都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

霞が関ビル

2007-07-20 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2007) No.15 外堀通り西新橋1丁目の歩道橋から

高度経済成長期以降の昭和の時代に有名だった構図は最近になって激変した。

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2007.1.28(マウスオン
正面:霞が関ビル
所在地:千代田区霞が関3-2
建設年:1968(昭和43)
階数、高さ:36F、最高高さ156m・軒高147m

正面右側:霞が関コモンゲート東館・官庁棟
所在地:千代田区霞が関3-2
2007.9完成予定、2008.1使用開始予定
階数、高さ:33F、最高高さ156m

 御存知の通り、霞が関ビルは日本の100m超の超高層ビル第一号。1970年代に新宿に超高層ビル群が建設されるまでは、東京→超高層ビル→霞が関ビル、という連想で多くの出版物に写真が載った。その際、典型的な構図として、新橋駅ホーム上からか、この歩道橋からの写真が多用されている。たくさんの車が走る道の奥に、ドーンとひときわ高くそびえ立つ霞が関ビルは、東京の象徴的都市風景だった。

 ところがところが、最近になって、ひときわ高くドーンとそびえていたはずの霞が関ビルが、より大きなビルの陰に隠れてしまうという事態になった。これには正直驚いた。ああ〜、隠れちゃったぁ、構図が崩れちゃったぁ、という感じ。

 通りの延長線上にシンボリックな建物がドーンと建つ構図は、パリやロンドンといったバロック都市で意図的にしばしば使われていたもの。霞が関ビルの場合、政策的、計画的な意図は感じられないが、三井系の勢力が界隈を支配しているかのようなイメージを振りまくことにはなっていた。しかし文部科学省を含む再開発建物が、どけどけとばかりに一部を隠してしまい、遠近感を象徴的に利用した景観を崩してしまった。これまた嫌がらせとかいう意図は全然ないのだが、なんだか霞が関ビルが脇に追いやられてしまったような感じ。記念写真で真ん中に立っていたのに、後から来た人が前に割り込んでピースしちゃったみたいな・・・。

 ただ、逆の事件も発生していた。霞が関ビルの手前にあった虎ノ門ホールの建物がなくなって、霞が関ビルが足下まで見えるようになったのだ。サイドが隠れ、足下が見えるようになったので、結果的になんだかスリムになって背が高くなったような感じ。よもやそういう変化が起こるとは思っていなかったので、今回の変化はまさしく「想定外」なのだった。

 一方、外堀通り沿いの建物の様子は意外なほど変化していない。左側のGSという広告塔や水銀灯という看板は無くなったが、ジーエス・ユアサ バッテリーの会社はまだあるし、右奥の戸上電機の広告塔もそのまま。敢えて言うなら、81年時点では、沿道には2〜3階建て程度の古い家屋がところどころにあり、写真ではそこだけ櫛の歯が抜けたように見えていた。しかしその多くで、後に周辺と同規模の建物が建ち、今では立面がきれいに揃っている。外堀通り沿いの建物は、26年前の時点で既に大半が9階建て程度になっていたため、その後の変化は比較的少なかったようだ。

#東京新旧写真比較 千代田区  #街並み 千代田区  #高層ビル  #道 
コメント (6)
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