ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

また、新幹線に乗って

2014-01-09 17:58:51 | 家族
母のいる特養から「来て下さい」の電話が来た。

まさか、こんなに早く呼ばれるとは思ってなかった。

何回、この新幹線で安城に通った事か。

姉が生きている時は、早く会いたいと、楽しい気持ちだった。

姉が最後の入院した時には、胸が張り裂けそうで涙をこぼしながら、窓の外見ていた。

今は暗い何も見えない窓を見つめ、最後の悲しみの新幹線に揺られている。

母さん、私が着くまで、待っててね。







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母の所から家に帰る。

2014-01-08 17:59:01 | 家族
安城市の特養でお世話になっている母の所に一泊して帰って来た。

ずっと、どうしてブログにログイン出来ないのか考えていた。

ログインしなくても、すぐに投稿画面に行くようにお気に入りに入れていたのに、ログアウトしてしまって、入ろうとしたら出来なくなったのだ。

それで、思いついたのが、もしかしたらパスワードを変えたのかもと考えた。いつだったか、gooから 「時々はパスワードを変えた方が良いですよ」 とのメールをもらったと思い付き、その時に変えたのかもと思った。

家に帰り、どこかにパスワードが書いてないかを探した。種々のパスワード等を記入してあるページを見ても、変えてが無い。

それで、過去の手帳を一枚一枚めくって行った。去年の、その前の、その前の…。

そして、いつも使っている8桁のパスワードに、3桁付け加えた11桁のパスワードが書いてあった。

もしかしたらと思って打ちこんだら、ログイン出来た。なあんだ。パスワードを変えてのをすっかり忘れていたのか。

ホッとしている。


7年前に、安城市に住んでいた姉が、父が亡くなり一人になった母を引き取り暮らしていた。でも、その姉が病気になり、近くの特養に入れてもらう事になった。

出来たばかりの、素晴らしく綺麗な特別養護老人ホーム。沢山の待機老人がいて、入る事が難しい所だそうだ。でも、姉のガン摘出手術に始まり抗癌剤治療等で、ショートステイに預かってもらったりして、何とか入れてもらう事が出来た。

その特養に入る為に、手伝いに行った時、姉を見てビックリ。

直ぐに病院に連れて行き、入院・検査。

その時に告げられたのが、持って1か月、早ければ一週間、と言われた。

母を特養に連れて行き、事情を話し、私は直ぐに新幹線で家に帰り、病院に泊まり込む為の準備をして姉の病院に急いだ。

姉が8カ月前にガン摘出手術をした時にも、ずっと退院するまで病室に泊まり込んだ。ちゃんとシャワー室も備わった個室。

姉は1週間で、先に行った父の元へと旅立って行った。

それからは、時々、夫と、あるいは私一人で母の所に通った。日帰りできないから、ホテルに一泊しないといけないけど。

それで、何とか、私のそばの特養に連れて来られないかと、稲城市へ相談に行き、ある特養で何とか引き受けてもらえる事になった。でも、市内の住民ではないので、直に入る事が出来ないから、老人健康センターに3ヵ月ほど入ってからとなった。

ところが、夫が入院してそれどころではなくなった。夫は2ヶ月半の闘病で私の姉の後を追うように逝ってしまった。

あれから、2年半。無理してでも、連れてくれば良かったなと思いながら、母の所に通った。

名古屋に住む姉の長男から、「直ぐに来て」 と電話があり、急遽、昨日早朝の新幹線で向かった。

私、姉の長男、義兄、そして、施設の責任者、担当者、お医者さん、看護婦さん等10人との話し合った。これからどうするか、どうしたいか、と。

食べなくなったので、病院に行き検査をしたそうだ。それを嫌がって大変だったそうだ。でも、何処にも異常は無く、老人の機能低下だろうと。

それで、何かあっても、もう、病院には連れて行かず、自然に任せて面倒を見てもらう事にした。

施設の方で、最期の看取りまで責任もってお世話させていただきます、と言ってもらえた。

安城市でも、最期の看取りまでしてくれる特養はそこだけというし、他の市でもあまり無いそうだ。だから、入りたい人や入れたい人が沢山、何年も待っているそうで、義兄は知り合いや近所の人に、「どうして、入れたの?どうしたら入れるか教えて」 と言われるそうだ。

多分、姉が母を車椅子に連れて、何回か見学行き、私も「東京から来ました」 と2回程行った。そういうことじゃないかしらと思う。

一晩、特養に泊まって、職員達の世話の仕方や接し方に頭の下がる想いだった。フリースペースには、遠足やいろいろなイベントの写真が一杯飾ってあり、写真集も沢山並んでいる。

どの写真にも母の笑顔があり、何枚かもらって来た。

もう、95歳になる母。去年の秋に行った時には、私の事を分かり会いたかったと泣いた。でも、今回は私の事も分からなくなっていて、寝ているか、じっと天井を見ている。

そんな母を見ていると、悲しくて寂しい。

又、直ぐに連絡が来るかも知れない。

母は、生まれ育ち生活した故郷にそのまま連れて行き、向こうでお葬式をする事にした。その準備を、田舎で生活している妹に任せた。

多分、そんなに先では無いだろうとは思う。

家の仏壇の前の写真の中で微笑む、父と姉と夫。そして…。

寂しい。



綺麗な建物。





部屋の窓から





個室は、東京の特養よりも広くておしゃれ。将来、私が入りたいほど。





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PCからログイン出来ない!

2014-01-06 17:51:46 | Weblog
パソコンからブログにログイン出来なくなった!


