またろうのピアノの弾き方はかなり独特で…
見ていると、「うわっ、ありえない~」と思う手つき、指使いで弾いている。そのわりに音がきれい。速い曲は弾けないし、指は転んでいるし、間の取り方は明らかに変。ピアノとしては間違いなく下手なのだが、なんか心をつかむものがある。
またろうのピアノがなんでこのようになったかというと、まずひとつの大きな要因は、またろうの発達の特性から、早期の音楽教育ができなかったということだと思う。
小学校一年生のとき、「時間どおり通う」ができずにエレクトーンを挫折しているし、四年生になって本人の希望でピアノを習おうとしたときも、左右の手の協応が悪いことと、楽譜のような細かい記号を読み取るのが苦手なこと、集中力が持続しないことなどから、スタンダードなピアノのレッスンは成立しそうになかった。
しかし先生は、クラビノーバを買ってくれれば定期的にレッスンしに来ますよといってくれて、レッスンが始まった。
クラビノーバを使うと何ができるかというと、例えば、またろうの弾きたいアニメ曲かなんかの、メロディー部分だけまたろうが弾くとして、その伴奏をデータでつけることができる。さらに、そもそもそのメロディーを覚えるとき、押すべき鍵盤を「光でお知らせ」する機能があるので、楽譜がなくても練習できる(^^;;
実際、光る鍵盤をもぐら叩きのように押していく方法は、楽譜の読める人にとってみれば、先の音がわからないからほんとにまだるっこしくて、よくそんなことやってるなーという感じなのだが、またろうは弾きたい曲が出てくるたびに「光るようにしてきて」と先生にお願いしてデータを入れてもらっていた。
その調子で、アニソンやゲームミュージックなどを弾くのが中心で、バイエルやトンプソンやブルグミュラーや、その他あらゆる市販の教則本や曲集とはほぼ無縁で過ごしてきた。
その代わりに何をやっていたかというと、先生はこういう「自分のやりたいことしかやらない」子どもの扱いに慣れていて、いろんなアイディアを持っている人なので、始めのうちは「リズム遊び」「まねて弾く(歌う)」ようなゲーム感覚のコーナーを細かく設けてレッスンをつないでいたようだ。
あと、必ずレッスンの最後にはワークブックをやって、楽典だけは少しずつかじらせていた。その他、教え方の詳細について、私はレッスンを見ていないことがほとんどなのでよく理解していないが、コード(和音)を徹底して教えることと、転調などの練習をすることに特徴があるようだ。
またろうの場合、このまま「一本指打法」の旋律弾き+データで伴奏だけで通すのかと思われたが、中学生になったころから様子が徐々に変わってきて、特に中三になってからの一年はものすごく変化が大きかった。
「旋律+ベース」→「旋律+和音白玉弾き」→「旋律+分散和音」まで一気にこぎつけたのは、またろうがどうしても弾きたかった「ザナルカンドにて」が推進力になった。もちろん、そうやってがらりと弾き方が進化したベースには、それまでレッスンの中でぼちぼち積み重ねてきた、和音の勉強などがある。
和音といっても、ここしばらく私が気にしているような和音進行とかそういうことではなくて、エレクトーンの人なら必ずやっている、コード記号と和音を結びつけるやり方のことである。またろうが右手を弾きながら、徐々に左手の伴奏もつけていこうとするときは、(楽譜は読まないので)先生が「Cマイナー!!」とか曲に合わせて叫んでいくわけである(^^;;
つまり、またろうが両手で弾ける(弾けた)ピアノ曲というのは、これまで録音をアップした四曲がすべて。この前とか、このほかとか、そういうものはない。
またろうは、「そこに弾きたい曲があるだけ」で、それ以外の練習曲とかに付き合う気はさらさらないらしい。ただ自分の弾きたい曲に、何ヶ月でも向き合っている。
その中で、曲が日々進化しているのがわかる。母がアドバイスできるような部分もほとんどないし(楽譜もない)、ただ、耳にある音を探せずに何度も不協和音を叩いているときはときどき、これじゃないの?? それともこれ?? とか修正を手伝うことはある。
頼りは自分の耳だけ。こういう音が出したい、こう響かせたい、それだけで飽きずに試していく。練習曲で培った既存のテクニックとかがないわけだから、オール手作り品である。
こういうピアノを育てていく指導ができるピアノの先生は、世の中広しといえども、そういるものではない。私が子どもたちの先生を深く尊敬するゆえんである。
またろうピアノ、これまでにアップした録音のまとめ:
「アンインストール」
「UNオーエンは彼女なのか」
「Other World」
「ザナルカンドにて」
参考: またろうが「ザナルカンドにて」に挑戦しているころの日記
