会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

夏バテ

2010-08-21 18:26:03 | Weblog
8月21日(土)
~ 夏バテで うなぎ蒲焼 しみわたる ~


日中は30度を超すが、朝夕は幾分気温が下がり寝苦しいこともなくなった。秋の気配がどことなくやって来ているのだろう。若い時のように無理はできないとわかっていてもついつい動き回ってしまった。夏風邪をひいたり、だるくなったりと夏ばてが今やってきている。
福島民報の「健康歳時記 夏ばて対策上・中」のコラムが載っていたので紹介します。(8.20~21)
 夏を乗り切る健康管理ー。チェック項目六つ。
1.オーバーワークではないか?
2.運動不足では?
3.生活のリズムはくずれていないか?
4.体を冷やしていないか?
5.心理的にばてていないか?
6.食生活が乱れていないか?

この項目の対策については明日からのブログでアップします。
皆さんと一緒に夏ばてを解消していきましょう。

ケイトウ

2010-08-20 21:25:42 | Weblog
8月20日(金)
~ 夏異常 真夏猛暑日 記録的 ~


いつもの金曜日。何時ものように資源物回収日。今日は缶、ペットボトル、プラスチック。午前6時に集積所へ行くと3つの袋が置いてある。ステーションにはかごが4つ(分別用)が支柱にかけてある。用事があって定刻の午前6時半に出せないならかごを広げて入れていってくれればいいのになあと思った。
今日のパソコン授業の準備で午前5時には起床していたので、このステーションのかご設置は気分転換にはなった。朝方は随分と涼しくなっている。
豊齢研ITサロン会津のパソコンの授業を午前中に済ませ、午後になったらさすがに疲れた。終了少し前に帰宅し2時間ばかり仮眠した。
昨夜寝たのは12時過ぎ、睡眠時間は約3時間。若い時は徹夜も苦にしなかったのだが、無理はできない年齢になった。
元気がいいのは、生い茂る夏草ばかり。庭のケイトウは元気いっぱいで美しく咲いていた。この花の元気をもらってもう少しがんばろう。
明日は仙台に用事があって出かける。暑くなければいいのだが・・・・・・。

 
  
 

盆が過ぎて

2010-08-17 21:54:53 | 地域情報
8月19日(木)
~ 盆過ぎて 夏草繁る 畑かな ~

17日の午後6時より市内川原町の料理店「大民屋」で、16日の「第23回灯ろう流し」と7日に実施した「西若松駅前広場4周年記念イベント」の合同反省慰労会を実施した。約60名が集まった。両方の行事に関係している人、片方にしか関係していない人酒宴の中での反省会。進行・司会をしたが、時間配分、内容、発言者への配慮など苦労した。酒を飲み交わして情報交換をするのは合同でもよいが、次年度につながる反省をするには、別々に会を開くべきであったと反省している。
  
どちらの行事もお天気に恵まれ、実行委員や協力者の献身的な働きで盛大に実施できたことはよかった。下町の地域活性化のために今後ともおおいに頑張っていこうとよい雰囲気で反省できてよかった。


18日(水)朝裏庭に出てみると、大発生したアメシロを先日すべて駆除したはずなのに十数か所発生していた。約一時間駆除作業をする。二日酔いのアルコールは汗とともにすっかり体外に。
畑をみると青紫蘇、オクラ、トマトの周りは夏草が生い茂っていた。いんげんやきゅうりはほぼ役目を終えて枯れていた。例年なら草を除去し、起耕して秋野菜植え付けの準備をしているのだが、この暑さで外仕事になかなか取り組めない。

午後は聖光学院(福島)と興南(沖縄)の準々決勝戦をテレビ観戦。もちろん聖光学院を応援した。
2回に3点を先制したが、投手の不調と内野手のエラー(初めて)などの乱れがあって3-10で敗れた。4強はならなかったが、広陵(広島)履正社(大阪)という前評判の高かった強豪を倒した聖光学院の健闘はすばらしい。県民に大きな夢と希望を与えてくれた。ありがとう聖光学院。


