あかない日記

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田中角栄

2016-12-17 | 人物忌

 
文京区目白台の田中邸


12月16日は 内閣総理大臣だった
田中角栄が亡くなった日。

1918(大正7)年―1993(平成5)年 享年75歳

 

衆議院議員(16期)郵政大臣(第12代)
大蔵大臣(第67~69代)
通商産業大臣(第33代) 
内閣総理大臣(第64~65代)等を歴任した。

しかし ロッキード事件で逮捕・有罪となった。

このところ 小説「天才」のきっかけで
汚名返上 名誉回復の機運が高まっている。

そんな田中角栄に関することを
都内からピックアップしてみた。

 

 増上寺からみる東京タワー


田中角栄が 1957(昭32)年
岸内閣の郵政大臣になった
当時
「展望台を備えたテレビ塔は
建築基準法の高さ制限に
抵触する。」
として東京都が「待った」をかけ
工事が中断していた。


そこで 田中大臣は 電波行政の采配から
「この塔は 高さ制限に該当する建築物ではない。
煙突や広告塔と同じで工作物として
解釈すればよい。」とした。


その解釈どおりとして 建設がすすめられ

1958(昭和33)年12月23日 
高さ333mの東京タワー
(正式名称:日本電波塔)が誕生した。

このことから 田中は
”東京タワーの生みの親” ともいわれている。

 また 田中角栄の都市伝説として
目白の田中邸から地元新潟県西山町の実家まで
わずか3回曲がるだけで着くというもの。

後日 テレビ局が実証したところ 本当のようだ。

 

 


田中邸に隣接して
「目白台運動公園」があるが

この場所は 田中角栄の遺産相続で
物納した分も含んでいるところ。

   

こちらは 1974(昭和49)年 
雑誌「文芸春秋」に
“田中角栄研究~その金脈と人脈”を
発表した立花隆氏の
文京区にある書庫兼仕事場。
 

この発表は 大きな反響を呼び 
田中首相退陣のきっかけを作ったとされる。

 

 

神楽坂には 田中角栄が
繁く通った芸妓置屋があった。
当時「神楽坂通り」は
”角栄通り”とも呼ばれたとか。

 

 


モロッコ紀行 26 ウダイヤのカスバ

2016-12-17 | モロッコ紀行

 

  ウダイヤの門

 

カサブランカから 東へ大西洋の海岸沿いに走り
19時過ぎ 陽も沈み 薄暮状態のなか
首都ラバトへ。

 ラバトの西北 大西洋に注ぐ
ブー・レグレグ川の河口にある

城壁に囲まれた
「ウダイヤのカスバ」を見学。

“カスバ” とは
城壁に囲まれた居住区のこと。

日干し煉瓦で築いた城壁の
高さは 約10m 厚さ2.5mで

上部には 巡警路が設けられている。

 

ラバトは ”近代都市と歴史的都市が共存する”
ことで 2012年
世界遺産 になっている。

1146年 ムワッヒド朝の
アミール・アブドゥルムウミンによって
11世紀のリバートがスペインへの
攻撃拠点として大規模な城塞に改築された。


1170年には「勝利の要塞」とよばれ
これが 現在の都市名の由来となっている。

18世紀にウダイヤ・アフブ族の軍隊を
ここに駐屯させたことから

この名が付いたという。

17世紀に入ると スペインでの
レコンキスタ運動により

アンダルシアを追放された
イスラム教徒たちが 難民として流入し

現在のラバトの土台ができた。

1912年になるとフランスが
モロッコに侵攻し フランス保護領とし

首都をフェズからラバトに遷都され

1956年のモロッコ独立後も
首都として継続されている。