2013年1月21日(月)曇り 3.7度~-5.4度
年が明けて初めて飲食を伴う会合を新年会と呼ぶならば1月は数が多い。公的な役職は大部分辞任したので会合は少なくなったが同好会やお付き合いの会合はまだ少し残っている。
5日は「知的のんべえの酒づくり講座」、15日は「西若松駅を愛する会」、19日は「きらく会(老人会)」、20日は「男の料理味覚会」、21日は「中学時代の同級生の無尽」、23日は「NPO法人 豊齢研ITサロン会津」、26日は「ほまれ酒造の酒づくりの会」と続く。胃癌手術してまだ10ヶ月なので会合には出席するが体調を考えて短時間で中座するようにしている。
20日「男の味覚会」では懇親会に入る前に「会津の武家料理」や「ふぐ鍋」についての講話を聴いた。
講師は会津でも有名な居酒屋「籠太」の主人(インターネットで検索して来る客が多い)。京都や東京で修業し、会津では古文書で武家料理など研究し郷土料理にも造詣が深い。また、会津坂下町の小さな酒屋だった廣木酒造の酒を全国的な酒「飛露喜」になるよう応援した一人である。
籠太(かごた)は江戸時代から昭和初期まで実在した江戸街道沿い、城下のはずれ滝沢峠の降りたあたりに実在した街道茶屋の名前です。つい数年前まで建物もありましたが、建て直しで池の庭と共に取り壊されてしまいました。
昔、参勤交代の折や、春には城下の人たちが石部桜で花見の折、夏には滝沢の不動様への夕涼み、秋には飯盛り山への茸狩りと、物見遊山の折に愛された、会津一の街道茶屋の名前です。
店では折々の季節の名物料理が供されていましたが、又この茶屋の名物は、庭の池越しに松の立ち木の間から見える磐梯山が何よりのご馳走だったとか。私達は開店に当たり会津の多くの記録に登場し、又、人々の多くのドラマがあり、あたたかい人間的な匂いのするこの茶屋の名前に強く惹かれました。
年が明けて初めて飲食を伴う会合を新年会と呼ぶならば1月は数が多い。公的な役職は大部分辞任したので会合は少なくなったが同好会やお付き合いの会合はまだ少し残っている。
5日は「知的のんべえの酒づくり講座」、15日は「西若松駅を愛する会」、19日は「きらく会(老人会)」、20日は「男の料理味覚会」、21日は「中学時代の同級生の無尽」、23日は「NPO法人 豊齢研ITサロン会津」、26日は「ほまれ酒造の酒づくりの会」と続く。胃癌手術してまだ10ヶ月なので会合には出席するが体調を考えて短時間で中座するようにしている。
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20日「男の味覚会」では懇親会に入る前に「会津の武家料理」や「ふぐ鍋」についての講話を聴いた。
講師は会津でも有名な居酒屋「籠太」の主人(インターネットで検索して来る客が多い)。京都や東京で修業し、会津では古文書で武家料理など研究し郷土料理にも造詣が深い。また、会津坂下町の小さな酒屋だった廣木酒造の酒を全国的な酒「飛露喜」になるよう応援した一人である。
籠太(かごた)は江戸時代から昭和初期まで実在した江戸街道沿い、城下のはずれ滝沢峠の降りたあたりに実在した街道茶屋の名前です。つい数年前まで建物もありましたが、建て直しで池の庭と共に取り壊されてしまいました。
昔、参勤交代の折や、春には城下の人たちが石部桜で花見の折、夏には滝沢の不動様への夕涼み、秋には飯盛り山への茸狩りと、物見遊山の折に愛された、会津一の街道茶屋の名前です。
店では折々の季節の名物料理が供されていましたが、又この茶屋の名物は、庭の池越しに松の立ち木の間から見える磐梯山が何よりのご馳走だったとか。私達は開店に当たり会津の多くの記録に登場し、又、人々の多くのドラマがあり、あたたかい人間的な匂いのするこの茶屋の名前に強く惹かれました。