礼文・利尻島の旅 24

2010-08-16 13:10:47 | 旅行
8月16日(月)
~ 灯ろうの 明かり湯川に ゆれ浮かぶ ~


先祖の精霊を供養しようと始った湯川(東山温泉の奥から流れ大川へ)での灯ろう流し。ごく一部の個人・町内や各種団体の思いで実施されてきた。
 
 はじめは個人や諸団体であったが城西区長会が主催者となって行事を進めてきた。会津若松市の後援もいただいたので、第23回の灯ろう流しの活動も活発に成っている。すばらしいことである。450個を川面に。午後7時から一つ一つ川に流した。多勢の市民が灯ろうのゆらりゆらり流れる明かりを眺め、先祖の供養をした。新盆の方は深い感銘を受けたと語ってくださった。また、関係町内外の市民も灯ろう流しをしたいと市を通して申仕込まれた。
 
 我々実行委員会は自己負担で予算を組み、無料で材料を貸し出している。諸手をあげて歓迎し今回の希望者に材料を提供した。もっともっと市民が関心をもってくださって先祖精霊の供養をされることを願う。現段階では1基200円以上の材料費がかかる。いつまでも鶴ヶ城、飯盛山、御薬園の歴史的な史跡に依存していては会津の観光は成り立たないマンネリ化してしまう。湯川の灯ろう流しを塙町のように市のイベントにして大きく取り上げてほしい。市を東から西へ縦断して流れる湯川をもっと活用した観光行政の企画・立案・予算に期待したい。

6月29日 快晴 稚内駅より帰路へ

稚内全日空ホテルへ到着し夕食。「海産物が続くので和・洋選べる夕食」だった。和食を選ぶ。もちろん翌日の朝食も和食。本当に北海道の新鮮海産物を満喫した旅行であった。
ホテルから歩いても10分のところをバスで稚内駅へ送ってもらった。

出発時刻は早かったが、前日までゆったりとした行程だったので疲れはなかった。
記念写真は北限の駅の標識である。当然記念撮影。
稚内駅07:10発スーパー宗谷2号で札幌駅へ。ここで旅行団は解散。電車で帰る方と飛行機で帰る方と分かれた。添乗員と盛岡の方1組は陸路。仙台の方達と小生夫婦は新千歳空港より仙台空港へ。午後5時35分着。そこから仙台駅へそして会津若松へ最終高速バスで帰宅。
今回の旅行は『花咲く美しき島々利尻島・礼文島ゆったり巡るさいはて紀行5日間』の通りほんとうにゆったりとした旅であった。少々金額が高くてもゆったりと旅を楽しむのもいいのかなと思った。
身体が元気に動くうちもう少し旅行をしてみたい。
長い間、『礼文・利尻島の旅』にお付き合いありがとうございました。
旅行大好きな人間ですので、別な旅行記を書いてみたいと思います。明日からは会津の重ちゃんらしく平々凡々の日記をアップします。よろしく。

