安城市の特養でお世話になっている母の所に一泊して帰って来た。
ずっと、どうしてブログにログイン出来ないのか考えていた。
ログインしなくても、すぐに投稿画面に行くようにお気に入りに入れていたのに、ログアウトしてしまって、入ろうとしたら出来なくなったのだ。
それで、思いついたのが、もしかしたらパスワードを変えたのかもと考えた。いつだったか、gooから 「時々はパスワードを変えた方が良いですよ」 とのメールをもらったと思い付き、その時に変えたのかもと思った。
家に帰り、どこかにパスワードが書いてないかを探した。種々のパスワード等を記入してあるページを見ても、変えてが無い。
それで、過去の手帳を一枚一枚めくって行った。去年の、その前の、その前の…。
そして、いつも使っている8桁のパスワードに、3桁付け加えた11桁のパスワードが書いてあった。
もしかしたらと思って打ちこんだら、ログイン出来た。なあんだ。パスワードを変えてのをすっかり忘れていたのか。
ホッとしている。
7年前に、安城市に住んでいた姉が、父が亡くなり一人になった母を引き取り暮らしていた。でも、その姉が病気になり、近くの特養に入れてもらう事になった。
出来たばかりの、素晴らしく綺麗な特別養護老人ホーム。沢山の待機老人がいて、入る事が難しい所だそうだ。でも、姉のガン摘出手術に始まり抗癌剤治療等で、ショートステイに預かってもらったりして、何とか入れてもらう事が出来た。
その特養に入る為に、手伝いに行った時、姉を見てビックリ。
直ぐに病院に連れて行き、入院・検査。
その時に告げられたのが、持って1か月、早ければ一週間、と言われた。
母を特養に連れて行き、事情を話し、私は直ぐに新幹線で家に帰り、病院に泊まり込む為の準備をして姉の病院に急いだ。
姉が8カ月前にガン摘出手術をした時にも、ずっと退院するまで病室に泊まり込んだ。ちゃんとシャワー室も備わった個室。
姉は1週間で、先に行った父の元へと旅立って行った。
それからは、時々、夫と、あるいは私一人で母の所に通った。日帰りできないから、ホテルに一泊しないといけないけど。
それで、何とか、私のそばの特養に連れて来られないかと、稲城市へ相談に行き、ある特養で何とか引き受けてもらえる事になった。でも、市内の住民ではないので、直に入る事が出来ないから、老人健康センターに3ヵ月ほど入ってからとなった。
ところが、夫が入院してそれどころではなくなった。夫は2ヶ月半の闘病で私の姉の後を追うように逝ってしまった。
あれから、2年半。無理してでも、連れてくれば良かったなと思いながら、母の所に通った。
名古屋に住む姉の長男から、「直ぐに来て」 と電話があり、急遽、昨日早朝の新幹線で向かった。
私、姉の長男、義兄、そして、施設の責任者、担当者、お医者さん、看護婦さん等10人との話し合った。これからどうするか、どうしたいか、と。
食べなくなったので、病院に行き検査をしたそうだ。それを嫌がって大変だったそうだ。でも、何処にも異常は無く、老人の機能低下だろうと。
それで、何かあっても、もう、病院には連れて行かず、自然に任せて面倒を見てもらう事にした。
施設の方で、最期の看取りまで責任もってお世話させていただきます、と言ってもらえた。
安城市でも、最期の看取りまでしてくれる特養はそこだけというし、他の市でもあまり無いそうだ。だから、入りたい人や入れたい人が沢山、何年も待っているそうで、義兄は知り合いや近所の人に、「どうして、入れたの?どうしたら入れるか教えて」 と言われるそうだ。
多分、姉が母を車椅子に連れて、何回か見学行き、私も「東京から来ました」 と2回程行った。そういうことじゃないかしらと思う。
一晩、特養に泊まって、職員達の世話の仕方や接し方に頭の下がる想いだった。フリースペースには、遠足やいろいろなイベントの写真が一杯飾ってあり、写真集も沢山並んでいる。
どの写真にも母の笑顔があり、何枚かもらって来た。
もう、95歳になる母。去年の秋に行った時には、私の事を分かり会いたかったと泣いた。でも、今回は私の事も分からなくなっていて、寝ているか、じっと天井を見ている。
そんな母を見ていると、悲しくて寂しい。
又、直ぐに連絡が来るかも知れない。
母は、生まれ育ち生活した故郷にそのまま連れて行き、向こうでお葬式をする事にした。その準備を、田舎で生活している妹に任せた。
多分、そんなに先では無いだろうとは思う。
家の仏壇の前の写真の中で微笑む、父と姉と夫。そして…。
寂しい。
綺麗な建物。
部屋の窓から
個室は、東京の特養よりも広くておしゃれ。将来、私が入りたいほど。