戦前は小学校卒業後、中等学校(中学校、高等女学校、商業学校、工業学校etc)
へ進学する子供は限られていた。昭和18年4月、僕は東京の区部にあった国民学
校を卒業、私立中学校に入学したが、クラス58人(男子のみ)のうち中等学校へ進学
したのは20人足らずであった。残りは国民学校高等科(修業年度2年)へ入学した。
国民学校高等科は無試験で授業料も無料であった。
当時東京の中等学校の難易度は、都立中学のうち一中、二中、三中といったナンバ
ースクールが難しく、ついで麻布、開成が難関だった。僕の記憶では、どこの学校も
小学校からの内申書と口頭試問だけで、それに時代を反映して体育検定(腕立てふ
せ、懸垂など)があった。
国民学校高等科への進学者は、だいたいが家庭の経済事情によるもので、卒業後
は就職希望者だった。高等科卒業後も中等学校への転向は可能だったが、東京で
はあまり、その例はなかった。
現在の首都圏の公立中学校離れを見て、戦前の高等科制度を想い出した。当時と
は、事情がまったく異なるが、日本人全部が全部が高校、大学へと進学する必要が
あるのだろうかー。日本の高校進学率は95%を越えているが、この中には中学だけ
で実社会に出たい希望者もいるに違いない。一方、勉強大好き人間で難関の高校
進学希望者もいる。このあたりに首都圏公立中学の矛盾があるのではないか。
へ進学する子供は限られていた。昭和18年4月、僕は東京の区部にあった国民学
校を卒業、私立中学校に入学したが、クラス58人(男子のみ)のうち中等学校へ進学
したのは20人足らずであった。残りは国民学校高等科(修業年度2年)へ入学した。
国民学校高等科は無試験で授業料も無料であった。
当時東京の中等学校の難易度は、都立中学のうち一中、二中、三中といったナンバ
ースクールが難しく、ついで麻布、開成が難関だった。僕の記憶では、どこの学校も
小学校からの内申書と口頭試問だけで、それに時代を反映して体育検定(腕立てふ
せ、懸垂など)があった。
国民学校高等科への進学者は、だいたいが家庭の経済事情によるもので、卒業後
は就職希望者だった。高等科卒業後も中等学校への転向は可能だったが、東京で
はあまり、その例はなかった。
現在の首都圏の公立中学校離れを見て、戦前の高等科制度を想い出した。当時と
は、事情がまったく異なるが、日本人全部が全部が高校、大学へと進学する必要が
あるのだろうかー。日本の高校進学率は95%を越えているが、この中には中学だけ
で実社会に出たい希望者もいるに違いない。一方、勉強大好き人間で難関の高校
進学希望者もいる。このあたりに首都圏公立中学の矛盾があるのではないか。
結局学校の問題だけではないような気がします。地域柄もありますが公立でもいいと思いますよ。
親の経済力も影響しますよね、うちは若い方に入るのでカツカツのサラリーマン家庭で財産もなく、残してあげれるのは学歴だけだと思っています。
僕も学校の問題ではないと思います。60数年前の同期会に出ても、いわゆるよい学校を出たらといって、必ずしも人生幸せとは思いません。
健康が第一です。
東京の場合は行き過ぎです。残念ながら生まれつき頭のよい人間がいますね。この人たちはどこにいても”いい学校”へ
行けますね。
A-Eランク、あるんでしょうね。昔も小学校でも格付けがあったみたいです。僕の小学校(国民学校)は多分Eだったみたいで、後年東大教授になった友人も都立一中(日比谷高校)不合格。隣接の御殿山小学校からは一中、六中(新宿)八中に沢山合格しています。
孫の小学校の学区内に都立櫻修舘中高一貫校がありますが、これまで一人もごうかくしていません。多分ランクがひくいのかもしれません。
近くに全国合唱コンクール連続優勝校がありますが、特に歌のうまい子供を集めていません。その学校の音楽教師の指導力です。難しい問題です。しかし、首都圏の場合はまちがいなく行き過ぎですね。