礼文・利尻島の旅 23

2010-08-15 19:28:23 | 旅行
8月15日(火) 
~ せみしぐれ 終戦記念日 祖を偲ぶ ~


朝方雨が降っていたが午前7時頃には止んだ。午前中南会津町(田島)の病気の義長姉の夫を見舞い、午後家内の実家の墓参りに喜多方へ出かけた。集まったのは実家を継いでいる義次兄夫婦、長野から来た義妹夫婦、義次姉と我々夫婦。何時もよりは少ないが一族が墓参りできてよかった。
 この墓地は喜多方市で開発し売り出した「上の山墓地公園」にある。小生は売り出した当初喜多方市に住んでいた。(30数年前) 墓地に対する認識は甘く、普通の土地購入のように売買できると思っていた。今でいえば投資したつもりで一区画を購入。5年くらい管理料を支払いその後永代管理料を支払った。当時としては高額であった。
 10数年経って喜多方市役所から一通の書類が届く。墓地が不足しているので、墓石を建てないなら返還してもらえないかという内容であった。
購入した墓地なので所有権があると思っていたのは間違いで借地権があるだけとわかった。それでも購入時の5分の一くらいのお金で買い上げる内容であったが、どうでもよかったのでそのままにしておいた。
 久しぶりに購入した規格墓地をみる。売り出し第1期だったので墓地公園の入り口の平地にある。まわりは随分と墓石が建っていた。この墓地は会津若松市から遠い。ここを手放して祖先が眠る本家の寺院の墓地を新たに購入しようかどうか迷った日でした。「せみしぐれ 終戦記念日 祖を偲ぶ」

6月28日 夕方 野寒布岬(ノシャップ岬)

いよいよ最後の観光。ノシャップ岬へバスで移動した。この岬は日本海から宗谷湾を区切る。
東経141度38分42秒、北緯45度26分58秒。「喜びも悲しみも幾歳月(映画の舞台)」やイルカの像もあった。近くには稚内ノシャップ寒流水族館や稚内青少年科学館もあった。
午後5時過ぎだったので閉館。見学はできなかった。

礼文・利尻島の旅 22

2010-08-14 18:13:32 | 旅行
8月14日(土) 
~ 墓参り 枝豆スイカ 笑い声 ~


お盆頃に食べる枝豆「湯上がり娘」を植えた。ちょうど食べごろになった。採りがけを茹でてビールのおつまみ。最高である。お盆になると親類縁者が集まって墓参りをし祖霊を供養した。もちろん枝豆を墓前に供えた。また、食卓にも必ず出た。子どもの頃 13日に迎え火をして家に先祖を迎える。お墓は空っぽのはず。
その先祖の霊が居ない墓石にお参りして??????。と思ったことがあった。みなさん思ったことはありませんか。
 
 商売をしていた実家はお盆は忙しい。それで8月4日に墓参りをしていた。本堂で読経をしてもらい、お墓に花や供物、そして線香をあげて合掌。その後、本堂に戻り親類縁者子どもも大人も30人くらい集まって会食。会話が弾み、実に楽しい墓参りであった。

 今、実家は両親が亡くなり、義姉も亡くなり、子ども達は独立し身体不自由な長兄のみ。長姉、次兄も亡くなり、自由に動けるのは小生ただ一人。かっての賑やかな墓参りはできない。
12日に家内と二人で本家の墓参りをした。さびしい限りである。
それに比べて家内の兄弟姉妹7人は健在。明日の午後何人かの兄弟と子どもや孫が集まって墓参りをする。
小生もその輪に入って義父母の墓参りをする。賑やかなことだろう。枝豆でも持参するかな。


6月28日夕方 忘れてはいけない記念碑


日本の南極観測隊の活動に貢献した樺太犬の存在を忘れてはいけない。大急ぎで記念碑を探した。アルメリアの花咲く場所から少し離れたところにそれはあった。「南極物語」の映画にもなったタロー、ジローの多くの仲間の樺太犬がここ稚内で訓練を受けた。
樺太犬訓練記念碑の碑文を引用する。「昭和31年 わが国が国際地球観測年の行事の一環として、南極地域参加するにあたり北海道内から集まった樺太犬30数頭は、この地でソリの訓練を受けた。その中の代表22頭は観測隊員とともに遠く極地に渡り、昭和基地の建設に、また南極大陸内の調査探検にソリを曳いて立派にその使命を果たした。ここに記念碑を建て、永久にその功績をたたえる。
昭和34年11月・・・・。」

