ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

長崎は寒かった

2009-11-11 23:34:06 | FC東京とサッカー
土砂降りの東京から、雨の上がった長崎に着く。でも、風が強くて飛行機は着陸をやり直した。初めての経験。そして、飛行機は満席で、青赤な人が、それなりに乗っていた。

天気が良くて暖かい。雨でなくて良かった。

夜になると風が冷たくなって来た。試合が始まる頃には、一段と寒くなった。

地元の人達が、「サインをもらいたいけど、もらえるかしら。」と色紙を持っている。「え、無理ですよ。」と言ったら、ガッカリしていた。

負けるとは思わなかったが、これだけ面子が落ちると、ちょっと辛い。後半に梶山くんが入って、やっとらしくなった。それに、ヨネくんもヨネくんらしくなった。やっぱり「東京の10番は梶山」。

ホントに勝って良かった。草津は、張り切ってガンガン来たし、足が早い。ボールも良く拾っていたし、ウチがボールを持つと、直ぐに囲って、マイボールにしていた。

サポーターも少数ながら、一生懸命応援していた。東京のゴール裏は、国見高校の大応援団(?)と一緒に、楽しそうに応援していた。平山くんやホクトくんの高校の時の応援をしていて面白かった。そういうのを見てると、地方でやるのも有りかな、とも思う。

夫の隣に国見高校の関係者が座っていて「マフラーを勝って帰ろう」と、話していたそうだ。平山くんやホクトくんの関係者も来ていた。二人ともゴールが決まって良かった。

綺麗なおねーさんがVファレーン長崎の為の署名活動をしていた。ユキヒコくんの話で盛り上がる。ユキヒコくんのナビスコ新人賞を貰った時の写真を、まだ飾ってあると、言ったら「ユキヒコに言いますね。喜ぶわ。でも、私、羽生さんも好きなんです。」と。笑った。

明日は一日、長崎観光。私は、長崎は初めてなので楽しみだ。
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森繁久彌さんの思い出

2009-11-11 09:36:49 | Weblog
20年程前、森繁さんの近くに住んでいた。テレビで「もりしげ通り」の名前を聞き、懐かしく思い出す。

「もりしげ通り」は駅から続く道が、ダラダラの下り坂になり公園にぶつかる所で終わる。その坂の途中に森繁さんのお屋敷があった。私の住む社宅は、その公園の隣。

社宅は他の会社に売られて違う建物が建っているはずだし、森繁さんの屋敷もマンションに立て替えられたと聞く。入り口の門の所に綺麗な枝垂れ桜があったが、今もあるのだろうか?

隣の公園で森繁さん出演のドラマの撮影をしていて見ていた事もある。お散歩している姿も時々お見受けした。

田舎の父母が遊びに来て、たまたま門の所に出ていた森繁さんと話が出来、写真も一緒に撮れて喜んでいたのを思い出した。

奥様がお亡くなりになり、沢山の人々がお悔やみに訪れ、ウチの敷地にも駐車を頼まれた。ホントに凄かった。

公園が多い為、桜の木や大きな木々が生い茂り、とても暮らしやすい所だった。

森繁さんの舞台は見た事無いけど、知床半島での暮らしの映画は、確か「地の果てに生きる」だっと思うが、今でも心に残っている。

いつか、夢中で生活していた、あの千歳船橋の地をを訪ねてみようかな。

森繁さんの御冥福をお祈りします。
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