たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

なみだ・・・

2016年01月04日 22時48分55秒 | 日記
 気力が戻らず電話をすることができなかった自分が情けなくって夕方お墓参りに行ったとき、父・母・妹に語りかけながら涙を流してしまいました。数年前の2月、インフルエンザにかかりながらタミフルを四日間のみ続けた後は、おでこに冷えぴたを貼り、電車の中でふらふら、会社に行ってもふらふらでトイレで吐きながら仕事をしてしまいました。がんばってしまいました。そんなふうに己に鞭打って鞭打って自分に無理をさせてしまいました。人がいなかったので、本当はもう一人フルタイムがいてしかるべきだったところを経費節減のためわけのわけんない無責任なアルバイトしかいなくって、私が1.5人分いや二人分がんばるしかなかったので一生懸命にがんばってしまいました。そんな日々を思い出すと辛く、そんなふうに自分に無理をさせながら働き続けることはもうできないと思うと気力が戻りませんでした。不安ばっかりで、またやれるんだっていう自信を取り戻すことなどできそうになく、安心して働ける環境かどうかわからない場所に踏み出していけるだけの気力が湧いてこず、そんな自分がすごく怠け人間みたいで、世間は動き始めたのに今だ身動きとれないでいるのがなんだかすごくなさけなくって涙が流れてしまいました。わたしなにやっているんでしょうね。自分の荷物の整理、遺品整理と片付けもまだまだでいろいろとあふれ返り、やりたいことはあれど思いはあれどどこにも届いていかず、こうしてブログに綴るばかりの毎日でそんな自分が情けなくって涙が流れてしまいました。すごい社会のひずみがみえてしまったのに、それを口に出すことはできず、争いなどなかったかのように仕事をすることができるのでしょうか。クソみたいな会社のわけのわかんないアルバイトだかのことを思い出すと、パートなんだから責任もって仕事しなきゃなってプレッシャーを感じる必要なんか全然ないはずなんですけどね、だってフルタイムじゃないから、毎日来ないからなんにも責任はありませんって顔されて、毎日フルタイムで出社していたわたしが間接雇用にも関わらずアルバイトの分まで責任を負わなければならなかった、そんなんだったんだからいいのにね、嫌だと思えばダメだと思えばすぐにやめてしまえばいいだけのことなのにね、逃げ場のない環境を思うとなかなか踏み出せずです。自分のキャパから大きくはみ出している怒りと悔しさのマグマがまだまだ大きくくすぶっているこんな自分でもよろしければ・・・と言えない苦しさを抱えることができません。

 新しい年、まずは手帳を買いましょうか。土曜日の病院のボランティアには行きたいなあ、当事者の会。高速バスを予約して、時間までに行くプレッシャーを感じながら不便な移動をするのはつらいので今の私には超ぜいたくですが新幹線かな・・・。必要とされる場所はある、40代を棒に振ってしまったけれどまだやり直せる時間はある。そう信じたいです。弟は明日から会社。ごはんとか準備してくれているのでありがたい。しっかり喧嘩もしますが、喧嘩する相手のいない、せまい一人の部屋に戻るのは辛いかも。でももう少し自分探しの旅を続けてみよう。今まで積み重ねてきたことには意味があるはずだと信じたいです。妹の分まで命を生きるという大切な役割を忘れまいぞ。明日は明日で気力が戻ってきたらまた考えることにしましょう。本も読みたいし、やることはいっぱい。旅日記もまだまだですね。書き始めたらとりとめがなくなってきたのでこれでおしまいにします。長文読んでくださった方、ありがとうございます。

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若松英輔 ‏@yomutokaku · 1月1日
心をふるわせる文字は、生きることをの困難にふるえて、ペンを持てなくなった手によって書かれる。悲しみに呼びかける言葉は、悲しみを生きた心によって生み出される。魂に届く言葉は、魂から出る。書け、何を書こうかと思い悩む前に、書くことで、心の奥にあって、自らを照らし出す光源を見つけよ。

言えない苦しさ

2016年01月04日 11時02分41秒 | 日記
 昨日・今日と妙にあったかいせいか体がだるくって仕方ないです。世間は始動し始めましたね。私は電話をしなければならないのにすることができません。「私は13年間働いた会社と一年余りにわたって闘うことになってしまいました。そのため心身が擦り減ってしまっているので、少しずつ回復しながらやっていきたいと思っています。こんな人間でもよろしければやらせていただきます。」こう言えたら気持ちが楽になれるだろうに、行政にいけば上手な嘘のつきかたをおしえてくれるばかり。言えない苦しさを受けとめてくれるところはどこにもありません。

 なにかわるいことをしたわけではないけれど、そもそもない権利を主張したわけで雇う側からすればこんなに厄介な人間は使いにくいから言ってはいけないと弁護士にさえ言われます。なんでも正直に言えばいいというものではないと人は言います。たしかにそうです。面接は自己主張をする場ではないので余計なことは言わない方がいい。たしかにそうです。でも、こういう、ちょっと特殊な事情を抱えながらもなんとかやっていこうとしていることをさらけ出さないと私はやっていけない人間なんです。どうして違法行為をしてきた会社にはなんのおとがめもなしで、働いてきた私ばかりが苦しまなければならないのか、やっぱりわかりません。普通に生活しているだけだったら知らずに通り過ぎていったことをたくさん知ってしまったので、専門家と言われる方々をみて自分たちすごく狭い世界にいることを知らないんだろうなと思ってしまいそうな自分がいておそろしいです。昨年紛争終結直後のボロボロ状態の中でマザーズハローワークに行ったら、「紛争をやった人が普通に社会に戻ることは難しい」と言われてずいぶん傷つきましたが、そのとおりなのかもしれません。かなりおさまってきたとはいえ、自分でも受けとめ切れないほどの怒りと悔しさのマグマを抱えながら、何事もなかったかのような顔をして生きていくことはできそうにありません。争いは弱者にとって、特に納得できない結果となった場合消えない傷を残してしまうことになるようです。弱い立場の人間にとって、社会の仕組みはどこまでも残酷なばかりだと思います。私よりも苦しい思いをしている人はたくさんいるだろうけれど、苦しさの度合いは比べられるものではなく、わたしもやはり苦しいです。言えないことがなおさら苦しく、この苦しさを抱えていくことは私にはできそうにありません。これからどう生きていけばいいのか、私にふさわしい道へと妹が導いてくれることを祈り続けています。