礼文・利尻島の旅 21

2010-08-13 21:55:57 | 旅行
8月13日(金)
~台風後晴天成らず盆の入り~


台風被害はなく会津はほっとした。真夏日にもならず曇り空。暑い暑い日が続いて増殖したアメシロ。梅の木4本、柿3本、サクランボ1本、ハナズオウ1本が被害にあう。網状の巣に潜んでいる幼虫は小さいが、町内一斉駆除日22日までこのまま放置しておくと大変ことになるので今日駆除をした。午前11時~午後3時まで。途中一度10分休憩して水分補給をしバナナを食べた。
アメシロは2~10mmくらいとまちまちだが、込み合った枝をかき分け目指す枝を切る。脚立に上り剪定はさみ(大・小)、高枝切りはさみ、のこぎりなどを使ってアメシロ駆除に精を出した。少し無理したが仕事をし終えた満足感がり、風呂上りのビールはうまかった。


6月28日 夕方 稚内公園の碑に想う


前にも書いたようにこの公園内には、数多くのモニュメントや碑が建っている。「九人の乙女の碑」には強く心を打たれた。説明文には『戦争が終わった。それから五日 昭和二十年八月二十日 ソ連が樺太真岡へ上陸 日本軍との戦いが始った。戦火と化した真岡の町 その中で交換台に向かった九人の乙女達は死を以って己の職場を守った 窓越しにみる砲弾炸裂 刻々迫る身の危険 これまでと死の交換台に向かい「皆さんこれで最後です さよなら さよなら」の言葉を発信して静かに青酸カリをのみ 夢多き若い命を絶ち職に殉じた・・・・・・。』この碑の傍らには昭和天皇と香淳皇后の和歌の碑も建っていた。真岡郵便電信局事件として語り継がれ、映画にも取り上げられた。
生存者もおり、発信した言葉や自決についても若干違うかも知れないが9人が命を絶ったことは事実である。17歳から20歳前後の乙女達が必死で交換台に向かっていただろうと想うと胸が痛む。
戦争のない世の中がどんなに幸せかをつくづく思う。戦争とはいえ、終戦間際に日ソ不可侵条約を一方的に破棄し満州に侵攻し多くの日本人をシベリアへ送ったことや終戦後に樺太に侵攻し占領したソ連(スターリン)の行為は国際的にも非難され糾弾されてもいいのではないか。怒りがこみ上げた。

礼文・利尻島の旅 20

2010-08-12 20:55:50 | 旅行
8月12日(木) 
~4号台風が接近・通過・大雨予報~


午後台風は本県を早々と通過し秋田県に上陸した。台風通過後の大雨が心配。夜中に大雨にならないことを願っている。台風の影響はないかと家のまわりを見回った。アメシロが大発生。梅、柿、サクランボなどに繁殖している。早目に駆除するのが一番だが、15日のお盆を過ぎないと作業ができない。各自駆除に努力して欲しい。諸条件を考え、22日にアメシロ駆除をする準備を回覧で指示した。


6月28日 午後 夕方 稚内公園の散策


公園内の幾つかのモニュメントをアップしそこに込められた思いを感じて欲しい。
『氷雪の門』説明板によると、「人々はこの地から樺太に渡り樺太からここに帰った。戦後はその門も硬く鎖された。それから18年望郷の念止みがたく樺太で亡くなった多くの同胞の霊を慰めるべく肉眼で樺太の見えるゆかりの地の丘に木原豊次郎氏、笹井安一氏の熱意と全国樺太引揚連盟の賛同並びに全国からの心あたたまる協力によってここに記念碑を造る。
氷と雪の中できびしく生き抜いた人々を象徴する女人像、望郷の門、霊石を三位一体とする彫刻家本郷新先生の力作がここにできあがった。この記念碑を『氷雪の門』と命名した。
昭和38年8月15日 稚内市長 浜森 辰雄 」と書いてあった。

礼文・利尻島の旅 19

2010-08-11 21:30:58 | 旅行
8月11日(水) 
~待っていた雨、雨だよ~


待っていた。午後からの雨。夏草も勢いをますが、家庭菜園の野菜や植木は活き活きとした。
気温もさがり、しのぎやすくなってきている。今晩は気持ちよくぐっすりと眠ることができる。

