【主張①・11.30】:検事が「人格否定」 侮辱で供述は得られない
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【主張①・11.30】:検事が「人格否定」 侮辱で供述は得られない
岸田文雄前首相の演説会場で爆発物を投げ込んだ殺人未遂罪などで起訴された無職、木村隆二被告に対する和歌山地検の検事の取り調べの一部について、最高検が「不適正」と認定した。
検事は被告に「法律の専門家は私も含めてメジャーリーガーだとして、木村さんは小学校低学年ぐらいの知識」などと見下す発言をしたという。被告が引きこもり生活をしていた点に触れ、「社会に貢献できていない」「かわいそうな木村さん」とも述べ、被告の人格を否定するような発言を繰り返したとされる。
和歌山地検
被告からこれらの言動を伝えられた弁護人が「明らかな人格攻撃」と地検に口頭で抗議したが不適正と認めなかったため、最高検監察指導部に苦情申し入れ書を郵送していた。
黙秘する被告の取り調べが難しいことは理解できる。だからといって人格攻撃、否定が許されるわけがない。それはもはや取り調べとはいえず、仮に供述が引き出されたとしても、その真実性には疑問符がつく。冤罪(えんざい)にもつながりかねない。
真相解明につながる核心供述は、容疑者と取調官に信頼関係が生まれてこそ引き出される。容疑者も人間だ。「この人は信用できるか」と取調官を観察している。侮辱されて口を開く者はいない。人として当然のことを検察は忘れていないか。
検察に限らず捜査機関には「容疑者のプライドを砕く」との手法が残る。それ自体が直ちに誤りとはいわないが、その意味するところは「証拠に基づく理詰めの調べで過ちを悟らせ、贖罪(しょくざい)意識を芽生えさせよ」ということだろう。暴力的な言動で萎縮させることではない。
取調官は人間観察のプロであり、罪を告白させる専門家だ。冤罪の防波堤でもある。供述しないからといって侮辱するなど、取調官として恥ずべき行為であると心得たい。
検察を巡る環境は深刻だ。侮蔑的取り調べだとして被告から訴えられて敗訴し、検事が特別公務員暴行陵虐罪で刑事裁判にかけられるなど、問題が相次ぐ。そうした中で、今回の問題について当事者の和歌山地検は取材に「この事案を把握しているかどうかも言えない」としか答えない。社会とのコミュニケーションや説明責任をどう考えているのか。独善に呆(あき)れる。
元稿:産経新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【主張】 2024年11月30日 05:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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