ようやく見に行きました。「シーモアさんと、大人のための人生入門」。もうちょっとで近場の上映館が無くなるとこだったよー見に行く人はもっと早く行ってるよね!!
←午後半休で、銀座ヤマハと映画と歯医者(^^;;
シーモアさんは、優れたコンサート・ピアニストだったんだけど、50歳のとき「早々と」舞台を降りてしまって、それからは教えることメインでやってる。映画を撮ったときはもう89歳だけど、ピアノを弾いても教えても、作曲しても語っても、いちいち深いんだよね。
ご自分が人生を楽しんでいる様子なだけではなくて、いろいろと迷える子羊(子どもも大人も)が、シーモア先生のそばにいくといろんな気づきや幸せが伝染しちゃうらしいの。ただその様子を淡々と撮ってつなぎ合わせたみたいな映画で、ルポルタージュというほどの強烈な主張と作品性とか、起承転結とか(^^;; 別にない。
五十而知天命
(五十にして天命を知る)
コンサートピアニストをなぜいきなり引退しちゃったのかって…
シーモアさん、かなりの緊張しぃだったみたいで、暗譜が飛んじゃうんじゃないかという妄想(実際舞台に上ってみれば弾けるわけだから)とかも含めてコンサートをすることが大きな負担だったというのはあるんだろうけど
(それと、商業的コンサートのありかたに疲れた)
「自分の演奏に満足感を覚えたのは、50歳になった頃だ。伝えたいことを舞台で表現できるまでに、それだけの時間を要した。50歳になったとき、誰にも内緒で、引退コンサートを決めた」
ということなので、演奏するということに関して、やりたいことはやれた、到達したというのがひとつの区切りで、
そして教えること、書くこと、作曲することなどにもっと時間を割きたいと。
50歳を「人生折り返し地点」と呼ぶには100歳まで生きる前提みたいでちょっとアレだけど(^^;;
それまで積み上げてきたものを振り返って、これから人生の残り時間(←有限)で何をやりたいのか何をやるべきなのか。
そんなことがすっきり見えてくるのは古今東西、そして、天才でも凡人でも(私でも)変わらないってことかな。
七十而従心所欲、不踰矩
(七十にして心の欲するところに従えども、矩(わく)を踰(こ)えず)
「私の年齢になると、ごまかしを一切やめる。人にウソを言わなくなり、自分の心のままを語るようになる。そして真実を言うことこそが、相手にとって最高の褒め言葉だとわかる。相手が喜ぶことを言うのではなく」
シーモアさんの言動や、暮らし方が、とっても自然で、無理とかそれこそ見栄とか関係なく、ぴたりと人としての有り方、本質に沿っているところが気持ちいい。(「つきづきし」って感じ)
映画を見ていると、シーモア先生は様々な生徒にそれぞれ「しっくり」来るレッスンをしている様子がわかる。
映画パンフレットの後ろのほうに、シーモア先生に教わってる人のコメントがあるんだけど、
・「なぜできないか」ではなく「なぜできたか」を分析させる。それを覚えていれば次の時もうまくできると考える。
・何かアドバイスするとき、「ちょっと思いついたんだけど…」という。押し付けない。
・どんな生徒もまず受け入れて、リスペクトしたうえでアドバイスする。
・彼の生徒はみんな違う弾き方(シーモア先生の意見を取り入れつつ自分も出す)
・本当に必要なポイントを見極めて指摘する(たくさん言いすぎるとわからなくなるから)
などなど。
要するに、褒める、自信を持たせてからポイントをぎゅっと絞って提案するスタイルなんだけど、そこに無理してない「真実を言う」スタイルで結果そのようになっているということ。
「教えることと自身が演奏することの違いは?」
「要は同じ。ただし、長い年月をかけて見出したことを、自分だけでやっていれば一つの花しか咲かないが、同じことを生徒に伝えれば、いろいろな色の様々な花が咲く。自分にも必要な栄養を他の花にも注げば、美しい花で辺りは一杯になる」
50歳にして、何をしたいか定まってきたとして、そこから40年近く経ったとき、自分はどのような境地に達するのだろうか?
