たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

お別れは大切なプロセス

2016年01月14日 19時38分13秒 | 祈り
 着物類がぎっしりつまっていたのを引き取ってもらって空になった箪笥二棹、母が使っていた鏡台、母の日記や新聞の切り抜きを貼ったノート類がたっぷり詰まっていた背の高いラック(私が中学生の頃使っていたものでした)、そして23年間眠ったままになっていた妹のミシン・アイロン台とようやくお別れしました。業者に引き取りを依頼したら、これまたプロの仕事で、一時間ほどで見積りの上、運び出しの作業は完了しました。トラックに積み込まれていくのを見届けながら、やっと少し肩の荷がおりたような、責任を果たすことができたような、なんともいいようのない気持ちになり、涙が出ました。ずっと片づけなければと気になりながらできなかったMちゃんのミシンとのお別れ。洋服づくりが好きだったMちゃんのもとにようやく戻してあげることができました。お墓の前で「おそくなってしまってごめんね」と報告しました。

 妹の自死と大震災をはさんで、相次いで訪れた両親との突然のお別れ。わたしの人生の中で本当に大きなことでした。こうして両親と妹の命が沁み込んでいたモノたちとお別れしていくプロセスは、お別れを本当に受け入れていく大切な喪の作業だと感じています。希望をもつことが難しい日本の現状の中で、こうして肩の荷を下ろしていく先に、新しい道が開けてくると信じたいと思います。せっかく訪問して下さるのに、旅日記と写真のアップの続きがなかなかできずです。気長にお待ちいただければと思います。

「2013年3月17日(日)

 マニュアル通りは無論大切だがあまりにも心がこもっていないと気持ち悪くって仕方ない。マクドナルド式が増えすぎてあたたかさがなさ過ぎる。『自己コントロールの檻』を読み返したいと思う。

1989年の日記。私は自分がどこへ向かえばいいのかわからず道に迷っていたようだ。今と同じか・・・。宝塚ステージアルバムの1992年のものもデジタル化して現物は捨てる。あきらめていくしかないのだ。

金曜日の夜。すごく疲れていたからだろうか。布団に入ると、ふいに父の声が聴こえてくる。
母の顔が浮かんでくる。昔の場面を断片的にさまざまに思い出す。こんなふわふわした状態はまだ続いていくだろう。父も母もこの世のいないのだという実感がもてない。

会社は馬鹿げている。でも他に行ったらもっとひどいかもしれないし、おかしいのはどこも同じだろう。被災して住む所も仕事も失った人達がたくさんいることを思えば今は耐えるしかない。非常勤で、月一回のペースでなにかできないだろうか。福島で自殺する人が後を絶たない様子をブログで知る。なにかしなければならない、できることがあるのではないか。ついそんな思いが湧き立つ。何もできないのだが、あんまりきつい話には耐えられないのだが・・・。熱いものが自分の中に流れ始める。現実の私は、専門家たちの中で、何を発言すればいいのか、今もわからないでいる。
哲学を勉強したい・・・。」

疲れ果てた金曜の夜、父の声が聴こえたこと、手帳を読み返すまで忘れていました。
父とのお別れは、自分を守ってくれていた大きな柱を失ってしまったような、すごく心もとない感じになりました。大きかったですね。