「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

松竹が門ごとに建てられなくなった東京の新年

2016-01-02 07:01:54 | 2012・1・1
昨日元旦の午後2時過ぎ、遅らせながら、近所の氷川神社に初詣に出かけた。かっては、村の鎮守の神様だったのだが、最近は初詣の名所になったようで、本殿まで100メートルの沿道には長い列ができていた。話によれば、この小さな神社でも前夜から篝(かがり)火がたかれ交通整理が出るとのことだ。変れば変ったものだ。

戦前、1月Ⅰ日は「四方拝」という皇室の儀式にならって国の祝日であった。戦争中小学生であった僕らは学校の奉賀式に参列した。元旦の朝は商店も休みで、街は静まりかえっており、門(かど)ごとに建てられた松竹の飾りと掲揚された「日の丸」が、70余年すぎた今でも目に残っているが、昨日改めて確認したが、わが家を含めて神社までの沿道には「日の丸」を掲げた家は一軒もなかった。

”松竹たてて門(かど)ごとに”(小学校唱歌)と歌われた松竹飾りさえ、神社へ行く沿道の商店街には少なく、代わって「謹賀新年」の紙ですましているところが多かった。昔ながらの門松は神社近くの古刹の門前とフランス料理店の前だけだった。区役所の包括センターの前にも老人福祉施設の門前にも日の丸も松竹の飾りもなかった。

初詣の混雑と門松の衰退、この現象どう見たらよいのであろうか。