…と思うと、これからの人生、歳をとるのが楽しみじゃありませんか。というわけで、人生入門なのです。
にほんブログ村 ピアノ ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育
「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←午後半休で、銀座ヤマハと映画と歯医者(^^;;
シーモアさんは、優れたコンサート・ピアニストだったんだけど、50歳のとき「早々と」舞台を降りてしまって、それからは教えることメインでやってる。映画を撮ったときはもう89歳だけど、ピアノを弾いても教えても、作曲しても語っても、いちいち深いんだよね。
ご自分が人生を楽しんでいる様子なだけではなくて、いろいろと迷える子羊(子どもも大人も)が、シーモア先生のそばにいくといろんな気づきや幸せが伝染しちゃうらしいの。ただその様子を淡々と撮ってつなぎ合わせたみたいな映画で、ルポルタージュというほどの強烈な主張と作品性とか、起承転結とか(^^;; 別にない。
五十而知天命
(五十にして天命を知る)
コンサートピアニストをなぜいきなり引退しちゃったのかって…
シーモアさん、かなりの緊張しぃだったみたいで、暗譜が飛んじゃうんじゃないかという妄想(実際舞台に上ってみれば弾けるわけだから)とかも含めてコンサートをすることが大きな負担だったというのはあるんだろうけど
(それと、商業的コンサートのありかたに疲れた)
「自分の演奏に満足感を覚えたのは、50歳になった頃だ。伝えたいことを舞台で表現できるまでに、それだけの時間を要した。50歳になったとき、誰にも内緒で、引退コンサートを決めた」
ということなので、演奏するということに関して、やりたいことはやれた、到達したというのがひとつの区切りで、
そして教えること、書くこと、作曲することなどにもっと時間を割きたいと。
50歳を「人生折り返し地点」と呼ぶには100歳まで生きる前提みたいでちょっとアレだけど(^^;;
それまで積み上げてきたものを振り返って、これから人生の残り時間(←有限)で何をやりたいのか何をやるべきなのか。
そんなことがすっきり見えてくるのは古今東西、そして、天才でも凡人でも(私でも)変わらないってことかな。
七十而従心所欲、不踰矩
(七十にして心の欲するところに従えども、矩(わく)を踰(こ)えず)
「私の年齢になると、ごまかしを一切やめる。人にウソを言わなくなり、自分の心のままを語るようになる。そして真実を言うことこそが、相手にとって最高の褒め言葉だとわかる。相手が喜ぶことを言うのではなく」
シーモアさんの言動や、暮らし方が、とっても自然で、無理とかそれこそ見栄とか関係なく、ぴたりと人としての有り方、本質に沿っているところが気持ちいい。(「つきづきし」って感じ)
映画を見ていると、シーモア先生は様々な生徒にそれぞれ「しっくり」来るレッスンをしている様子がわかる。
映画パンフレットの後ろのほうに、シーモア先生に教わってる人のコメントがあるんだけど、
・「なぜできないか」ではなく「なぜできたか」を分析させる。それを覚えていれば次の時もうまくできると考える。
・何かアドバイスするとき、「ちょっと思いついたんだけど…」という。押し付けない。
・どんな生徒もまず受け入れて、リスペクトしたうえでアドバイスする。
・彼の生徒はみんな違う弾き方(シーモア先生の意見を取り入れつつ自分も出す)
・本当に必要なポイントを見極めて指摘する(たくさん言いすぎるとわからなくなるから)
などなど。
要するに、褒める、自信を持たせてからポイントをぎゅっと絞って提案するスタイルなんだけど、そこに無理してない「真実を言う」スタイルで結果そのようになっているということ。
「教えることと自身が演奏することの違いは?」
「要は同じ。ただし、長い年月をかけて見出したことを、自分だけでやっていれば一つの花しか咲かないが、同じことを生徒に伝えれば、いろいろな色の様々な花が咲く。自分にも必要な栄養を他の花にも注げば、美しい花で辺りは一杯になる」
50歳にして、何をしたいか定まってきたとして、そこから40年近く経ったとき、自分はどのような境地に達するのだろうか?
…と思うと、これからの人生、歳をとるのが楽しみじゃありませんか。というわけで、人生入門なのです。
にほんブログ村 ピアノ ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育
「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)