どうしたらいいんだろう。困った。


IDもパスワードも変えてないのに…。本人性確認にログインしてもエラー…。


携帯からだと、文字を書くのに時間がかかるし、写真をアップ出来ない。


昨日、「南ちゃんの会」で、今年初めての活動日のため、一の森で安全祈願をした。


曇っていて、富士山は見れなかったが、新しい年明けに手を合わせた。


その後、一の森をどのように再生して行くかを話しあった。


まずは、間伐する樹木に印を付けて、次の活動日に伐採する事にした。


そして、畑で、挿し木から育てて大きくなった山アジサイや、ドングリから育てたクヌギ等を一の森に移植する。


お昼頃、急に風が冷たくなって来たので、食事をしないで帰ることにした。


明日、本当は山に入りたいのだが、愛知県に住む母の具合が悪いそうなので、行く事にした。


もう、95才の高齢。どうなのか、行ってみないと分からない。


それにしても、PCでブログを書けないのは辛い。


新しく作らないとダメかな…。困った。
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今年初、畑へ

2014-01-03 13:30:19 | Weblog
暖かい昨日、息子と畑へ行った。私が、楽しく遊んでいる里山や畑を知ってもらう為に。

一人で暮らしていても、日々、元気に楽しんでいるフィールドを知ってもらいたくて。

本当は、もっと早い時間帯に一の森に行きたかった。そうすれば、山々の上に真っ白の富士山の頂が見れるはずだから。

でも、お正月。息子は夜遅くまで起きていて、朝は起きて来るのが遅い。

やっと起きて来た息子に朝昼の食事を用意し、その後に出かけた。

一の森で、綺麗にする前の状態を説明したが、はたして想像出来ただろうか。私でさえも、あの、絶望的なまでに生い茂っていた数メートルの篠笹とクズが密集していた荒れた森を思い出すのは難しくなって来ている。。

今は、本当に気持ちいい林になっている。一本一本刈り取って行った人の手作業の積み重ねもバカにしたもではない。

富士山は見れなかったけど、真っ白い頂きを想像はしてくれただろう。





その後、畑に回り、大根とネギを収穫した。



「子供の頃、親に手伝わされた畑仕事や、田んぼ仕事は大嫌いだった。まだまだ農家に機械は普及していなかったから、子供も立派な働き手だったんだよね。でも、今は、畑仕事が楽しい。農家のおばさんをしているよ。真夏の草取りは大変だけど、楽しいよ。」

私が一人暮らしをしていると、子供達には心配する時もあるだろうが、仲間と楽しむ時間も、サッカー観戦に出かける時間も、少しだけどバイトの時間も、そして一人で本を読んだり海外ドラマを楽しむ時間も、それなりに充実して暮らしているから、心配しないでね、と。

息子は息子なりに、娘は娘なりに自分の生活を自分の人生を楽しんで欲しい。

帰りは、桜の広場を通って帰る。





この、桜の広場からカエデの広場までの広い面積を、一年かけて綺麗にした事を説明して歩く。

“おとうさん”の指導を受けながら、誰もが未体験の下草刈りを夢中で行った。誰も、ギブアップして辞めなかった。

やり始めて、もう直ぐ一年、という時、どこで一周年記念をやろうかと言いながら作業していた。関わりのある人達を招待してやるのにふさわしい広さの場所をどうしょうかと。

そして、刈り進んで藪を抜けた時、そこにポッカリと表れた何も無い空間。大きな山桜の木々に囲まれて、刈り取られたような綺麗な広場が表れた。

そこが私達のシンボルとなった“桜の広場”。

一周年を、いろいろな人を招待して祝った。食べ物飲み物を運び上げて。

今では、数々のイベントを行っている。

息子に、説明しながら、降り積もった落ち葉の小道をカサカサと歩いた。

「今度は、緑豊かなお盆に案内するね」 と。

息子のお父さんが大好きだった南山。1/3しか残らなかったけど、それでも、豊かな里山の風情はタップリと残っている。

夫の想いを心に抱きながら、里山の手入れと保全を微力ながら続けて行こうと思う。


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天皇杯の決勝戦

2014-01-02 10:23:45 | FC東京とサッカー
FC東京は準決勝で負けてしまった。勝った時、決勝戦のチケットをどうして手に入れようかと、PK見ながら仲間たちと話していたが、そんな心配は悲しいけど無くなった年末だった。

決勝戦のマリノスと広島。

私の娘の夫がマリノスのサポーター。

彼は、準決勝で、勝って、即、スタジアムで売り出されたチケットの争奪戦に負けて、TVで応援する事になった。

暮れには、私の所に子供達全員集まり、翌、元日は、娘の家のTVで決勝戦を見る事になった。娘の家のTVは大画面なので。

息子の車で、家から食べ物飲み物持っり、途中で買いこんだりして。

確かに、ウチのTVと違って大画面のTVは迫力がある。

私としては、不本意ながらも、マリノスを応援した。

ゴールが入ると、皆でハイタッチで手を叩く。婿殿はカメラでTV画面をパチリ。

リーグ優勝を逃したマリノスが、広島にリベンジするように、東京が勝てなかったマリノスにリベンジする姿を見たかった。

美しい青空の下で、美しい緑のピッチの上で、心躍るゲームを、東京の選手達で見たかった。

悔しさが残る去年一年の東京だったが、新しい年が明けたのだから、今年の夢を見よう。

新しい監督で、新しい選手が加わって、どんなサッカーを見せてくれるのだろう。

ポポさんがセレッソに行き、セレッソのパリパリサポーターの私の友達と年賀状でエールを交換した。

なぜか、縁のある東京とセレッソ。

今年は、勝てなかったセレッソにもリベンジしなくては。もう、セレッソの友達の笑顔は見たくない。

今年の終わりに笑顔のバンザイが出来るように、新しい太陽に手を合わせた。


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