たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

迷いの日々

2016年01月02日 12時49分25秒 | 日記
 新しい居場所に行くかどうか4日に返事をしなければならないのに決めることができないでいます。なぜだかわかりませんが、自分が行くべき場所のような感じが全くしません。そうかといってまた別の場所を捜し求めていくだけのエネルギーはありません。

 13年間の中でも特に7年間にわたるオーバーワークの日々を心身をすり減らしながら歯を食いしばってあんなにがんばったのは一体なんだったんだろうという思いがどうしてもよぎります。結果的にただ使い捨てにされたという事実だけが残り、何の実績も評価も残らなかった。どこの会社で働いているかが人の評価になる社会の中で、今の私は失業中というみじめな状態でしかありません。どんな書類にもたいてい職業欄というものがあり、私は無職、失業にマルをつけなければなりません。やってきたことは社員と同じだったのに、いや社員以上だったのにと思うとやはり悔しいです。オーバーワークの7年間を時間外労働という量だけで説明することはできず、仕事の質と内容なのですが、それを説明することは難しく法的に証明の根拠と認定されるものを私は持ち合わせません。書類やメールはすべて会社にあるのですから当然のことです。そこをスルーされたのが悔しくてたまりません。次の場所が見つかればもうクソ会社のことなんか忘れて出直すぞって思えるのだと思うのですが、残念ながらここならまた一生懸命に働くぞ、って感じられるところに出会うことができません。こんなこと言っている私は甘いのでしょうか。なかなか立ち直ることができないでいる私に人はなんと声をかけたらいいのかわからないですね。無事に新しい年を迎えることができましたが、あめましておめでとうございます、という気持ちになることができず、今年もよろしくお願いします、と挨拶する所があるでなし、ひとりぼっとなんだなあと思います。帰省してからは散歩がてらお墓参りにいくのが唯一のお出かけ。私が新しい道を見出していけるように導いてほしい、守ってほしいと語りかけています。姿は見えなくてもいつもそばにいて守ってくれていると信じたいです。

 年明け早々ですが、揺れ動く日々に立ち返ります。

「2012年12月23日(日)

 商業主義的なクリスマス一色にうんざりしている。そういえば『赤毛のアン』にクリスマスツリーは出てこない。いつからこうなったのだろう。
神経症が治らなくってなんとなく余裕のない、きびしい社会の中でこれ以上やっていくのは無理だと思う。不安にとりつかれたら、どうしようもない細かなことが気になってしまったり、声高なキイキイ声にすごく疲れてしまったり、人がざわざわするのに耐え切れなかったり、自分はこういう性分なのだから仕方ない。器質はもちあわせているんだ。

 誰が私を必要としているわけでもなく、自分一人で勝手にやらなければならないような思いに取りつかれている。今の仕事はもう少しセーブしていきたい。といっても家賃を払わなければならないし、旅でも出たいとなると残業しないわけにはいかない。辛いところだ。

スポーツクラブのヨガにさんかして、そのあとお風呂。
自分の体と向き合い、静かに呼吸しているとバランスの悪いのがよくわかる。

喪中はがきを出していないが、さりとて年賀状を出す気にもならず、もし届いたら寒中見舞いを出すにとどめようと思う。

被災した人達のために自分ができることあるんじゃないか。でもやっぱりあまりきついことには耐えられないかな。家を離れれる不安があるので、旅には出られない。今できることをほんの少しずつだけどやっていこう。本当の自分をこれからは生きていけばいいんだよ。無理すんな。ずっとあり得ない無理を自分にさせてきたんだ。」