たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

祈り続ける

2016年01月03日 22時42分07秒 | 日記
 久しぶりにまた妹の部屋に入って遺品を少し整理しました。洋服と下着類、雑誌と洋服の型紙を少しずつ・・・。私と違って妹はすごく手先が器用でした。それはもう素晴らしい腕前。高校を卒業後就職してからは毎週水曜日の夜洋裁学校に通い、自分の洋服を手作りしていました。私の洋服を作ってくれたこともあります。洋服を買うことも好きでした。そんなことが結果的にショッピングビルの洋服売り場でマネキンをやっていた高校時代の同級生と再会し、彼女が関わっていたねずみ講に誘われてしまい後の自死へとつながっていってしまうことになるのですが、器用に作られた洋服たちにむかって「どうして自分で死んでしまったりしたんや?ふんばることはできんかったのか?」と話しかけられないではいられませんでしたが、妹の自死という現実が体の一部になっている今はもうただ魂が安らかであってほしいと、私が自分にふさわしい道に歩んでいけるように見守ってほしいと祈り続けるよりほかありません。

 洋服は妹のお手製と既製品の両方を、町内のリサイクル回収に出すために袋詰め。洋服をしまってあった段ボール箱もリサイクル回収のためにたたみました。丹精込めて丁寧に作られた洋服たちが誰かの下で生かされる機会があることを祈ります。過去には私が着倒してからリサイクル回収に出したものも何点もありますが年齢的にもう無理なので、そのままリサイクル回収に出します。下着類は残念ですがリサイクル回収には出せず処分するしかありません。妹が自分で作った型紙と雑誌類を少し、これもまたリサイクル回収のために束ねます。映画のパンフレット・手帳・ノート類・・・遺されたものはまだまだありますが、妹の生きていた香りのするものは、かわいそうで、申し訳なくって、私の心がいたくって手をつけることができませんでした。まだまだ時間をかけて少しずつお別れしていくことになるんだろうと思います。自分のモノも必死に断捨離を継続中。私、本当にモノはもう買いません。生活必需品、消耗品を除いてほしいものはなんにもないです。カバン、靴、洋服・・・古くなってきたら捨てるために買い替えるだけで十分です。

 自分のノート類とお別れしようと整理していたら2010年12月26日付で、母の主治医となってくれた町医者あてに私が書いた手紙と再会しました。2010年7月に父が入院したことにより、母が10年以上本人受診のないまま薬だけを父が精神科の病院で受け取り続けていたのを知ったこと、母の介護保険申請のためには主治医を見つけることが必須で、そのためには本人受診が必須でしたが父が薬だけを受け取りにいっていた病院は往診がなく、いやがる母を無理矢理連れて行くことはできなかったので、往診してくれる医者に出会うために苦労したこと、本人受診がないまま10年以上も薬だけでも出してくれていたのは医者の良心で、それだけでもよかったと介護保険申請の窓口で言われて行政に対してなんとももどかしいものを感じたこと、医者を頂点としたヒエラルキーができあがっているのを感じたこと、父が急逝した9月の午後は始めて主治医として往診を頼めることになった先生に、弟と二人で会いに行った日だったこと等を思い出しました。その後2011年3月の大震災、2012年2月の母の急逝、2014年3月の派遣の雇止めと一年余りの労働紛争。大変なことが続き過ぎてすっかり記憶から遠ざかっていました。

 私なりに一生懸命に考えながら動いていたつもりでしたが、自分は本当に母にとって必要なことをやっていたのか?結局ひとりよがりで、母にとって一番必要だったのはできるだけ穏やかに変化なく、自分の家で過ごすことだったのだと気づいたのはお別れのあとでした。

 行政・精神科医・社会福祉法人等、社会の仕組みは当事者と当事者の家族にとって本当に必要なことを連携して提供できるようになっていたのか。縦割りであんまり面倒くさい当事者には関わりたくなかったんじゃないのか。地域包括支援センターのワーカーや町の保健師と関わりながら、申請主義でなんともフレキシブルでない行政へのいら立ちを当時感じたことを思い出しました。行政へのいらだちは内容は違えど労働紛争となったことを感じた怒り・悔しさと同じ性質のものです。行政は本当にあてにならず、でも行政を通過しなければならないことがたくさんあって、色々と用意されている社会の仕組みは結局誰のためなんだ、なんのためなんだという根源的な問いにぶち当らざるを得ません。このあたりは労働紛争を経験したことにより色々と見え過ぎてしまいました。手紙を必死で書いた2012年12月には全く知らなかったことを気づかされることになったのであらためて考えさせられるところです。先生から母の生活や現実の認知度に対する見立てをききたかったのですが、そんなことを期待してしまったのも全く無駄でした。いろいろな意味を込めて手紙を振り返ってみたいと思いますが長いので続きは明日にします。連日の長文、読んでくださっている方ありがとうございます。


「O先生

 こんにちは。12月29日にお目にかかることになりました。よろしくお願いします。・・・」



写真は秋のプリンス・エドワード島。エルマイラ駅舎前です。