あかない日記

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スペイン紀行 16 ポルティコ

2019-03-16 | スペイン紀行

 

 

  花崗岩を敷き詰めた歩道には

   柱で支えられた屋根がある。

  これ ポルティコまたはポルチコという。

  日本の深雪地方の商店街で見る雁木のようだ。

 

  建物の玄関に導く

    あるいは柱列として拡がるポーチ。


  この構造は古代ギリシアで現れ

  西洋文化圏に影響を与えてきた。

   この地方 海流などの影響で雨が多いので

  重宝しているのではないか。

 

   そんな ポルティコの中 老舗のチョコレート店がある。

 

 

    
        
こちらは 「カフエ・カジノ」
   店内は クラシックなアール・ヌヴォー風
   ピアノの生演奏もあって 落ち着いた店。

 

 


スペイン紀行15 サンティアゴ大学 

2019-03-15 | スペイン紀行

 

    中庭からも カテドラルの時計塔と尖塔が見える

       

     ”考える人” ”もしもし・・・”?


  
16世紀のトレド大司教のフォンセカ3世により
  創設された
旧・フォンセカ学校。

  中庭の中央 創始者フォンセカ3世の像が置かれている。

  現在は サンティアゴ大学図書館として使われている。

  サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学は
  スペイン有数の大学のひとつであり
  ガリシア地方で最も伝統ある大学である。


  キャンパスはサンティアゴ旧市街を挟み
  南と北にあるほか、ルーゴにもある。


  学生数は約4万人で
  これらの学生の多くは市の
     人口9万人には含まれていない。

  サンティアゴは宗教都市であり、
      観光都市でもあり
  また学生の街で、州行政の中心でもある
  多様な顔を持つ街である。

    旧市内にある地理・歴史学部

 

 

 


スペイン紀行14 パラドール 

2019-03-14 | スペイン紀行

 

 

  オブラドイロ広場の北側には16世紀に 

  カトリック両王として君臨したイサベル1世と
  フェルナンド2世によって15世紀に建設された。


  当時は王立の病院兼サンティアゴ・デ・コンポステラに
  辿り着いた巡礼者達の宿泊施設として
使用されていたが
  
  現在は5星のホテル「パラドール・デ・サンティアゴ:
  ホスタル・ドス・レイス・カトリコス」として
  世界のVIPが宿泊するパラドールの
      最高峰になっている。

   *パラドールとは 古城などを改装するなど、
    景勝地に新しく建てたスペイン全土に
           広がる半官半民の宿泊施設。

    1928年に始まり、現在94か所ある。
    その中で 5星を所有するのは、
    ここサンティアゴ・デ・コンポステラと
    古都レオンの2つのみ。


  通常 パラドールのレストランやカフェテリアは
  宿泊しなくとも誰でも利用する事が
     できるので覗いてみた。

     

    

    玄関ホールからオブラドイロ広場を見る

 

          玄関ホール

   

        廊下

 

       ロビー

 

      フロント

  客室は136室。
  外装は石造りだが館内は木材が多用され

  その歴史的雰囲気が漂う。

 

 

 


スペイン紀行13 市庁舎

2019-03-13 | スペイン紀行

 

 

  カテドラル前 オブラドイロ広場を挟んで西側にある

  「パソ・デ・ラショイ」は

    もともと神学校として使われていた。


  このフランスの新古典派様式の宮殿は
  
  当時の大司教バルトロメ・ラクソイの依頼を受け


  1766年に完成した。

   正面の長さ90m 

  半円アーチのアーケードや
窓の多さが特徴的で
  
  オブラドイロ広場にあってその存在感を示している。

  現在は 市役所とガリシア政府のオフィスとなっている。

  
 
 中央の屋根にある像は

  ムジャウスと戦ってサンティアゴがキリスト教徒を

  助けるために来た伝説のクラビジョ戦を描く彫像。

 

 

 

 


スペイン紀行12 世界遺産 サンディアゴ・デ・コンポステラ

2019-03-12 | スペイン紀行

       

 

  サンディアゴ・デ・コンポステラは
  9世紀初頭にキリスト12使徒の1人
  聖ヤコブ(サンディアゴ)の墓が見つかった地。


  ローマ、エルサレムと
     並ぶカトリック教徒の3大聖地として
  
巡礼者が訪れていく中 街は栄えていった。

 

  歴史的に重要な価値を持つ旧市街のある典型的な街
  また この地は キリスト教世界において
  最も重要な聖地のひとつとして

  旧市街全体が 1985年 世界遺産に登録された。

 

  ガリシア州の州都で
  人口は約95千人(2012年)

