2014年12月30日(火)雪・小雨 2.3℃~ー0.5℃
「富岡製糸場・世界遺産登録」
こんにゃくパークの見学を終えて、旅行の大きな目玉である世界遺産に登録された富岡製糸場と絹産業遺産群の見学へ。駐車場から10分くらい歩いた。
待っていた解説員から案内板で概要説明を受け、東繭倉庫→操糸場→ブリュナ館(技師宿舎)→診療所→女工館→とめぐり自由見学。乾燥場は2年前の大雪で倒壊していて見学できなかったが、裏の西繭倉庫の外観を見たり、入り口のガイダンス展示で富岡製糸場の歴史、フランス式操糸器(復元)を見学して富岡製糸像のあらましを知ることができてよかった。
明治5年、明治政府が日本の近代化のために最初に設置した官営模範器械製糸場で、昭和62年まで、約115年間操業を続けてきた。現在は、操糸場、東・西繭倉庫、外国人宿舎(女工館)、検査人館、プリュナ館等の主要建物(国指定重要文化財)は、ほぼ創業当時の状態で保存されていた。明治政府がつくった官営工場の中でほぼ完全な形で残っているのは富岡製糸場だけ。
富岡製糸場は昭和13年(1938年)には株式会社富岡製糸所として独立しましたが、昭和14年(1939年)には日本最大の製糸会社であった片倉製糸紡績株式会社(現・片倉工業株式会社)に 合併されました。その後、戦中・戦後と長く製糸工場として 活躍しましたが、生糸値段の低迷などによって昭和62年(1987年)3月ついにその操業を停止しました。
富岡製糸場が世界遺産登録できた陰には、平成17年富岡市に移管されるまで、『売らない、貸さない、壊さない』を社是として場内のほとんどの建物を大切に保存してきた現片倉工業株式会社の努力があったからだ。管理維持には人的にも・物的にも大変だったことだろう。利益追求に進む会社が多い日本であっても製糸場の価値を認め保存し続けた会社を称えたい。
富岡製糸場見学の後は、ローマの円柱を模したガトーフェスタハラダ エスポワール館へ立ち寄り、工場見学とラスクの試食をした。とってもおいしかった。ラスクがこんなにおいしいものだと知らなかった。
郡山駅に午後7時半頃着き電車に乗り換え午後10時過ぎ帰宅。想い出多い金婚旅行でした。(完)
「富岡製糸場・世界遺産登録」
こんにゃくパークの見学を終えて、旅行の大きな目玉である世界遺産に登録された富岡製糸場と絹産業遺産群の見学へ。駐車場から10分くらい歩いた。
待っていた解説員から案内板で概要説明を受け、東繭倉庫→操糸場→ブリュナ館(技師宿舎)→診療所→女工館→とめぐり自由見学。乾燥場は2年前の大雪で倒壊していて見学できなかったが、裏の西繭倉庫の外観を見たり、入り口のガイダンス展示で富岡製糸場の歴史、フランス式操糸器(復元)を見学して富岡製糸像のあらましを知ることができてよかった。
明治5年、明治政府が日本の近代化のために最初に設置した官営模範器械製糸場で、昭和62年まで、約115年間操業を続けてきた。現在は、操糸場、東・西繭倉庫、外国人宿舎(女工館)、検査人館、プリュナ館等の主要建物(国指定重要文化財)は、ほぼ創業当時の状態で保存されていた。明治政府がつくった官営工場の中でほぼ完全な形で残っているのは富岡製糸場だけ。
富岡製糸場は昭和13年(1938年)には株式会社富岡製糸所として独立しましたが、昭和14年(1939年)には日本最大の製糸会社であった片倉製糸紡績株式会社(現・片倉工業株式会社)に 合併されました。その後、戦中・戦後と長く製糸工場として 活躍しましたが、生糸値段の低迷などによって昭和62年(1987年)3月ついにその操業を停止しました。
富岡製糸場が世界遺産登録できた陰には、平成17年富岡市に移管されるまで、『売らない、貸さない、壊さない』を社是として場内のほとんどの建物を大切に保存してきた現片倉工業株式会社の努力があったからだ。管理維持には人的にも・物的にも大変だったことだろう。利益追求に進む会社が多い日本であっても製糸場の価値を認め保存し続けた会社を称えたい。
富岡製糸場見学の後は、ローマの円柱を模したガトーフェスタハラダ エスポワール館へ立ち寄り、工場見学とラスクの試食をした。とってもおいしかった。ラスクがこんなにおいしいものだと知らなかった。
郡山駅に午後7時半頃着き電車に乗り換え午後10時過ぎ帰宅。想い出多い金婚旅行でした。(完)