たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

沈みかけている「日本丸」という大型船

2016年01月10日 12時41分48秒 | 本あれこれ
「日本は「課題先進国」と呼ばれる。世界の国々に先駆けて、様々な課題に直面している国、という意味だ。世界でもっとも早いスピードで進んでいる少子高齢化などは、その典型だろう。

 そして、この少子高齢化は、じつは、戦後の日本社会において「当たり前」とされていた「行政が何でも解決してくれる」というモデルを破壊しつつある。

 理由は簡単だ。このまま少子高齢化が進めば、人口減少による経済の縮小や税収の減少が起こるのは確実で、そうなれば、行政をきちんと機能させるための財源が確保できなくなるからだ。

(略)

 日本全体を見ても、「一億総中流」と言われたのは遠い過去の話となり、いまや子どもの六人に一人は貧困状態にある。さらに20代のひとり親の八割が貧困だ。いままさに、「日本」という国の底が抜け始めているのだ。





 いま日本では、徐々にこれまでの仕組みが懐死し始めてきている。ところが、多くの日本人はそれに気づかず、ひたすら文句だけを言い続ける。

 この状態を僕はしばしば、沈没した巨大客船「タイタニック」にたとえる。氷山にぶつかり、大勢の乗客を乗せたまま、ゆっくりと沈没していったタイタニック。いまの日本の状況は、それに似ている。

 巨大な「日本丸」は、ところどころに穴が開いている。いま、そこから水がどんどん入ってきている。このまま放置したら、確実に沈む。

 ところが、多くの乗客たちは「船長、何やってんだよ」「早くなんとかしてくれよ」と、寝そべりながらやいのやいの言っているだけ。

 でも、これっておかしくないだろうか。船長に「あれをやれ、これもやれ」と言うだけでなく、板を持ってきてさっさと穴をふさいだほうが、生き残れる確率は高くなる。

 子育て支援にしろ。貧困問題にしろ、高齢者介護の問題にしろ、行政の手が回らない部分については、そこに課題があることを大声で叫びつつ、とりあえず自分たちで手を動かして穴を埋める。でなければ、我々は沈むだろう。ゆっくりと。

 いまの日本にとって、「お役所任せ」から脱し、一人ひとりが、もっと社会に参加して、行動する世の中にしていくことは急務だ。それは「行政はもう要らない」と見切りをつけようということではない。「社会を支える」という仕事を政治や行政だけに任せるのをやめ、僕たち一人ひとりも社会を支える、いってみれば「公共」の一員となる、という覚悟が必要だ、と僕はいま声を大きくして言いたいのだ。」

(駒崎弘樹著『社会を変えたい人のためのソーシャルビジネス入門』より)



 お役所に行っても問題は解決しない、既存の行政の仕組みは刻々と変化している社会の現実に追いついておらずトラブルがあった時救いを求めてもほとんどどうにもならないことを、労働紛争となった経験を通して体感することとなりました。何度も書いていますが、私の中で行政への怒りと悔しさはまだまだすさまじいものがあります。でもいつまもでただ怒っていてもどうしようもないですね。ここはおかしいと声をあげ続けながらも、そこから一歩踏み出していきたいです。具体的に何ができるのか、稀有な経験をとおしてみえてきたものをどうプラスに転換していくことができるのか、ほんとに小さなことからなにか始めていきたいと思うのですが、どこにどう踏み出していけばいいのか・・・。

 私が一番つらかったのは、紛争中の苦しさを安心して話せる場が社会の中になかったことでした。自分のキャパシティから大きくはみだしてしまっている怒りと悔しさを吐露できない、もちろん面接に行っていうことなどできない、それが今も苦しくってたまらず、今もどこにも行くことができません、(ボランティアを始めた病院は特別で、院長が労働紛争にも理解があるので話すことができます。)かろうじて、お寺さんのグリーフ・ケアとマタハラにあった女性たちが立ち上げた団体のお茶会で吐露できる機会がありました。ただ日常的な会話の中では、闘いなんて言葉や民事裁判なんて言葉を出しても理解されず、日常生活からはかけ離れた特殊な内容で話すことはほとんでできませんでした。

 区役所の困窮者自立支援の中の就労支援というのを利用してみましたが、ハローワークのおじさまは民間企業の人事部のOBとかで上から目線だし、ワーカーさんはいい人で私の怒りと悔しさの受け皿になると言ってくれましたが所詮は行政で、進められたハローワークの求人に応募することによって振り回された感が残ることとなりました。労働紛争のことを言えない苦しさを抱えている限り、どこにいっても結局同じなのかもしれません。面接なんて、敵陣に乗り込んでいくような武装体制でした。これじゃあ安心して働ける場所に出会うことはできないでしょうね。全身武装してへりくだるような姿勢をみせないと働ける場所に出会うことができないのか、なんかおかしいなと感じます。

 派遣にかぎらず、私のように働いてきた会社と望まない争いとなり、特に納得できない結果となって心の傷を負ってしまった人たちはどうやって社会に戻っているのか知りたいです。そんな方々の声をまとめた本は出版されていないものでしょうか。そんな方々と出会って声を聴きたいです。弁護士は、何年もかかる裁判の間働く先を紹介し裁判中であることは言わないように当事者に促す、裁判のため有給休暇を使って休む時どう理由をつくるかで頭を悩ます、裁判が終わった後の人たちがその後どうしているかは知らないとのことでした。私が今まで出会った裁判経験者の方々には、「普通に」社会に戻っている方はいません。「普通に」社会に戻っている人はいるのか。どうやって戻っていったのか、知りたいです。どうやったら「普通」に社会に戻っていった人に出会えるでしょうか。知り合いの記者さんにおたずねしてみたら、そんな方々を知っているのかな。なんかそんなことばかりを考えているこの頃です。


社会を変えたい人のためのソーシャルビジネス入門 (PHP新書)
駒崎 弘樹
PHP研究所