宝覚寺の境内には 日本とゆかりのあるものがあった。
「日本人遺骨安置所」
日本統治時代(1895~1945年)に
台湾の各地で亡くなった日本人の遺骨を採骨し 安置している。
説明文によれば 採骨をされた人は
中国広東系の中国人 野沢六和さんといい 夫人は新潟県出身で
結婚後夫人の野沢姓に。 採骨は十数年を要し
昭和35年 約二万柱の採骨を終え 採骨の地域別に
台中・宝覚寺 台北・中和寺 高雄・公墓の三ヶ所に分けて納骨した。
これにより 日本大使館が主催して年に一度の慰霊祭が
三地区で行われていた。 その後 日僑協会が主催している。
今でも 台湾を植民地支配していた側の日本人の遺骨を
台湾の人により 管理され祀ってくれている。
ここにも 親日ぶり を見る。