(公式ガイドブックより)
17世紀ローマ派
《聖ペテロの口述のもとに福音書を記述する聖マルコ》
17世紀の第1四半期
油彩、カンヴァス
243 × 159 ㎝
「聖ペテロの口述のもとに福音書を記述する聖マルコ」を描いたこの作品が、あまり注目されてこなかったことは作者が不詳であることからも理解されるが、本作品はその質の高さによってないがしろにはできない。視覚的に言えば、カラヴァッジョによって導入された新奇な表現、すなわち、より大胆な表現形式においては同時代の芸術に敏感に反応し、また、堂々たる画面においては、卓抜な技術と洞察力とが示されている。低い視点や絵画面から絵を見る者の空間に飛び出しているように見える足の強調されたイリュージョニスム、場面の宗教性を喚起するような雄弁な身振り、こうしたすべての要素は、この作品をすぐれたバロック的作例のひとつとすることに貢献している。
本作品は、口伝で伝えられた神聖な話と聖なる記述、すなわち、聖書そのものを主題としている点において注目される。ひとりの聖人が別な聖人の口述を書きとっている。隠れてはいるが、確かにそこにいる者に気づき、彼は言葉を発しているのである。手を差し伸ばし、指で天を差して、彼はこの絵を見る者の注意を促している。決定的な身振りは、絵画的短縮法で描かれていると同時に神への揺るぎない信仰が示されている。
偉大な画家の証とも言える入れ子構造をもつ本作品は、書かれたものと視覚的なもの、イメージと言葉との関係を思い起こさせる作品でもある。聖人たちが持つ分厚い書籍は、ヨーロッパ文化において古代以来、「書物の宗教」(聖書)と言われてきたキリスト教の中で、テクストがもっていた位置について考えさせるものである。それが印刷本ではなく、手写本であることはこの問題にとって何の違いもない(手写本は愛書家によって求められ、ルイ14世の蔵書にも入っていた)。この作品では、近代が古代に追っていること、17世紀のキリスト教徒が原始キリスト教会に負っていることが描かれている。この遺産がふたりの偉大で高貴な老人像によって確かなものとされていることは、対抗宗教改革の要請に合致している。カトリックの教えに近付くことができるようにという明白な目的をもって、そこでは聖なる人物像と信者はできるだけ近付くことが要求されたのである。」
イエスに選ばれて宣教を託された生え抜きの12使徒より、
ペテロ
12使徒のリーダー格で、本名はシモン、ペテロとはイエスが付けたあだ名で、ギリシャ語で「岩」の意味。ガリラヤで猟師をしていたが、イエスの奇跡で大量にしてもらって以来、弟子となり行動を共にする。最も信頼された弟子の一人であり、最後の晩餐の際も決して師を見捨てないと力説するが、イエスに「明日の晩、雄鶏が鳴く前に3度私のことを知らないと言うだろう」と言われ、その通りに自らの保身に走ってしまうという失態を犯す。だが、イエスの復活後はキリスト教伝道のために命をかけて尽力し、エルサレム教会では恐れ多いと、自ら望んで十字架にかけられたという。ペテロの墓の上に建てられたのがヴァチカンのサンピエトロ大聖堂であり、カトリック教会では、ペテロを初代ローマ教皇とみなしている。
ヨハネ
12使徒中、最年少で、ペテロと同じくガリラヤで猟師をしていたがイエスと出会って弟子になった。使徒たちの中で、最もイエスに愛され、唯一殉教せずに天寿を全うしたと言われる。初代教会ではペテロとともに指揮者となり、聖母マリアを連れてエフェソスに移り住んだという説も。聖人伝『黄金伝説』では、ローマで捕まり煮えたぎった油の釜に投げ込まれたが、無傷で出てきた上に以前より若返っていたという逸話もある。『ヨハネによる福音書』や『ヨハネの黙示禄』などを記したというのが伝統的な見解だが、最近では別人によるものという説も有力だ。この福音書は、ルカら他の3人が残した福音書に比べて愛が強調され、またグノーシス主義的な傾向も色濃い。黙示禄のほうは、さまざまな地獄絵図の描写の後に救いを見せ、迫害を受けても信仰を捨てず苦難を克服せよというメッセージとも受け取れる。
(『PEN』2011年1月1日・15日合併号-キリスト教とは何かⅡより)