路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

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【米国】:「日本は1945年以来学んでいない」 USスチール買収意欲の米企業CEO、猛批判展開

2025-02-20 23:59:30 | 【経済・産業・企業・起業・関税・IT・ベンチャー・クラウドファンティング

【米国】:「日本は1945年以来学んでいない」 USスチール買収意欲の米企業CEO、猛批判展開

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【米国】:「日本は1945年以来学んでいない」 USスチール買収意欲の米企業CEO、猛批判展開 

 米鉄鋼大手クリーブランド・クリフスゴンカルベス最高経営責任者(CEO)はUSスチールの買収に重ねて意欲を示した13日の記者会見で、先の大戦を引き合いに日本への批判を展開した。日本に対し「世界が平和になるにはわれわれの血を吸うのをやめないといけない。1945年以来、われわれの実力を学んでいない。日本は自分が何者であるか理解していないことを自覚すべきだと述べた。

記者会見する米クリーブランド・クリフスのゴンカルベスCEO(共同)

 ◆日本は中国より悪い

 クリーブランド・クリフスは、日鉄が2023年12月に買収計画を表明する前にUSスチールの買収に手を挙げた経緯がある。

 ゴンカルベス氏は会見で「中国は悪い。中国は邪悪だ。中国は恐ろしい」と述べつつ、「しかし日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の手法を教えた」と言及した。

 日鉄によるUSスチール買収を巡り、バイデン米大統領が3日に国家安全保障を脅かす恐れがあるとして禁じたことについて、ゴンカルベス氏は「ようやく、やるべきことをやった」と評価した一方、6、7日の日程で来日したブリンケン国務長官に関しては「最初に行ったのは日本人とすしを食べることだった」と述べ、不十分だとした。

 ◆石破首相はトランプ氏に同じ要求を

 石破茂首相が6日の記者会見で、バイデン氏の買収禁止命令を疑問視したことに関しては、「この首相には(20日の米大統領就任式まで)後7日待って、同じ要求をトランプ次期大統領に繰り返してもらいたい」と挑発気味に語った。

 ゴンカルベス氏は「米国第一主義」について「恥じていない。米国人の幸福が必要だ。それさえあれば世界は平和になる」と持論を展開した。一方で、「私は日本人を心から尊敬している。日本人は善良で素晴らしい人だ。ただ日本政府は違う」とも語った。

 ゴンカルベス氏は会見で、買収に引き続き関心を寄せた一方、「USスチールが日鉄による買収を断念する決定をしない限り何もできない」と言及している。

 元稿:産経新聞社 主要ニュース 国際 【北米・カナダ・米鉄鋼大手クリーブランド・クリフスのゴンカルベス最高経営責任者(CEO)はUSスチールの買収に重ねて意欲】  2025年01月14日  16:47:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【機密文書・前編】:アメリカ原爆「機密文書」に書かれていた「重要事実」…! 『マンハッタン計画』指揮者が知っていた「放射線被害の本当の恐ろしさ」と、「オッペンハイマー宛のメモ」の中身

2025-02-20 23:58:50 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【機密文書・前編】:アメリカ原爆「機密文書」に書かれていた「重要事実」…! 『マンハッタン計画』指揮者が知っていた「放射線被害の本当の恐ろしさ」と、「オッペンハイマー宛のメモ」の中身

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【機密文書・前編】:アメリカ原爆「機密文書」に書かれていた「重要事実」…! 『マンハッタン計画』指揮者が知っていた「放射線被害の本当の恐ろしさ」と、「オッペンハイマー宛のメモ」の中身

 ◆機密「広島と長崎における原爆爆発の生物学的影響」

 「原爆の放射線に即死するほど晒されなかった被害者は、過度に苦しむことなく死ぬだろう。実際、それは非常に気持ちのいい死に方だと言うことだ」

 これは、原爆の開発・製造目的で1942年に開始された「マンハッタン計画」の最高責任者レスリー・グローブス将軍(映画『オッペンハイマー』では、マット・デイモンが演じている)が、原爆が投下された1945年の11月に「原子力エネルギーに関する米上院特別委員会」の公聴会でした証言である。

 “被爆者が非常に気持ちのいい死に方をする”とは、とんでもない発言だ。当時、「マンハッタン計画」を主導した人々は、放射線の影響について、どの程度、認識していたのだろうかーー。

 8月7日、そんな疑問に答える、機密解除された文書「広島と長崎における原爆爆発の生物学的影響」が公開された。この文書は、1970年代に数回の審査を経て非機密化されていたが、公開されたのは今回が初めてとなる。

 多くの政治家を輩出している名門ジョージ・ワシントン大学の私立研究機関「国家安全保障アーカイブ」がFOIA(情報公開法)を通じて行ったリクエストに対し、米国家核安全保障局が公開したこの文書は、「マンハッタン計画」のためにニューメキシコ州ロスアラモスに創設されたロスアラモス国立研究所のアーカイブの中から見つかった。ちなみに、「国家安全保障アーカイブ」は、原爆に関する機密文書をこれまで数年にわたって入手しており、この文書以外にも、様々な文書をサイトで公開している。

初公開された機密文書

 上の画像が、原爆投下の翌月1945年9月1日付けのその文書。ロスアラモス研究所の4名の科学者が、同研究所原爆計画爆発部長ジョージ・キスチャコウスキーの依頼で、広島と長崎に投下された原爆がもたらす生物学的影響についてリサーチして書いたメモランダムである。

 ◆「約800〜900メートルの範囲内で致命的な可能性」

 この文書は、書かれたその日までは指摘されることのなかった重要な事実を露呈している。科学者たちが“放射線被曝が、原爆の爆撃で亡くなった人々の死亡原因の一つになる可能性がある”と結論づけているのだ。この文書でそのことが指摘されるまでは、原爆の被害者は主に爆風や熱によって死亡すると想定されていた。つまり、この文書は、初めて、放射線被曝が原爆の被害者の死を引き起こした可能性を指摘した貴重な文書と言える。

 初公開された機密文書

 具体的には、原爆の爆発直後に発生するガンマ線が人体に致命的な影響を与える可能性があることや、生存者でも爆撃から何週間も経って亡くなる可能性があることが、以下のように述べられている。

 「爆発後、数秒以内に放射されるガンマ線は、致死量が599〜900レントゲンであるため、約800〜900メートルの範囲内で致命的となる可能性がある。この種の放射線の場合、この範囲内で奇跡的に生存した人であっても放射線によって命を落とすだろう。このケースでは、数週間後に亡くなることもある」

 また、放射性粒子による影響についても言及されている。

 「地面に堆積した放射性物質から出る放射線による生物学的損傷は算出できない。これはほぼ無視できる可能性があるが、降下する塵粒子の活性物質が堆積することは排除できない」

 ◆「オッペンハイマー」へのメモ

 放射線被曝が引き起こしたと思われる病気や死亡については、原爆が投下された後、日本でも報じられていた。しかし、「マンハッタン計画」の最高責任者レスリー・グローブス将軍は、この文書の日付の前日にテネシー州オークリッジで行われた記者会見で、“放射線が死亡を引き起こしたという事実はなく、報道は日本のプロパガンダだ”と主張して、放射線の影響を否定していた。

 つまり、グローブス将軍の主張は、4人の科学者が書いた“放射線被曝が原爆の被害者の死因の一つになる”としている前述の文書と真っ向から矛盾していた。そのため、文書を受け取ったチャウコウスキーは、当時ロスアラモス研究所所長を務めていたロバート・オッペンハイマー宛てのメモの中で「グローブス将軍が大胆な主張をした」と戸惑い、その文書をすぐにはグローブス将軍に送らなかった。

オッペンハイマー(左)とグローブス将軍(右) photo/gettyimages

 しかし、グローブス将軍は、本当に、放射線の影響を認識していなかったのだろうか? そうとは思えない。「国家安全保障アーカイブ」に掲載されている様々な文書がそのことを示唆している。

 例えば、1945年7月21日、アメリカがニューメキシコ州で“トリニティ実験”と呼ばれる人類初の核実験でプルトニウム原子爆弾を爆発させてから数日後、「マンハッタン計画」主任医務官スタフォード・ウォーレンは、最高機密報告書の中で、「キノコ雲から降下する粉塵は、爆発実験地点から約30マイル、北東約90マイルにわたって、非常に深刻なハザードを引き起こす可能性がある。空中には非常に大量の放射性の塵が浮遊している」と報告していた。

 また、ウォーレンらは、後に、実験地点から最大100マイル先まで大量の放射性降下物があったことを発見している。そこでは、ベータ線で焼かれて背中の毛が白色化した牛まで見つかっていたのだ――。

 後編記事『アメリカ原爆「機密文書」が“初公開”で判明…! 『マンハッタン計画』指揮者が「無視]した“放射線被害の深層”と、「日本のプロパガンダだ」発言のウラで漏らしていた「本音」』では、さらに機密文書に残されていた“深層”についてレポートしよう。



 ■飯塚 真紀子
MAKIKO IIZUKA

 在米ジャーナリスト。大分県生まれ。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業後、雑誌編集を経て渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会問題、トレンドなどをテーマに様々な雑誌に寄稿。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲルなど多数の知識人にインタビュー。著書に 『9・11の標的をつくった男 天才と差別―建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社)、『そしてぼくは銃口を向けた 』、『銃弾の向こう側―日本人留学生はなぜ殺されたか』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社)、訳書に封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか(講談社 )などがある。

 元稿:現代ビジネス 主要ニュース 社会 【話題・機密解除された文書「広島と長崎における原爆爆発の生物学的影響」が公開・担当:飯塚 真紀子・在米ジャーナリスト】  2023年08月15日  07:33:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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【機密文書・後編】:アメリカ原爆「機密文書」が“初公開”で判明…! 『マンハッタン計画』指揮者が「無視」した“放射線被害の深層”と、「日本のプロパガンダだ」発言のウラで漏らしていた「本音」

2025-02-20 23:58:40 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【機密文書・後編】:アメリカ原爆「機密文書」が“初公開”で判明…! 『マンハッタン計画』指揮者が「無視」した“放射線被害の深層”と、「日本のプロパガンダだ」発言のウラで漏らしていた「本音」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【機密文書・後編】:アメリカ原爆「機密文書」が“初公開”で判明…! 『マンハッタン計画』指揮者が「無視」した“放射線被害の深層”と、「日本のプロパガンダだ」発言のウラで漏らしていた「本音」

 ◆「初公開」機密解除された文書に書かれていたこと

 8月7日、アメリカで機密解除された文書「広島と長崎における原爆爆発の生物学的影響」が公開された。今回初公開された貴重文書であることは言うまでもないが、その中では「爆発後、数秒以内に放射されるガンマ線は、致死量が599〜900レントゲンであるため、約800〜900メートルの範囲内で致命的となる可能性がある」などと指摘。当時、原爆の被害者は主に爆風や熱によって死亡すると想定されていた中で、初めて放射線被曝が原爆の被害者の死を引き起こした可能性を指摘した貴重な文書が初公開された形なのだ。

公開された機密文書

 しかし、「マンハッタン計画」の最高責任者レスリー・グローブス将軍が、この文書の日付の前日にテネシー州オークリッジで行われた記者会見で、“放射線が死亡を引き起こしたという事実はなく、報道は日本のプロパガンダだ”と主張していたことを記事『“初公開”アメリカ原爆「機密文書」に書かれていた「重要事実」…! 『マンハッタン計画』指揮者が知っていた「放射線被害の本当の恐ろしさ」と、「オッペンハイマー宛のメモ」の中身』では紹介した。「マンハッタン計画」主任医務官スタフォード・ウォーレンもまた、最高機密報告書の中で、「キノコ雲から降下する粉塵は、爆発実験地点から約30マイル、北東約90マイルにわたって、非常に深刻なハザードを引き起こす可能性がある。いったいなぜ、放射線被害についての現実は“無視”されたのかーー機密文書には苦悶する指揮官の「本音」が残されていた。 

