写生は多くモルヒネを飲みて後やる者と思へ」。子規の絵は味わいある描きぶりの奥に気魄が宿る。子規にとって絵を描くことは病床の慰めや楽しみ以上の、生きるよすがであった。最晩年の三か月に描き、『果物帖』『草花帖』『玩具帖』と題してまとめられた画帖をオールカラーで収録。漱石、鼠骨ら、子規の絵をめぐる文章を併載する。*****
目次
第一部 子規のスケッチ帖 『菓物帖』『草花帖』『玩具帖』
第二部 子規の絵画観
第三部 子規の絵をめぐって 寒川鼠骨,下村為山,夏目漱石
解題 『玩具帖』について(平岡瑛二)
編者解説(復本一郎)
*****

丸善で発見.こーゆー本が出ていること,大書店でなければわからない !!

文庫本見開きに絵が一枚のわりつけだが,「のど (書物の紙をとじてある背の方の部分 ; コトバンク)」にあたる部分が見えない.トップ画像左はカバーだが,本の中では右のようにしか見えない.

電子本にしてくれたほうが良いかったかも... と思ったら.スケッチ帖のうち『菓物帖『草花帖』は国会図書館蔵で,ホームページで閲覧可能であった.
下の4枚は『菓物帖』から 枝豆,桜の実,『草花帖』から美人蕉,野菊.枝豆の中身のぷくぷく感,美人蕉の葉のリアル,野菊の構図などうまいものだ.
トップ画像の明治のバナナは今スーパーに並んでいるのより,ずっと野生的だったと感じられる.バナナの文字がナカヌキなのが楽しい !

子規記念博物館蔵『玩具帖』は死の直前の作品だが,『菓物帖』『草花帖』の のびのびとした感じが欠けていた.

本書で漱石は子規の画を「拙」とかたづけているが,意義アリ !

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