「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           75年前の"雌蝶 雄蝶”

2009-01-27 09:17:23 | Weblog
母方の本家の当主のまた従姉という遠い親戚の夫人が亡くなった、との連絡を受けた。
96歳の高齢である。都会では最近、親戚といっても疎遠になり”いとこ”同士でさえ日常
交流がない場合がある。

僕の戸籍謄本には出生地は東京府荏原郡大崎町とある。母方の実家は江戸時代からの
住人で、僕が生まれた昭和の初期でも付近にはわら葺屋根の家が散在していた。75年前
の昭和9年、僕の本家の従兄が結婚した時、僕は亡くなった老婦人の長女と一緒に披露宴で"雌蝶雄蝶"役をつとめている(写真)。"雌蝶雄蝶”の本来の意味は"結婚式の時のお銚子の飾りの折り紙"(広辞苑)だそうだが、東京では花嫁花婿に介添えしてお酌する幼児のことをいっていた。

昭和12年,日支事変が始まって”産めよ増やせよ”の時代になると、従兄の家も亡くなった
老婦人の家も、庭の物干しにはいつもオシメが満艦飾であった。これが僕の子供時代の
原風景の一つだが、すでに70余年の歳月が流れた。オシメの世話になった連中も白髪の
老人となった。

昭和20年3月10日の東京大空襲のあと、強制疎開で僕は故郷を去った。昨日、法事で故
郷を久しぶりに訪れたが、わら葺の家などない。高層のビル街に変わっていた。多分老
婦人のこの法要が親類同士が集まる最後の機会になるのかもしれない。こういった家族
同士の温かみは次世代にも残したいものだが、残念ながら無理のようだ。

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4 コメント

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戦友 (kakek)
2009-01-28 08:33:06
ji-hyeon さん
戦地で生死を共にした方々の中には,確かに肉親以上の付き合いをされている、と聞きます。体験したことはありませんが、解るような気がします。
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Unknown (ji-hyeon)
2009-01-27 20:30:59
最近、秩父に住む親戚が100歳で亡くなりました。
親戚と行ってもワタシの祖父が戦争へ行った時に
同じ部隊にいた身寄りのない上官と仲良くなり
兄弟の契りを交わした(?)そうです。
父も叔父叔母も祖母が死ぬ間際まで本当の親戚だと
思っていたそうです。

ワタシからしたら不思議な感じなのですが…
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付き合いの希薄化 (kakek)
2009-01-27 17:03:23
chobimame さん
お恥ずかしい次第。いつのまにか75年もの歳月が流れていました。都会では住宅の変化で冠婚葬祭は出来なくなりましたが、地方ではどうなんでしょうか。
冠婚葬祭は親戚が一同に集まる機会でしたが、なくなるとお付き合いも希薄になりますね。
僕はこの葬儀で60数年ぶりに昔珠算塾で教わった遠縁の90歳の先生とも会えました。
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貴重な写真 (chobimame)
2009-01-27 16:44:43
すごいですね~
kakekさんの幼少期が拝見できるとは!
戦前は家で結婚式をするのが当たり前の世の中だったのですよね。
今では冠婚葬祭は、完全に商業化ですけと。
戦後、核家族化が進んだので、こういうものが商業的になったのでしょうけど、商業化の裏に完全に人との繋がりが薄くなってます。結婚式は入籍だけ、葬式は家族だけと、親戚すらいらない状況が当たり前になってきました。実に人付き合いが希薄です。冠婚葬祭を見ると、その時代や国の社会情勢がわかりますね。
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