愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

産経は、侵略戦争の加害の事実を教える平和教育を自虐的と攻撃してきたことを反省し改めるべき!

2014-08-01 | 時代錯誤の安倍式教育再生

悲惨な事件を引き起こした背景に真摯に向き合わない産経の実態浮き彫り!

産経が、ナガサキの、高校生の不幸な、悲惨な事件について、「主張」を書きました。全く自己矛盾の思想が浮き彫りになりました。主張の核心部分と理解している文書を掲載しておきますが、その部分の視点で、侵略戦争の教訓を導き出す実践を攻撃してきたのは、他ならぬ産経と「自由主義史観」派、安倍首相派でした。このことを再確認しておく必要があります。


加害少女は殺害の動機を「人を殺して解体してみたかった。個人的な恨みはなかった」と供述した。残虐極まりない犯行だが、彼女もまた加害者としての大きな不幸を背負う。凶行に至る前に彼女を止め、救うことはできなかったか。


普通の男たちを皇軍兵士として動員し、侵略戦争を担わせた構造がどんなものであったか、大日本帝国憲法、教育勅語、軍人勅諭、治安警察法から治安維持法、隣組、マスコミ統制などなど、学校教育と社会教育の場で解明していくことについて、産経はどのような立場で記事を配信してきたか、自己検討すべきです。

とりわけ、被爆地ナガサキで、このような事件が起こったことについて、とりわけ意味づけることが重要ではないでしょうか?10年前の事件を受けて、特別授業が行われていたということですが、こうした取り組みが、生徒のこころにどのように浸透していたか、検証が必要です。教材、説明の仕方、感想文の中身、討論の仕方などなど、教育実践の成果と課題、教訓を明らかにしてほしいと思います。その際には、県教育委員会と教職員組合が、その立場を尊重しながら、この問題について、真摯に向き合うための対話と交流、研究が必要でしょう。

またマスメディアは、今回の事件を家庭の問題に話を集中させていますが、それは一つの要素であって、家庭、地域、学校、そして命の重さを子どもたちにメッセージとして送り続けていたかどうか、マスメディア自身の検討が必要でしょう。今朝のニュースでは両親の再婚などについての事実、父親をバッドで襲ったことの理由などについて、本人から訂正の申し出がありました。世の中が自分に対してどのように報道しているのか、結構冷静に観ているのです。

ところで、というか、だからこそ、該当生徒も、あれほどの被害を生んだ東日本大震災を目の当たりにしていたはずです。あそこにはたくさんの家族を失った人たちの悲しみなどが放映されていたはずで、それを観ていたはずです。なのに何故、あのような言葉を発するのか、です。また、彼女の通う高校は進学校だったということですが、一般的に言えば、「頭の良い子」「勉強のできる子」が何故、あのような犯行をしたのか、人間が死ぬことがどのような意味を持っているか、そのことを理解するための教育実践などはどのように行われていたのか、解明すべきです。これは社会全体に課せられた課題です。


特に、憲法を活かす教育と政治が日本の「風土」として確立していないことに、愛国者の邪論は、大きな要因があるように思います。こうした「風土」が「風潮」をつくりだして、犯行が増幅しているのではないでしょうか。経済的貧困と思想的貧困の奥深いところに憲法形骸化の政治があるように思います。


後からなら、何でも言える。それでも言わなくてはならない。彼女を助けるチャンスは、何度もあったはずなのだ。


という産経の言葉は、産経自身にも言えることですが、この間の、3Dプリンターによる拳銃製造をした事件、子供を白骨するまで放置していた事件、パソコンの遠隔操作で犯人をでっち上げた偽装事件などなど、一つひとつの事件の背後にあるものが何であるのか、テレビ、マスコミはバラバラに伝えているだけです。これらの事件に地下水脈のように流れているものが何であるのか、解明すべきです。

これが科学的分析に欠ける、あまりに情緒的で自己点検免罪の主張だ!


産經新聞  佐世保高1殺害/凶行は防げなかったのか  2014/8/1 4:00
http://sankei.jp.msn.com/column/topicslist/../../affairs/news/140801/crm14080103190003-n1.htm
かわいそうで、たまらない。長崎県佐世保市の高校1年女子生徒は、1人暮らしの同級生の部屋で惨殺された。
両親は女子生徒を「大切に育ててきた宝物」と表現した。心痛のほどは想像もつかない。
加害少女は殺害の動機を「人を殺して解体してみたかった。個人的な恨みはなかった」と供述した。残虐極まりない犯行だが、彼女もまた加害者としての大きな不幸を背負う。凶行に至る前に彼女を止め、救うことはできなかったか。
少女は小学6年時に、同級生の給食に洗剤など有害物質を混ぜる問題行動を起こしていた。過去に何度もネコなどを解剖したことがあると供述している。今年3月には、自宅で父親を金属バットで殴打し、重傷を負わせた。
異常行動の兆候はあり、しかもエスカレートしていた。給食への有害物質混入時に、徹底したカウンセリングや専門家の治療を受けさせるべきだった。
佐世保市内では10年前、小学6年の女児が同級生に殺害される事件があり、以来、命の大切さを学ぶ教育に力を入れてきたという。それも大事だが、一方で個別の問題への対処に問題はなかったのか。検証が求められる。
金属バット殴打時には刑事事件として警察に届け、医師の診断をあおぐべきだった。だが少女は父親に1人暮らし用の部屋を与えられ、4月入学の高校にはほとんど登校していなかった。彼女を、一人にしてはいけなかった。
後からなら、何でも言える。それでも言わなくてはならない。彼女を助けるチャンスは、何度もあったはずなのだ。
少女の動機を聞き、思い起こしたのは平成12年5月、愛知県豊川市の住宅で64歳の主婦を殺害した17歳の少年だ。彼は「人を殺してみたかった。死ぬとどうなるのか見てみたかった」と供述した。精神鑑定が繰り返され、少年は医療少年院に送致された。
同年同月には佐賀市の17歳の少年が西鉄高速バスを乗っ取り、乗客の68歳の女性を殺害した。事件の2カ月前には、卒業した中学校の襲撃も計画した。その際の手記には、次の一文もあった。
「誰か僕を止めてください」
少年の内なる心の叫びではなかったか。せめて少女にも、同じ葛藤があったと信じたい。こうなる前に助けてあげたかった。(引用ここまで


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