 ウォーレンは、グローブス将軍宛ての7月25日付の文書の中でも、都市上空での原爆の爆発が放射線ハザードや火事などを引き起こすと指摘、また、原爆の放射線は、爆発後に都市入りする軍隊にも危険を与える可能性があり、文書の最後に添付されている表で、放射線を大量に浴びた場合、多くの軍隊は「永久的なダメージ」を受ける可能性があると分析している。

 つまり、グローブス将軍はこの時点で、放射線の影響が十分わかっていたはずだ。

 しかし、グローブス将軍は、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル将軍宛てに送ったトリニティ実験に関する7月30日付けの文書の中で、原爆が引き起こす爆風の影響については強調しているものの「地上では、放射性物質のダメージを受けないことが予想される」と放射線の影響を否定している。ここでも、ウォーレンの指摘は無視されてしまった。

 ◆「(日本の)上手いプロパガンダだ」と一蹴した

 そして、8月6日には広島に、9日は長崎に原爆が投下される。日本では、すぐに、原爆の放射線が引き起こしたと考えられる病気や死亡が報じられた。その報道はグローブス将軍の耳にも入り、1945年8月25日、将軍は、放射線の影響を報じる日本のラジオ放送についてオークリッジ病院の外科医と電話会談をしている。

 2人は、日本のラジオ放送が「広島は死の街となり、25万人が住む街の90%の家が即座に破壊された。今は幽霊が後進している。生存者は放射線火傷で死ぬ運命にある」と報じたことについて、「それは上手いプロパガンダだ。人々は熱傷を受けているだけだ」と一蹴している。

 9月7日、グローブス将軍は、ハーバード大学学長で「マンハッタン計画」にも深く関与したジェームズ・コナント氏と電話会談をしているが、その時も「放射線で人がなくなっているという報道には根拠がない」と言い切っている。

 グローブス将軍の“放射線の影響否定”はその後も続いた。

 前述のウォーレンは、グローブス将軍に宛てた11月27日付けの原爆調査報告書の中で、「広島と長崎の病院に入院した約4,000人の患者のうち約1300人に当たる33%が放射線の影響を受け、そのうち約半数が死亡した」と書いている。

 しかし、その3日後の1945年11月30日、「原子力エネルギーに関する米上院特別委員会」の公聴会で、議員から、原爆が投下された日本の2都市で「放射性の残留物」があるかどうか尋ねられたグローブス将軍は「ない。確定的にない」と断言した。ウォーレンが原爆調査報告書で伝えたことは無視されてしまった。

 ◆グローブス将軍への「あるアドバイス」

 また、原爆と放射線については「わずかな日本人に放射線被害を与えるか、10倍のアメリカ人の命を救うかという選択肢しかなかった」とし、「原爆が実際に爆発した時以外は、誰も放射線で負傷していない。それは瞬間的なダメージだ」などと放射線の影響を軽視する主張も展開した。

 さらに、グローブス将軍は、ここで、恐るべき証言をする。

 「普通の人間が、爆撃の範囲内で、放射線の影響で殺されるのは実際偶然の出来事だ。原爆の放射線に即死するほど晒されなかった犠牲者は過度に苦しむことなく死ぬだろう。実際、それは非常に気持ちのいい死に方だと言うことだ」

 当然のことながら、グローブス将軍のこの証言は「とんでもない虚偽」と大バッシングされた。

グローブス将軍 photo/gettyimages

 このように、グローブス将軍は、放射線の影響については、原爆投下前からウォーレンに知らされていながらも、また、原爆投下後に冒頭の「広島と長崎における原爆爆発の生物学的影響」に関する文書が出されていながらも否定し続け、国民や議会を欺いてきたのだ。

 なぜか?

 文書には、“放射線による病気や死亡報道”に対し、同僚が「アンチ・プロパガンディストを出した方がいい」と日本のプロパガンダに対してアンチ・プロパガンダするようグローブス将軍にアドバイスしているくだりがある。

 ◆『マンハッタン計画』指揮者が「漏らした本音」

 それに対し、グローブス将軍はこう答えている。

 「それはできない。ダメージは全て、我々が引き起こしたからだ。我々は坐して待つ以外何もできない」

 加えて、日本はプロパガンダで同情を集めようとしているが、その状況を生み出した張本人はアメリカだという自覚も示している。

 「彼ら(日本側)は同情を集めようとしている。悲しいのは、それをアメリカが始めたさせたことだ。日本人が、爆撃から数日後に奇妙に亡くなっており、アメリカの偉大な放射線研究所でよく知られている現象の被害者の可能性があるということが、我々にダメージを与えている」

 原爆を開発し投下したアメリカとしては、日本に対して何も言えない状況だったのだ。結局のところ、放射線被害報道は日本のプロパガンダと決めつけることが、グローブス将軍ができた唯一のアンチ・プロパガンダだったのかもしれない。

 ◆「熾烈な核兵器開発競争」につながる「欺瞞」

 また文書で、民主党の上院議員が「アメリカ国内には、原子力とその利用に対する“非常に強い恐れ”がある」と指摘していた。国民が原子力に恐れを抱くなか、アメリカは、原子力を利用した核兵器の開発を推進しようとしていたのだ。

 日本に投下された原爆による放射線被害を否定する戦略をとらなければ、世論は反核へと向かうことになるとグローブス将軍は危惧したのだろう。何より、「マンハッタン計画」を指揮した者としての矜持もあったのではないか。

