会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

十日市に行って

2013-01-09 18:08:24 | 地域情報
2013年1月10日(木)くもり 0.2度

 会津の新春の風物詩「十日市」は会津最大の初市である。

 その歴史は400年とも600年ともいわれている。
 会津領主葦名直盛(七代)が至徳元年(1384)に黒川に築城(鶴ヶ城の前身)した。直盛公は会津発展のため、農工商の守護紙神である住吉大社を勧請し、神のご加護を願った。重臣簗田盛胤に命じ京に上京させた。簗田盛胤は足利将軍義満公より、会津四郡並びに隣国までの商人の司となることを許された。
 盛胤は市場を開くことがあれば、自ら鳥帽子、直垂を着して、商人などを従い、住吉神社(材木町にある)に詣で、市神祭を行い商法の式を定めという。今日の正月十日市の始祖である。もとは簗田市と云って、大町四つ角に於いて俵引きなどを行った。
 商人の司 簗田家の屋敷跡は大町四つ角から野口英世青春通りへ南に50m歩くと左側に小さな碑が建っています。探してみてください。

 孫が大きくなると十日市もあまり関心がなくなってしまった。それでも縁起物である起き上がり小法師を買いに妻が病院の帰り神明通りに出かけた。神棚に飾り一年の家内安全を願った。
 お天気も荒れなかったので小生も十日市に出かけた。例年と違って西若松駅から電車で会津若松駅へ行き、大町通りを歩いて神明通りに向かった。昔は賑やかな商店街であったが、人通りもあまりなく賑わいが感じられなかった。午後5時前だというのにテントをたたんで店じまいしているところもあった。大町四つ角や野口英世青春通りや神明通り、市役所前の通りを巡ってみたが例年より活気がないように感じた。

やたらに食べ物屋が多い。新潟三条の包丁などの店をみつけるとほっとした。昔は、包丁やまな板、瀬戸物などを店主と値段の交渉をして新しいものを買い求めたことが懐かしい。マンネリ化している十日市を実行委員会で検討し秩父の夜祭のような賑やかさにして欲しい。
市役所のライトアップは魅力的である。大町の古い蔵などもライトアップすればこの通りも明るくなり賑やかになるのではないだろうか。