たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

お別れの作業は続いています

2016年01月21日 16時17分42秒 | 祈り
 一月の半ばを過ぎましたが気力が戻らず、戻る場所がボランティアを始めた病院だけというのも、社会から干されて収入の道は断たれたまま、という意味で辛く、今だ実家で遺品整理をしながら断捨離も続けています。部屋が心配なのでそろそろ戻らねばとは思いますが、またパソコン背負って徘徊し続ける孤独な日々が待っているというのも辛く身動きとれないままです。13年にわたる長時間過重労働、繰り返しになりますが体の具合が悪くて吐きながらも己に鞭打って鞭打って会社に行かざるを得なかった日々を思い出すと気力が失せてしまいます。

 疲れがあふれ出てきているのか、毎日7時間ぐらい眠っていますが眠いです。電車にもバスにも乗ることなく、カフェに行くこともなく(都心と違って少し歩けばお店があるわけではないので)、ほとんど人と会うこともなく三週間あまりが過ぎました。昨日調剤薬局で薬を受け取ったついでに椅子のあるコンビニ内でペットボトルのココアを飲んで少し休みました。家から徒歩で20分ぐらいの距離でしょうか。学会のセミナーの申込書に内容を記入してFAXも送りました。久しぶりに外でささやかなお茶タイム。笑ってしまいますが、病院と薬局と廃棄物の引き取り業者と弟以外は、人と話すのはコンビニで会計する時ぐらいです。弟は会社に行っているので、ずっと一人で過ごし夕方ふらふらとお墓参りとお散歩に出かけます。もう社会復帰は無理かもしれませんね。いやあの石丸幹二さんでさえ、劇団四季退団後一年間は動けなくなってしまい近所の公園を散歩するところから再スタートしたとか。『レディ・ベス』や『エリザベート』で拝見した石丸さんからは想像もつきません。私も今そんな時を過ごしているのだと思うことにします。

 捨てるしかないと思っていた父が残した古銭類。江戸時代の貨幣と題して額物に入ったものも一点ありました。ネットで見つけた業者さんに電話してみたら出張買い取りにきてくれて、結果母の荷物の中から出てきた指輪とあわせていくらかお金になりました。

 江戸時代の大判に似せたモノや古銭類のほとんどはよくある偽物だそうですが、小判数枚は本物で価値があるものだそうです。お金なので捨ててはダメですよ、と言われました。母の指輪も価値のあるものでした。額縁は自分で創ったものなのではないか、この集め方は額を作って飾ろうとしていたのではないかという業者さんのお話でした。偽物だとわかっているものを少しずつ買い込んではためて、自分で額を創りお金を入れて飾ることを楽しもうとした父の姿が思い浮かんでくるようでした。モノのない時代に育ち、捨てるという感覚が全くなかった人です。集めることが楽しみだったんでしょうね。偽物もまとめてささやかですがお値段をつけて、引き取ってもらうことができました。どこかのだれか必要な人の手元に渡っていけば嬉しいです。記念のコインや昭和の古いお金なども銀行で両替してもらえるものだそうです。手間かかりますが、こうして少しずつお別れです。

 母の荷物からは大量の新聞の切り抜きや映画・観劇の半券、パンフレット、そして我が家の歴史をうかがわせる家計簿。びっしりと書かれた大量の日記・雑記帳。捨てるのは簡単ではありません。家計簿は92-93年あたり。父、妹、弟の行動と購入したモノが細かく記入されています。母が最初に統合失調症を発症した頃だと思います。妹が亡くなるまでまだ日常生活を送ることができていました。読み返しているときりがありません。断腸の思いで家計簿は捨てようと思います。きりがありません。私が両親に書いた手紙を全部箱に入れて残してくれています。まだまだあるんです。手をつけることができません。

 中学1年か2年の私が書いた手紙と再会しました。

「お母さんへ
 
 きょうは母の日だったのに何ひとつとして満足なことができなかったこと、すごく悔やんでいます。きょうは母の日だということに気づくのが遅かったから。ごめんなさい。お母さんはきょう、「お手伝いをすることがいちばんのプレゼントやよ。」って言いましたね。私はお母さんは手伝いをしてもらえることがそんなにうれしいのかなあって思いました。それはなぜだかよくわからないけど、お母さんがうれしいんなら言いつけられた限りはしっかりやりたいと思ってます。ただこっちにも都合があるからやらない時もあるかもしれませんが・・・。

 私はまだプリントなんかをすぐに見せません。これは私の悪いくせというか習慣。直すようにします。この日を境にこれからはお母さんと呼ぶように努力します。だって中学生にもなって、ちゃんなんておかしいもんね。

お母さん ありがとう!!

5月9日(日)夜10時15分 たんぽぽより」

 
 母が統合失調症を発症し、妹が自死をするという未来が待っている、のたうちまわるような苦しみの日々が未来に待っていることなど思いをしなかった10代前半の私でした。なぜなのか、答えを探し求めてもどこにもありません。生きることにこれが絶対に正解だという答えはどこにもなく、ただ起きてしまったことは受けとめ消化していくしかありません。神様がいるのなら、いくつかの試練を通して私になにかを教えてくれているのだと思いたいです。

こちらのブログもお時間と興味がありましたらご覧ください。
雇い止めにあった派遣社員として書いているもので時々更新しています。

http://blog.goo.ne.jp/aozoratomidori/e/7453a62517448b6f3de8559a1c2b9eef


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若松英輔さんがリツイート
100分de名著 @nhk_meicho · 1月16日
上杉鷹山と二宮尊徳という二人の指導者の生き方は、試練を好機に変えていく「誠意」の大事さを教えてくれます。若松英輔さんのいうとおり、試練は「恐れる」ものではなく、「畏れる」ものなんですね。「試練は人生からの問いである」…フランクルの言葉とも響きあう思想です。

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中学生の私は手紙をこんな封筒に入れて、母の目に留まりそうな所にそっとおきました。
私が有名になってお星さまになった後どこかで展示会が開催されるなんてこともなさそうなので、ここに載せて現物はお別れします。