 グローブス将軍は、戦後も核兵器に関わり続けた。1947年に生み出された「武装部隊特別兵器プロジェクト(AFSWP)」の初代チーフに任命され、米軍の核兵器の監督を行った。
 
 そして幕を開けたアメリカとソ連による熾烈な核兵器開発競争。その始まりには、放射線の影響を無視し、否定した男の欺瞞があったのかもしれない。



 ■飯塚 真紀子
MAKIKO IIZUKA

 在米ジャーナリスト。大分県生まれ。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業後、雑誌編集を経て渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会問題、トレンドなどをテーマに様々な雑誌に寄稿。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲルなど多数の知識人にインタビュー。著書に 『9・11の標的をつくった男 天才と差別―建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社)、『そしてぼくは銃口を向けた 』、『銃弾の向こう側―日本人留学生はなぜ殺されたか』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社)、訳書に封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか(講談社 )などがある。

 元稿:現代ビジネス 主要ニュース 国際 【話題・米国で機密解除された文書「広島と長崎における原爆爆発の生物学的影響」が公開・担当:飯塚 真紀子・在米ジャーナリスト】  2023年08月15日  07:33:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【ニュースの教科書】:「原爆映画」の日米ギャップ突き破った奇跡的映画 映画史に異彩を放った「太陽を盗んだ男」

2025-02-20 23:58:30 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【ニュースの教科書】:「原爆映画」の日米ギャップ突き破った奇跡的映画 映画史に異彩を放った「太陽を盗んだ男」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【ニュースの教科書】:「原爆映画」の日米ギャップ突き破った奇跡的映画 映画史に異彩を放った「太陽を盗んだ男」

 ■<ニュースの教科書>

 映画「バービー」の主人公の髪形を「キノコ雲」に加工したSNS画像が波紋を呼び、日米間の原爆に対する認識の違いが改めて浮き彫りになりました。底流に平和への思いが込められた作品でも、そもそも日米では視点が違うのです。映画史をひもとくと、そんなギャップを乗り越えた挑戦的な作品もありました。【相原斎】

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 1945年7月16日のアメリカ山岳部戦時標準時の5時29分45秒、トリニティ実験における「ガジェット」が爆発。その0.025秒後の火球をハイスピードカメラによって撮影された写真がこちら。地平線に沿った黒点は樹木と思われます。この爆発でTNT(トリニトロトルエン)換算約19キロトンのエネルギーが放出され、爆心地には放射能を帯びたガラス質の石からなる、深さ3m直径330mのクレーターが残されたとのこと。 GETTY IMAGES

             ◇    ◇    ◇  

 着せ替え人形を主人公にした「バービー」と、原爆開発者の半生を描いた「オッペンハイマー」が、くしくも米国で同時公開となったことが騒動のきっかけとなりました。注目作を「2本立て」で観賞する映画ファンが多く、バービーの髪形をキノコ雲に加工した画像などが次々にSNSに投稿されたのです。日本からすれば無神経な行為に映り、腹立たしい思いや悲しい思いをされた方も少なくないと思います。一方で、戦後間もない頃からキノコ雲のポップアートを当たり前のように目にしていた米国人にとっては、陥りやすい「画像加工」であったことも確かです。一連の投稿は日本からの批判を受けて削除され、配給元が謝罪する事態となりました。

 「バービー」は、「レディ・バード」(17年)で高評価を得たグレタ・ガーウィグ監督がメガホンを取った意欲的な作品です。女性が主人公の「人形世界」からやってきたバービーの目を通し、いびつな男社会の現実を浮き彫りにしています。

 クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」も、原爆開発者の苦悩を通して反戦反核の色濃い作品です。ロサンゼルス在住の千歳香奈子通信員によれば「若者向けの作品が多いサマーシーズンには似つかわしくない3時間超えの伝記映画にもかかわらず、異例のヒットになっています」。

 本来良心的で質の高い2作品の公開日がたまたま重なったことで、日米の認識の違いが改めて浮き彫りになったのです。

 「オッペンハイマー」には広島、長崎への原爆投下とその後の惨劇を描くシーンがありません。ノーラン監督の一種の配慮かもしれませんが、これが日米の視点の違いを端的に示しているように思います。

 今村昌平監督(06年、79歳没)の「黒い雨」(89年)は、対照的に原爆投下後の放射性降下物(フォールアウト)が題材です。公開当時、主演した田中好子(11年、55歳没)にインタビューする機会がありました。

田中好子は神妙な表情でインタビューに応えた(89年3月18日の紙面から)

 

 キャンディーズの解散で「スーちゃん」から女優に転身してちょうど10年。ほっそりとした外見に大きな瞳がよけいキラキラと目立ったことを覚えています。ロケ地岡山県の山村で半年間の「合宿撮影」を経て、体重はアイドル時代より8キロ落ちて「39キロになりました」と明かしました。

 劇中、田中演じる娘は、被爆した一家3人の中でただ1人原爆症の兆候が表れません。しかし、数年後のある日、ふろ場で黒髪がごっそりと抜け落ちてしまいます。どこかあきらめたような薄笑いの演技が記憶に残りました。

 「原爆が原因で、周囲がみんな死んでいく。1人で幸せになれない。むしろ、みんなの仲間になった方が…。そんな不思議な笑いなんですよね」

 田中は主人公の気持ちをそんな風に解釈したそうです。両親は東京・足立区で釣具店を営んでいましたが、戦時中、海軍工廠(こうしょう)に徴用されていた父親には悲しい経験と複雑な思いがあったようです。

 「撮影中の話をしたら、父が『これでお前にも一億玉砕の意味が少しは分かるだろう』って。確かに感じるところがありましたね」

 スーちゃん時代のイメージが残っていたこともあって、しみじみとした思い出話は意外でもあり、日本に根差した原爆や戦争への思いを改めて実感しました。

 戦勝国の米国で、反核の思いを伝えようとするなら、「オッペンハイマー」のような理性的な語り口が必要とされるのは想像に難くありません。対照的に、唯一の被爆国である日本の映画には、語り継がれる体験が感性として染み込んでいるのだと思います。

