たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

立ち止まっています

2016年01月27日 21時06分44秒 | 祈り
 引きこもりの生活を始めて一か月が過ぎました。アグレッシブにがんばって前に進むことが依然としてできないまま立ち止まっています。コンタクトレンズの眼に痛みがなくなったのはほとんど空調にさらされていないからでしょうか。それだけカフェ、デパート、電車の中、公共の場所など体によくないってことですね。クソ会社でも空調の風にさらされる場所に坐らされたことが多く辛かったことを思い出します。コンタクトの目も体もいつも悲鳴をあげていました。

 昨日は妹の洋服と少しお別れをしました。既製品の汚れがあるものと着古した感のあるものは「ごめんねMちゃん、お別れや・・・」と声をかけながらポリ袋に入れました。妹が手作りしたものは汚れがあってもお別れすることができません。たくさん残されている余り布とあわせてリサイクルしている業者に送ろうと思います。宅配便の送料がかかるので今回は箱にまとめていって保留にします。余り布、ゴミに出して捨てるのは忍びがたく、お嫁入り先がないかネットで探しましたが見つからずリサイクル業者に送るのが生かすには最善の方法のようです。

 妹とお別れの後、私は両親にあててこんな絵葉書を送っていました。ここに書いて現物とはお別れしていきます。突然のお別れから浅い日に、こうしてなんとか自分を立て直そうと必死になっていた自分とこうして再会するのがとても不思議な感じがします。



「毎日Mちゃんのことを思っています。この空のどこかにいるんだなあ、もう会えないんだなあと思うと、やっぱりさみしくて、しばらくはお酒なしでは眠れそうにありません。友達がささえです。1994年10月7日 たんぽぽ」


京都タワーの絵葉書を使いました。高校時代に遊びに行ったときに買ったものだと思います。




「19日に友達に手伝ってもらって引っ越しました。以前の部屋よりも少し不便になったけど、すごく静かで日当たりもいいです。あらたな思いでMちゃんの分も前へ進めたら、と思います。庭の梅の花がきれいです。春ですね。1995年2月23日(木)」

絵葉書は東大寺国宝・月光菩薩立像(三月堂)。
本尊の脇に合掌して立つ高さ2.25mの塑像で、もの静かで、おおらかな容貌はすべてを忘れ、一途に世の人々の幸福を祈るかのように見え奈良時代の人の精神的な美しさが感じられる。




「季節はめぐり3月になりましたね。
今日はとてもあたたかいです。
おひな祭りの日には、ちらし寿司をMちゃんに供えてあげました。
よろこんでくれたでしょうか。
いつも見守ってくれていると信じつつ、歩んでいきたいと思います。
引っ越しをしてよかったです。
以前より静かで落ち着けます。1995年3月5日」


絵葉書は遠野しし踊り。
“天神の山には祭りありて獅子踊あり。”(遠野物語序文)
遠野郷に伝わる数多い郷土芸能の代表的な踊りで、鹿の角をつけた面をかぶり、太鼓に合わせて勇壮な舞を見せる。350年も前から踊り継がれ、五穀豊穣の祈願の踊りでもある。



この頃引っ越した部屋にその後10年暮らしました。なかなか自分がどう生きていったらいいのかわからず、ハローワークの求人から身の丈に合わない就職をしては失敗して、アルバイトをやったり、派遣をやったり、右往左往のみっともない日々が続きましたが、だんだんと仕事が続いていくようになりました。半年派遣で働いた先から直接雇用の声をかけられて契約社員として一年間働いたこともありました。土日の二日間を開けただけで違う職場に移ったのでかなりしんどかったです。それは現場事務の仕事だったので、工期が終了すれば私の契約も終了となり、場所をかえて続けたいと思いましたが公共事業の数が減っていった頃で次の仕事はありませんでした。

 そこでまた目の前の生活があるので派遣に戻ってしまい、数カ月単位で二つほどの職場を経験しました。年齢が高くなっていったのでこのまま不安定な登録型派遣を続けていてはだめだと思い、女性の就労を支援する所でキャリアカウンセリングを受けるなどしました。そして奮起し、とらばーゆでみつけた契約社員の仕事に応募したら採用されました。その、採用された先というのが結果的に13年間も働いてしまったクソ会社の、グループ会社である特定派遣業者でした。社員に近い待遇の特定派遣なら登録型派遣よりも安定しているし、なによりもグループ会社なんだから本体である会社のことをよくわかっていて安心だろうと思いこんでしまいました。これが大きな間違いでしたが、全く気づいていませんでした。大学の通信教育の卒業論文にとりかかろうとしていたし、めでたく採用されたのだから生活のために今はここでがんばろうと決めてクソと書いている会社で働き始めました。ほどなくしてから、庭の梅の花を眺め10年暮らした部屋をはなれて引っ越しをしました。妹とのお別れを受けとめたいと必死にもがきながら、人生をやり直すようなつもりでした。

 それから13年間、特定派遣業者から派遣された本体の会社で働き続けました。採用されてから一年半ほどして特定派遣業者との間に行き違いがあって辞めることになり、また登録型派遣に舞い戻るという違法行為。さらには業務内容も違法状態のまま、そうとは十分に認識できないまま10年間働き続けてしまった結果、最後はモノ扱いの使い捨て。損害賠償を求めたら闘いとならざるを得ませんでした。

 このボタンの掛け違えのような日々を取り戻していくことができるのでしょうか。今自分の力を必要としてくれている所はどこにもないんだと思うと、社会の生産性になんら貢献していない要らない人間なんだと思うと情けなくって昨夜も涙が流れてしまいました。どうやって生活の基盤を立て直していけるのか、今はまだ本当にわかりません。

 連投の上の長文、読んでくださった方ありがとうございました。

2014年11月-12月帝国劇場ミュージカル『モーツアルト』

2016年01月27日 16時04分20秒 | ミュージカル・舞台・映画
2014年11月-12月帝国劇場ミュージカル『モーツアルト』


モーツアルトが誕生したのは1756年1月27日。
今のオーストリアのザルツブルク。
これを書いている今日はちょうどお誕生日です。
今週インターネットラジオOTTAVAでは月曜日から午後の番組でモーツアルトの楽曲が流れ続けています。
どれも聴いたことがある心地いい曲ばかり。
ほんとに天才だったんだとあらためて思います。

さびしがりやで一人では食事ができなかったモーツアルト。
世俗にはうとく常に危さと背中合わせだったモーツアルト。
幼い頃神童と呼ばれ、大人になってからは自身の才能を持て余していたモーツアルト。

「僕には才能があるんだ」という舞台の台詞がよみがえってきます。
舞台の終盤、自分の血がついた羽ペンで狂ったようにあふれだしてくる曲を書きとめていく
モーツアルトの姿を思い出します。

背がちっちゃくて、お姉さんのナンネールの方が背が高かったそうです。
舞台のモーツアルトは背が高く手足も長かったですね。