アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

「ミスタッチしないゆっくりテンポから練習」するのの何が問題?

2016年05月26日 | ピアノ
間に別の話がいろいろ挟まりましたが、
「ミスタッチを恐れるな」(ウィリアム・ウェストニー)
という本の話に戻ります。

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この本のオビにはこうあります:
-----------
「一度もまちがえないように、ゆっくりしたテンポで練習しなさい」
…その教え方、本当に正しいですか?
-----------

この「ゆっくりテンポから練習」というのはわりと一般的に流布している考え方だと思うのですが、
要するにミスして弾くとそのミスを学習してしまうというか、間違った動きが手に染みついてしまってまたいつでもそのように間違えるようになる、ということです。

一度も間違わないようなゆっくりしたテンポから丁寧に練習することで、手や頭にミスの癖がつくことを避けて、いわば
「キレイなままで」
練習することができるというわけですね。

癖というか、なんかおんなじように間違えちゃうってことありますから、それを無批判に繰り返してもその間違った動きが身についちゃうだけで、それはマズそうですよね。説得力ある練習法だと思います。

でも、この本は、タイトルでこの考え方に真っ向から異議を唱えているのです。何がいけないのでしょうか。

無理ないテンポでまず練習すること自体は別によいとして、そこで「一度も間違えちゃいけない」というような枷を自分にはめることがおそらくは問題です。ミスは絶対に起こしてはならない大惨事であるかのような扱いに、緊張する、恐れる、過剰なコントロール、生気のない演奏。

もし、話がスキーの初心者、自転車に乗ろうとする子どもについてであれば、転びながら上手になっていくのはみんな了解してます。転んじゃったからもう転ぶ癖が染み付いて、いくら練習しても転び続けるだけだとは誰もいいません。離乳食を自分のスプーンで口に運び始めた子が、最初はだらだらべちゃべちゃこぼしてますが、そんなことをしたら何年でもべちゃべちゃこぼすのでしょうか? そんなことはなく、速やかに学習していって上手に食べられるようになりますね。こぼさせちゃいかんという人はいません。

そこでこの本は、集中して、でもリラックスして、生き生きと「ミスを恐れずに」弾いてみて、どこでミスが起こるかを手掛かりに、考察や修正を行い、弾けるようになったら、繰り返し練習して定着させる。しっくりくるようになったら、さて次の個所、という練習方法を勧めているのです。

この考え方についてどう思いますか?

見た目、ものすごく真逆なような、それでいてどっちもそれなりに説得力があるような、不思議な感覚があるのですが…

実は、見た目ほど違わないような気がするんです。

「ミスを恐れない派」とはいっても、あまり出鱈目に弾けちゃうようでは、いくら正直なミスでも分析しようがありませんから、実はだいたい弾けてちょっとミスする程度を想定してると思うんです。つまり、無理のないテンポと範囲で区切って、弾いてみる…ちょっとミスする…改善する…定着させる…そして次。

「ミスを混ぜたらいかん派」とはいっても、メトロノームを超ゆっくりにしたのにやっぱり間違えたりとか(爆)あるよね? 私は、この本を読む前、たとえばラフマ二台のロマンスを練習したときのように、難しすぎる曲をなんとか手に当てる時には、超ゆっくりからメトロノームを使って、しっくり弾けるようになったら次、という方法をとり、主観的には「ミスを混ぜたらいかん派」の説にきちんと従って練習しているつもりではあったのですが、実際のところ…

けっこうミスしてました(^^;;

弾いてみる…ミスする…修正する…何度も弾く…しっくりくる…次へ(次の個所もしくは一段テンポアップ)。

なんだおんなじじゃん(笑)

つまり根がいいかげんな人が「一度もまちがえないように、ゆっくりしたテンポで練習しなさい」という練習方法を採用すると(採用したつもりになると)実はあまりミスを恐れないで弾いていて、萎縮もしないし、なんかこの本の著者が推奨する方法にかなり近いのです。練習時間もたいして取れないから、この本でいうように、疲れていない状態でリラックスして練習するという条件も満たしていましたしね。

「ミスを混ぜちゃいけない」「染み付く」
ということを、真面目に、ストイックに、あまりにも長時間練習できちゃう人は「萎縮する」というようなマイナス面も取り込んでしまうのかもしれない。そして、そういうタイプの人のほうがピアノうまくなって、音大に行ったり先生になったりするものだから、この本の著者としてはそういう人のほうがたくさん目について気になるのかもしれないな、と思った次第です。

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トラップ一家、映画と現実の間

2016年05月25日 | 生活
先日は「Climb Every Mountain」の伴奏させてもらったりしましたが、そのずっとずっと前からサウンド・オブ・ミュージックは大好きで、何度見たかわかりません。