「ザ・デイ・アフター」の公開当時のポスター

 

 米中部のカンザスシティーを舞台に、米ソ核戦争勃発を想定した「ザ・デイ・アフター」(84年)では、核兵器の影響が科学的データに基づいて描かれています。「客観」に徹したニュース映像のようなカメラワークで、「30分以内にソ連のミサイルが飛来」という現実を受け止められない市民の表情が印象的でした。

 対して、新藤兼人監督の「原爆の子」(52年)を始め、「はだしのゲン」(76年、中沢啓治原作、山田典吾監督)「父と暮らせば」(04年、井上ひさし原作、黒木和雄監督)などの作品には、ダイレクトに心を揺さぶられてきました。 

 日米間の拭いがたいギャップを乗り越え、独特の視点から原爆の恐ろしさを印象づけて映画史に異彩を放っているのが「太陽を盗んだ男」(79年)です。

 この3年前に「青春の殺人者」を撮って一躍スター監督となった長谷川和彦監督(77)が、米国の脚本家レナード・シュナイダー(06年、62歳没)と共同で脚本を執筆したことで、米国的とも言えるちょっと突き放したような視点が生まれたのだと思います。

 中学校の理科の教師が原爆を作って政府を脅迫。その最初の要求は「プロ野球のナイター中継を打ち切らずに最後まで放送しろ」。大胆なストーリーには「ハリウッド的アイデア」が感じられます。

 一方で母親が原爆投下2日後の広島市に入り、胎内被爆している長谷川監督は、後にトークショーで「オレはおふくろの胎内で被爆しているのだから被害者そのものだと思うよ。ただその前に原爆なんてものを作ったり、落としたりする人類の一員であるわけで、そのことは避けて通れない」と、この作品に向き合う姿勢を明かしています。

 原子力発電所からプルトニウムを盗みだしてから原爆製造までの細密な描写に加え、劇中には国会議事堂や皇居前のアクションシーンもありました。そのきわどい内容は、今なら「バービー」騒動のような批判の嵐にさらされたかもしれません。ネットもSNSもなかった当時でも、資金集め、ゲリラ的撮影、そして公開決定までの間には綱渡りのような局面が何度もありました。

 ビッグスターの顔合わせが大きな原動力になったことも確かです。31歳で人気絶頂だった沢田研二が長谷川監督らの熱意に賛同して主演。脂ののりきった46歳の菅原文太(14年、81歳没)とスケジュール調整がついたのも当時としては奇跡のようなことでした。

 コンプライアンスの現代ではあり得ないゲリラ手法には運も味方しました。主人公が妊婦に扮装(ふんそう)して国会議事堂に潜入するシーンは逮捕覚悟の隠し撮りです。

「太陽を盗んだ男」の沢田研二(手前)と菅原文太(79年、東京・北の丸公園の科学技術館屋上で)

 

 沢田は後に「守衛さんは1人で『あれっ』て顔をしていたのでそのまま歩きました。撮り終わった瞬間にスタッフたちが僕を連れ出して逃げ帰ったんです」と振り返っています。

 製作費3億7000万円の半分近くが未調達のままの見切り発車でもありました。プロデューサーの山本又一朗氏(75)に改めて話を聞きました。

 「ゴジ(長谷川監督の愛称)の熱意が分かるから脚本を切るわけにはいかない。例えば皇居前の撮影には4省庁の許可が必要だったけど、どこもOKを出さない。それでも『やりますよ』と。そうしたら当時の皇宮警察のトップがささやくように『いつですか?』って。その日に連絡したら、車止めの一部がさりげなく取り払われていた。もちろんその後ろには何重ものガードがあるんですけどね。お金に関しては、確実にヒットが見込める映画を並行して作ることで乗り切ったんですね。それがいしいひさいちさんのコミック『がんばれ!!タブチくん!!』のアニメ化でした。想定以上の大ヒットとなり、続編も2本続きました。あれがなかったら、僕は億を超える負債を背負って、2度と立ち上がれなかったかもしれない」

 文字通り綱渡りの裏側がうかがえます。

 「太陽を盗んだ男」は「1970年代日本映画ベスト・テン」(18年=キネマ旬報社)で第1位となり、「オールタイム・ベスト映画遺産200」(09年=同)でも歴代7位に選出されています。

 がむしゃらとも言えるスタッフ、キャストの熱量と奇跡が重なって完成に至ったこの作品は高いエンタメ性の一方で、原子力発電所の危険性も示唆し、核の脅威を他にない視点で印象づけることになりました。

 「バービー」「オッペンハイマー」騒動が、一種ナショナリズム的批判で盛り上がってしまったことは、世界に反核の思いを伝える上で決していいことだったとは思いません。日米間にあるような視点の違いを克服して、原爆の恐ろしさを広げるためのヒントが、44年前のこの作品にあるような気がしてなりません。

 ◆相原斎(あいはら・ひとし) 

 1980年入社。文化社会部では主に映画を担当。黒澤明、大島渚、今村昌平らの撮影現場から、海外映画祭まで幅広く取材した。著書に「寅さんは生きている」「健さんを探して」など。「太陽を盗んだ男」を製作した山本又一朗氏は今では、小栗旬、綾野剛、田中圭ら多くの人気俳優を擁する芸能事務所トライストーンの会長。80年代には何度も取材する機会があり、製作不可能と思われる作品にこそ生きがいを感じる異色のプロデューサーという印象がある。そんな熱量が多くの実力派俳優を引き寄せたのかもしれない。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・連載・「ニュースの教科書」】  2023年08月26日  08:03:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

 

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【原爆裁判】:アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子

2025-02-20 23:58:20 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【原爆裁判】:アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【原爆裁判】:アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子

 「広島、長崎への原爆投下は国際法違反である」
 六十年前、戦勝国アメリカに対して驚天動地の判決を下した裁判官がいた!



 「三淵嘉子をモチーフにしたNHK朝の連続テレビドラマ『虎に翼』が話題となっている。ドラマの五月の世帯視聴率が一七%を超え、その後も最高記録を更新するなど、好評を博している。

 では主人公のモデル、三淵嘉子とは一体、どのような人物だったのだろうか。

 三淵は一九三八年に司法試験に合格。一九四〇年六月、日本で最初の女性弁護士となり、『家庭に光を、少年に愛を』と訴え、家庭裁判所の発展に生涯を捧げた。実は、数ある『虎に翼』本を調べてみると、すっぽり抜け落ちているのが、三淵が裁判官として『アメリカの原爆投下は国際法違反である』とする判決を下した経緯である。そして唯一、この点を深掘りしたのが本書なのである。

 二一世紀、AI時代が開かれようとしている今、世界は二〇世紀の『戦争の時代』に逆戻りしつつある。ウクライナ戦争、イスラエル対ハマス戦争、台湾有事、北朝鮮の核開発などにより、第三次世界大戦前夜のような危機的な雰囲気になってきた。本書は、前半で『原爆開発から広島・長崎への原爆投下の歴史』と、これまであまり知られてこなかった、三淵嘉子が携わった原爆裁判をテーマに書き進められ、さらに『原爆投下は国際的な戦争犯罪』とする判決文の全文も掲載している。連日ニュースやSNS、YouTube等でリアルに報道されているロシアによるウクライナへのジェノサイドの実態、ガザ地区で起きている民族戦争の惨状、本書はそれらの政治・軍事・歴史的な背景を知るための座右の書にもなる、衝撃的な一冊である」――前坂俊之静岡県立大学名誉教授

 元稿:毎日ワンズ 主要出版物 【原爆裁判―アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子】  2024年06月05日  07:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【時代公論・2023.08.03】:原爆裁判60年 現代への教訓

2025-02-20 23:58:10 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【時代公論・2023.08.03】:原爆裁判60年 現代への教訓 ■広島と長崎に原爆が投下されて78年。戦後まもなく被爆者や遺族が原爆投下の責任を追及し訴えを起こしました。「原爆裁判」が現代に何をもたらしたかを解説します。

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【時代公論・2023.08.03】:原爆裁判60年 現代への教訓 ■広島と長崎に原爆が投下されて78年。戦後まもなく被爆者や遺族が原爆投下の責任を追及し訴えを起こしました。「原爆裁判」が現代に何をもたらしたかを解説します。

 ◆原爆裁判60年 現代への教訓

 広島と長崎に原爆が投下されてまもなく78年です。 今回はある裁判の話をします。戦後、日本が独立を回復して間もなく、被爆者や遺族が、原爆投下の責任を追及し訴えを起こしました。 「原爆裁判」と呼ばれます。 60年前、判決は原爆投下を「国際法違反」と初めて明言し、大きな影響を残しました。今回は被爆者の訴えとかつての司法の判断が、何をもたらしたのか解説します。

 【今も残る裁判記録】

 埼玉・所沢市の弁護士事務所です。 この事務所の一室に「原爆裁判」の記録が今も残されています。担当した弁護士が保管していました。訴状や意見書、口頭弁論調書など数十点に上ります。 本来保管すべきは裁判所ですが、今回私が問い合わせたところ、裁判所は判決以外の原爆裁判の記録を廃棄していました。 今となっては、多くがここにしかない貴重な記録です。

 【「原爆裁判」とは何か】

 原爆裁判とは、広島と長崎の被爆者や遺族5人が起こした訴えです。 担当した弁護士は最初、1953(昭和28)年にアメリカの裁判所でアメリカ政府を訴えようとします。 しかし、当時は日本が独立を回復した翌年です。アメリカを訴えることに弁護士の多くは消極的で、周囲の理解は得られません。 結局、55年(昭和30年)に、日本政府を相手どって東京地方裁判所に損害賠償を求め提訴しました。 保管されていた訴状には、原爆の被害についてこう書かれています。

 「原子爆弾投下後の惨状は数字などのよく尽くすところではない。人は垂れたる皮膚を襤褸として、屍の間を彷徨号泣し、焦熱地獄なる形容を超越して人類史上における従来の想像を絶した惨鼻なる様相を呈したのであった」。

 そして「原子爆弾の投下は残虐で、無差別爆撃などを禁じた国際法に違反する」と主張しています。

 【8年に及んだ審理】

 保管記録によると、裁判所の審理は、準備手続きだけで実に27回、口頭弁論は結審まで9回、通算8年に及びました。 裁判で国は「原爆投下が国際法違反とは断定できない」と争い、被爆者への賠償や補償の義務も否定します。 中心だった岡本尚一弁護士は、弁論が始まる前に亡くなり、当時30代だった広島出身の松井康浩弁護士が1人で担当します。提訴の時はまだ被爆者支援の法律もなく、原爆への国民の理解も十分でなかったと言います。

 最大の争点は、原爆投下が当時の国際法に違反するかどうかでした。 裁判所は双方の申請に基づいて、3人の国際法学者に鑑定を依頼します。 このうち2人は国際法違反と断定、1人は違反の判断に傾きつつも、確定的に断定できないとしました。 被爆者側と国の主張は、大きく対立したまま審理を終えることになります。

 【「国際法違反」そして異例の言及】

 判決は1963年、昭和38年12月7日に言い渡されました。 当時の報道によれば、東京地裁では、法廷で判決理由の要旨が読み上げられました。 主文は被爆者への賠償を認めませんでした。しかし、裁判長は最大の争点、国際法について、こう指摘します。

