ぽてと倶楽部

じゃがいも伝来の地 『長崎』
雲仙普賢岳の裾野に広がるじゃがいも畑。
ここ愛野町は北海道に次ぐ「ポテト王国」です。

終戦の日に思うこと

2019-08-15 | よもやま話
終戦記念日の今朝、
テレビで流れていた鈴木貫太郎の逸話。

戦況が悪化していた昭和20年4月、
当時の昭和天皇に「頼む」とまで言われ内閣総理大臣に就任。

8月6日の広島、9日の長崎の原爆投下から終戦までに至る間、
鈴木は77歳という老体に鞭打って
不眠不休に近い状態で終戦工作に尽力を尽くした。

軍部の本土決戦もささやかれる中、
ポツダム宣言受諾により第二次世界大戦を終戦に導いたのだ。






そのとき亡き親父は18歳。

予科練に志願して奈良で訓練中に終戦。

それまでに多くの先輩の特攻出撃を見送り、
半年後には自分も出撃予定になっていたとか。

その終戦直前の六日前は長崎出身者は全員集められ、
原爆の投下による長崎の惨状が告げられたそうだ。

希望者には一時帰郷が認められたが、
出撃を目前にしている親父は帰郷を断ったらしい。

特攻出撃を間近かに控えているなかで
帰郷ということは考えられなかったと話していた。

特攻は出撃したら二度と日本の土を踏むことはないことを意味しており、
もう少し戦争が長く続いていたら親父は居なかったということだ。

親父によく言われたことが

「戦争がもう少し長く続いていれば、
 お前もこの世に生まれてくることはなかっただろう。」

「命は大事にしろよ。」



黙祷。






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