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曲もいいし子どもたちはかわいいし、わくわくはらはらどきどき、映画の「お約束」もバランスよく詰まってて、最後はスリリングな脱出劇。

見て楽しむ立場からいえば、映画として出来がよければ中身がフィクションでもちっとも構わないわけですが、このミュージカル映画は「元(現実のトラップ一家)」がいると聞いてへーそりゃすごいなと思っていました。自分がコドモのころは、元がいるといってもそりゃ映画上の都合で作り事がいろいろ盛られているであろうことには特に関心がなかったわけですが、大人になるにつれて、いくらなんでもこれは現実と違うんだろうというところはいくつか気づいてきますよね。

たとえば、修道院に一時かくまってもらってから一家が逃げていくとき、追手が発車できないように修道女さんたちが車の部品をぶっこぬいているとか(!) マリアが来てから歌を教えてみんないきなり上手とか(^^;; そりゃありえん

ちょいとぐぐれば、最後あのような脱出劇はなくて、国境は列車で越えたとかいうことはわかります。でももっと詳細を知りたいなぁと思ってたので図書館で見つけて
「わたしのサウンド・オブ・ミュージック」(アガーテ・フォン・トラップ(*)、東洋書林)
(注、アガーテはトラップ一家の長女)
を借りてみました。

すると、ナチの青年とトラップ一家の長女との淡い恋愛がそもそもなかったとか…映画では時間が縮められて新婚旅行から帰ってきて即逃げたみたいな話になってますが実際にはその間に何年も経ってて子どもも二人新たに生まれているとか…まぁいろいろ違います。けどそのあたりは映画でありがちな整理もしくは脚色として、見るほうだって信用しないで(笑)見ていますよね。

むしろ、私はこの本を読んで、思った以上にちゃんと元ネタがあったというか、事実は小説より奇なりというふうに感じました。

二人目のお母さん(マリア)が家庭教師として修道院から派遣されたことは事実、到着時、彼女が珍妙な服装をしていて鞄とギターを持っていたことも事実、彼女が修道院で「問題児」だったことも事実、もうひとつ驚いたことには、お父さんが呼笛で子どもたちを集めたのも事実でした!!

あんなのこそ、映画的な脚色だと思ってしまいますけど…

もっとも、呼笛は映画で描かれていたような意味合いはなくて、お父さんは変に厳格な人だったりするわけじゃなくてちゃんと慕われていたし、音楽も教えてくれた(いっしょに楽しんでくれた)人なんですよね。ただ屋敷が広いからどなって呼ぶわけにもいかないってことで。

それと、映画では一家が屋敷から逃げ出すときに、執事が密告していたような雰囲気になっていますけど、これがまたびっくりすることに、長年いた執事はナチ党員だったのです。ただし、オーストリアが「併合」されたときに早速彼はトラップ一家に、自分はナチ党員であるから聞いたことは密告しなけりゃいけないので、食事のときの会話には留意するようにと伝えてくれたばかりか(←そんなのあり??)、いよいよ危なくなってきたときには、もう逃げないと本当にマズいということを教えてくれたのです。その結果、スレスレで国境封鎖前に脱出できたのですから、むしろ命の恩人ですね。

思うに、映画を作るときというのは、事実から最大限いろんなピースを借りてきて、それを自在につなぎ合わせて追加のフレーバー(ロマンスとかスリルとか)をトッピングするというのがセオリーなのでしょう。そういう意味でよくできた作品ですし、脚色があることくらいは一家も承知だったでしょうが…

この映画のことはとても嫌がっていたということです。国境を徒歩で越えたような演出などはともかくとして、最大の問題点はお父さんの描かれ方がダメダメだったことでしょう。それはとりわけ許せないことであったに違いありません。

この本の中には、そのあたりについてこのように書かれています。
「実名が使われているのに、わたしたちの生き様が正しく描かれていないのがわかったとき、わたしはミュージカルも映画も一度見たらもう、二度と見る気になれませんでした。わたしの大切な思い出を奪われたくなかったのです。」

ただし、このようにも書かれています。
「長年の間、わたしは多くの人々から、あのミュージカルや映画がどんなにすばらしい喜びや刺激を与えてくれたかを聞かされてきました。そしてやっと今、わたしは『サウンド・オブ・ミュージック』と仲直りすることができました。
「この映画を批判するわたしはいったい何様だというのだろう?」
長いこと、心の中にもやもやしたものをかかえてきましたが、わたしはやっと、映画の物語と自分の大切な思い出とを別々に考えられるようになったのです。細かいことは事実と異なっているとはいえ、『サウンド・オブ・ミュージック』の制作者は、わたしたち家族の人生を貫く精神には忠実でした。」

