エーリヒ・ケストナー , 酒寄 進一 訳「終戦日記一九四五」岩波書店 (岩波文庫 2022/6/15).
こども時代
「五月三十五日」でケストナーのファンになり,以後「ふたりのロッテ」,「動物会議」など,けっこう読んだ.大人向きの小説「
ファビアン」は,ぼくにはあまりおもしろくなかった.
ケストナーはファシズムを非難し自由主義・民主主義を擁護したため,ナチス政権によって 1933 年に作家活動を禁じられた.国外に亡命した反ナチ文化人が多いなか,ケストナーはあえてドイツにとどまり,内的亡命者と呼ばれるに至った.
ケストナーの日記の原本「青い本 秘密の戦中日記」は 1941 年,1943 年,1945 年の3期に分かれていて,本書は 1945 年のぶん.おもしろいわけがない,最後まで読めるだろうか と思いながら図書館で借りたのだが,意外なことにおもしろく読了した.
著者の住所はベルリン,チロルのマイヤーホーフェン,ミュンヘンと点々とする.ベルリン時代の記述に感じられるナチ政権下の逼塞感は「
ハルムスの世界」と共通したものが感じられた.体制の不条理,その批判は皮肉っぽい文章にせざるを得ないことなど,ハルムスとおなじ境遇だったのだろう.
マイヤーホーフェン村にはナチの国策映画の撮影班の一員として疎開する.こうしたことを斡旋してくれる良き友人に恵まれているところは,人徳だろうか.
村人の目は冷たい.彼らの手前,フィルムが入っていないカメラで撮影を演技するなど,撮影班は全員が共犯である.
撮影班への給金は滞る.作業員たちで錠前屋・仕立屋・家具屋・床屋としての腕があるものは稼ぐことができるが,書けない作家・ケストナーは持ち金がなくなればそれまでだ.この話題は何度も繰り返される.
日本の庶民にとっては,戦争は玉音放送で突然終わったと感じられたことだろう.しかしヨーロッパは地続きだから,米軍と赤軍が日いちにちとドイツ領に迫り,次は領内を進軍して来る.ラジオには各国の放送が入り,どれを信用して良いのかわからない.
著者はずっと米軍には好意的で赤軍を嫌っている.
1945 年5月の記述には「ドアは開いているのに西側列強はいつもそのドアの前で足踏みし,スターリンに言う『どうぞ! お先に』」.この懸念は,後の米ソ英仏によるドイツの分割統治として実現したようだ.
戦後アメリカ人はドイツの知識人が独裁に無抵抗だったことを非難する.1945 年 7 月の日記に著者は「わたしたちは上からの命令があれば,集団でおのれの命を捧げる.それは国民性なのだ.わたしたちは国家による虐待に甘んじるマゾヒストなのだ」と書いている.
最後の「追記」の最後で,広島・長崎への原爆投下に触れている.
ぼくが読んだケストナーの児童文学はみな高橋健二訳だった.ケストナーの敗戦日記も,この坂寄訳に先立って高橋健二訳が出版されている.
本書解説によれば,高橋は戦時中は大政翼賛会宣伝部長の職にあったということだ.内的亡命者ケストナーは 1899 年生まれ,高橋は 1902 年生まれで同世代.高橋の戦後の転向 ? については,高田 里惠子「文学部をめぐる病い - 教養主義・ナチス・旧制高校」ちくま文庫 (2006/5) に,おもしろおかしく書いてあるらしい.