NHK.BSのワールド.ニュースでショッキングな画面を見た。シリアの首都ダマスカスに近いマダヤという町で2万人の住民が政府軍と反政府軍との数か月にわたる戦闘で、町が外部と封鎖され結果、食糧道を絶たれれて飢餓状態に陥っている。画面には痩せ細ってアバラ骨まで見える少年が登場、住民たちは、木の葉(tree leaves)のスープで腹を満たし、猫の肉や虫まで食しているという。
敗戦を挟んだ昭和20年(1945年)から21年にかけて日本は数か月間、国民は食糧の配給が止まり、飢餓寸前に陥った。皇居には25万人の都民が集まり“コメ寄こせデモ”まであった。幸い、わが家では、なんとか餓えずにすんだが、一回だけついに食べるものがなくなり、フスマを焼いて焼いて口にした事があった。勤労動員先の千葉県の運河では、空腹から無味乾燥な醤油滓を食べたこともあり、飢餓は実感としてよく解かる。
昭和20年秋は天候不良から凶作であった。多分、そのまま放置すれば多数の餓死者も出たのかもしれない。見るに見かねた進駐軍の働きかけて、米国の民間救済団体LARAから救援物資が贈られてきた。東京などの大都会の保育所には脱脂ミルクが、一般市民にも、米のかわりにチーズやバター、缶詰が配給されて飢えを救った。僅か70年前の出来事である。
中東は今や政府があってないようなシリア、イラク、イエメンの内戦をめぐって外国が入り混じって軍事援助をしているが、マダヤの惨状を見て、今必要なのは相手に対する空爆ではなくて緊急な食糧援助である。百万人を超す欧州難民の受け入れも緊急な課題だが、それよりも根源にある宗派対立といった問題をアラブ自身の叡智で自浄解決できないのであろうか。
敗戦を挟んだ昭和20年(1945年)から21年にかけて日本は数か月間、国民は食糧の配給が止まり、飢餓寸前に陥った。皇居には25万人の都民が集まり“コメ寄こせデモ”まであった。幸い、わが家では、なんとか餓えずにすんだが、一回だけついに食べるものがなくなり、フスマを焼いて焼いて口にした事があった。勤労動員先の千葉県の運河では、空腹から無味乾燥な醤油滓を食べたこともあり、飢餓は実感としてよく解かる。
昭和20年秋は天候不良から凶作であった。多分、そのまま放置すれば多数の餓死者も出たのかもしれない。見るに見かねた進駐軍の働きかけて、米国の民間救済団体LARAから救援物資が贈られてきた。東京などの大都会の保育所には脱脂ミルクが、一般市民にも、米のかわりにチーズやバター、缶詰が配給されて飢えを救った。僅か70年前の出来事である。
中東は今や政府があってないようなシリア、イラク、イエメンの内戦をめぐって外国が入り混じって軍事援助をしているが、マダヤの惨状を見て、今必要なのは相手に対する空爆ではなくて緊急な食糧援助である。百万人を超す欧州難民の受け入れも緊急な課題だが、それよりも根源にある宗派対立といった問題をアラブ自身の叡智で自浄解決できないのであろうか。