「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      なぜ嫌われる首都圏の公立中学校(2)

2008-02-03 12:16:28 | Weblog
戦前は小学校卒業後、中等学校(中学校、高等女学校、商業学校、工業学校etc)
へ進学する子供は限られていた。昭和18年4月、僕は東京の区部にあった国民学
校を卒業、私立中学校に入学したが、クラス58人(男子のみ)のうち中等学校へ進学
したのは20人足らずであった。残りは国民学校高等科(修業年度2年)へ入学した。
国民学校高等科は無試験で授業料も無料であった。

当時東京の中等学校の難易度は、都立中学のうち一中、二中、三中といったナンバ
ースクールが難しく、ついで麻布、開成が難関だった。僕の記憶では、どこの学校も
小学校からの内申書と口頭試問だけで、それに時代を反映して体育検定(腕立てふ
せ、懸垂など)があった。

国民学校高等科への進学者は、だいたいが家庭の経済事情によるもので、卒業後
は就職希望者だった。高等科卒業後も中等学校への転向は可能だったが、東京で
はあまり、その例はなかった。

現在の首都圏の公立中学校離れを見て、戦前の高等科制度を想い出した。当時と
は、事情がまったく異なるが、日本人全部が全部が高校、大学へと進学する必要が
あるのだろうかー。日本の高校進学率は95%を越えているが、この中には中学だけ
で実社会に出たい希望者もいるに違いない。一方、勉強大好き人間で難関の高校
進学希望者もいる。このあたりに首都圏公立中学の矛盾があるのではないか。

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4 コメント

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富山県は (やん)
2008-02-03 18:55:50
私立中学が一校、国立大附属が一校なので大多数が公立に進みます。私は区立の中学を卒業し、都立の高校に進みました。私の通った高校は就職する子が20人足らず、大学短大に進学する子も少なく、大多数が専門学校に進学しました。私は数少ない就職組でした。しかしバブルの時期でしたので楽しめた上に会社にいろいろと教育してもらいました。東都六大学卒の友達はバブル崩壊で就職難だったそうです。

結局学校の問題だけではないような気がします。地域柄もありますが公立でもいいと思いますよ。
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Unknown (ji-hyeon)
2008-02-03 21:27:34
(1)でコメントした部活動優先ということですが、別にそれが悪いとは思っていません、東京は区立中学校にはA~Eまでレベルがつけられていて、息子の行く予定の区立はランクE、選択して抽選でいける区立はAになっています。そのために抽選する人が多く望みは薄いです。さらに区のA判定は世田谷方面のA判定とは学力レベルでかなり差があり、都立の推薦でも下のレベルに見られるそうです。
親の経済力も影響しますよね、うちは若い方に入るのでカツカツのサラリーマン家庭で財産もなく、残してあげれるのは学歴だけだと思っています。
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学校の問題 (kakek)
2008-02-04 09:05:36
やん さん
僕も学校の問題ではないと思います。60数年前の同期会に出ても、いわゆるよい学校を出たらといって、必ずしも人生幸せとは思いません。
健康が第一です。
東京の場合は行き過ぎです。残念ながら生まれつき頭のよい人間がいますね。この人たちはどこにいても”いい学校”へ
行けますね。
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A-Eランク (kakek)
2008-02-04 09:23:52
J-hyeon さん
A-Eランク、あるんでしょうね。昔も小学校でも格付けがあったみたいです。僕の小学校(国民学校)は多分Eだったみたいで、後年東大教授になった友人も都立一中(日比谷高校)不合格。隣接の御殿山小学校からは一中、六中(新宿)八中に沢山合格しています。
孫の小学校の学区内に都立櫻修舘中高一貫校がありますが、これまで一人もごうかくしていません。多分ランクがひくいのかもしれません。
近くに全国合唱コンクール連続優勝校がありますが、特に歌のうまい子供を集めていません。その学校の音楽教師の指導力です。難しい問題です。しかし、首都圏の場合はまちがいなく行き過ぎですね。
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