10回お試しの英会話教室は二回目までやったとこなんだけど、その二回目のディスカッションテーマは
「高校生に古典文学を読ませるべきか?」というお題でした。
←英会話学校行ってもまだピアノのことを考えてる私
予習のとき読むことになってるテーマ提示文というかサンプル的な「私の主張」の文章は、長らく古典を高校生に読ませようとしてきて(←それが仕事だから!)刀折れ矢尽きてもう高校生に古典読まそうとするなんてやめようよ、っていってるものだった。なんだかとってもお疲れ様(^^;;
ディスカッションといっても英会話の練習だし、中身どうでもいいっちゃいいのですが、他の出席者の話を聞いてて思ったのが、みんなわりと「読むなら原文」ってイメージなのだなと。
つまり、日本語といっても古文なんて文法も生活習慣もいちいち違ってて読んでもそんな簡単にわからないし、ということはつまらないし、time-consumingであるという…(英会話の先生自身も、高校生のときシェイクスピアとか読まされてわけわからんし嫌だったと-笑)
それで私は、源氏物語とか好きだけれどもそれは翻訳で読んだので、あんな長いもの原文で読まないかんかったら時間がいくらあっても足りない。優れた翻訳であれば背景とかも含めて伝わるようにしてくれるはずで、それをどんどん気軽に楽しんで読んで、古文の文法を学び原文で…は、ほんのちょびっとに絞ればいいんじゃないかと。
そしてその「ちょびっと」の部分についてはなかなか自力でやれないのでそういうことのために学校の授業(と先生)があるんだからね。でもそれをツマンナクしか提示できないんだったらそりゃその先生の教える技術か熱意/愛(もしくは両方)が足りないんだと主張しました。
だいたい英語なり古文なり、自分が不十分に学習してえっちらおっちら読むよりも、よくわけのわかった人に噛み砕いてもらって自分の母語や理解力に合わせた翻訳を作ってもらったほうが、翻訳の精度が100%じゃないにしても、トータル受け取れるものはよっぽど多くなる道理である。基本はそれでいいと思うんだよね。そこから先は趣味に合わせて、好きなところに深くつっこんでいったらいい。
ところでピアノ業界で「古典」というと「古典」に「派」をつけてハイドン・モーツァルト・ベートーベンを指すような気がしますが、ぶっちゃけバッハでもシェーンベルクでも一切合財まとめたジャンル名が「クラシック音楽」と呼ばれているわけだからもう何をかいわんやである。
つまりは私たち…好きな作曲家がベト様であれショパンであれドビュッシーであれ…時間かけて学んでいって、そしたら好きになっちゃってのめりこんでという物好きのカタマリですよね、世間一般から見れば。
そしてこの狭い業界の中でも、オリジナル主義というか、元のかたちでないと意味がないとする考え方に近い人と、翻訳(現代や、その人にあうかたち)でいいじゃないという人に分かれるってことはある。
たとえば、バッハを弾くのにピアノじゃしょうがない、というような考え方があったり…
でも、バッハの自筆譜(のコピー)が読めて当時の楽器(少なくともレプリカ)が弾けなかったら、弾かないほうがマシかといったらそんなことはなくて、現代人に読みやすい楽譜に直してもらったものを見て、現代ピアノで弾いたって得られる楽しみは十分たくさんあるわけで。
ただ、現代ピアノでバッハを弾きながらも、バッハさんがこのような楽器で作曲したわけではないってことを知らないと、判断がつかなかったり、妙な論争に巻き込まれたりすることがあるので、ある程度の知識なり、古い楽器を触った経験なりが「ちょびっと」でもあるに越したことはない。
とはいえなんでもかんでもフカボリしようとしても無理なので、ほどほどに。
何事もバランスが肝心です。
そしてその「ちょびっと」の部分についてはなかなか自力でやれないので、よきガイド(たとえば、ピアノの先生とかshigさんみたいな人とか)がいたほうがいいんだよね。んで、そのガイドさんがみょーにいい腕(と愛)を持っていたりすると、つられてすごいのめりこんじゃって、time-consumingなことがあったりなかったりするかも…
にほんブログ村 ピアノ ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育
「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
