あかない日記

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台湾紀行(26) 台湾の教科書に載った人

2013-09-26 | 台湾紀行

 

   更に ツアーバスは 台南に向かって 豊かな田園風景の中を進む。

   台湾南部 嘉義市と台南市を結ぶ高速道路3号線の東側に
   広がる一帯が ”嘉南平野”である。
  
台湾の平地の約6分の1を占め
   かつて 洪水や干ばつに悩まされたの不毛の大地であった。

   ここで 日本人土木技師「八田與一
     (はったよいち・1886~1942年)の名が浮かぶ。

   以前 テレビで 
   「日本人が知らない!世界から愛される日本人」の
    一人として 紹介していた。


   八田與一は 台湾では教科書にも載っているほどの人で
   日本統治時代 台湾総督府土木技師として
  
当時 東洋一の大規模ダム工事及び
  嘉南平野に網の目状に水を供給する水利配水工事に着工し
  大規模な工事により  農業灌漑を主目的として
  烏山頭(うさんとう-)ダムの建設を指揮し
  1920年から10年間  その完成まで現地で貢献した。
 

   しかし 八田與一は1942年 大東亜戦争の最中
  陸軍に徴用されてフィリピンに向かう途中の船がアメリカの潜水艦に
   撃沈されて戦死してしまう。

 
  3年後の1945年終戦となり日本人は全員 台湾を退去することなり
  八田夫人の外代樹(とよき)は
  その年の9月 その烏山頭ダムの放水口に入水してしまった。

  
   1946年12月 嘉南の農民たちによって八田與一夫妻の墓が
   その地に建てられた。
  そして 地元の人々の手により建てられた八田技師の銅像は
  烏山頭ダムの湖を今でも見守り続けている。
 
   2011年5月には 八田與一記念公園が開園している。