10日に帰省する前に孫達に芋掘りをさせた。3年ばかりジャガイモの植え付けをしていなかた。今年は芽のでた男爵とシャドークイン(真紫)があったので、5月中旬に試しに植えてみた。
畑は南米の原産地より過酷な条件の土地。家屋を更地にしたばかり。石ごろごろ、壁土かちんかちん。根が張れないので収穫は望めないかもしれない。心配をよそに茎は伸び、葉は大きく広がり成長した。スコップで掘り起こしたところから孫達にジャガイモを掘らせた。
夕食には食卓に芋がでた。シャドークインの中身が紫さつま芋と同じように紫だったのに孫達や娘はびっくり。バイオレットポテトサラダ、バイオレットスープ、バイオレットサラダなど色々と調理ができる。今回は、バタジャガで食べた。おいしい。


6月28日 夕方 快晴 稚内公園

稚内公園にはアルメリア(はまかんざし)のピンクの花が一面に咲いていた。夕日に映えてとても美しい。美しい花に彩られた公園には、「氷雪の門(樺太島民慰霊碑)」、「九人の乙女の碑」をはじめ、「樺太犬訓練記念碑」など稚内の歴史を現す多くのモニュメントや「開基百年記念塔」などの施設があった。すべてを見て回る時間的な余裕はなかったが、それぞれの碑に込められた思いを深く感じ取ることができた。

礼文・利尻島の旅 18

2010-08-10 22:01:07 | 旅行
8月10日(火) 
~日中は暑いけれど朝夕に変化が~


7月30日に帰省した娘と孫達は帰京した。(婿は4日に帰った)東京の高速バス料金は驚くほど安い。事前予約で大人2,500円 子ども1,250円。新幹線の快適さはないが料金的に安いのがよい。家の中ががらんとしてしまった。
昨日久しぶりに仲間内のコンペに出場した。猫魔猪苗代ゴルフ場。スタート頃雨がぱらついた。少し心配したがプレーには影響がなかった。5月に準優勝していたのでハンデが20%減となり優位性がなくなった。その結果下から2番目ブビー賞。この賞はゴルフをしている方はお分かりでしょうが意図的に獲得するのは難しい。したがって賞品も豪華。その上ニヤピン賞も獲得。ショートホールでピンに一番近い所に1打目で寄せた時もらえる。2ヶ月もプレーしていなくても病み上がりでもゴルフはできる。子どもから高齢者まで楽しめるゴルフをもうしばらくやっていこうと思う。

6月28日 午後 快晴 稚内へ再び戻る


海の幸満載の昼食を食べ、午後2時のハートランドフェリー1等指定席で稚内港へ。室内は余り混んでいなかったのでゆったりと好きな場所で過した。利尻島の島影がだんだんと遠くなっていった。二度と来ることはないだろうとちょぴり感傷的になった。礼文島と利尻島と同じ国立公園だが、その成り立ちは全く違う。礼文島は大陸から遊離してできた島。利尻島は那須火山帯に属し火山活動で隆起した島。したがって地形も植生もいろいろと違うとガイドさんから教えてもらったことを思い出していた。


この旅行の2日目(6月26日)の日本最北端宗谷岬を訪れた時とは違って余裕を持ちながら稚内公園の高い所から港や街を見ることができた。国後・択捉など北方四島問題が解決したならばこの港から観光で行けるだろうか。太平洋戦争の傷跡に心を痛めた。人間も含めて動植物はすべて種の保存が一番。そのためには他を排除し生き残ろうとする。環境に素早く対応して旺盛に繁殖する外来種と言われる動植物がいる。在来種も種を守るために外来種と対立する。
人間に置き換えても同じことだろう。先進国だけでなく多くの国は、国民の生活向上や防衛のため軍隊があり、侵略があり、争いが生じる。北海道を何度も旅行しているが、すべての争いは種の保存にあると思った。特に、稚内公園に建立された多くの碑から感じとることができた。