  ガリシア地方は花崗岩の産地で
  この花崗岩を道路に敷き詰められている。

  また サンティアゴの特徴 でもある大きな窓
  パソと呼ばれる小さな宮殿や教会
  一列に並ぶ贅沢なつくりの
     ガリシア仕上がりの家々が並ぶ
  旧市街は 徒歩圏内で 道は細く迷路的。

   祈りの町 学問の町
   そして雨の町とも紹介されている。



     

 

 

 


スペイン紀行11 アストゥリアス皇太子賞

2019-03-11 | スペイン紀行

   

 

 

  オブラドイロ広場には
  「世界遺産」「最終地点のホタテ貝」のほか

  もう一つ プレートが埋め込まれている。

  スペインのアストゥリアス皇太子により創設された
  「アストゥリアス皇太子賞」の
  サンディアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
  (2004年)が受賞したときの
  記念プレートであった。

  なお 財団は
  1980年 アストゥリアス皇太子財団により創設された。
  
  授賞式は アストゥリアスのオビエドで開催され

  受賞者には ジョアン・ミロによる彫像と
  賞金 5万ユーロが寄与される。


  現在は コミュニケーションおよびヒューマニズム
  社会科学、芸術、文学、学術・技術研究、

  国際協力、平和、スポーツ の8部門がある。

   因みに 日本関係者も受賞している。

   1999年 向井千秋(国際協力)
   2001年 国際宇宙ステーションチーム(国際協力)
   2008年 飯島澄男 中村修二(学術・技術)
   2011年 福島第一原発発電所事故の対応者(平和)
   2012年 宮本茂(コミュニケーション)

 

 


スペイン紀行 10 田辺市

2019-03-10 | スペイン紀行

 

 

  歓喜の丘に日本・スペイン交流400周年記念碑がある。
  サークルの中に巡礼者が履きつぶした靴が置かれていた。

  前回「道の世界遺産」で
  「紀伊山地 の霊場と参詣道(熊野古道)」に触れた。


  「道の世界遺産」を持つ 和歌山県田辺市と
  サンティアゴ・デ・コンポステーラ市は
 
  日本 スペイン交流 400 周年を迎える
  2013 年から 2014 年の歴史的周年

  並びに「紀伊山地 の霊場と参詣道」が
  世界遺産登録 10 周年を迎えることから

  古道の最終地としての観光交流協定を締結している。

  両市の共通点は 田辺市の資料によると

  共に 古から続く伝統的な巡礼道と豊かな歴史を有し
  「熊野古道」とサンティアゴ巡礼の道」は
  世界遺産に登録されている。

  
  また 数百kmにも及ぶ巡礼道でもあり
  両市には 古から多くの参詣者・巡礼者が訪れている。 


  熊野は アジアの東の果て
  サンティアゴは ヨーロッパの西の果てに位置する。

  また それぞれ最終地点手前には
  熊野古道は「伏拝王子」
  サンティアゴ巡礼の道には「歓喜の丘」がある。

   なお 日本・スペイン交流400周年になることは
  1613
年 慶長遣欧使節団(仙台藩主伊達政宗の命により
   フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、
支倉常長を副使として)
  
スペイン国王フェリペ3世に謁見したときから。

   しかし 使節団の経路を見ると 
   この地を訪れてはいない。

 

 

 

 


スペイン紀行 9 世界遺産・巡礼の路

2019-03-09 | スペイン紀行

 

     オブラドイロ広場にある世界遺産のプレート


             

 

  サンティアゴ・デ・コンポステーラは
  中世にキリスト教の 三大聖地のひとつとなり

  12世紀には 年間50万人もの人々が
  サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指した。


  その巡礼路の街「北方のトレド」と
      呼ばれたエスティーリャ
  宗教建築が多く残る古都ブルゴス

  旧レオン王国の首都レオンなどを経て
  聖なる地サンティアゴ・デ・コンポステーラへと続く。


  多くの人々により ヨーロッパ各地の文物が行き交い
  宗教建築や絵画など芸術・文化の発展に

  大きな影響を与えた。

  このことから フランスからピレネー山脈越えの
      巡礼路 約800kmは

  1993年 世界遺産に登録された。

  その後 フランス国内の巡礼路も
     1998年 世界遺産に登録されている。

  なお オブラドイロ広場にある世界遺産のプレートは
  1993年の世界遺産登録から25周年を記念して
  2018年に敷かれている。

  「道の世界遺産」としては
  現在 日本の「紀伊山地の霊場と参詣道(熊野古道)」と
  フランスおよびスペインの巡礼路の3つだけ。

 

 


スペイン紀行 8 ホタテ貝

2019-03-08 | スペイン紀行

      

         巡礼者の杖には「ホタテ貝」(歓喜の丘)