つまりこの映画がもたらしたものはマイナスにもプラスにも大きく、けれどマイナスというのは当事者に。プラスというのは全世界に。しかしこういうことはトータルプラスならよいって話ではないとすれば、ほんとに何といってよいかわかりませんが、全員ではないにせよトラップ一家の一部の人が、そのような気持ちの雪解けまで至ってくれたことはよかったなと思います。私としてはただこの映画との出会いに、そして国境封鎖前にトラップ一家が脱出できたことに感謝します。


(*) このアガーテさんは歌えて絵が描けて衣装が縫える多彩な人なのですが、語学の才能がありそうだということで、フランス留学の話が進められていたのです。ところが滞在先の都合でぽしゃり、その代わりに英語の通訳コースに通い、優秀な成績を修めたのでした。そののちアメリカへ逃げるのですから、これはほんとにすばらしい偶然でしたね。

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PTAって何なんだろう

2016年05月24日 | 生活
お子さんをお持ちの方はたいてい、学年最初の保護者会でのあのイヤ~な沈黙の時間についていろいろと思うところがおありかと思うんですが…

   にほんブログ村 教育ブログ 中高一貫教育へ←私立ならこの問題が存在しないというわけではない。ということに気付かされた

私もあります(-_-;;

保育園生活は13年間、小学校生活は13年間、そして(公立)中学校生活は3年間(またろう分のみ)、
この間はいつも「いつ委員をやっておくか?」というのはけっこう重要なポイントでした。
誰かが受験の年は避けたい、とか
団地の役員とかぶる年はマズい、とか
育休とるならその年に合わせ技で!!(←赤ん坊おるけどな)、とか
まぁそういうことを考え合わせるわけです。

保育園ならば働く人前提なので土曜日などでコトがほぼ済みますが
小学校は平日の10:00~14:00とか、幼稚園の送迎前提に組まれていることが多くて大ゴトです。

とりあえず、ある子どもが入学して卒業するまでやらずに逃げ続けたことはないです。それは、最後に逃げ損ねて都合の悪い年に押し付けられるよりは先手を取って「比較的」自分の都合のいいときに済ませたいとか、あといちおうは足を引っ張らない程度にはお役に立ちたいとかいう理由から。崇高なボランティア精神というほどのものは持ち合わせていないんだけど、まぁ子どものいる学校(保育園)のことだし…

そしていざ委員になってみると、保護者の話し合いの中で「引き受け手がないからやめたい」「やり方を合理化したい」「これってやる必要あるの?」とかいう話になってもとにかく学校側が強制してくるとか、事務能力もコミュ力もないおじさんが会長にまつりあげられててその話が長くで邪魔(笑)とか、いろいろと納得のいかないことがあるのですが改善(*)することも結局できなくて次の年の人に押し付けて引き継いで、はぁ~済んだからまぁいいや、みたいな。

大変でも役に立ってるって実感があればがんばれる人は多いと思うんだけど、大変なのは実動じゃなくてしがらみだったりするとマジやる気なくすので、「また今年もやりましょう」なんて気にはなかなかならなくて、ノルマ(児童ひとり一回)こなしたらおしまい。すると、絶対引き受けたくない人は最後くじ引きで押し付けられ、そのあげく一度も学校来なかったなんて人までいる始末。「平等」なんて実現不可能なんですよね。何が「平等」なのかもよくわかんないけど(いろんな事情の人がいるだろうし)。

そんなこんなで、これだけ長いキャリアを積みつつもどうも消化不良のまま、こういったごたごたとはお別れして今じゃ平和に暮らしているのだが、けど先日ちょっとびっくりなニュース(**)があって、それきっかけでいろいろ調べていたらば、そもそもPTAというのは任意加入であり、そして一部の人しか加入していなくてもその学校の子ども全員に対して活動(配布なども含め)を行うことなどがきちんと決められていることを知りました。

たとえばこことかわかりやすい→「どこからがアウト? 法律からみたPTA――憲法学者・木村草太さんに聞く

ということはですよ、子どもが入学しただけで意思確認もなくハイ会費といって徴収されていた(その徴収作業のための名簿は当然のように学校から委員(保護者)に横流しされていた)とか、活動内容や方法も学校が押し付けてくるとかもう、いろいろとアウトでしたよね。

そもそも、表面化していた問題は委員・役員を誰がやるかだけの話で、
「退会する」というウルトラC技を思いついた人は一人もいなかったし、よって、非会員の子どもがいるのに全員に配布するのかなんて問題も発生しなかった。けどそれは、任意加入であることをみんな知らなかっただけのことで…