 「広島、長崎両市に対する原子爆弾による爆撃は、無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法から見て、違法な戦闘行為であると解するのが相当である」

 核兵器が国際法に違反するという裁判所の判断は、世界でも初めてのことでした。 当時の報道によれば、裁判長が国際法違反と述べた瞬間、法廷は誰一人言葉を発することなく、静まりかえったといいます。 そして判決は、最後にこう述べました。

 「国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかも、その被害の甚大なことは、とうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み、十分な救済策を執るべきことは多言を要しないであろう」 「しかしながら、それはもはや裁判所の職責ではなくて、立法府である国会および行政府である内閣において果たさなければならない職責である。しかもそういう手続きによってこそ、訴訟当事者だけでなく、原爆被害者全般に対する救済策を講ずることができる」 「われわれは本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはいられないのである」(判決文より抜粋)

 こう述べて、被爆者への支援策の実現を強く促したのです。

 【判決がもたらした影響】

 判決はそのまま確定しました。 裁判は支援の必要性を改めて示し、「国際法違反」という判断も、行政に対策を求める根拠となりました。

 提訴後には「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」が作られ、判決後には世論の高まりもあって、「原子爆弾被爆者に対する特別措置法」が制定されます。そして94年、「被爆者援護法」が制定されました。 被爆者の認定がなお不十分という意見もありますが、制度は少しずつ作られてきました。 日本被団協は「この裁判は、被爆者援護施策や原水爆禁止運動が前進するための大きな役割を担った」と評価しています。

 【国際司法裁判所でも】

 影響はさらに広がります。判決は英訳されて海外でも知られるようになりました。 96年、国際司法裁判所は初めて核兵器の使用と国際法についての勧告的意見をまとめます。 そこには「核兵器の使用や威嚇は、一般的には国際法の上では人道主義の原則に反する」と記されました。 一方で「究極の自衛権行使の際には違法か合法か結論づけることはできない」とも書かれ、中途半端という指摘もあります。 それでも国際司法裁判所が核兵器を「国際法に違反する」と勧告したのは、初めてです。

 日本反核法律家協会の大久保賢一会長は、この勧告的意見について、「原爆裁判は個別意見に言及されていて、参照すべき先例と位置付けられ、国際司法裁判所の判断枠組みにも影響を与えている」と評価します。 その判断は、現代まで長く影響を与えてきたのです。

【判決を出した裁判官は】

 ところで、この原爆裁判の判決を書いた裁判官は、誰なのでしょう。 最初に紹介した保管記録の中には、口頭弁論調書があります。これを見ると裁判官は多くが異動で交代していますが、1人だけ、第1回の弁論から結審まで担当した裁判官がいます。 それが、日本初の女性弁護士で戦後裁判官となった三淵嘉子判事です。

 来年の連続テレビ小説の主人公のモデルでもあります。彼女自身は生前、この裁判について、何も語っていません。おそらく評議の秘密に配慮したためでしょう。また、判決を書いたのは、裁判長を含めた3人の裁判官(裁判長古関敏正、裁判官高桑昭)のため、誰が判決文のどの部分を記したのかは、分かりません。

 ただ、彼女は戦争によって夫と弟を亡くし、戦後10年あまり、1人で子どもを育てながら裁判官として働き続けます。戦争の悲惨さは自らも痛感していたはずです。 それはおそらく彼女だけではありません。ほかの裁判官も、松井弁護士も、さらに言えば国側の代理人も、戦争は当時、人々のいわば“共通体験”でした。 悲惨な戦争と、原爆の被害を2度と繰り返してはならないという思いは、彼女に限らず、実はみんな同じだったのではないでしょうか。

 判決から60年を迎える原爆裁判。 そこに書かれた「核兵器は国際法違反」という言葉は、司法の判断にとどまらず、今なお、重い意味を持ち続けます。 それは戦争の経験がない人たちにも、様々な教訓を投げかけているように思えます。

 ◆出演者・キャストほか

  解説委員 清永 聡
解説委員

 元稿:NHK放送局 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【時代公論】  2023年08月03日  09:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【ヒロシマの空白】:核禁条約制定の源流 「原爆裁判」資料現存 今もなお世界への警鐘

2025-02-20 23:58:00 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【ヒロシマの空白】:核禁条約制定の源流 「原爆裁判」資料現存 今もなお世界への警鐘

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【ヒロシマの空白】:核禁条約制定の源流 「原爆裁判」資料現存 今もなお世界への警鐘

 米国の原爆投下は、国際法違反―。東京地裁が裁判所として世界で初めてそう判断した「原爆裁判」(1963年判決)は、大阪の弁護士の故岡本尚一さんが、人類の破滅につながる核兵器の使用に歯止めをかけるために提唱した。判決は核兵器禁止条約の源流の一つとなり、今もなお核使用が危ぶまれる世界への警鐘の意味を持っている。(編集委員・水川恭輔)

 
 「原爆の使用が禁止せらるべきである天地の公理を世界の人類に印象づけるでありましよう」。原爆裁判を起こすことに賛同を得ようと、岡本さんが作った冊子「原爆民訴或問(みんそわくもん)」は、裁判の意義をこう訴えている。


 原爆裁判では原爆投下を国際法違反と認定させ、原水爆禁止のてことする狙いがあった。広島市などの被害者5人が原告となり、55年に東京地裁と大阪地裁(後に東京へ併合)に提訴した。

 岡本さんが訴訟への賛同を募った冊子「原爆民訴或問」。「(被害者が)今も悲惨な状態のままにおかれている」などと訴えている(撮影・高橋洋史)

 原告側の中心だった岡本さんは提訴の3年後に病死したが、三原市出身の故松井康浩弁護士が継承。被告の国は、原爆使用を禁じる国際法がなかったなどと合法の立場から争った。東京地裁は63年12月の判決で賠償請求を退ける一方、「広島長崎両市への原爆投下は国際法違反」と断じた。

