【社説・12.13】:日本軍の南京占領87年 加害の歴史も見つめよう
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・12.13】:日本軍の南京占領87年 加害の歴史も見つめよう
今から87年前の1937(昭和12)年12月12日、中国大陸に進軍していた日本軍が南京に総攻撃を仕掛け、翌13日に占領した。
一連の侵攻で日本軍は、非戦闘員の住民を含む多数の中国人を虐殺し、国際的にも大きな非難を受けた。「南京大虐殺(南京事件)」である。日本政府も「非戦闘員の殺害や略奪行為等があった」と認めている。
その7年半後、沖縄での地上戦で多くの県民が犠牲になった。沖縄戦から80年がたち、惨劇の継承を不断に続けていかなければならない。同時に中国大陸における加害の歴史も見つめ、語り継ぎたい。
南京攻略に携わった日本陸軍の中支那方面軍には、その後沖縄で第32軍司令官となる牛島満少将と参謀長となる長勇中佐もいた。長中佐は中国兵捕虜について「ヤッチマエ」と殺害を指示した。先立つ上海戦などでも中国人殺害の命令は複数証言されている。そこには中国人蔑視が見てとれる。大陸戦線には沖縄出身兵士も参戦した。併せて満州や南方への拓殖移民も国策で推進した。沖縄も中国への加害行為と無縁ではない。
日本は、31年9月18日の柳条湖事件に始まる「満州事変」から、37年の盧溝橋事件で「日中戦争」へと展開、さらに41年は対米宣戦布告で太平洋戦争へと拡大して45年に敗戦を迎えた。沖縄戦という局地にとどまらず、アジア・太平洋戦争という大きな歴史の流れの中でとらえる必要がある。
歴史研究家の笠原十九司・都留文科大名誉教授は「歴史から学ぶべきことは、いつから『前史』が始まり、いつ『前夜』に転換したかを知ることである」と指摘する。
沖縄での「前史」「前夜」はどうだったか。
37年7月22日、沖縄県と那覇市は、日中戦争への県民世論強化のため県民大会を開いた。大会宣言で「60万県民」は「挙県一致現下の重大難局に処して絶対的に政府の方針を支持し確固不抜の決意をもって皇国日本の発展と東亜永遠の平和確立に邁進せられんことを期す」(大阪朝日新聞)と戦争支持を掲げた。
戦勝報道に国民はわき、南京占領の報にはちょうちん行列で応えた。新聞は好戦的な雰囲気を作り出していった。
日中戦争が長引いてくると政府は、あらゆる力を戦争に集中させようと国家総動員法を制定した。民間人が軍需産業にかり出されていった。軍事費も年々増大した。沖縄では標準語が励行され、教育の軍国主義化も進んでいった。41年には基地のなかった沖縄にも船浮要塞(ようさい)と中城湾要塞が建設された。
ひるがえって現在。日米軍事演習では民間港湾や空港、公道を大っぴらに使用する。「有事」に備えるためとして自衛隊基地も拡張する。今を「前夜」にも「前史」にもさせないため、何をなすべきか。沖縄が今おかれている状況をあらためて確認したい。
元稿:琉球新報社 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2024年12月13日 04:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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