    
   

   2013年6月 皇太子殿下は巡礼者が使う杖を持って
  巡礼の道を歩き「歓喜の丘」を訪れられている。
                  (web資料から)

 

  巡礼者が使う杖には 水筒としての瓢箪と 
  皿としてのホタテ貝が下げられている。

  
  中世には頭陀袋や帽子に金属製の
  ホタテ貝を付けていたそうだ。

   ここからホタテ貝が巡礼者の印になったという。

  また「スペイン名サンティアゴは
  フランス語読みでサン・ジャック=ホタテ貝」からとも。

  ホタテ貝を下げていることから巡礼者であること
  また クレデンシャル(巡礼手帳)を示すことで
  アルベルゲ(巡礼者専用宿)に宿泊でき
  美術館で割引が適用されたりすることができるそうだ。

        

  一方 巡礼路には 順路の目印としてホタテ貝の印が
  道路に埋め込まれ 道筋の標識になっている。
  なお 巡礼することは キリスト教徒である必要はなく
  観光やスポーツとして歩く人や
       バスや車を使うこともある。

  このホタテ貝マークは
  日本では ガソリンスタンドで見かけますね。

     
                             
売られているホタテ貝

                 

                          街のマンホールの蓋もホタテ貝

 

 


スペイン紀行 7 巡礼

2019-03-07 | スペイン紀行

 

         オブラドイロ広場にある巡礼の最終地点

      

   ここ サンティアゴ・デ・コンポステーラは
  ローマ、エルサレムと並ぶカトリックの聖地。

  伝説によると9世紀初頭 エルサレムで処刑された
  イエス・キリストの12使徒のひとり
  聖ヤコブ(スペイン名・サンティアゴ)の墓が
  この地で発見され 
  これを記念して大聖堂が建てられた。


  その時代は レコンキスタ(国土回復運動)の最中で
  この地サンティアゴ・デ・コンポステーラは
  キリスト教徒の精神的支柱となり
  ヨーロッパ各地から多くの巡礼者が訪れ
  最盛期の12世紀には 年間50万もの
  人々がこの地を目指した。

  現在も毎年20万人以上が世界各地から訪れている。

  何故 巡礼なのか? 
   「巡礼は 本来 罪の浄化・魂の救済
   そして精神の修養を意味している。

   巡礼者は 20世紀以降 再び増加しているが
   新しい人間に生まれ変わりたい
   また自分を見つめてみたいということ

   つまり 現代社会における巡礼は
   自己改革につながるともいえる。」

 

      
         (Web資料から)

  ピレネー越え「フランスの道」の行程は
  スペイン国内だけで約800kmあり

  1日20kmを歩いて40日間も要する。

 
   クレデンシアル(巡礼手帳・アコーデオン式)に
  公式のスタンプが押され

  最後にサンティアゴ・デ・コンポステーラ到着すると
  巡礼者事務所で「コンポステーラ」と
  呼ばれる証明書が発行してもらえる。

  かつては ホタテの貝殻を「巡礼した証明」
     として授与していたが
  偽造が簡単なため その防止から
  サンティアゴの大聖堂が発行する
  「巡礼を証明する手紙」が作られ
  これが 今日の巡礼証明書である
  「コンポステーラ」の起源となった。

  ただし「コンポステーラ」の発行には
  条件があって
  最低 徒歩で 100km 
  自転車では 200kmが必要になる。

 


スペイン紀行 6 オブラドイロ広場

2019-03-06 | スペイン紀行

 

 

     写真上・東 :サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂
     写真下・西 :市庁舎(ラホイ宮殿)
     写真右・南 :大学の施設(サンヘロニモ修道院)
     写真左・北 :パラドール(王立救護院)


  巡礼の聖地 サンティアゴ・デ・コンポステーラの旧市街
  観光の一番はオブラドイロ広場へ

   この広場は ガリシア州最大級の広場で宗教都市である
  サンティアゴ・デ・コンポステーラ観光の
  中心・
シンボルとなっている。

    サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂
    17世紀の王立救護院(現在はパラドール)
    18世紀のラホイ宮殿(現在は市庁舎)
    16世紀初頭のサンヘロニモ修道院
                                (現在は大学の施設)

  の歴史的建造物に四方囲まれている。


  なお ”オブラドイロ” とは 
  ガリシア語で作業場を意味しており

  大聖堂の建設時代に石を細工する職人の
  作業場だったことに由来する。


  9世紀初頭にキリスト12使徒の一人である
  聖ヤコブのお墓が発見されて以来

  約1000年もの間 今でもなお
  エルサレム、バチカンと共に
     キリスト教三大巡礼地となっており

  旧市街は 
     1985年 世界遺産(文化遺産)に登録された。


  毎年7月25日は 
     サンティアゴ(聖ヤコブ)の日であるため

  この広場では 前夜祭の花火も含め
  盛大なお祭りが行われている。

 

