アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

和太鼓の魅力と私が和太鼓をやめた理由

2010年02月27日 | 生活
こじろうと私とよしぞうが、カルチャーセンターで和太鼓を習い始めたのは、こじろうが三年生の秋くらいだったか?? もうずいぶんたつことになる。

私とこじろうは一年ちょっとで和太鼓をやめてしまったが、よしぞうはずっと続けていて、昨日「初」発表会があった。

これまでも、老人施設の納涼会で、とか、地域のお祭りに便乗して、とか数回発表の場はあったが、会場を自前で借りて発表会形式というのは初めて。なにしろ、ステージを持たせるだけ曲を揃えるのも容易なことではないし、和太鼓がいくつも集まって本気で叩くなんて、そうどこでもできることではないから (ホームコンサートでは絶対できない(^^;;)

カルチャーセンターで先生をやっている和太鼓奏者が、ほかにも地域のサークルなどいくつかのグループの面倒をみているので、会の前半では四グループ分を合わせて7曲、そして後半では先生が率いるグループと、ゲスト出演の尺八奏者がコンサートをやるという形式で行われた。

前半7曲のうち3曲が、カルチャーセンターのグループ。つまり、よしぞうが出演する分である。私が参加していたころに比べて、なんだか人数が膨れ上がっているし、発表会に向けてずいぶん臨時の練習も重ねて盛り上がっているので、かなり聞きごたえがあった。よしぞう自身もだいぶうまくなった(^-^)

よしぞうは、左右の手の協応動作とかにやや難があるので、リズムを揃えて叩くにもかなり苦労していた。でも、人間というのはやはりきちんと練習すれば慣れていくもので、特にダブル受験が終わって自宅練習(*)もするようになってからはかなり改善してきたようだ。

私はリズムを取るなどの動作は元からよしぞうよりスムーズにできるし、パワーはなくても力の入れ方・抜き方などをつかむところまではけっこう早いので、初心者として決して下手なほうではなかったと思う。

それに、集団で和太鼓を演奏しているときの気持ちよさというのは…弦楽合奏でハモったときもびびっと来るけど、またもっとすごくプリミティブな快感というのか、お腹の底から強烈に響く音楽はまた格別である。昨日、聞いてる側としてリズムの流れに身を任せているだけでも、それがありありとよみがえってくるようである。

演奏された曲のうち二曲は、私がいたころにもやっていたもので、ほとんど覚えているからすぐにでも叩けそうだ。和太鼓の響きは、聞いている側も強烈に飲み込む力があって、聞くだけでもほんとに楽しいけど、叩くともっと楽しいことはよくわかっている。でもまた和太鼓をやってみたいかというと、ひかれる気持ちはないではないけど、再び和太鼓をやることはたぶんないと思う。

和太鼓は、習い事としては「音楽系」なのか「体育会系」なのかちょっと微妙なところで、「体育会系」が苦手な私としてはちょっとその部分がうれしくないというのはある。直接的にいえば、あの重い太鼓を運んだり、ケースへの出し入れ、車への積み下ろしといった部分はただ面倒である。それに、手をはさんだりして怪我をする危険もないではないので、神経を使う。

もっとも、「体育会系」ということの本質は、太鼓が重いとか、叩くのに力がいるというようなことではなくて、集団で練習したり、集団で曲を作ったりしていかなきゃいけないことかな。そういう意味では合唱やオケも「体育会系」。ノリはちょっと違うかもしれないけど。

カルチャーの先生をしている菅原光朗さんは、和太鼓奏者としては非常にすぐれているし、人柄もとってもキュート。今回の発表会では、そのよさが十分に出ていて、菅原先生だから素人が安心して信頼してついていけるという部分が大きかったと思う。でも自分には厳しくても他人にはやさしい人だからその甘さがツメの甘さとして出ていたかもしれない。

それと、あまり理屈で考えないタイプというか、ぶっちゃけあまり脳みそを使う習慣がなくて、先生は全身の筋肉でものを考えるタイプなのである。新しい曲を教わるときに、「…それで、それが何回ですか?」と聞いても答えられなくて「五回、あれ四回…六回かな??」てな調子で、自分で叩きなおしてみなくちゃわからないくらいのものである。

だから、教え方もかなり感覚的で、説明的分析的なものいいはしないし(たぶん)できない。もともと和太鼓には譜面のようなものはなくてすべて覚えて(しかも脳みそでというより体で覚えて)やるものだし、外部記憶や理屈に頼るタイプの私としてはかなり不向きなフィールドであった。

ただ、先生の演奏は理屈抜きにすばらしい。迷いのない迫力のリズムと、無駄のない美しい動作にほれぼれする。だいたい、和太鼓の上手い下手というのは、シンプルなリズムをごくわずか叩くだけで怖いくらい明らかになるもので、明快な音色と完璧なリズムがなくては話にならない。複雑なリズムを覚えることは誰でも練習すればある程度できるけれど、単純なところをプロフェッショナルに叩くことは才能と長年の努力が合わさらなければ決してできない。

私はそういう方向からいって和太鼓がうまくなることは決してないと思ったのでわりと早めに見切りをつけてしまったが、よしぞうはそれよりさらに才能がなさそうにみえたのに(^^;; 単純なことを地道に続けることや、みんなと協調してコトを進めていくことにかけては私よりはるかに才能があったらしく…結局のところ重要なのはそっちなのだ…ここまで来たなぁという感じだった。

この先、どうなっていくのか楽しみ。長い目でウォッチしていきたい。

(*) もちろん自宅で和太鼓は叩けない。古着をはさんで重ねた古タイヤとかで練習する。
コメント (8)
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