「高校生に古典文学を読ませるべきか?」というお題でした。
←英会話学校行ってもまだピアノのことを考えてる私
予習のとき読むことになってるテーマ提示文というかサンプル的な「私の主張」の文章は、長らく古典を高校生に読ませようとしてきて(←それが仕事だから!)刀折れ矢尽きてもう高校生に古典読まそうとするなんてやめようよ、っていってるものだった。なんだかとってもお疲れ様(^^;;
ディスカッションといっても英会話の練習だし、中身どうでもいいっちゃいいのですが、他の出席者の話を聞いてて思ったのが、みんなわりと「読むなら原文」ってイメージなのだなと。
つまり、日本語といっても古文なんて文法も生活習慣もいちいち違ってて読んでもそんな簡単にわからないし、ということはつまらないし、time-consumingであるという…(英会話の先生自身も、高校生のときシェイクスピアとか読まされてわけわからんし嫌だったと-笑)
それで私は、源氏物語とか好きだけれどもそれは翻訳で読んだので、あんな長いもの原文で読まないかんかったら時間がいくらあっても足りない。優れた翻訳であれば背景とかも含めて伝わるようにしてくれるはずで、それをどんどん気軽に楽しんで読んで、古文の文法を学び原文で…は、ほんのちょびっとに絞ればいいんじゃないかと。
そしてその「ちょびっと」の部分についてはなかなか自力でやれないのでそういうことのために学校の授業(と先生)があるんだからね。でもそれをツマンナクしか提示できないんだったらそりゃその先生の教える技術か熱意/愛(もしくは両方)が足りないんだと主張しました。
だいたい英語なり古文なり、自分が不十分に学習してえっちらおっちら読むよりも、よくわけのわかった人に噛み砕いてもらって自分の母語や理解力に合わせた翻訳を作ってもらったほうが、翻訳の精度が100%じゃないにしても、トータル受け取れるものはよっぽど多くなる道理である。基本はそれでいいと思うんだよね。そこから先は趣味に合わせて、好きなところに深くつっこんでいったらいい。
ところでピアノ業界で「古典」というと「古典」に「派」をつけてハイドン・モーツァルト・ベートーベンを指すような気がしますが、ぶっちゃけバッハでもシェーンベルクでも一切合財まとめたジャンル名が「クラシック音楽」と呼ばれているわけだからもう何をかいわんやである。
つまりは私たち…好きな作曲家がベト様であれショパンであれドビュッシーであれ…時間かけて学んでいって、そしたら好きになっちゃってのめりこんでという物好きのカタマリですよね、世間一般から見れば。
そしてこの狭い業界の中でも、オリジナル主義というか、元のかたちでないと意味がないとする考え方に近い人と、翻訳(現代や、その人にあうかたち)でいいじゃないという人に分かれるってことはある。
たとえば、バッハを弾くのにピアノじゃしょうがない、というような考え方があったり…
でも、バッハの自筆譜(のコピー)が読めて当時の楽器(少なくともレプリカ)が弾けなかったら、弾かないほうがマシかといったらそんなことはなくて、現代人に読みやすい楽譜に直してもらったものを見て、現代ピアノで弾いたって得られる楽しみは十分たくさんあるわけで。
ただ、現代ピアノでバッハを弾きながらも、バッハさんがこのような楽器で作曲したわけではないってことを知らないと、判断がつかなかったり、妙な論争に巻き込まれたりすることがあるので、ある程度の知識なり、古い楽器を触った経験なりが「ちょびっと」でもあるに越したことはない。
とはいえなんでもかんでもフカボリしようとしても無理なので、ほどほどに。
何事もバランスが肝心です。
そしてその「ちょびっと」の部分についてはなかなか自力でやれないので、よきガイド(たとえば、ピアノの先生とかshigさんみたいな人とか)がいたほうがいいんだよね。んで、そのガイドさんがみょーにいい腕(と愛)を持っていたりすると、つられてすごいのめりこんじゃって、time-consumingなことがあったりなかったりするかも…
にほんブログ村 ピアノ ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育
「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)