 

 


スペイン紀行 5 「歓喜の丘」

2019-03-05 | スペイン紀行

 

 

  世界遺産 巡礼の町 
      サンチャゴ・デ・コンポステラの夜が明けた。

  
  最初の見学は「歓喜の丘」(モンテ・デル・ゴソ)

  丘はサンチャゴ・デ・コンポステラの東 
      空港とのほぼ中間地点にある。

 

  サンチャゴ巡礼路は約800kmで
  巡礼者たちは1か月ほど歩き 目的地を目指す。


  しかし 中世の巡礼は 悪天候や、盗賊、狼などに
  襲われることも多く 命がけの道のりであった。


  そして 最終目的地 
  聖地サンチャゴ・デ・コンポステラの
  5km手前の丘に立ち

  巡礼の最終地点となる大聖堂の尖塔を望み
  聖なる地を初めて目にした瞬間 
  歓喜の声を上げたと言われている。


  丘に建つ巡礼者の像は その時の喜びを表している。

 

  ガイド曰く この地方は雨が多く
  曇りや霧で街が見えないことが多々あるそうだ。

  我々は 朝方の小雨もあがり 
  街が朝陽にあたってよく見える。

  これからの旅の始まりに 
  歓喜とまでは言わないが 感動であった。


 


    右手●(歓喜の丘)からカテドラルを望む



         巡礼の路

 


スペイン紀行 4 サンティアゴ・デ・コンポステーラ空港

2019-03-04 | スペイン紀行

 

 

  サンティアゴ・デ・コンポステーラ空港へ
  向かう機内は
深夜便にもかかわらず満席!

  3×3の狭い席に 
  大きな体を押し込めている人が多い。

 

  一時間余のフライト 
  到着したのは深夜1時過ぎ


  空港は、スペイン北部
      サンティアゴ・デ・コンポステーラにある。


  ガリシア州にある3つの国際空港の一つで 
  3,200mの滑走路1本を有し
  
  街中心部から16km離れている。

  迎えのバスで市内のホテルへ 
  床に就いたのは午前3時だった。

 

 


スペイン紀行3 マドリード空港

2019-03-03 | スペイン紀行

 

 

  14時間余のフライト時間を経て

  スペイン・マドリード・バラハス国際空港に
  着いたのは 現地時間21時過ぎ 

 

  サグラダ・ファミリアをイメージ?した
  天井が特徴的だ。
  V字形の柱でターミナルの色分けがされている。

 

 

   我々は ここで乗り換え スペイン北部
  サンティアゴ・デ・コンポステーラ空港向かうので

  国内線ターミナルに移動しなければならない。

 

 

  ターミナル4とターミナル4Sの移動は、
  自動運転で運行されている無料のシャトルトレイン
  (乗車時間4分)を利用することになった。

 


  さらに シャトルトレインを利用するためには、
  ターミナル4とターミナル4Sのそれぞれの地下深くに
  用意されたシャトルトレインの乗り場に
  エレベーターやエスカレーターなどで移動することになる。

 

 

 


  セキュリティチェックも時間がかかる。

  靴を脱げ ベルトは外せ 帽子は脱げ 
   パスポートは箱に入れろ・・・と

  やたらに厳しい。 それゆえ時間がかかる。

  チェックが終えても 該当ゲートの表示がなかなか出ない。

  

 


  やっとのことで ゲート「K91」が表示された。
  しかし ゲートは一番端にあるではないか。

  移動は 横一線 動く歩道はあっても大変です。

 

  やっとゲートに辿り着いたら  
  出発時間22:00が一時間遅れになっている。

 


スペイン紀行2 ボヘミアン・ラブソディー

2019-03-02 | スペイン紀行

 

 

  飛行時間14時間を最大限利用して

  座席のデスプレーのMovies映画を見ようとしたら

  最新作「ボヘミアン・ラプソディ」があるではないか。


         

          機内のパンフレット

 

  題名の「ボヘミアン・ラプソディ」は

  グループ・クイーンが 1975年に発表した曲名からで
  
  作詞・作曲は ボーカリストの
   フレディ・マーキュリー(1946-1991)。


  そのフレディの半生を中心とした あらすじにしている。

  曲は知っていても グループ内の話は知らなかった。


  航空機の百均のようなイヤーホンでは

  満足いくような音響が得られないと 

  海外旅行ではいつも自分のものを持参している。

   しかし 今回はあのライブステージの音響は得られない
 
  改めて映画館で観て聴くことにしよう・・・。