 世界初の司法判断は国際的にも知られ、特に国際法違反と判断した枠組みが注目された。多くの人命を無差別に奪う猛烈な爆風と熱線と、被爆者に苦しみを与え続ける放射線という原爆の特徴を、原爆投下当時の国際法が禁じる戦闘行為に照らして導いていた。岡本さんが書いた訴状の主張におおむね沿っていた。

 その枠組みは、国連の主要な司法機関として核使用の違法性を審理した国際司法裁判所(ICJ)が96年に初めて示した勧告的意見でも大枠で踏襲され、核兵器の使用と威嚇を「一般的に国際法違反」と判断した。この意見は、保有や開発などを含め核兵器を全面的に禁じる核兵器禁止条約が2017年に国連で制定される機運を高めた。

 松井芳郎・名古屋大名誉教授(国際法)は「原爆裁判の判決は、核兵器の使用を国際法上、評価する際によるべき枠組みを示した。歴史的意義は大きい」と話す。

「原爆裁判」の判決を書いた裁判官の一人の三淵さん。女性法曹の先駆者でNHK「虎に翼」の主人公のモデルになった
 
 ◆判決書いた裁判官の一人故三淵さん 女性法曹の先駆者、「虎に翼」モデル
 
 原爆裁判の判決は当時の東京地裁裁判長の故古関敏正さん、裁判官の故三淵嘉子さんと高桑昭さん(87)=東京=の3人が書いた。1984年に69歳で死去した三淵さんはNHKの連続テレビ小説「虎に翼」で俳優の伊藤沙莉さんが演じる主人公猪爪寅子のモデル。女性法曹の先駆者だった。

 著書などによれば、三淵さんは明治大卒業後、38年に当時の司法試験に合格し40年に東京で日本初の女性弁護士に。戦時中は幼子を抱えて疎開生活を送り、応召した夫は戦病死した。終戦の2年後、「裁判官採用願」を司法省に提出。52年に女性初の判事となり、4年後に配属された東京地裁で原爆裁判を担当した。

 「おうようなやさしい人。私とは親子ほど年齢差がありましたが、古関さんとともに私を合議体の一員として遇してくれた」。当時20代だった高桑さんは懐かしむ。3人で合議をし、判決の方向性を決めたという。

 判決は「国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだ」と日本が戦争を始めた責任にも言及。国の原爆被害者への救済策は不十分とし、「政治の貧困を嘆かずにはおられない」と指摘した。

 三淵さんは、戦後設けられた家庭裁判所が孤児をはじめ戦争被害者の再出発を支援する役割を担うことに共鳴。新潟家裁所長なども務めた。原爆裁判の判決からも戦争で傷ついた人への強い思いをうかがい知れる。(水川恭輔)
(2024年4月21日朝刊掲載)

 元稿:中國新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【ヒロシマ平和メディアセンター】  2024年04月21日  07:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【天風録】:三淵嘉子さん

2025-02-20 23:57:50 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【天風録】:三淵嘉子さん

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【天風録】:三淵嘉子さん

  日本帝國男子ニ限ル。司法試験の会場に墨で書いて張り出されていた。時は1938年、当時の司法修習生採用の案内である。2年前に弁護士の門戸は女性に開かれたものの、裁判官と検察官にはなれなかった

 ▲「(この文言が)頭にこびりついて忘れられなかった」。この年、司法試験に合格して女性初の弁護士となった三淵嘉子(みぶち・よしこ)さんは語っていた。男女差別が色濃かった法曹界に道を切り開く

 ▲戦後志願し、やはり日本初の女性裁判官になった。家庭裁判所の創設にも携わり、女性や子どもの権利擁護に尽くした。4月に始まるNHK連続テレビ小説「虎に翼」は彼女が主人公のモデル。その人生がどう描かれるのか楽しみだ

 ▲広島とは意外な縁がある。被爆18年にして世界で初めて米国の原爆投下を国際法違反と断じた原爆裁判判決。それを書いた東京地裁判事の一人だった。自身は戦争で夫と弟を亡くした。戦争と核使用を繰り返してならぬとの思いは人一倍だったはず

 ▲きょうは国際女性デー。彼女には「女性であるという自覚より人間であるという自覚の下に生きてきた」の言葉もある。私たちにこびりついた、性別にまつわる思い込みに気づく日にしたい。

 元稿:中國新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【天風録】  2024年03月08日  07:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【2025年02月18日 今日は?】:インドのアラハバード万博で世界で初めて飛行機により郵便物が運ばれた

2025-02-20 00:00:40 | 【社説・解説・論説・コラム・連載・世論調査】:

【2025年02月18日 今日は?】:インドのアラハバード万博で世界で初めて飛行機により郵便物が運ばれた

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【2025年02月18日 今日は?】:インドのアラハバード万博で世界で初めて飛行機により郵便物が運ばれた

 ◆02月18日=今日はどんな日

  雨水(二十四節気)エアメールの日

 ◆出来事

  ▼インドのアラハバード万博で世界で初めて飛行機により郵便物が運ばれた。13分後に無事到着(1911)▼メダカが「絶滅の恐れがある種(絶滅危惧2類)」に指定。保護の取り組み広がる(1999)▼平昌五輪のスピードスケート女子500㍍で小平奈緒が金メダル。同種目で日本女子初(2018)

写真・図版
 
 
女子500メートルで金メダルを決めた小平奈緒=18日、江陵オーバル、遠藤啓生撮影

 ◆誕生日

  ▼鈴木康博(48年=元オフコース)▼影山ヒロノブ(61年=歌手)▼ねづっち(75年=芸人)▼高島彩(79年=フリーアナウンサー)▼TETSUYA(81年=EXILE)▼安藤サクラ(86年=女優)▼チャンミン(88年=東方神起)

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・今日は?】  2025年02月18日 00:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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