筋としては、任意加入であることとか、加入しなくても不利益はないこととかを周知するってことだろうけどそれでは今までのような学校からの業務押し付け(市のえらいさんにお茶出しさせるとか)って成り立たないと思うし、活動のあり方もこれまでの延長ではどうにも実行不可能だろうね。

前に「劇的ビフォーアフター」みてたら保育園の園庭に遊具いっぱい作るのがあって、お父さんたちがその工事に何人もボランティアで協力してたの。それは一部の人しか参加しないことなので当然ながらやりたい人だけがそれぞれの特技を生かしてやれることをやっていて、もちろん自分の子どもがそれで遊ぶことを想像して頑張るんだけど、でも手伝いに来なかった人の子どもも使うんじゃ損だみたいな発想はハナっからなくて。保護者パワーがほんとにプラスに働くのってこういうときなんだよなぁって思いました。

一度まっさらに戻して、やりたい人がいたら、それによって成立する分のプロジェクトだけやるとかどうなんだろう。「○年△組の保護者懇親会やりたいです!!」「じゃ私も、手伝います!」とかさ。ベルマークなんて毎年集めなくったって死にゃしないんだし。と思ったらそういう壮大な実験してる人がいた→「PTAがなくなったら、学校は本当に困るのか?」おもしろい~


(*) 小さいことならいくつか改善できたことはあった。(1) なんかの講演会のサクラを廃止…指定された頭数出して座ってて拍手するやつは次の年からなしにした (2) 不審者情報連絡網のメール送信…電話連絡網で流すことになってたけどそうすると平日昼間なんかほとんどつかまらないので、会社の会議室に隠れて延々と「男は砂場にいた女児二名におし○こをかけたあと逃走、30代くらい、黒いパーカーにグレーのスエットズボン…」なんて内容を留守電に向かって何度も吹き込み続けなくてはいけない。メールで送信させてくれといったら学校側はメールない人もいるからダメと最初は言ってたがそれならもう私は流しません!! とゴネたら、メールNGの人の列をひとつにまとめて、そこ以外は一斉送信でいいことになった。

(**) 私学中高一貫校の保護者会で、運営方針に疑問を抱き退会した人がいて、退会者の子どもに保護者会からの配布物が配られなくて精神的苦痛を云々で保護者会と学校(の事務長)を提訴したというニュース。


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また会う日まで(歌のチカラ)

2016年05月23日 | ピアノ
あまた開催されるコンサートの、実際どれに足を運ぶかというのは、ほんとに「縁」だと思うわけです。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←合唱の伴奏ってしてみたい…

今日は午後半休とってアマチュア合唱団のコンサートを聞きに行きました。なぜそのコンサートに行ったかというと、その合唱団の指導や指揮をされている、そして独唱曲を歌う方というのが、私が学生時代に家庭教師をしていたときの生徒のお母様、なのです。

つまり、私が二十歳かそこら、それで高校受験指導をしていたわけで、そのお母様ですからそれなりの年齢なのですが、独唱でも堂々として味のある演奏を披露されてました。

というか、合唱団の方々も、そして聞きに来られている方々も、そこいらへんが中心年齢なようですが(私はめっさ若いほうの人!!)会場じゅうがイキイキした華やかな雰囲気に包まれています。特に合唱団の方々のやわらかくも凛としたオーラがすばらしい。

日本の歌や、フニクリ・フニクラ、ウィーンわが夢のまちなどの古くから馴染みの曲だけでなく、
ジブリやディズニーなどの新しい曲も取り交ぜて、
おおむね四部構成で歌われました。

ずっと歌ってるとたぶん疲れるので、間に独唱やピアノ連弾が挟まっています。

いろんな歌を聞きながら思ったのですが、
歌というものは…とりわけ、大勢で歌っている歌が、
丁寧に練習を積み重ねられ、
心をこめて歌われているとなると、

その合唱団のテクニックがプロ並みにすばらしいものでなくても、
それはしみじみと聞いているほうの心に届くような気がします。

もちろん、ピアノであっても、技術を越えてハートが伝わってくる演奏というものがないではないのですが、
思いがいくら深くても、ある程度の技術がなければそれが手に、音に伝わらないし、
なにかもうちょっとややこしいものだなと思います。

ともかく、歌の間じゅう、しみじみ楽しく、幸せな気持ちでした。

ところで「おおシャンゼリゼ」という曲、もちろんご存知ですよね。私はこれ子どものころ…子どもといっても中学生とか?? でわりと何度も聞いてたらしいんだけど、そんなことすっかり頭から抜けていました。

