アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

作品番号のあるなし

2021年01月15日 | ピアノ
かつさんのブログ記事(「いまさらになって知る作品番号」)を読んで、そういえばそうかと思ったんだけど…

    にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←作曲で「食っていく」在り方も時代によって違う

よくある、音楽の教室に貼られているような肖像画でいうと
カツラかぶってる組の皆さん:


と、ベートーヴェン以降の方々:


は何が違うかというと、王侯貴族に雇われたりして宮廷に出入りしなきゃいけないとなればカツラをちゃんとつけないといけないし、そうでなくて楽譜を出版したりして稼ぐならいらないんですよね。

つまり、ビジネスモデルの違いがカツラの有無に表れていることはよく言われますが、

それだけじゃなくて、そういえば作品番号だってそういうものですよね。

作品を売って生活するとなると、整理番号をつけようって話に(自然に)なるわけだし、一方、雇われてとか、あるいは単発であっても、リクエストベースでその都度作曲してるんなら通し番号つけようとは思わないかもしれない。

後世の人が、それじゃ不便だってんで、散逸した作品を取りまとめて時系列に並べ直し、番号を振る。
そうやって「研究」してくれた人がいることはたいへんありがたいことだけれど…それが不完全だったりして…また別の人が別の番号体系作ったりして…

あぁもぅ。。

スカルラッティとかたいへんです。タイトルとかなくて番号が頼りなのにその番号が二通りあってその順番がまったく違ってて、「あれ、四百いくつとかの番号じゃなかったっけ」(←役に立たない記憶)ってなもんです。

モーツァルトは「就職活動」してたイメージが強いし(あんまりうまくいかなかったみたいだけど)、自分の作品に通し番号つけようって発想はあんまりなかったんだろうね…

と、思って、「文化のなかの西洋音楽史」を開いてみると:

ハイドンはモーツァルトより年上だけど、長生きした分、モーツァルトよりだいぶ後まで作曲しているので、盛んになってきた出版の波にもけっこう乗れたようです。ハイドンというとホーボーケン番号とかいう、研究者があとから振った番号がよく使われるけれど、本人が振った作品番号もある(一部だけ)。

モーツァルトも、作品番号をつけるという形はとらなかったけれど、ある年以降(1784-)は作品目録を作っている。

ベートーヴェンはしっかり自分で意識して作品番号をつけている(必ずしも作曲順じゃなくて、重要な作品のために「1」を取っておいたり)。

作品目録にしても番号にしても、そういうものを作ろうとする意識があるかないかというのは、当然作曲の在り方にも関係するはず。

今、作品番号らへんのことを見るのに開いたんだけど、わりと前後おもしろそうなので読んでみよっと(ずっと積んであった本…)

にほんブログ村 ピアノ  ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 その他日記ブログ 50代女性日記 ←こちらも参加しています


「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)


「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする