このブログのページ下のほうに「このブログの人気記事」って部分があって、ふだんはほとんど目に入ってないんだけど…
←いろんな音楽があるので、ことさらツェルニー的なものに偏らせなくてもいいと思う
だって、新しい記事が読まれるの当たり前だものね。ちょくちょくこのブログを読んでいる方は、基本的に、新しく書かれた記事だけを見るわけで。
でも、古い記事なのに繰り返しここに上がってくる記事というのがいくつかあります。それらはたぶん、検索ワードでヒットして見に来られるのだと思います。
そういう記事のひとつに「ハノン、ツェルニーをやらないとどうなるかというと」というのがあります。これはやはり、ハノンとかツェルニーとかとどうお付き合いすればいいか悩む方が多く、それで検索されているのでしょうね。
これは2012年の記事で、このときには
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今後、「技術的向上」を目指して今と違うなんらかの手を打つのか?? それとも、選曲範囲が現状のままでも、とにかく一生弾ききれない数のピアノ曲は存在するんだからそれでよしとするのか?? はなひめの受験が済んだころ、一度そのようなことを検討してみたいと…ちょっと思っています。
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なんて殊勝な(?)ことを書いていますが、当人すっかりそんなことも忘れて(ハノン、ツェルニー自体がほとんど意識に上らなくなり)早七年、でもこの古い記事だけしばしば読まれているとなると、今の私の感覚に沿わない部分がちょっとこっぱずかしいので、補足を書いておきたいと思います。
すごく大雑把なことをいうと、ハノンやツェルニーの価値は「単純であること」、パターン化されているということだと思うんです。つまり、単純でパターン化されているものを反復すれば人間ってそれが身につきやすいという面はあるので、あんまり複雑なものをやっているといつまで経ってもわけがわからないまま、複雑なものを複雑なまま繰り返してもある程度そのものについて習熟はするんだけど、それが応用の効きにくいもの(スキルとしての価値のないもの)にとどまりやすいですから。
ハノンやツェルニーをやることで、応用の効く基本パターンに習熟することを目指すのですね。理にかなっている。
しかし、この「価値」はそのまま欠点でもあるので…つまらない、という(^^;;
だから、「楽しくない練習はしません」派の私としてはこれまで縁がなかったのですが、それなら仮に、そのポリシーを曲げてでも真面目に取り組んだとしたらいいことがあったかというと、その効果は限定的だったと思います。
それは、ハノンやツェルニーのカバーしている「基本パターン」というのが、フォーレだのバーバーだのの難しさとあんまり関係ないからです。
いくら「基本パターン」といっても、自分の弾きたい曲と傾向が違っていたらあまり役に立ちません。
例えば「音階」というような基本パターンであればフォーレにもバーバーにも出てきますが、音階といっても曲の中に出てくる場合はその場に合うニュアンスで弾かれなくてはならず、ツェルニー的に弾いたのでは「なんか違う」ってことになります。
ここまで考えれば思いつくことですが、では、自分が弾きたい曲の持っている「基本パターン」というか曲に出てくる要素をシンプルにしたものを、曲の中で生きるような表現を意図して練習したら、ぐっとお役立ちなのではないでしょうか。
ということは結局、おゆき先生が口をすっぱくしてお奨めしてくる、声部を分解して、あるいは部分を取り出して練習してみてというのは、まさにこれに当たるといえます。
そんな素晴らしい指導を受けながら「楽しくない練習はしません」派の私はこれまで右から左へ受け流してきたことが多かったのですが、少しずつ、これも「楽しい練習」領域へ取り込まれつつあります。
ということで結論:
ハノン、ツェルニーをやらなくてもいいが、弾きたい曲から取り出し練習をするのがもっと効果的(たぶん)。
しかしどっちもたいしてやってなくても、七年もすると何かしら進歩はしてます。
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そういう記事のひとつに「ハノン、ツェルニーをやらないとどうなるかというと」というのがあります。これはやはり、ハノンとかツェルニーとかとどうお付き合いすればいいか悩む方が多く、それで検索されているのでしょうね。
これは2012年の記事で、このときには
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今後、「技術的向上」を目指して今と違うなんらかの手を打つのか?? それとも、選曲範囲が現状のままでも、とにかく一生弾ききれない数のピアノ曲は存在するんだからそれでよしとするのか?? はなひめの受験が済んだころ、一度そのようなことを検討してみたいと…ちょっと思っています。
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なんて殊勝な(?)ことを書いていますが、当人すっかりそんなことも忘れて(ハノン、ツェルニー自体がほとんど意識に上らなくなり)早七年、でもこの古い記事だけしばしば読まれているとなると、今の私の感覚に沿わない部分がちょっとこっぱずかしいので、補足を書いておきたいと思います。
すごく大雑把なことをいうと、ハノンやツェルニーの価値は「単純であること」、パターン化されているということだと思うんです。つまり、単純でパターン化されているものを反復すれば人間ってそれが身につきやすいという面はあるので、あんまり複雑なものをやっているといつまで経ってもわけがわからないまま、複雑なものを複雑なまま繰り返してもある程度そのものについて習熟はするんだけど、それが応用の効きにくいもの(スキルとしての価値のないもの)にとどまりやすいですから。
ハノンやツェルニーをやることで、応用の効く基本パターンに習熟することを目指すのですね。理にかなっている。
しかし、この「価値」はそのまま欠点でもあるので…つまらない、という(^^;;
だから、「楽しくない練習はしません」派の私としてはこれまで縁がなかったのですが、それなら仮に、そのポリシーを曲げてでも真面目に取り組んだとしたらいいことがあったかというと、その効果は限定的だったと思います。
それは、ハノンやツェルニーのカバーしている「基本パターン」というのが、フォーレだのバーバーだのの難しさとあんまり関係ないからです。
いくら「基本パターン」といっても、自分の弾きたい曲と傾向が違っていたらあまり役に立ちません。
例えば「音階」というような基本パターンであればフォーレにもバーバーにも出てきますが、音階といっても曲の中に出てくる場合はその場に合うニュアンスで弾かれなくてはならず、ツェルニー的に弾いたのでは「なんか違う」ってことになります。
ここまで考えれば思いつくことですが、では、自分が弾きたい曲の持っている「基本パターン」というか曲に出てくる要素をシンプルにしたものを、曲の中で生きるような表現を意図して練習したら、ぐっとお役立ちなのではないでしょうか。
ということは結局、おゆき先生が口をすっぱくしてお奨めしてくる、声部を分解して、あるいは部分を取り出して練習してみてというのは、まさにこれに当たるといえます。
そんな素晴らしい指導を受けながら「楽しくない練習はしません」派の私はこれまで右から左へ受け流してきたことが多かったのですが、少しずつ、これも「楽しい練習」領域へ取り込まれつつあります。
ということで結論:
ハノン、ツェルニーをやらなくてもいいが、弾きたい曲から取り出し練習をするのがもっと効果的(たぶん)。
しかしどっちもたいしてやってなくても、七年もすると何かしら進歩はしてます。
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