でも今日この曲を日本語の歌詞ですけど聞いたときに、突然、
「イリアトゥスクヴヴレ~♪」みたいな響きが頭によみがえり、おぉ!! これはフランス語ではないか~
「Il y a tout ce que vous voulez aux Champs-Elysees(シャンゼリゼには、あなたがほしいものがすべてある)」
…ということだったんですねコレは~

というか、よく一片もわかるところがないのに言葉の響きだけ覚えていたなーというか、覚えていたことに気が付かなかったのに歌を聞くと呼び覚まされちゃうんだというか。

歌っておもしろいですよね。
人間の声だから?
歌詞がついているから?
いきなり奥のほうまで入り込んでくる感じです。理屈抜きで。

そして、アンコールというか締めくくりには、客席がいっしょに歌うのが二曲ありました。

歌詞はプログラムに書いてあるんですが、それと「前奏が一小節あります。あと間奏あります」という説明のみで始まったかと思うと、

「夏がくれば思い出す
はるかな尾瀬 遠い空…」

えっ客席めっちゃうま!! なんなのこの客層(団員のお友だちとそのお友だちとか?)
誰も出トチもなければ声もきれいで音程もあってて
さりげに二部合唱になってました(^^;;
(私も途中から下パート歌いました)

そして最後の最後が「今日の日はさようなら」

「いつまでも絶えることなく友だちでいよう…」
私も、歌があってコンサートがあるからこそ、家庭教師したあとン十年経ってもこうやってお目にかかる機会があるわけだし、歌のチカラってすごい。ということを、会場にいる100名ほどのみなさんも、おそらくはそれぞれ久しぶりのお友だちに会ったりして感じているのでしょう。

「今日の日はさようなら
またあう日まで
またあう日まで」←だいじなことなので二度いいました。

会場じゅうがひとつの歌に包まれていると、じわっときてしまいました。

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ベーゼンのあるカフェで

2016年05月22日 | ピアノ
昨日は好天にも恵まれ、気持ちのよいカフェで練習会でした。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←おしゃれなカフェでたどたどしく弾くのもまた一興(か?)

庭はこんな感じ

ピアノを弾くときはこの庭方面に向かって弾いてるので、広々した気持ちで弾けるようになってます。

ピアノの上は、変形ですが吹き抜けになっていて、高さ方向にもゆとりがあります。

なぜだか昨日の練習会は、暗譜で弾く方の率が高かったのですが、その方たちはこの配置を生かして気持ちよく弾けるということになりますね。私はもちろんですが楽譜かじりつきでちょっと残念。

ピアノの譜面立ては穴あきですが、そこに楽譜を立ててしまえば客席からは顔も見えなくなります。楽譜の塀に守られて(?)弾く感じです。

カフェというと、スパゲティなりカレーライスなりサンドイッチなり、何かしら軽めの食事までできるところが多いですが、ここはほんとぅ~に飲み物とケーキのみです。


みなさんの演奏を聞きながらケーキセットをいただきます。昨日は聞き参加まで入れて総勢14名、小さいカフェは満員で、紅茶やコーヒーを入れるにも運ぶにもオーナーさん一人でやっているので、いっぺんには出せず時間差でじわじわ来ます。

オーナーさんがピアノ好きでやってらっしゃるお店なんでしょうね。手が空いているときには、けっこう演奏に聞き入っている様子でした。

持ち時間は16分だったので、私は
ショパン エチュードop25-1 エオリアンハープ
アルカン エスキスより 17. 3声の小さな前奏曲、18. 小リート
を一巡目に、
HAL/音妃 フラワー(KinKi Kids)
を二巡目に弾きました。

この中では、一巡目で弾いた分の曲が…かなり弾き込んでいるから自信あり、まぁ自信ありといっても素敵に弾けるとかそういう意味ではなく、演奏の最中にてんぱって真っ白になったり迷走したりしないという意味ですけど、安全だと思ってたんですよね。そして、突然の思いつきから一週間突貫工事のフラワーはどう転んでもおかしくない曲でしたが、

なんかこの「場」、おしゃれなカフェでちょっと客席もがやがやしている雰囲気では、フラワーのほうがしっくり来て弾きやすいように感じました。

ピアノの練習会など人前でポピュラーを弾くのは考えてみれば「お初」です。これからはときどき混ぜていきたいな~

もちろん、ガチでクラシックを見事に弾かれている方も多かったです。昨日、初めて出会った曲でいうと、ヒナステラのアルゼンチン舞曲集より「粋な娘の踊り」とかドボルジャークの牧歌第四番とかよかったなぁ。

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