「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          空襲と強制疎開の補償金

2011-04-22 07:42:04 | Weblog
昭和20年3月10日の東京大空襲の5日後、近くに軍需工場のあったわが家は「防空法」に基づき1週間以内に退去せよ、と強制疎開を命じられた。命令は有無を言わせぬものだった。当時中学2年だった僕は、学校の勤労動員を休み(動員も工場周囲の疎開家屋の壊し作業だったが)両親と共にバタバタと家財を整理し荷馬車で郊外へ引っ越した。

事情は違うが、今回の福島原発事故による「警戒区域」設定も同じだ。自分の家や土地があっても立入禁止で、立ち入れば法によって罰せられる。当時、子どもだったので、あまり大変とは思わなかったが、定年をまじかにして、やっと自分の家を建てた両親はさぞかし戦争といえ無念だったに違いない。

福島原発事故の避難者への補償金が、いまだに一時仮払い金さえ支払われていないが、戦時中の空襲や強制疎開の場合はどうだったかー。昨日、自宅兼店が空襲で焼けた旧友と昔の話をしたら、空襲被災者は政府から一切補償や見舞金は出ていない。被災直後、被災証明書が発行され、これがあれば日本全国へ無料で避難できたにすぎなかったという。

強制疎開の場合は、亡父の日記によれば、敗戦直後の8月28日、9,010円が支払れていた。東京の半分近くが焼野原になり、敗戦を挟んでいたのに行政が機能していたのには驚きだった。しかし、その額は、同じ年の11月、僕の動員先の工場から5か月分の退職金4,000円が支払れている比較からみて、たいした額ではなかったことが判る。

今回の大震災は戦争ではない。巨大な地震や大津浪は自然災害である。しかし、福島原発事故は、明らかに人災である。政府は誠実に事故被害に対して対応して、一日も早く被災者に対して補償すべきである。