はなひめ昨日の勉強:
なし。。
見ていると、「うわっ、ありえない~」と思う手つき、指使いで弾いている。そのわりに音がきれい。速い曲は弾けないし、指は転んでいるし、間の取り方は明らかに変。ピアノとしては間違いなく下手なのだが、なんか心をつかむものがある。
またろうのピアノがなんでこのようになったかというと、まずひとつの大きな要因は、またろうの発達の特性から、早期の音楽教育ができなかったということだと思う。
小学校一年生のとき、「時間どおり通う」ができずにエレクトーンを挫折しているし、四年生になって本人の希望でピアノを習おうとしたときも、左右の手の協応が悪いことと、楽譜のような細かい記号を読み取るのが苦手なこと、集中力が持続しないことなどから、スタンダードなピアノのレッスンは成立しそうになかった。
しかし先生は、クラビノーバを買ってくれれば定期的にレッスンしに来ますよといってくれて、レッスンが始まった。
クラビノーバを使うと何ができるかというと、例えば、またろうの弾きたいアニメ曲かなんかの、メロディー部分だけまたろうが弾くとして、その伴奏をデータでつけることができる。さらに、そもそもそのメロディーを覚えるとき、押すべき鍵盤を「光でお知らせ」する機能があるので、楽譜がなくても練習できる(^^;;
実際、光る鍵盤をもぐら叩きのように押していく方法は、楽譜の読める人にとってみれば、先の音がわからないからほんとにまだるっこしくて、よくそんなことやってるなーという感じなのだが、またろうは弾きたい曲が出てくるたびに「光るようにしてきて」と先生にお願いしてデータを入れてもらっていた。
その調子で、アニソンやゲームミュージックなどを弾くのが中心で、バイエルやトンプソンやブルグミュラーや、その他あらゆる市販の教則本や曲集とはほぼ無縁で過ごしてきた。
その代わりに何をやっていたかというと、先生はこういう「自分のやりたいことしかやらない」子どもの扱いに慣れていて、いろんなアイディアを持っている人なので、始めのうちは「リズム遊び」「まねて弾く(歌う)」ようなゲーム感覚のコーナーを細かく設けてレッスンをつないでいたようだ。
あと、必ずレッスンの最後にはワークブックをやって、楽典だけは少しずつかじらせていた。その他、教え方の詳細について、私はレッスンを見ていないことがほとんどなのでよく理解していないが、コード(和音)を徹底して教えることと、転調などの練習をすることに特徴があるようだ。
またろうの場合、このまま「一本指打法」の旋律弾き+データで伴奏だけで通すのかと思われたが、中学生になったころから様子が徐々に変わってきて、特に中三になってからの一年はものすごく変化が大きかった。
「旋律+ベース」→「旋律+和音白玉弾き」→「旋律+分散和音」まで一気にこぎつけたのは、またろうがどうしても弾きたかった「ザナルカンドにて」が推進力になった。もちろん、そうやってがらりと弾き方が進化したベースには、それまでレッスンの中でぼちぼち積み重ねてきた、和音の勉強などがある。
和音といっても、ここしばらく私が気にしているような和音進行とかそういうことではなくて、エレクトーンの人なら必ずやっている、コード記号と和音を結びつけるやり方のことである。またろうが右手を弾きながら、徐々に左手の伴奏もつけていこうとするときは、(楽譜は読まないので)先生が「Cマイナー!!」とか曲に合わせて叫んでいくわけである(^^;;
つまり、またろうが両手で弾ける(弾けた)ピアノ曲というのは、これまで録音をアップした四曲がすべて。この前とか、このほかとか、そういうものはない。
またろうは、「そこに弾きたい曲があるだけ」で、それ以外の練習曲とかに付き合う気はさらさらないらしい。ただ自分の弾きたい曲に、何ヶ月でも向き合っている。
その中で、曲が日々進化しているのがわかる。母がアドバイスできるような部分もほとんどないし(楽譜もない)、ただ、耳にある音を探せずに何度も不協和音を叩いているときはときどき、これじゃないの?? それともこれ?? とか修正を手伝うことはある。
頼りは自分の耳だけ。こういう音が出したい、こう響かせたい、それだけで飽きずに試していく。練習曲で培った既存のテクニックとかがないわけだから、オール手作り品である。
こういうピアノを育てていく指導ができるピアノの先生は、世の中広しといえども、そういるものではない。私が子どもたちの先生を深く尊敬するゆえんである。
またろうピアノ、これまでにアップした録音のまとめ:
「アンインストール」
「UNオーエンは彼女なのか」
「Other World」
「ザナルカンドにて」
参考: またろうが「ザナルカンドにて」に挑戦しているころの日記
はなひめ昨日の勉強:
なし。。