姉が劇場の観客席で変死したと聞いても私は驚かなかった。観劇が趣味だと自称していた姉は、実は出所の知れないオペラグラスを通して見える、廃墟と化した舞台で演技を続ける骸骨を見るのが何より楽しみだった。だから姉は「其処」でとうとう人間が見てはならないものを見たのだ。
姉が劇場の観客席で変死したと聞いても私は驚かなかった。観劇が趣味だと自称していた姉は、実は出所の知れないオペラグラスを通して見える、廃墟と化した舞台で演技を続ける骸骨を見るのが何より楽しみだった。だから姉は「其処」でとうとう人間が見てはならないものを見たのだ。
西洋物理学に関する古書を購入した僕に、家が神社の彼女は和風だったらうちにも似たような物があると言うので見せて貰うことにした。アラビア数字の筆算が使えない中、それでも漢数字で難解な数式を解き明かした昔の日本人は沢山存在するのだが、己が解き明かした数式の実用的な可能性にも気付かぬまま、大概は解答を神社に奉納して満足したらしい。
神父が海を渡って新しい教会に赴任したばかりの頃、同じ町内に住む異教の司祭は身構える神父に向かって、私はあなたの神の信徒ではないが、あなたの神を信じる方々が生み出してきた絵画や建築を本気で美しいと感じる事が出来ると言い、その言葉が神父に一歩を踏み出させる事になった。
たかあきは、初春の思い出と桜の骸に関わるお話を語ってください。
当時の彼は綺麗だねと言って満開だった桜の枝を折り取って私に差し出してきたが、私が思い切り不快な表情を示した途端に不機嫌になって一人で帰ってしまった。その後は人の心が分からない女は御免だと向こうから別れを切り出してきたが、こちらも「桜伐る馬鹿」という言葉も知らない相手は御免だった。
当時の彼は綺麗だねと言って満開だった桜の枝を折り取って私に差し出してきたが、私が思い切り不快な表情を示した途端に不機嫌になって一人で帰ってしまった。その後は人の心が分からない女は御免だと向こうから別れを切り出してきたが、こちらも「桜伐る馬鹿」という言葉も知らない相手は御免だった。
石工のギルドに相応しい緻密な細工が随所に施された球体を慣れた手付きで十字架型に展開させて示してきた彼は、見事なものだろうと自慢げに微笑んだ。その点に異存は無いが、私がぼんやりと考えていたのは十字架の形が博打に使うサイコロの展開図と同じものだということだった。
たかあきは、初夏の思い出と桜の根に関わるお話を語ってください。
僕が初夏の季節になると気鬱になるのは、ちょうどその季節に実の母が僕を公園に置き去りにして知らない男と逃げたせいだと思う。子供なりに不穏な空気を察して掴もうとした手は振り払われ、桜の根に躓いて転び、泣いていた僕に目を向けること無く母は姿を消し、それ以来全く音信は跡絶えている。
僕が初夏の季節になると気鬱になるのは、ちょうどその季節に実の母が僕を公園に置き去りにして知らない男と逃げたせいだと思う。子供なりに不穏な空気を察して掴もうとした手は振り払われ、桜の根に躓いて転び、泣いていた僕に目を向けること無く母は姿を消し、それ以来全く音信は跡絶えている。
緑のグラスに注いだ赤葡萄酒は、元々の色彩より濃度を増しながら鈍い輝きを閃かせる。だが、この葡萄酒が黒く見えるのはグラスのせいだけでは無いことを私は知っている。だから君もこれから己の犯す罪に怯えることなく、ただ黙って死に逝く私の事を少しで良いから哀れんで欲しい。
気が付くとメロンソーダばかり注文している友人がいて、あの毒々しい緑色の液体を嬉しそうに飲む姿にある日思い切ってメロンソーダが好きな理由を尋ねてみた。すると、無駄に鮮やかな緑色もインチキ臭い香りも微妙に気の抜けた炭酸もみんな好きだと言われて理解するのを放棄した。
父と母の馴れ初めは、母がバレンタインの古い慣例に従って匿名でカードを送り、父がそれを母からのものだと判断して返礼に贈り物をした事だという。ただ、母はカードに垂らした香水が自分の纏う香りだと父が気付いたと信じ、父は他に差出人の心当たりが無かったので母だと判断したそうだ。
かつての薔薇は一重咲きだったり蕾の形が現在ほど優雅ではなかったので、この花の女王の姿を更に美しくしようと、人々は長年に亘る努力と研鑽を続けてきた。その結果、薔薇は現在のように優雅で高貴な花姿を手に入れたのだが、引き替えに濃密な香りの殆どを失うことになった。